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誰かのためでなく、自分のために手を動かす。『手芸とエンパワメント』が問い直すもの
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母が、絵画刺繍に夢中になっていた時期があります。
母がつくった刺繍は、額に入れられたり、家具の一部に仕立てられたりして、家のあちこちを飾っていました。私はその凹凸のある表面を指でなぞるのが好きでした。
いつの間にか、それらの大部分はなくなり、母もあの頃のように刺繍をすることはなくなりました。

奈良女子大学で教壇に立ち、『「ものづくり」のジェンダー格差』(人文書院)などの著書を手がける山崎明子さんの新著『手芸とエンパワメント――私たちが紡ぐもの』(晶文社)を読みながら、刺繍のあった実家の情景を思い出していました。

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著者の祖母が保管していた曾祖母・ドラによるレースのドイリー 撮影:山崎明子

本書には、母から娘へ、祖母から孫へ、身近な女性たちのあいだで受け継がれてきた手芸の記憶が登場します。そうした何気ない家庭の記憶もまた、女性たちが担ってきた手仕事の歴史をたどる手がかりになります。

なぜ手芸は「女性のもの」とされるようになったのか。女性たちが生み出してきた手仕事は、どのように評価されてきたのか。そして、手芸をいま私たちはどのように自分たちのものとして捉え直すことができるのか。本書は、女性と手芸が結びついてきた歴史をたどりながら、手芸がもつエンパワメントの可能性を問い直していきます。

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『手芸とエンパワメント――私たちが紡ぐもの』目次

「女性らしさ」と結びつけられてきた手芸の歴史

手芸と聞いて「女性の趣味」を思い浮かべる人は少なくないはずです。手芸は女性と強く結びつけられ、近代以降、教育のなかで「女性らしさ」を身につける規範としても用いられてきました。本書がフォーカスするのは、手芸と女性が結びつけられてきた歴史です。

なぜ手芸は「女性のもの」とされるようになったのか。女性に「女性らしさ」を求める社会のなかで、どのような役割を果たしてきたのか。そして、女性たちが手間と時間をかけて生み出してきた営みは、なぜ「芸術」や「労働」と比べて低く評価されてきたのか。

本書では、女性たちの経験や知識、視点から歴史を捉え直そうと、本書には「Herstory(ハー・ストーリー)」という概念に目を向けます。「History(歴史)」が男性中心に編まれてきたことへの抵抗の意味を込めた言葉です。誰の営みが価値あるものとして語られ、誰の営みがその枠外に置かれてきたのか。手芸の歴史をたどりながら、そうした問いも投げかけています。

また、手芸とジェンダーの関係では、単純に「女性を抑圧してきたもの」として捉えていません。その一例として本書が取り上げるのが、現代のハンドメイドカルチャーです。自らつくった作品を販売し、「好きなこと」を仕事にすることは、女性の経済的自立や自己実現につながる一方で、「好きなことで稼ぐ」「自分らしく働く」という自由は、ときに「自分で選んだのだから」という自己責任の論理とも結びつきます。

女性に求められる役割や働き方が変わるなかで、手芸に与えられる意味もまた形を変えてきたことが見えてきます。

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1850年代から1950年代までの砂糖農園を再現したハワイの施設「プランテーション・ビレッジ」。刺繍やキルトなどを含む移民たちの祖国の文化が残されている 撮影:山崎明子

手芸を愛すること、問い直すこと

本書では冒頭から、著者である山崎さん自身の手芸への深い愛着が伝わってきます。同時に、自分が好きなものをジェンダーの視点から捉え直すことへのためらいも語られます。

本書には、地方のある町で手芸について取材しようとした際のエピソードが登場します。事前に約束していた相手に、自身の専門がジェンダー研究であることを伝えると、直前になって訪問を断られたというものです。

山崎さんはその経験を振り返り、ジェンダー研究者であることを伝えると、相手が身構えてしまうことがあるのではないかと考えます。それでも山崎さん自身は、手芸の見方や語り方は「それぞれで良いのではないか」と書いています。既存の社会構造に偏りがあるのなら、これまで中心から外れてきた人びとに目を向けることもまた、手芸を見るための一つの方法です。

そして、山崎さん自身も手芸の「外側」に立って批判しているわけではありません。手芸を愛する一人として、その内側にいながら、ジェンダーという視点からこれまでとは異なる見方を提示していく。好きであることと、そこにある問題について考えること。その二つが同時にあることも、本書を貫く姿勢のひとつです。

「女性だから」から「私がしたいから」へ

本書では、手芸と「ケア」の共通点についても触れられています。どちらも長く「女性の役割」と見なされ、社会に必要な営みでありながら、その技術や労働が十分に評価されてこなかったという共通点があります。

けれど、自ら誰かをケアすることと、「女性なのだからケアすべきだ」と役割を求められることは同じではありません。手芸についても、「女性だからする」ことと、自分がしたいからすることの間には大きな違いがあります。

そのことを考えるうえで印象的だったのが、本書に登場するアーティストの碓井ゆいさんの言葉です。碓井さんは、手芸やその技術を、自分の「今」を支える「杖」のようなものだと語ります。

手芸は、誰かの役に立つためだけのものでも、受け継がれてきた技術を次の世代へ伝えるためだけのものでもありません。つくることそのものが、今を生きる自分を支えることもある。「杖」という言葉からは、そんな手芸のあり方が見えてきます。

本書ではさらに、女性の手仕事が、戦時中やコロナ禍など社会が必要とするものを補うために活用されてきた歴史にも触れています。一方で山崎さんは、誰かと無駄話をしながら、高く売れるわけでもない、自分のためだけのものをのんびりつくることが、社会のジェンダー構造に対する「アンチテーゼ」になり得るのではないかと書いています。

女性の手仕事に「役に立つこと」が求められてきた歴史があるからこそ、誰かのためでも、収入を得るためでもなく、自分がつくりたいからつくる。その時間を肯定することにも意味があるのではないでしょうか。

「女性だから」の先にある手芸

本書を読み終え、母が刺繍をしていた姿をもう一度思い出しました。手芸と女性を結びつけてきた歴史を知ることで、「女性だから」ではなく、「私がしたいから」手を動かすという選択が見えてきます。

誰かの役に立たなくても、高く評価されなくても、つくることを楽しんでいい。もちろん、誰かのためにつくることも、自分で選んだものであれば、その人にとって大切な営みになり得ます。問われているのは、何をつくるかではなく、それを誰が、どのように選ぶのかということなのかもしれません。

『手芸とエンパワメント』は、女性たちが担ってきた手仕事の歴史をたどりながら、手芸をもう一度、自分の手に取り戻すための本といえるのではないでしょうか。