ああ、どれもこれも、はやすぎる。「あらゆるものが、はやすぎる」をテーマにさまざまな方にエッセイを寄稿いただく連載です。今回は、文学紹介者である頭木弘樹さんに綴っていただきました。(こここ編集部 垣花)
生活の速度について初めて意識したのは、沖縄の離島の宮古島に移住して3か月たった頃、用事があって一時的に東京に戻ったときだ。羽田で飛行機を降りたとたん、もう流れる時間のちがいを感じた。みんな動きが素早い。ゆっくり動く者を許さない鋭さがある。罰としてぶつかってくるほどに。ほら、のろのろしているから、こうしてぶつかられるんだよ、と教訓的だ。
電車に乗ると、車内の会話がこわかった。なんだか冷ややかで批判的なのだ。「ぼくはだから前から言ってたんだよね」「あの人のああいうところですよね」「あれで好かれてると思ってるんだから」席を立ったり座ったりも椅子取りゲームのようだ。キビキビだけでなく、ギスギスしていた。
前はなんとも思っていなかったのに、たった3か月でこんなふうに感じるんだなあと、そのことにも驚いた。
目的地の最寄り駅に着くと、小雨が降っていて、タクシー乗り場は行列になっていた。私は大きな旅行カバンを転がしていたので、それをタクシーのトランクに入れるのを手間取っていると、それだけで「死ねばいいのに」という声がタクシー待ちの列から聞こえてきた。悲しい気持ちになって、もう東京暮らしは無理かもと思った。
しかし、1か月も東京にいると、電車内の何がこわかったのかわからなくなる。コンビニで小銭を出すのを手間取っている人がいたりすると、じれったく感じてしまう。人はなんでもすぐに慣れてしまうものだ。
『〆切本』(左右社)という面白いアンソロジーがある。いろんな作家の〆切に関するエッセイが集めてあるのだが、みんな、〆切に追われて苦しんでいる。
推理作家の内田康夫はあんまり忙しすぎて、連載小説で〈A誌の作品とB誌の作品とで、人物の名前を取り違えたこともある。また、どの雑誌のどの作品とは言えないけれど、連載第二回で死んだはずの女性が、第三回で「未亡人」として堂々(?)登場したりもした〉とのことだ。
作家の獅子文六は、あるとき5人の作家を招いて会を催したら、1人しか来なかったという。他の4人は、編集者が見張っていて外出させてくれなかったり、その目を逃れて行方不明になっていたり、〈盛況を通り越して殺況ともいうべきメチャクチャな多忙さの中に、生きているらしい〉。まあ、作家というものはそういうもので、だからこそ『〆切本』なんて本も出るわけだ。
ところが、なんと獅子文六自身は、〈私なぞは一生涯を通じて、そんな多忙さを経験したことはないから、少し考え込んでしまった〉というのだ!
獅子文六は昭和の大流行作家で、演劇の分野でも活躍し文学座の創設メンバーでもあり、文化功労者、文化勲章受章者だ(ちなみに、2013年から「平成の獅子文六ブーム」も始まって、多数の本が復刊された)。
そういう、いかにも忙しそうな人が、こんなことを言うのだ。
獅子文六は、こうつづけている。
如上の文士諸君はナニそれほど働かなくても、食える人ばかりである。また、頼まれると断れないという好人物ぞろいでもない。どうも私には理由がわからない。恐らく、この忙がしい世の中に、自然と歩調を合わせているのだろうか。それならつまらない。こんな世の中につき合ったって仕様がない。
言われてみると、たしかに不思議だ。生活に困っているのなら忙しく働くのもわかるが、そうでないのなら、なぜ苦しい思いをしてまで仕事をするのか?
獅子文六くらいの大物になれば、仕事を断っても、「次の依頼がなくなるかも」なんて心配はしなくてすむし、無理せずに自分のペースで書くだけで充分に豊かな生活ができただろう。だから、〈そんな多忙さを経験したことはない〉のも当然だし、他の作家たちが〈メチャクチャな多忙さの中に、生きている〉のは〈どうも私には理由がわからない〉のも当然だ。
他の作家たちには、なぜその〝当然〟ができなかったのか?
やっぱり、〈この忙しい世の中に、自然と歩調を合わせているのだろうか〉。
大沢在昌は仕事が増えてきたとき、〈ボーゼンとした。えらい量だ〉〈毎日泣きくれて、原稿のほうは一向にはかどらない〉という状態でいると、編集者からこう言われたそうだ。
「あんたは大変な量だ、と勝手に思い込んでいるようだけど、他の作家はみんな、あたり前にそれくらい書いてますよ」
〈驚いた。なんてことだ〉と大藪春彦は書いている。
この「これくらい、みんなやってますよ」に、人は弱い。つい自分も同じくらいやらなければと思ってしまう。
でも、やっぱり、がんばってたくさん仕事をしたほうが、収入も増えるし、一生にやれる仕事の量も増えるし、身体を壊すようなことさえなければ、そのほうがいいのだろうか?
