福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

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こここなイッピン

杖〈Vilhelm Hertz(ヴィルヘルム・ハーツ)〉

福祉施設がつくるユニークなアイテムから、これからの働き方やものづくりを提案する商品まで、全国の福祉発プロダクトを編集部がセレクトして紹介する「こここなイッピン」。

「自分の人生が一変した!」そんな声もあがる、デンマーク生まれの〈ヴィルヘルム・ハーツ〉の杖。制作に至るきっかけ、日本で取り扱われることになった経緯、そして、ものづくりの背景にある思想などをご紹介します。

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機能性と心地よい使用感を併せ持つ、スタイリッシュな杖

すらりとしたブラックカラーのロッド(柄)と、無垢材のグリップ(握り手)、レザーバッグや財布のごとく経年変化を楽しめそうなヌメ革のカフ(腕を支えるパーツ)。施された焼印もなんともクール。

木やレザーの素材が加わることによる温かみと、シンプルでスタイリッシュなデザインの「杖」が今回のイッピン。高齢や障害により、足腰に慢性的な痛みや不具合、麻痺がある人のための歩行補助杖です。

写真は「Mumi(ムーミ)」と名づけられたロフストランドクラッチの杖。モデルは、日本で初めて〈ヴィルヘルム・ハーツ〉の杖のユーザーとなった春歩さん。

ロフストランドクラッチとは、前腕部支持型杖とも呼ばれる杖。前腕と手の2点で体を支えることで体重がほどよく分散され、体の軸がぶれにくく、持っている力を最大限生かしながら歩くことができる。体重をのせないでバランスを取るT字杖に対して、体重をしっかり乗せて身体を支えるのが特徴。

2017年にデンマークで生まれた杖のブランド〈Vilhelm Hertz(ヴィルヘルム・ハーツ)〉。杖を持つことに自信が持てるような、むしろ持つことが「かっこいい!」とさえ感じられる杖を制作しています。

もちろん、見た目が美しいだけではありません。杖を必要とする人の体を機能的に助ける構造と、心地よく体を預けられるための素材が採用されています。

人の体重を支えるカーボン製のロッドはほどよくしなり、歩くたびにかかる地面からの衝撃を分散し、体への負担を軽減。さらに無垢材のグリップは掌の汗をしっかり吸収して快適性を保ってくれます。肘を包み込む革製のカフも汗や擦れが気になることなく、使用期間を重ねることでその人の体にフィットしていきます。

日本における歩行補助具は3年を目途に交換することが推奨されますが、同ブランドの杖は長く使うことを視野に設計されています。杖が必要不可欠な人の“相棒”として、見た目の美しさと機能性と心地よい使用感を併せ持ちながら、経年変化を楽しむ。それが〈ヴィルヘルム・ハーツ〉の杖なのです。

この杖を使用して4年目。ヌメ皮のカフは春歩さんの肘の形に馴染み、色味も深まっている。

「杖繋がりで色々な人に出会えて、良い経験が増えました。おしゃれだから、どこへでも行きたくなる相棒の杖です」(春歩さん)

建具職人への杖の修理相談からスタートした、美しい福祉用具づくり

同ブランドは、木を見る目と確かな技術を持つ建具職人 クリストファー・ヴィルヘルム・ピダーセンさんと、0.001ミリまでこだわる完璧主義の金属技術者 トーマス・ハーツさんによって、2017年にデンマークで誕生しました。

杖の制作がスタートしたのは2013年。クリストファーさんに、ロフストランドクラッチのユーザーから杖の修理の話が持ち込まれたことがきっかけでした。

「杖を直すことはできないが、新しい杖をつくることはできる」と請け合ったクリストファーさん。ところが、杖に向き合えば向き合うほど、人体にダイレクトに影響を及ぼす構造や設計の複雑さを痛感します。

親友のトーマスさんにも協力を仰ぎ、自宅の庭先にアトリエを建て、大がかりな機材も導入。依頼者との対話を幾度も重ね、8か月後にようやくプロトタイプ(試作品)が完成します。そんな経験を積むなかで、ふたりは杖づくりの手ごたえを感じていきました。

2017年、ふたりの職人の名前の一部をとって〈ヴィルヘルム・ハーツ〉というブランドを立ち上げました。現在、美しい福祉用具として、デンマークのみならず、イギリスやベルギー、そして日本と、世界中の杖が必要な方の手に届いています。

金属や木材はリサイクル材や廃材を利用するなど、エシカルな視点でのものづくりが行われている。

〈ヴィルヘルム・ハーツ〉に住み込みで働いた宮田さんが、日本に持ち帰ったもの

デンマーク発祥の新しい杖工房ながらも、なんと日本には〈ヴィルヘルム・ハーツ・ジャパン〉という窓口があります

代表の宮田尚幸さんは、2018年にデンマークに渡り、北欧独自の教育機関「フォルケホイスコーレ」の、「エグモント・ホイスコーレン」に在学していた人物。障害がある人・ない人が共に暮らし、アウトドアや庭づくり、アート、スポーツなどさまざまなアクティビティを通して、どうしたら壁のない生活が送れるかの創意工夫を実体験する全寮制の学校です。

