異なる言語や身体をもつ人たちが集まる創作の場。たとえば演劇やダンス公演の稽古場や劇場、美術家の作業場であるアトリエ、音楽家が訪れるレコーディングスタジオ。そこにはどんな問いや葛藤、対話があるのか。それぞれどのような工夫を重ねているのだろうか。
私は障害のある身体、というか、ちょっと人と違う形や性質の身体を持ちながら、ダンスや演劇をしております。その私の目線から見える世界や、私の身体で感じること、時には気になる人とお話ししたりしながら、私の頭の中にあることなどを、文字にしていきたいと思います。
こう語るのは義足の俳優(ときどき車椅子俳優)&ダンサーとして活動する森田かずよさん。この連載では「創作の場にある問いや葛藤、対話、それらを置き去りにしない環境づくり」というテーマを掲げ、森田さんと共に考えます。
今回は、簡易型電動車椅子を作ることになった経緯や「クリップタイム」という言葉について綴っていただきました。(こここ編集部 垣花)
自分用の車椅子を作ると決めたとき
前に進む。
少しの振動と冷たい風を身体で感じる。
行きかう人々の間をぶつからないようにすり抜ける。
これはドライブの話をしているのではない。
「マイカー」と呼ぶ、簡易型電動車椅子に乗っている私のお話。
15年前から簡易型電動車椅子に乗っている。今の車椅子は2代目。義足をつけて踊り、日常生活においては歩くことができる私がなぜ車椅子に乗っているのか。
私は強度の側弯症を持っている。右の肋骨は正常な人より3本少ない。雑巾をしぼるような形で曲がっている私の身体は、肺活量700mLあたりをさまよっている。少し歩いただけで息が上がってしまう。歩いているときは、歩くことだけに集中する。歩くことだけで身体は機能を十分に果たしていて、それ以外のことをする余裕がない。数分歩いたら、立ち止まり息を整える。何度もそれを繰り返す。そんな生活を30歳半ばまで送った時、転機が訪れた。
ちょうどその時、私は循環プロジェクト(※注1)のツアー公演で、いくつかの地域を渡り、時には車椅子を借りたりしていた。その最中、ご一緒したスタッフの方から「パフォーマンスのために、それ以外のしんどい事を楽にしてあげたほうがいいんじゃない?」と言われた。とても魅力的な言葉だった。
荷物を持ちながら、リハーサルに通う。仕事に通う。身体は限界に近づいていた。
しかしながら、当時は「車椅子になる=歩けなくなること」だと思っていた私は、車椅子に乗ることで、どこか自分に負けてしまうように感じた。主治医も筋力低下を心配し、諸手を挙げて賛成したわけではない。それでも年々広がる私の行動範囲と、自分のやりたいこと、そして自分の体力とを天秤にかけ、車椅子を作ることに決めた。
体幹機能の障害があるだけでなく、右手の指が4本であり肘も伸びない身体である私は、手動で動かす車椅子は適応とならず、簡易型電動車椅子を選択した。見た目には手動車椅子だが、バッテリーが付き、ジョイスティックを操作して運転する。
初めて車椅子に乗った時、他者の歩幅についていけることに驚いた。いつもほぼ最後尾を歩き、時折止まって待ってもらうことが当たり前であった。そしてもうひとつ。歩きながら話ができる。そんな当たり前のことがとても嬉しく感じた。
そしてこの車椅子、コミュニケーションツールにもなりえる。
「どれくらい速くはしるのですか?」
「充電はどれくらいもつのですか?」
初対面の人には必ずと言っていいほど聞かれる。この車椅子によって会話の入口を広げてもらったことは何度もある。
しかし、いいことばかりでもない。「健常者」であることを前提として設計されている社会は、車椅子は馴染まないことも多い。少しの段差。狭い店内。階段しかないビル。
電車もそうだ。車椅子に乗り始めたころは、電車の乗り降りを駅員さんに頼まなければならないことをストレスに感じた。そして、人に助けてもらうということは、その人の時間を使っている。自分の時間を使うだけではない。
それ故に電車に乗るだけでも待たされる。(※注2)降車の駅の状況によっては目の前に来た電車ではなく、次の電車、もしくはその次に乗せようとする。安全のためだということは理解している。それでもため息をつきたくなる日もある。
一人ならまだいい。誰かと一緒にいるときが気まずい。
「あ、先に乗ってください」そう声をかける。他者の時間を奪うわけにはいかないのだ。気を遣う。いや、向こうも気を遣うだろう。
そして、お互い気を遣いつつ、先に電車に乗ってもらう。ぽつんとホームに残される、私。少し、少しだけ寂しさを感じることもある。正直なところ。
人間は忙しい。
社会はそれだけ速くまわっているのだ。
15分後にやってくる電車を一緒に待ってもらうわけにはいかないのだ。(もちろん一緒に電車を待って、同じ電車に乗ってくれる友人もいる)
でも、一期一会な出会いを楽しむこともある。
演劇公演のリハーサルで同じ場所に3か月通ったことがある。行きかえりと同じ駅員さんに介助をしてもらったことも多く、最終日に駅員さんにお礼の手紙を書き渡した。駅員さんは「そんな経験は初めてだ」と、とても喜んでくださった。
※注1: 2004年から5年間実施された明治安田生命社会貢献プログラム「エイブルアートオンステージ」。第4期、第5期の支援先であったNPO法人ダンスボックスの公演に筆者は出演した。前回のコラムでも少し触れている。記事を読む
※注2:ホームドアの設置など、都市部などを中心に改善されているケースも増えている。JR東日本は車椅子ユーザーが利用しやすい環境整備として、ホームと列車のすき間の縮小と案内表示の整備などに取り組んでいる。詳細はこちら
「クリップタイム」とは?
