こここ編集部より

今は「窮屈な時代」ですか? 2023年は“もやもや”と上手に遊びたい―〈こここ〉新年のご挨拶
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新年あけましておめでとうございます。〈こここ〉編集長の中田一会です。

2023年がみなさま一人ひとりにとって、よい一年になることを心よりお祈りいたします。そして本年も〈こここ〉を、どうぞよろしくお願いいたします。

今は「窮屈な時代」ですか?

突然ですが、伺ってみたいことがあります。

ここ数年、あなたが暮らしたり働いたり、人と関わったりしながら「窮屈」だと感じることはありますか? 何か口に出すことを躊躇ったり、自分の発言について指摘を受けたり、やろうとしていた行動を制限したりしましたか?

昨年末、偶然耳にした「窮屈な時代」という言葉が気になって、年末年始もぼんやり考えていました。

この言葉が出てきたのは、とあるテレビ番組です。漫才コンテストで優勝した芸人コンビの芸風が、いわゆる「毒舌スタイル」で、審査員から「窮屈な時代にこんな毒舌でも受け入れられることに夢を感じた」といった賛辞が送られました。放送後、賛否両論いろいろな意見が出たようですが、番組の内容はさておき、私自身は「窮屈な時代」というフレーズが気になりました。今、多くの人は、そう感じているのでしょうか?

例えば「今はコンプラ、コンプラって煩いからね」「何言ってもハラスメントになる」という声は、しばしば耳にします。なかには「〈こここ〉をやっていて辛くないですか? “配慮”が大変じゃないですか?」と聞かれることもあります。

「制約」よりも気になること

昨春、ウェブマガジン『雛形』の森若奈編集長に取材いただいた記事でもお話ししましたが、〈こここ〉を運営していて言葉の縛りが厳しい、制約がきつい……と感じることはありません。

仮に今まで“配慮”されていなかった立場や状況があり、その構造に気づいたならば、配慮というより“考慮”して行動・発言するべきだし、その中でどんな表現や企画を繰り出せるか知恵をひねることは、創造的で面白い仕事だと思うからです。

むしろ私が辛いのは、自分や〈こここ〉の言葉が、誰かの状況を無視してないだろうか、誰かの権利を阻害しないだろうか、と思い巡らせば巡らせるほど、自分自身の至らなさや、過去のやり直せない行いに対して気が重くなることです。どうしたらいいだろうと、ずっともやもやしています。

でももしかしたら、悩んでいるのは、私だけではないのかもしれません。

「あけましておめでとう」に躊躇いながら

例えば、この新年のご挨拶ブログを書くのに、随分時間がかかりました。理由は、「あけましておめでとうございます」の一言に、躊躇しながら筆を進めたからです。

今このとき、同じ空の下にいる人達は、寒さを凌げる場所で、不安や心配を抱えることなく、穏やかな1年の始まりを迎えられているのでしょうか。必ずしもよい社会状況にあったとは言えない2022年を一人ひとりはどう過ごしたのでしょうか。

新年の到来が本当に誰にとっておめでたいものかと考えると悩ましいです。お恥ずかしいですが、私自身は〈こここ〉をはじめるまで深く考えたことのないことでした。

正直なところ、〈こここ〉の運営を通して物事を調べ、取材を重ねるごとに、オロオロしながら頭を抱える時間が増えます。自分自身があまりにも無自覚だったことや、配慮の足りなかった過去の振る舞い、想像すらできていなかった状況に突き当たるからです。

それは突き詰めると、自分が〈こここ〉の編集長でいいんだろうか? その資格はあるんだろうか? という疑問にもなり、創刊当初から悩んできました。

もうすぐ2周年を迎えようという現在も、心が締め付けられたり、身体の芯から血の気が引いたりするようなことがあります。傷んでいるのは良心か。はたまた保身の欲求か。わかりません。頭と心と身体が異なる方向に引っ張られる感覚があります。

「窮屈」の正体は“ジャッジ”への不安では?

「計画して実行して失敗したら改善すればいい。改善を繰り返すのがよい仕事だ」。

社会人になってから、何度もそう教わってきました。それが働くセオリーでした。

でも、人生や人間関係においては一回の失敗や過ちが、次の機会で改善して完全に取り戻せる約束なんてないし、何が成功で失敗なのか、どうしたら他者を傷つけずに生きられるのか、自分の尊厳を守れるのかなんて、誰も教えてくれません。

「窮屈な時代」の話に戻すと、実際のルールや規約などの縛りが厳しくなっているというよりも、「多様な立場を想像して正しく行動できる人間かどうか、他者からジャッジされている気がする(そして、自分は正しい人間でいられない不安がある)」というプレッシャーがしんどいということなのかなと思います。それは確かにしんどいですよね。苦しいし、辛いし、重いし、考え続けると不安が押し寄せて気が沈みます。

だからといって、みずから望んで積極的に他者を傷つけ嫌われたいとか、意地悪で視野の狭い人間になりたいなんて人は基本的にいないはず。単純に人間同士の関係が良好なほうがストレスが少ないし、そのために優しくありたい、よき隣人でありたいと考えることは“合理的”ともいえます。

ここで私が言いたいのは、「窮屈な時代はやっぱりつまらないよね! 気にせずに行動・発言すればいいじゃん!」と逆戻りするようなことだけは避けたいということ(ちなみに冒頭で例に挙げた番組の芸人さんがそういう態度だというわけでは決してありません)。

新しく考えるべきことを抱えたまま、この“もやもや”を無視することなく、手放すことなく、もっと軽やかに動ける回路を開く手段を探したいなぁということです。

“もやもや”と上手に付き合うための「遊び」

2023年の〈こここ〉では、この“もやもや”と上手に付き合うために知恵を絞っていきたいです。

昨年、〈こここ〉の運営方針を定めた「こここのコンパス」を更新し、編集部が大事にするものを「倫理と遊びと揺らぎ」としました。「倫理」と同時に「遊び」を大事にするというところが、マガジンハウスという雑誌社で福祉というテーマに挑戦するポイントかなと思います。

楽しい! 面白い! といったエンタメ的な“遊び”の要素だけではなく、記事をつくる一人ひとりが実際に物事を“プレイ”して考えること、思考や活動の余白としての“遊び”を残すことなど、「窮屈な時代」と名付けられた“もやもや”を解きほぐしたり、“もやもや”と戯れ遊んでみることで物事を考えてみたりするようなメディア運営をしていきたいです。そしてそのためのヒントは、福祉の現場にこそ宿っていると相変わらず信じています。

どうか温かく、そして厳しい目で2年目の〈こここ〉も見守っていただければ幸いです。

最後に。昨年公開した記事のなかでも、私自身の悩みに関わるもので、何度も読み返している一本の記事から引用して終わりたいと思います。

“間違いに気づけた瞬間って、これから自分が変わることができるかもしれない分岐点ですよね。だから『自分を許せない』という気持ちになってしまうかもしれないけれど、変われるかもしれないというのはむしろ、素晴らしいことだと思います。

自分を変えていくことは、一生、死の直前まで続く戦いなのかもしれない。だから、今日はだめでも、明日は違う自分になっているはずだということを考え続けていけばいいんじゃないでしょうか。”

――ノンフィクション作家・川内有緒さん

(偏見がない人はいない。川内有緒さん×木ノ戸昌幸さん『わたしの偏見とどう向き合っていく?』イベントレポートより)

(編集長・中田一会)