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「私」にとっての「部落差別問題」とは? 映画『私のはなし 部落のはなし』が5月21日より順次全国公開
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『私のはなし 部落のはなし』のパンフレットイメージ

さまざまな「私」の視点から「部落差別問題」を語るドキュメンタリー映画

中学校の歴史の授業で「穢多(えた)」「非人(ひにん)」という言葉に触れたことがあるかもしれません。これらは、中世の身分を手がかりに、江戸時代の徳川幕藩体制下で確立された身分制度の下層に位置づけられた「賎民(せんみん)」と呼ばれる階級に属し、現在は差別語として扱われています。

そして、そのような被差別階級に置かれた人が集団的に住まう地域は「部落」と呼ばれてきました。しかし現在は存在しません。1871年(明治4年)の「解放令」によって、「部落」という地域も「賤民」という身分も廃止され、すべての人は平等であると明文化されました。

ですが、被差別部落への差別意識は、近代化のなかでも引き継がれ、解放令から150年以上経った今も根深く残っています。その地域にたまたま生まれただけで、偏見や差別を受けるという事実があり、とくに恋愛、結婚、就職などの機会において被差別部落の出身者はさまざまな痛みや苦しみに苛まれています。

かつて「部落」と呼ばれた、バラックがひしめく地域で、小さな子どもを背負う女の子のイメージ写真
©『私のはなし 部落のはなし』製作委員会

そのような差別に対して、さまざまな人たちが自分ごとの「はなし」として語る様子を取材し、現在の部落差別について見つめ、学びほぐすドキュメンタリー映画『私のはなし 部落のはなし』が、2022年5月21日から全国の映画館で順次公開となります。

監督は、大阪芸術大学映像学科でドキュメンタリー制作を学んだ満若勇咲さん。在学中に兵庫県の屠場で働く人や、そこに存在する部落差別の問題を取り上げ、「第一回田原総一朗ノンフィクション賞」佳作を受賞するなど大きな話題を呼びつつも、その後劇場公開を断念した映画『にくのひと』(2007年)を手がけた監督です。

さらに、『ぼけますから、よろしくお願いします』(2018年)でプロデューサー、『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020年)、『香川1区』(2021年)などで監督を務めてきた大島新さんがプロデュサーで参加しています。

満若勇咲監督と、大島新プロデューサーの写真
左:満若勇咲監督、右:大島新プロデューサー

映画『私のはなし 部落のはなし』の内容とは?

本作品では、日本における差別の起源、変遷、表立っては見えづらい差別の構造を、さまざまな立場にある人の「はなし」や「ことば」を用いて描いています。

たとえば、水道もガスも通っていない被差別部落の劣悪な生活環境を経験し、「部落解放運動」への参加によって近代的な住宅やインフラを勝ち取っていった80代の女性の話。被差別部落とそうでない地域の境界は少しずつ薄れつつあるも、今なお自身の出自に翻弄され、苦しみを抱える20代の若者の話。ほかにも、さまざまな年代の被差別部落に出自を持つ人、部落史を専門とする研究者、郷土史家などが、それぞれの立場で、自身の経験や部落差別にまつわる話を語ります。

部落差別の歴史を黒板で説明する静岡大学の黒川みどり教授の写真
日本近現代史・思想史を研究する、静岡大学の黒川みどり教授。被差別部落の歴史におけるさまざまな名称の変遷を説明するシーン ©『私のはなし 部落のはなし』製作委員会

また、本作の取材対象は被差別部落に出自を持つ人や、研究者、差別撤廃運動に関わった人だけではありません。「部落」と呼ばれた地域の住所・人口・職業などを詳細に記載した『復刻版 全國部落調査』を発行・販売し、「鳥取ループ裁判」の被告である部落探訪家の活動にも同行取材しています。また、今後も親族が結婚する際は相手の身元は必ず調べるという、差別意識を否定しない人物にも取材やインタビューは及びます。