クリップタイムという言葉がある。
「クリップ(crip)」は、「Cripple(不自由な人、不具者)」というかつての差別語を、当事者たちが自らポジティブ、あるいは政治的な意味を込めて再定義した言葉であり、これを時間という概念に当てはめたのが「クリップタイム(crip time)」である。
先ほど私が述べた、車椅子の介助のために待つ時間のような、バリアフリーではない環境によって、予期せぬ時間が消費されることもクリップタイムに含まれる。「障害者」と呼ばれる人を含む私たちがこの社会で生きていくには、このような事情に遭遇することを見越し、待たされる時間も想定し、余計に早く家を出るよう努力することを求められる。「健常者」がマジョリティーである社会の流れに合わせ、遅れることが許されず、その中で創意工夫を試みている。
『Feminist, Queer, Crip』を書いたAlison Kaferはこのように述べる。
「障害のある身体や精神を時計(の時間)に合わせるよう折り曲げるのではなく、クリップタイムは、障害のある身体や精神に合わせて時計の側を折り曲げるのである。」 ——(Alison Kafer,2013 『Feminist, Queer, Crip』p27)
クリップタイムは、もう少し深い概念で多層的な意味を持つ。健常者のペースに無理に合わせるのではなく、自分たちの身体的なリズムを肯定し、標準的な社会が求めるペースや時間軸とは異なる、障害当事者特有の時間感覚や時間の必要性を求める。「効率」や「生産性」だけで測るこの社会の考え方に異を唱える。
私自身、自分の身体変化や多様な人と関わる事業において、この概念の必要性を痛感することが増えた。障害や特性を持ちながら生きていくことは、単に余計な時間がかかるというのではなく、人それぞれ別の時間が流れていると捉えることができる。
人によって体力は違う。私のワークショップに参加してくれる人のなかには、日によって集中が持続する時間の長さに変化がある人もいる。短い休憩を入れることで、元気に最後まで過ごすことができる。所属するダンスカンパニーでは、稽古の時間の長さを人によって変えたりする。それぞれがベストな状態で時間をつかえるように、一緒に考える。
どうしても現代社会は同じリズムやスピードで動くことを前提にし、また私たちもそれを内面化し、それに到達することだけを「成長」や「努力」だと勘違いしてしまいがちである。そこにはもっと議論が必要であるはずなのに。
私の車椅子に乗る選択も、クリップタイムのひとつであったように思う。
先日、同じ簡易型電動車椅子に乗る友人からこんなことを言われた。
「あなた5にしてるでしょ?!」
車椅子の操作をするジョイスティックのディスプレイには、バッテリーの残量と、スピードが記載されている。スピードは亀からうさぎのマークが書いてあり、速度を1~5段階に切り替えることができる。私はほとんどの時間をMAXの5にしている。
そう、よく言われる。
「この間、森田さん見かけたんですけど、ぴゅーって走る姿を見かけました」車椅子になるまで早く走れなかった過去を取り返そうとしているのでしょうか。
4くらいがだいたい普通の人の歩く速さらしいです。
たまには、4にしてゆっくり歩いてみましょう……かね。
出典
・Alison Kafer(2013)『Feminist, Queer, Crip』 Indiana University Press
・crip timeについては非常に示唆に富む記事を見つけたのでシェア(英語)。記事を読む
Profile
この記事の連載Series
連載:森田かずよのクリエイションノート
vol. 112025.04.28「障害とダンス」の実践と研究をしてきたわたしの現在地
vol. 102024.12.25テレビドラマ『パーセント』のスタッフ顔合わせで伝えたこと
vol. 092024.06.14滞在先で医療ケアが受けられる場所を探すこと
vol. 082023.12.26「歩く」を解体して見えた景色
vol. 072023.09.0416年活動してきた劇団が生み出した「障害演劇を作るための創作環境規約」にふれて
vol. 062023.06.02踊ること、自分の身体のこと、それを誰かに見せること、その逡巡。キム・ウォニョンさん×森田かずよさん
vol. 052023.04.07わたしの義足とわたしの身体の関係
vol. 042022.12.21「障害のあるアーティスト同士が出会う場」で私が聞きたかったこと
vol. 032022.08.01障害のある俳優は「障害のある役」しか演じられないのか
vol. 022022.05.19私ではない身体が生み出したダンスを、私の身体はどのように解釈するのか
vol. 012021.12.22ダンス創作を通して「わたし」と「あなた」が出会う











