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ひらかれた場のつくり方——角打ちイワタヤスタンドを訪ねて感じたこと
レポート

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社会福祉士がいる、角打ち。編集会議でその言葉を聞いたとき、気になって仕方がなかった。私はお酒を飲むのが好きで、立ち飲みや角打ちに足を運ぶことも多い。考え事をしたり、気持ちを整理したいときには、ひとりで行くこともある。自分にとってはなくてはならない場所のひとつだ。

でも、どうやらイワタヤスタンドは、子どももお酒を飲まない人も立ち寄れるらしい。「それってどんな角打ち?」「どうやって場をひらいているの?」と疑問がたくさん沸いてくる。そんな好奇心に背中を押され、取材チームに混じってイワタヤスタンドを訪れたのは、うだるような暑さの8月のことだった。

執筆:岩中可南子(こここ編集部)
撮影:鈴木竜一朗

取材を担当したライター・福井さんとフォトグラファー・鈴木さんは、私が以前働いていたSHIBAURA HOUSE時代の元同僚だったことも、「行くしかない!」と思った大きな理由。

SHIBAURA HOUSEは、東京都港区芝浦にある、地域にひらかれたコミュニティスペースだ。建築はSANAAの妹島和世さんによるもので、ガラス張りの空間には、子ども連れで遊びに来る人、仕事をしに来る人、イベントに参加する人、海外から建築を見学に来る人……さまざまな人が集っていた。

そもそも私が、「いろいろな人が集まる場」や「活動をひらくこと」に興味を持つようになったのは、SHIBAURA HOUSEで働いていた頃の経験が根っこにある。でも、場をひらくことは口で言うよりも難しく、常に葛藤があった。ただ空間を開けて待っているだけでは人は集まらないし、さまざまな工夫が必要だ。そして「誰でも来ていい」と言いつつも、実際にはキャパシティも限られているし、自分たちが想定している“地域やコミュニティ形成に主体的に関われる人”に来てほしい、という願いもどこかにある。「ひらく」と「とじる」のあいだの心地よいバランスを、ずっと探していた。

そんな場づくりの難しさを共有した元同僚である2人と一緒に、誰にでもひらかれた角打ちに行ける。どんな話が聞けるのか(そしてもちろん、角打ちで飲むことも)、楽しみでならなかった。

イワタヤスタンドの空間づくり

イワタヤスタンドの空間で「すごい」と思ったところは、たくさんある。すでに記事でも触れられているが、実際にその場で体験すると、細部に宿る“人を迎えるためのさりげない工夫”がひとつずつ見えてくる。

まず、角打ちなのに程よくオープンで明るい心地よさ。入口は大きなガラス張りで、外から中の様子が自然に見える。中をそっと覗いて、入りたいかどうか自分で決められ、知らない場所に入るときの緊張が和らぐようになっている。

店内には植物がたくさん置かれていて、カフェにありそうな照明やテーブルと、先代の酒屋時代からある家具が混在している。角打ちではめずらしい、手作りのあたたかい料理がたくさんあって、とても美味しい。子どもが大人と同じ目線で乾杯できる踏み台が置かれ、子ども用のノンアルカクテルや、ちょっとした遊び場も用意されている。1人で来た人が落ち着いて飲めるカウンターもある……

一つひとつは“ちいさな工夫”なのだけれど、その積み重ねが「ここは安心していられる場所だ」と自然に伝えてくる。そしてどれも、デザインされ過ぎず、人の気配が残っている。思わず「これってなんですか?」「どうやって作ったんですか?」と聞きたくなる。

そして壁の一角には、控えめに「社会福祉士が2人と民生委員、児童委員、保護司がいる日本で一番安心できる酒屋さん」という張り紙があり、そこに気づいた瞬間に「あ、ここはただの角打ちじゃないんだ」と、静かに伝わってくる。

【写真】
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場をひらくことの難しさとジレンマ

SHIBAURA HOUSEがオープンしたのは、2011年。5F建ての建物のうち、1・2Fを誰でも入れるフリースペース、3・5Fをイベントスペース、4Fをオフィススペースとし、さまざまな文化プログラムを企画し、空間の貸し出しも行っている(※)。

※最近は元々オフィススペースだった4Fで宿泊サービスを開始したそう。1・2Fは今もフリースペースとして地域にひらかれています。気になる方はぜひ足を運んでみてください。

Photo:Iwan Baan、提供:SHIBAURA HOUSE
提供:SHIBAURA HOUSE

地域にあるリビングスペースのような場所を目指していたものの、ガラス張りの空間はあまりにスタイリッシュで「オープン過ぎ」て、開館当初は地域の人がなかなか中に入ってこなかった。

そこで、デザインや建築、アートのプログラムと並行して、近隣で働く人が参加しやすい料理教室や英会話、居酒屋イベントを企画したり、近くに住む人たちに向けて子どもと参加できるヨガや造形教室を開催したり、さまざまなプログラムを考え、少しずつ人を呼び込んでいった。人が入りやすいように看板を設置したり、建物の外で植物を育てたり、空間上の工夫も試行錯誤した。

だんだんと人が集まるようになり、SHIBAURA HOUSEを介したコミュニティがゆるやかに形成されるまで、2〜3年はかかったのではと思う。それくらい、人が安心して立ち寄れて過ごせる場所をつくるというのは難しいことだと感じている。

細やかな配慮とやわらかな設計

イワタヤスタンドで何より印象に残ったのは、謙一さんと舞さんの雰囲気だった。初対面なのに、なぜか自然といろいろ話したくなってしまう。肩肘張らずにいられる空気があって、こちらの緊張をふっとほぐしてくれる。

そして、お二人とも本当にお酒が好きで、この場所を楽しんで運営しているのが伝わってくる。取材が終わった後、おすすめの居酒屋をたくさん教えてもらい、「本当にお酒とお酒のある場が好きなんだな……!」と思ったのを覚えている。その“楽しんでいる感じ”が、店に流れる空気をさらにやわらかくしている。

そこに集まるお客さんも、意図的に“選ばれている”という感じがまったくないのに、結果としてすごく心地いいコミュニティが成立している。お店の空間デザイン、店主たちの佇まい、程よい距離感と会話のリズム。細やかな配慮に裏付けされながら、どれもがやわらかく作用して、お店の雰囲気をふんわりと整えている。これは、本当にすごいことだと思う。

【写真】
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この滞在は、個人的な感慨も大きかった。SHIBAURA HOUSEで一緒に働いた元同僚たちと、またこうして同じ“場”を訪ねていること。その頃と今では扱っているテーマも働き方も違うのに、大きく見ると向いている方向は変わっていないんだな、としみじみ思った。

イベントスペースであれ、カルチャーの場であれ、酒屋であれ、“人が自然と集まって、たまに悩みを共有したりしながらつながれる場所——安心できる場”があることを大事にしたいし、私の中ではそれが「福祉」に自然とつながっているのだと思った。イワタヤスタンドで過ごした時間は、そのことを改めて確認させてくれる体験だった。

少し時間が経った今も、「いま自分が安心できる場をつくるとしたら、どんな場所だろう?」と考えることがある。そして「安心できると“思える”場は、どこまで他の人にとっても安心できる場なのだろうか」という問いも、ふと頭をよぎる。イワタヤスタンドを一緒に訪ねた人たちと、またそんな話もしてみたいと思う。