こここ編集部より

記事に設定するイラストの制作過程で悩んでいること
編集後記

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スマホをスクロールする手。画面にはある記事のイラストうつっている

スギ花粉に苦しんでいます。垣花つや子(かきのはな つやこ)です。

こここでは「インタビュー」や「スタディ」「健康で文化的な最低限度の生活ってなんだろう?」「いたずらに人を評価しない/されない場所『ハーモニー』の日々新聞」「森田かずよのクリエイションノート」「ふれる世界探索 たばたはやとの触覚冒険記」などの企画・編集を担当しています。

どの企画記事も自分が一番前のめりに読んでいて、「ありがたいことだ」「当たり前じゃないぞ」と心の中でつぶやく日々です。

また、どの記事も悩みながら携わる日々でもあります。

取材で体感したことを、ウェブに掲載される記事という形式でどう落とし込むのか。その人がもつ言葉の使い方や文法を大切にしつつ、不必要な誤解が生まれないようにどう編集するのか、他者の尊厳や権利を傷つけたり差別につながったりする表現になっていないか、公開後にインタビューイーの「敵」を増やしてしまうような記事になっていないか、事実情報を押さえられているか、解釈の幅を確保しておきたい箇所まで削ってしまっていないか、画一的な正解や「〜すべき」のような押しつけをしていないか……。挙げ出したらきりがないのですが、日々緊張したり楽しんだり反省したり自分を責めたり右往左往しながら、仕事をしています。

悩むことのひとつに、記事のトップ画像をどうするのかというものがあります。写真にするのか、イラストにするのか、その組み合わせにするのか。

今回は「イラスト」を選択したときに、わたしが考えていることを記してみます。

「画一的な美やイメージ」をむやみに再生産しないようにするには?

そもそもどのようにイラストの制作依頼を進めているのか、ざっと振り返ります。わたしがこれまでご一緒した方は、はじめましての方がほとんどです。既に関係性がある方に依頼するのではなく、企画内容と合いそうな方を毎回探して、依頼を進めています。

たとえば社会学者 西倉実季さんをたずねた「ルッキズム」にまつわる記事のイラストは三好愛さんにお願いしました。

この取材はオンラインではなく対面で実施。そのため、フォトグラファーに依頼して、取材の様子を撮影する判断もできました。

ただ「人を見た目で判断してしまうこと」や「ルッキズム」にまつわる記事のトップ画像がいわゆる「インタビューカット」やインタビューイーの「ポートレート」で適しているのか、わかりませんでした。

フォットグラファーに撮影依頼をして、どんなカットを撮ってもらいたいか伝える。撮影後に共有してもらった写真データから記事内に使用したいものを選択する。そのプロセスのなかにはどうしても「美のあり方」に偏りが生まれます。「画一的な美やイメージ」をむやみに再生産しないよう、その偏りをどう扱うことができるのか、どのようなプロセスを踏めばいいのか、わからない。それは写真という媒体が悪いのではなく、ある種の偏りを避けて写真を選択するための知識や技術が私には足りていないとも言えるのかもしれません。

くよくよ悩んだ結果、今回は写真ではなくイラストという表現を選択しました。イラストであれば「記事のトップで表象されているもの」=「ある種のファンタジー」であることがより明示できるのではないかと考えたのです。

「ルッキズム」にまつわる記事に書かれている視点とその手前にある複雑さを掬ってくださる人は誰か。考えたときに、思い浮かんだのが三好愛さんでした。

三好さんはあるインタビューで「小説の装画などのイラストも同じように、文章に応答した上で、その直訳ではなく、文章をもっとおもしろくできる絵を探りながら描いています」と語っています。三好さんとであれば、記事で大切にしたいことをよりユーモアのある表現でイラストにしてもらえると思いました。

そして企画の概要や依頼内容、謝礼の額と共に、なぜ三好さんに依頼したいのかを言葉にし、問い合わせフォームからご連絡しました。

(イラストの依頼に限らずですが、はじめましての方に依頼をするとき、メールを送るとき、受けてもらえるかは別として、依頼できるよろこびや緊張をいつも感じています。)

そしてありがたいことにご快諾いただき、小躍りしつつ、こここのSlackで、はしゃいだことを覚えています。

どのようにイメージを伝えるのがいいんだろう?

三好さんとご一緒したときは、取材音源を文字で起こしたものと原稿を共有しつつ、イラストイメージをテキスト日本語でお伝えしました。具体的には次の通りです。

【イラストイメージ案】

前提として、記載したもの通りに作成してほしいとは思っておりません。私がこの記事にあってほしいイメージを記載したものになりますので、イメージを膨らませる参考としてとらえていただけるとうれしいです。

※2つの方向性で悩んでます。どちらも作ってほしいわけではなく、あくまで参考的にイメージ2つ記載します。

イメージ1:自分がもつ美醜観が、少なからずメディアに影響を受けており、メディアによってつくられたものであり、ファンタジーであるということ。読者がこのイラストをみたときに、「惹きつけられるけど、つくられたものなんだ、フィクションあるいは、ファンタジーなんだと自覚できる」。

イメージ2:社会には、日々の暮らしには既に多様な身体がある。今回の原稿ではカットしてしまいましたが、「銭湯で多様な体に出会う」というイメージが、銭湯に限らず街中で全体に広がっているのもいいのではと感じております。

