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約50年前に生きた、ひとりの少年による創作の痕跡。作品集『堀尾 聡 切り絵の世界』出版
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作品集の表紙画像。怪獣をモチーフにした切り絵作品がたくさん並んでいる。タイトルは、堀尾 聡 切り絵の世界、編集・鞆の津ミュージアム

歴史の影に埋もれていた、ひとりの少年の表現をまとめた作品集

空気を切り裂いて不敵な笑い声をあげる、強靭そうな怪獣たち。正義のヒーローも手こずりそうなたくましい躯体と、未知の攻撃を仕掛けてきそうな風貌です。例えば1960〜70年代のロボット漫画やアニメ、特撮SFドラマに熱中した人なら、ふと懐かしさを覚える世界観かもしれません。

この繊細で緻密な造形は、デジタル技術で起こしたものかと思いきや、じつは紙とハサミのみでつくられたもの。それも、今から約50年前の、1970年代に制作されました。

作者は堀尾 聡さん。1961年に広島県豊田郡瀬戸田町(現・尾道市瀬戸田町)で生まれ、1981年に亡くなるまでの数年間で無数の切り絵作品を制作しました。

近年、方々に眠っていた聡さんの作品が発見され、広島県福山市の〈鞆の津ミュージアム〉での展覧会を機に、じわじわと注目を集めています。そして2026年3月5日(木)、現在確認されている聡さんの全作品を収録した『堀尾 聡 切り絵の世界|SATOSHI HORIO THE WORLD OF PAPER-CUT ARTWORKS』が出版されました。

真正面を向いた少年の写真
堀尾 聡さん

50年以上の時を経て注目される、堀尾 聡さんとは?

小学2年生の頃、骨格筋障害をおこす難病・筋ジストロフィーを発症した聡さん。だんだんと登校もままならなくなり、12歳頃からわずかに動く指先と手首を使っての切り絵制作がスタートしました。

以来、寝たきりとなる17歳頃まで、毎日のように何時間も創作を続けていたといいます。下絵もなしに、数ミリ単位の緻密な造形を、聡さんは動きにくい手とはさみだけで表現しました。

額装作品の写真。はさみと紙だけでつくったとは思えない、極めて繊細な切り絵作品28作品が並んでいる
堀尾家の居間に飾ってあった、昆虫や動物をモチーフとした切り絵

4等分したコクヨのB5判便箋をさらに半分に折って、その片側を裁ちばさみ(布地の裁断に使われるはさみ)で切っていくのが聡さんの制作スタイル。居間の座卓の前に座り、重量のあるはさみを机の角で支え、紙だけを動かしながら切っていたといいます。

年季の入った裁ちばさみの写真
聡さんが愛用した裁ちばさみ。持ち手の黒い塗料がはがれている箇所を座卓に当てて支点にし、創作をしていました

1976年頃、聡さんの創作を中国新聞社や全国版学習雑誌などが取り上げたことを機に、町長からの打診で、地域の小中学校へ額装作品を10点ほど寄贈した堀尾家。

また、聡さんの創作に協力的な家族の発案で、切り絵のモチーフをあしらった着物、反物、磁器皿なども制作されてきました。

息子と父、二人三脚での創作

紙を切る作業はもちろん、寄贈作品や台紙に貼られている作品の配置について、どの切り絵をどのように貼るかといった選定・指定も、すべて聡さん本人が行っていたといいます。傍で支えた父・平安喜さんは、当時のやり取りを『堀尾 聡 切り絵の世界』のなかでこのように回想します。

“隣にいる聡が「これをここに貼って」と言うのを聞いて、貼っていくわけです。作品広げて、これはだめ、あれはいかん。なんせこちらが切り絵を広げるんでも、「ああしたらこうしたらいかん」って文句はよく言ってた。それで、貼ってる時に細いところがちぎれたら、「またちぎったー!」と怒ってた。それで切れたやつは、わしが糊を付けて一生懸命直してたんよ、爪楊枝でね。そういうのは几帳面にしていました。”

『堀尾 聡 切り絵の世界』 父・平安喜さんへの聞き取り より
23体の怪獣の切り絵作品が並んだ額装写真。下中央には「この作品は、手先以外の体の自由を奪われ自宅療養を続けている、瀬戸田町中野・堀尾聡君(14歳)の立派な切り絵です。堀尾聡君は、小学校二年生まで元気に通学していました。ところが進行性筋縮症という病魔に侵され、広島県佐伯郡廿日町、国立原病院の県立養護学校に身を寄せましたが、二箇月たったころ事故で歩けなくなりました。以後自宅で療養を続けています。『ボクの生きがいは切り絵を作ることです』と、同じ悩みを持つ人の勇気づけになれば……と、制作意欲が盛んです。がんばれ聡君!!」という言葉が添えられている
2011年に発見・救出された聡さんの作品。もともとは、1976年に尾道市の生口島にある小学校に寄贈されたものでした

