“一人の人格をケアするとは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけることである。 (中略)他の人々をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、その人は自身の生の真の意味を生きているのである。この世界のなかで私たちが心を安んじていられるという意味において、この人は心を安んじて生きているのである。それは支配したり、説明したり、評価しているからではなく、ケアし、かつケアされているからなのである。” (『ケアの本質―生きることの意味』より)
こんにちは。編集長の中田です。
冒頭で引用したのは、書籍『ケアの本質―生きることの意味』(ミルトン・メイヤロフ 著、田村真・向野宣之 訳、ゆみる出版、1987年)の一節です。本書は、1971年に米国で出版され、日本語訳は1987年に初版、2019年時点で第27刷……と、非常に長く読まれてきました。
取材先の方から教えていただいた一冊なのですが、とにかく面白い。その魅力は第一に、本書が「ケア」という概念を哲学から紐解く本だというところ。そして、「ケアする」の範囲がとてもひろいところです。
親が子を、教師が学生を、作家がアイデアを、音楽家が音楽を、市民が共同社会を「ケア」しうるのだと筆者はいいます。そして、対象が人であろうと概念や作品であろうと、これと感じた対象を真摯にケアし、関係しつづけることで、「私」の生は意味を帯びる、とも。重要なのは、「自分が充実するために他者をケアする」では決してないこと。対象に真剣に向き合った結果、自分自身にも向き合うことになるというその関係です。
「ケア」の視点で見渡すと、身の回りに渦巻く出来事や関係性がそれまでとは異なる姿で立ち現れます。
(ちなみに、引用文中の「成長」「自己実現」「役立つ」という語は、現代の上昇志向的なニュアンスと少し距離があり、今でいう「よりよく生きる」に近いのでは、と私自身は受け止めています)
『ケアの本質』を読み、ふと感じたことがあります。それは、「編集長」という私の仕事は、「〈こここ〉をケアする仕事」ではないか、ということ。
つまり、〈こここ〉が成長したいと望む限り、その実現に必要なありとあらゆる知識を学び、自分のことのように憂い、悩み、嘘つくことなく、思いつくだけの手立てをつくす。それが私の役割です。
メディアそのものが「成長したいと望む」とは、ちょっと飛躍した比喩ですが、創刊から運用まで手掛けるなかで、私は常に〈こここ〉の「人格」を大事にしようと考えてきました。そういう意味では、編集長がメディアを思うように「成長させる」のではなく、ある人格や使命を持って生まれたメディアが「成長を望む」と考えるほうが、しっくりくるなと感じています。
その上で、〈こここ〉にとっての「成長」が何であるかを、明確にしていくことも私の仕事です。たとえば、「たくさんの人に知られる」とか、「PVがぐんぐん上がる」とか、「運営費に悩むことがなくなる」とか、そういうことはわかりやすい「成長」のようでいて、ちょっと違う。
もちろんそれらも励まないといけないけれど、より本質的に考えるならば、〈こここ〉の成長とは、「〈こここ〉が目指そうとしている世の中の景色に少しでも近づくこと」。それは「〈こここ〉が無い世界よりはある世界のほうがいいと読者に感じてもらうこと」であったり、「関わる人がよりよい状態になっていくこと」であったりします。
目指すべき方角を間違えないことが大前提で、その道を一歩ずつ踏みしめていった結果として(あるいは必要なステップとして)、現実的な事業成長をしていくことが大切……の、はず。相変わらず自信はないのですが、この順番だけは間違えないようにしようと、『ケアの本質』を読んで気を引き締めました。
創刊から5カ月。〈こここ〉の運営で大事にしてきたこと
さて、前置きが長くなりましたが本題です。今回は、〈こここ〉の運営で考えてきたことを振り返ってみます。
4月の創刊から5カ月。〈こここ〉は、繊細なテーマを掲げて、複雑な時代に生まれたメディアだという自覚があります。社会の状況や人々の価値観が変化し、大きく揺らぐなかで、どのようにして言葉をつむぎ、人と出会っていくことができるのか。それこそ「〈こここ〉が目指そうとしている世の中の景色に少しでも近づくこと」とは、日々の運営でいかに実現できるのか。
編集部全員で試行錯誤してきたこと、そして編集長として今考えていることを、メモとして残しておきます。