ただ、急ぐと質が低下することも多い。先の内田康夫も〈忙しかったり、胃や心臓に悪かったり——という程度なら、どんな職業でも似たようなことはあるだろうから、我慢もできる。しかし、作品の質の問題となってくると、話は深刻だ〉と書いている。そして、〈ぼくは戦線を離脱することにした〉そうだ。仕事を大幅にセーブしたのだ。急いで雑な仕事をするより、しっかり時間をかけて質のいい仕事を残すほうが、満足度は高いだろう。
質の低下ということに関しては、私にも苦い経験がある。
一時期、映画紹介の仕事をしていて、試写会に行くのが間に合わず、試写DVDを送ってもらっていたが、それでも見るのが間に合わず、ついに倍速で見るようになった。すると、それでもちゃんと内容がわかるのだ。等倍で見るのとまったく変わらない。しかも1本分の時間で2本見られる。まだ倍速鑑賞が一般的ではなかったころで、私はこれはいい発見をしたと喜んだ。
ところが、ある日、過去にそうやって見た映画が、たまたまテレビで放送されていた。何の気なしに見ていたら、これが面白いのだ。倍速で見たときにはつまらないと思った映画だった。愕然とした。血の気が引いた。
倍速でもストーリーはちゃんとわかる。登場人物のセリフも感情の動きもすべてわかる。しかし、このあとこの人はどんな表情をするのだろう? などと考える間はなくなる。そういう間が、じつは面白さの半分なのだった(これは説明すると長くなるし、また別の話なので、これくらいにしておくが)。
私は2倍見られてトクをしたと思っていたのだが、実際にはまるゾンをしていたわけだ。以後、じれったくても、倍速には絶対しないようにしている。
では、宮古島のようにのんびりしているのと、東京のようにスピーディーなのとでは、どうだろう?
「沖縄時間」なんて言い方もされるが、それにあこがれる人はいても、東京ではそれでは回らない、間に合わないと思うだろう。
私もそう思っていた。のんびりとスピーディーでは、スピーディーのほうが速いに決まっている。昔話の「うさぎとかめ」じゃあるまいし、かめのほうが速いはずがない。
ところが、これが不思議なことに——私の見聞きした範囲、感じた範囲ではあるが——どうも宮古島のほうが、ずっと回転が速いのだ。物事がスムーズなのだ。
たとえば役所とか郵便局とかコンビニ。東京だと、よくお年寄りがつっかえて、ずっと待たされるということがあった。そうすると、待っている人たちは、けわしい顔つきになっていき、足をとんとんやったり、ペンをコツコツいわせたりする。窓口の人は早くしなければと思って、余計に説明が早口になり、お年寄りもあわてて、かえって混乱が深まる。お年寄りはいったん帰されたりする。
これが宮古島だと、最初から窓口の人がじっくりゆっくり説明する。待っている人たちも、だれもイライラしない。だから、お年寄りもあせらない。理解も早くなって、スムーズに用事が終わる。けっきょく待ち時間はずっと少ないのだ。
病院では、お年寄りが話しかけると、看護師さんがお年寄りの横に腰をおろして、じっくり話を聞く。いくらなんでも、それはまずいだろうと思った。お年寄りの長話につきあっていて、ナースコールとかに対応できるのかと。ところが、じっくり話を聞いてあげると、お年寄りの話は短いのだ。東京でお年寄りの話が長いのは、一度もじっくり聞いてもらえていないから、たまっているのだ。
そして、人に何か頼んだとき、宮古島ではすぐにやってもらえる。待たされない。たとえば、お年寄りが蛍光灯が切れたから交換してほしいと頼んだとき、東京だと「今は人と会う約束があるから、あとでね」ということになる。お年寄りは暗いまま待たされる。しかし、宮古島だと、先にやってくれる。
「それじゃあ、待ち合わせに遅れるのでは?」と思うだろうが、そのとおりだ。遅れる。私も最初はそれで頭にきた。まだ慣れていなかったから、真夏の駐車場で待ち合わせをしてしまい、灼熱の太陽光線をアスファルトの上で1時間も浴びて、遅れてきた相手があやまりもしないから、「なんなんだこいつは!」と思ってしまった。
しかし、そういうものだとわかってからは、待ち合わせる場所も考えるし、本を持っていくとか、時間もムダにせずにすむようになった。そりゃあ、遅れてくるよりは遅れてこないほうがいい。でも、何か頼んだときにすぐやってもらえるということのほうが、ずっと助かる。お年寄りが暗いまま我慢せずにすむのだ。すぐに明るくなるのだ。
例がお年寄りばかりになったが、もちろんお年寄りに限らない。東京では高齢者への態度がひどすぎるので、ついそういう例ばかりあげてしまった。
ともかく、「急がば回れ」という、おそろしく古いことわざを、宮古島では新鮮な驚きとともにあらためて実感することになったのだった。
せかせかよりのんびりがいいですよ、というだけでなく、のんびりのほうがじつはスムーズに世の中が回りますよ、ということをもっとみんなにも実感してもらえたらなあと願っている。