その間に訪れた国際福祉機器展で〈ヴィルヘルム・ハーツ〉と出合い、杖を見た瞬間、まるで雷に打たれたような感覚だったといいます。

「日本ではデザイナーとして活動していました。その仕事のなかで魅了された日本の職人の妥協のない手仕事や、美しく、機能的で、長く使えるものづくりは、北欧のプロダクトにもリンクすると感じていました。エグモントに行ったことで、そのようなものづくりを障害福祉の領域に広げられないかとも考えるようになって。そしたら、すでに表現している人たちがいた。ものすごい衝撃でした」(宮田さん)

エグモントを卒業したあと〈ヴィルヘルム・ハーツ〉に住み込みで働くことになった宮田さん。限られた滞在期間のなかで、職人たちの仕事を手伝い、彼らの生活スタイル、考え方、ものづくりへの姿勢などを学んでいきます。

また、自分が美しいと感じたものを可視化させ、日本に持ち帰りたいと、職人たちの手仕事や日常風景を写真や動画に収めていきました。

そして、アトリエをよく訪ねてくる杖のユーザーから聞いた話が、宮田さんの活動の方向性を強固にします。

「その人は、杖を使っていると『大丈夫?』って心配ばかりされるので、人に会うのが嫌になって、12年くらい引きこもっていたそうです。けれど、この杖を持ち始めてから掛けられる言葉は『かっこいい!』に変わり、自分の人生も一変したと話してくれました。今ではハイキングが趣味というその人のハツラツとした姿に『この杖を日本に持ち帰るのが使命だ!』と思ったんです」(宮田さん)

ふたりの職人も、信頼を築いてきた宮田さんに「日本でこの杖を広めることは任せた」と後押し。

帰国した2019年、宮田さんは〈ヴィルヘルム・ハーツ〉のメンバーの一人として日本窓口を開始。ポップアップストアでの展示販売の機会を設け、撮り溜めてきた写真や動画を公開しながら、プロダクトの美しさや機能性を伝え、少しずつブランドの認知を広げていきました。

2021年に開催された「東京 2020 オリンピック・パラリンピック」では、今回のイッピンのモデルを務めた春歩さんが聖火ランナーとして登場。同ブランドの杖で聖火ランをする姿を目にした人も多いのでは?

デザインや機能性はそのままに、日本ならではの技術を生かした“日本製”の杖

現在、宮田さんが取り組んでいるのは〈ヴィルヘルム・ハーツ〉の“日本製”の杖の制作。

同ブランドの杖はカスタムオーダー制のため、受注があればユーザーの体に合わせてデンマークの職人がひとつひとつハンドメイドで制作しています。しかし、近年の国際情勢、コロナ禍、ウッドショックなどの影響で、現在デンマークでの杖の制作はストップ。日本でも新規の注文が受けられない状況でした。

そこで、デザインや構造はそのままに、ロッド以外のパーツは日本の工場で対応できるように開発。2023年4月より「Poker(ポーカー)」と「Vilhelm Hertz Cane(ヴィルヘルム・ハーツ・ケーン)」の2種の受注が開始されています。

現在“日本製”に切り替えられた杖は、左から2つ目の「Poker」と、3つ目の「Vilhelm Hertz Cane」の2種。そのほかの杖も順を追って制作を進めていくそう。

「デンマークで制作するとなると、空輸する時間やエネルギーのロスも大きい。もっと身近でできればということで、2年前くらいから動いていたんです。パーツ制作を担ってくれる会社は、ものづくりの伴走を楽しんでくれるような会社や人がいいなと思って声を掛けていきました。メタルパーツは北九州の金属加工会社、木製のグリップは佐賀の家具メーカーにお願いすることになり、革のカフはしばらくは僕が縫うつもりです」(宮田さん)

デンマークで制作されている杖と同様に、日本でもエシカルなものづくりを貫きたいと、木製グリップは椅子をつくる際に出る廃材を使用。さらにメタルパーツ部分は日本ならではの技術を取り入れ、杖そのもののクオリティをアップさせています。

日本でも広げたい〈ヴィルヘルム・ハーツ〉のものづくりの思想

杖を必要とする人の“自分らしさ”や“こだわり”といった、人の「尊厳」を守るようなプロダクトであることを大切にする〈ヴィルヘルム・ハーツ〉。そんなものづくりに感銘をうけた宮田さんは、その思想を日本でも広げたいと活動しています。

2021年8月に立ち上げた〈風と地と木 合同会社〉では、〈ヴィルヘルム・ハーツ・ジャパン〉の運営に加え、“Design for Care”をコンセプトに、道具・環境・コミュニケーションの3点から心理的安全性の探究とデザインを行ない、商品デザイン、デンマーク建築、ダイアローグ(対話)ワークショップ、執筆活動などを展開。デンマークでの学びや、つながる縁と、業界の垣根を超える協働を大切にしながら、活動の幅をさまざまに広げています。

さて、2023年3月より土曜限定で〈ヴィルヘルム・ハーツ・アトリエ〉(東京都大田区)がひらかれています。これまではポップアップショップでの展示が中心でしたが、通年で杖に触れられる場が設けられました。

アトリエ訪問は事前予約制。ご興味のある方は問合せし、実際に手に触れてみてはいかがでしょうか。