1. 言葉をすり合わせる
〈こここ〉では第一に、仲間と「言葉をすり合わせる」ことを大事にしています。
「福祉」や「クリエイティブ」といった、大きな概念をテーマに掲げるなかで、一つひとつの言葉をどう捉え、何を重要なキーワードだと考えているのか。以前、ブログ記事でご紹介したとおり、編集部メンバーの経歴や得意領域はもともと違うので、前提となる考え方や言葉の定義を持ち寄り、その違いから確認していくことは欠かせません。
具体的には、オンライン会議後に雑談する時間を設けたり、気になるテーマがあれば勉強会を開催したりしています。(その勉強会をきっかけとして生まれた企画記事が、〈こここ〉で最も読まれている記事「差別や人権の問題を「個人の心の持ち方」に負わせすぎなのかもしれない。 『マジョリティの特権を可視化する』イベントレポート」です)
また、倫理観や時代の課題意識を大切にしながら、記事をつくることも重要です。誰かの尊厳を損なっていないか、偏ったイメージを形成する表現になっていないか、それらを検討するためのガイドラインやリスト、事例の共有を重ねてきました。
2. ぐるぐる悩む
〈こここ〉をはじめてびっくりしたことは、とにかく記事制作に時間がかかること。編集段階で構成から言葉の一つまでぐるぐる悩むので、原稿の調整回数がかなり多いです。過去の経験の中でもダントツです。
もちろん、関係先に負荷をかけすぎてはいけないのですが、切り口・構成・言葉づかいまで、推敲段階ではぐるぐるぐるぐる悩んで、ここまで細かく考えるかなというぐらい考えます。それでベストが見つかるとも限らないし、ときどき「限界です」と弱音を吐くことも(私が)あるのですが、悩むことそのものは肯定しています。
3. たびたび振り返る
そうして公開した記事も、終わりではありません。1ヶ月ごとに振り返り会をして、各記事の企画・制作フロー・仕上がり・反応まで、どうだったかを編集部全員で確認します。常に反省をして研鑽していく……という意味合いもなくはないですが、コーナーごとに分業されている中で、お互いのいいところをどう考えているのかとか、もっとできることはないかとか、話し合うための時間です。
また、ウェブマガジンの運営は、雑誌や書籍と違って区切りをつけにくい仕事なので、意図的に節目を設け、メンバー間で労うことを大事にしています。特にメンバーを預かる立場としては、「あって当たり前」「やって当たり前」になってしまうことも避けたい。ちょっとした頑張りや、喜び、発見にも敏感でいたいので、月例振り返り会の他に「創刊◎ヶ月」などで集まる場も設けています。
4. 「出会い」は共有する
最後に。メディア運営の面白いところは、知識や人のつながりがどんどん育まれていくところ。調査や取材を重ねれば重ねるほど、新しいものごとに出会います。その旅で得た経験を個人のなかに閉じず、仲間と共有することは、〈こここ〉にとって大切な活動だと考えています。
たとえば、毎週会議で「1人1分ニュース」を持ち寄ったり、資料を読んだらSlackで感想をシェアしたり。こうやって編集部ブログでプロセスを残すことも、読んでくれている方との共有ですし、「こここ Index」のコーナーで公開している取材先・寄稿者一覧は、この領域に関心を持つ人と共有するためのコーナーです。
まだまだ反省だらけだけれど…個と個で一緒にできること
ただ、これらの活動は、仕組みと呼べるほどしっかりしたものにはできていません。やりたいこと、やるべきことはまだまだあるなと反省している今日このごろです。
たとえば、これからは執筆や撮影で参加してくれているメンバーや、営業や企画に関わるメンバー、取材先の方々とも共有する時間をつくれないかなと考えています。また「何か共同でやってみたい」とお声がけいただいたら、すぐに動ける機動力も欲しい。記事をつくるだけでなく、〈こここ〉や記事を知ってもらうための活動にも、時間と手間をかけたい。
それら一つひとつのことを実現していくことで、「個と個で一緒にできること」を考え実践していく世の中に一歩でも近づけるといいなと思っています。
以上、ちょっとぼんやりした話でしたが、最近の近況報告でした。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。秋になっても心泡立つニュースが続き、穏やかな日々はなかなかやってきませんが、それぞれのペースで過ごしていけますように。
(編集長・中田一会)