【イラスト作成にあたって避けたいこと】

「画一的な美やイメージを再生産」する表現は避けたいと思っています。具体的には「女性だからピンクやスカート」「男性だから青」批評的な目線や意図がなく「登場する人(生き物)の身体の大きさや形や色が同じ」「特定の障害や人種などのマイノリティ性の部分だけ細かく書き込まれていたりデフォルメされていたりしているのに、いわゆるマジョリティ的な登場人物の書き込みは薄かったり、デフォルメされていない」など。

(中略)
イラストイメージがわかりづらい、もっと具体的な方向性を示してほしい、あるいは、逆にもっと自由に描かせてほしいなどあれば遠慮なくご指摘くださいませ!

(実際のメール一部抜粋)

どれくらい具体的なイメージを伝えるのがいいか悩みました。今回の場合は、記事内でわたしがより大切だと思っており、言葉だけではなくイラストを通して読者の身体感覚にアプローチしたい要素を伝えています。また確実に避けたい表現に関しても、簡単ではありますが伝えました。

その後ラフ案をいただき、気になったところ(ほぼイラストへの感想)をお伝えし、本イラストを共有してもらいました。

イラスト】さまざまな身体的特徴をもつ生き物12体が集合写真のように並びこちらを眺めている
【イラスト】複数の目を持つ壁が5体の生き物の行き先を塞いでいる
「人を見た目で判断することって全部『差別』になるの? 社会学者 西倉実季さんと、“ルッキズム”について考える」のイラスト。三好愛さん作成

他の記事の場合はどうだったのか。上智大学外国語学部教授の出口真紀子さんの講演レポートでは、より具体的なモチーフを伝えていました。

イメージ:特権(苦労せず得られる優位性)のある人は自動ドアで人生を歩みやすい、特権をもてない人は、センサーに反応せず、手動のドアを自らの手で開けなければいけない。特権を当たり前に享受できていていることに気づいていない人と、気づいている人。

縦イメージ:差別や偏見に対して理解がありいい人だとしても、社会構造としては、差別や偏見に加担している。マイノリティ側が行きたい方向と逆側に歩いて、社会構造という名の動く歩道を動かしてしまっている。

(実際のメール一部抜粋)

ここまで挙げた事例は、テキスト日本語でイメージを伝えています。ただイラスト作成の目的やご一緒する人によって、やりやすいプロセスがなにかは違う。自分がイメージしているものに近いイラストを複数ピックアップし、共有した方がトーンが伝わりやすいかもしれない。避けたい表現だけをお伝えして、あとはお任せした方がのびのび作成いただけるかもしれない。こちらでラフ案を作成して相談した方がいい場合もあるかもしれない。

なので、はじめてご一緒する方とは、どういう進め方、どのようなイメージの伝え方がやりやすいか、確認するようにしています。

ただ確認をとってすり合わせをしたからと言って、それがご一緒する方にとって本当にやりやすい状況かどうかはわかりません。「依頼する/される」という構造的な立場がある以上、断りずらさが発生しやすいからです。こちらがどんなに対等につくりたいと思っていても、構造的な偏りは常に起こり得る。依頼する立場としてより慎重でありたいと思っています。

まだまだ悩みごとがたくさん

ただただ悩みごとを書いてしまいました。まだまだ悩んでいることはたくさんあります。

たとえば人間を動物にたとえる表現について。民族や国、宗教によって特定の動物に抱くイメージは違う。こちらにその意図がなくても結果的にその表現が他者を侮蔑することにつながりやすいからこそ、慎重に考えたいと思っています。

そもそもなんでイラストや写真を記事のTOPや本文内に入れる必要があるのだろう。読者の目に止まりやすくするため? 目が止まりやすくなるならばなんでもいいわけではない。どんな内容の記事なのか視覚的に伝えるため? イラストや写真1枚で記事の内容を正確に伝えようとするのも難しい。テキスト情報だけではこぼれ落ちてしまう感覚的なものを置き去りにしないため?

ああ、そういえば伊藤亜紗さんに取材した記事では、3枚連続で本文内に写真を挿入したこともありました。

【写真】インタビューを受けている伊藤亜紗さん。同じ構図で身体の表情が違うものが3枚並んでいる
「さまざまな側面をもつ『わたし』と『あなた』をそのまま大切にするには? 美学者 伊藤亜紗さんを訪ねて」記事内写真。撮影は川島彩水さん。

写真挿入箇所のすこし前に「人間って常に複数のメッセージを伝えていて、それをなんとなくキャッチし合いながらコミュニケーションをしている」と伊藤さんは語っています。似た構図の写真だけれど、瞬間瞬間で身振りや表情が違うことを感覚的に残したいという意図がありました。

そもそもウェブアクセシビリティの観点で考えると、視覚情報のみにこだわることよりも先に取り組みたいことが多くあるのも事実です。

以上、主にイラスト作成に関して、くよくよと書いてきました。明快で整理された話ではないのですが、垣花の悩みをなんとなく置けた気がします。現在進行形で悩んでいるので、一緒に悩んでくれる方、勉強会したい方、ぜひご一緒させてください。