スクリーンに映し出された自主制作映画を眺める男性たちの写真
戦時中に疎開してきた被差別部落出身者や朝鮮人が入り混じり住んでいた京都のとある一角。インフラの整わない地域の現状を訴えるために、当時自主映画を制作していた。その頃の仲間と映画を振り返るシーン ©『私のはなし 部落のはなし』製作委員会

さらに、部落差別の起源、歴史上での被差別者の仕事、「部落」から置き換えられた「同和」という言葉の成り立ち、部落の人たちが立ち上げた運動団体〈全国水平社〉のこと、偏見やネットの書き込み、国家の危機に瀕した際に政府が行った部落差別利用――日本における差別の複雑なコンテクストが、多様な角度から描かれています。

また、苦しみを乗り越え、変えてきた人、変えていこうとする人の笑顔も少なからず映し出されます。

学校の教室で語り合う3人の青年の写真
同世代だけれど、それぞれ異なる出自の彼らの思いとは? ©『私のはなし 部落のはなし』製作委員会

『にくのひと』を制作した15年前の監督自身にも向き合った作品

ところで、満若監督はなぜ再び「部落」を題材にした映画を制作したのでしょうか。

前述の通り、満若監督は2007年に映画『にくのひと』を制作し、大きな評価を得、全国公開寸前までこぎつけました。しかし〈部落解放同盟兵庫県連合会〉から公開中止を求められます。描写のいくつかに問題があるという理由でした。その後、地域の人との関係が悪化し、出演者からも「もうこの映画には関わりたくない」などの声が上がりました。最終的に監督が公開を中止することに決め、ただ強い後悔だけが残ったと監督はいいます。

その後、映画制作にも部落差別問題にも距離を置き、TVドキュメンタリーのカメラクルーとして活動するなかで、仕事における人間関係やしがらみ、作品づくりの筋道など、自分の考え方や思想を現実にすり合わせる作業を経験していきます。「現実とうまくつき合う」こともつくり手の責任であると実感し、『にくのひと』の一件も自身の甘さが招いたことによるものであったと考えるようになった満若監督。

部落差別の問題にもう一度向き合い、学生の頃には深く理解が及んでいなかった差別を受ける人の苦しみ、当事者以外にはなかなか伝わりにくい不安、喜び、感情の機微といった、15年前の自分の作品には欠けていた視点を描写しようと制作されたのが本作品です。

あの時の出会いがあったからこそ『私のはなし 部落のはなし』を作ることができました。この映画は「部落」についての映画ではありますが、僕が出会った人々との縁の記録でもあるのです。この作品を作ることで、僕はようやくドキュメンタリー制作のスタート地点に立てたような気がします。

満若監督はこのようにコメントしています。

市立大学の移転地に巡らされた仮囲いの前を歩く女性の写真
バラックがひしめいていた京都の被差別部落に、生活環境整備のため50年前に市営住宅が建てられ、彼らはそこに移り住んだ。現在、市営住宅は取り壊され、市立大学の移転が予定されている。市営住宅の元住人が別の住処への移動を余儀なくされている様子も映画に登場する ©『私のはなし 部落のはなし』製作委員会

本作は上映時間205分と長編ですが、ひとつひとつのシーンは「私」を主語に、個人の経験から導かれた言葉で語られており、その時間を感じさせません。ただ、あなたがこれまで「部落差別」について意識的に触れる機会がなかったとしたら、本作を観ることで膨大な情報が押し寄せ、これらを咀嚼するには時間がかかるかもしれません。

それでも、咀嚼するなかで生まれた自分の言葉を、恐れず、誰かに話したり、共有してみたりしてはいかがでしょうか。本作には、迷いながらも、自分の言葉で差別問題について語る人の姿がたくさん登場します。知らないことは語りにくく避けてしまいがちですが、さまざまな立場の人が話し合い、痛みを分かり合おうとする互いの思いが、理不尽な痛みを生み出さない社会の実現につながっていくのではないでしょうか。