今なお残る切り絵の多くには、“太い手足”が見られます。聡さんの作品のひとつの特徴といえるこの表現にも、本人の思いが強く現れています。

“ある時、本人に聞いたんです。これは何を象っとんか。どうしてこんなに足や手が太いんか?と。「僕が細いけぇ、ああいうようになりたい」といつもそう言って、切ってた。だから、どの切り絵を見ても太いじゃろ。細いものはない。やっぱりね、すごい希望があったんじゃろう。そして「何で僕がこうなるんだろうか」って。「力道山みたいに肥えて元気になりたい」と言っておりましたわ。”

『堀尾 聡 切り絵の世界』 父・平安喜さんへの聞き取り より

負けず嫌いの性格で、生きがいの切り絵で「世界一になりたい」と語っていたという聡さんでしたが、20歳を迎えた1981年にこの世を去りました。

憧れ、切望したたくましい体。今の自分にできることに没頭し、深く追求してきた表現。切り絵作品を見た瞬間、強く心に響いてくるのは、聡さんのそうした強い念望が作品から滲みあふれ、訴えかけてくるからでしょうか。

写真。座卓を前に座る聡さん。手には裁ちばさみが。横には父の平安喜さん、後ろには母が寄り添い、笑顔で写っている
堀尾さんとご両親

〈鞆の津ミュージアム〉での展覧会を経て、作品集の出版へ

聡さんの没後、多くの作品は堀尾家の自宅や納屋、寄贈先の学校の片隅で、ひっそりと眠りについていました。

しかし2011年、聡さんの作品が再び脚光を浴びるきっかけが訪れます。それは〈NPO法人尾道空き家再生プロジェクト〉のメンバーが、解体予定の廃校で寄贈作品を発見したこと。

「ともかくこの死の解体現場からこの作品を救い出さなければならないような心情」だったと振り返るのは、プロジェクトメンバーのひとりであり、イラストレーターのつるけんたろうさんです。引き取った額装作品を、空き家再生スペース「三軒家アパートメント」内の卓球場に飾ると、その世界観に驚嘆の声をあげる人が多々。そのひとりに〈鞆の津ミュージアム〉のキュレーター・津口在五さんがいました。

そんな出会いから、2023年に〈鞆の津ミュージアム〉で開催された「日曜の制作学」への出展につながり、堀尾家との関係を深めてきた同ミュージアム。2024年に瀬戸田で行われた小さな個展や、グッズ制作・販売にも全面的に関わってきました。

聡さんの作品集を出版する話も、そのなかで立ち上がったプロジェクトのひとつ。平安喜さんが自費出版することとなり、制作や編集を同ミュージアムの津口さんが担当しています。

聡さんの表現を、世に“復活”させる作品集

本著には500点以上もの切り絵作品が掲載されています。学校への寄贈作品、自宅に遺されていた作品のほか、聡さんの文通相手が大切に保管していた作品、新聞記事を見て「聡さんのものと思しき作品がある」という連絡をうけて見つかった作品も収録。

また、切り絵作品をあしらった磁器皿、反物や浴衣、鳳凰を型染めした着物、さらには左右対称ではない写実的な動物の切り絵も多数掲載されています。

便箋を4等分した紙で制作していることから、ほぼ同サイズ(11.5センチ)に仕上がっている切り絵たち。まるで博物図鑑や昆虫標本のように整然と並んだその総覧性は、聡さんの作品の重要な要素ともいえます。聡さんが遺した作品レイアウトを可能な限り尊重するかたちで本書を編集したと、津口さんは語ります。

作品集の見開きページの画像。全部で16体もの怪獣作品が掲載されている
作品集の70-71ページの見開き
作品集の1ページの画像。繊細で緻密な鳳凰の作品が2つ掲載されている
作品集の15ページに掲載されている「鳳凰」の切り絵。ある時期、このモチーフを好んで制作していたという聡さん

もし聡さんが生きていたならば、65歳を迎えていたという2026年3月5日。作品集の所々に“再生”を司るという「鳳凰」の装飾を散りばめ、発行日を3月5日に定めたのは、聡さんの表現を世に“復活”させたいという思いが込められています。

あのとき廃校から救出されていなければ、聡さんの創作は今回のようなかたちで表に出ることはなかったかもしれません。周囲の思いも乗せながら、再び世にあらわれた作品群と、聡さんの途方もない創造性を、ぜひ本書から感じとってみてください。