福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【イラスト】車椅子に乗った人物がいきいきとビル群の間を移動している【イラスト】車椅子に乗った人物がいきいきとビル群の間を移動している

16年活動してきた劇団が生み出した「障害演劇を作るための創作環境規約」にふれて 森田かずよのクリエイションノート vol.07

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異なる言語や身体をもつ人たちが集まる創作の場。たとえば演劇やダンス公演の稽古場や劇場、美術家の作業場であるアトリエ、音楽家が訪れるレコーディングスタジオ。

そこにはどんな問いや葛藤、対話があるのか。それぞれどのような工夫を重ねているのだろうか。

私は障害のある身体、というか、ちょっと人と違う形や性質の身体を持ちながら、ダンスや演劇をしております。その私の目線から見える世界や、私の身体で感じること、時には気になる人とお話ししたりしながら、私の頭の中にあることなどを、文字にしていきたいと思います。

こう語るのは義足の俳優(ときどき車椅子俳優)&ダンサーとして活動する森田かずよさん。この連載では「創作の場にある問いや葛藤、対話、それらを置き去りにしない環境づくり」というテーマを掲げ、森田さんと共に考えます。

今回は、森田さんが韓国を訪ねそこで感じたこと考えたことを綴っていただきました。(こここ編集部 垣花つや子)

キム・ウォニョン氏との出会い

前回の記事で、韓国在住のダンサーであり、弁護士、作家でもあるキム・ウォニョン氏と対談した。

彼は2018年、いきなり私にFacebookでメッセージを送ってきた。「日本で障害のあるダンサー向けのいいワークショップはないか」と聞いてきたのだ。日本財団DIVERSITY IN THE ARTS主催のサマースクールがちょうど開催するタイミングだったこともあり、それを薦め、一緒に受講した。

彼とはそんな出会いから始まった。

そこからは、私が一度ソウルに行った際に会ったことを除けば、SNSでお互いの状況を知る程度で、お互いの領域にそこまで踏み込むことはなかった。言語の違いも原因のひとつだったかもしれない。

ちょうど昨年末、彼の著書『希望ではなく欲望: 閉じ込められていた世界を飛び出す』『サイボーグになる テクノロジーと障害、わたしたちの不完全さについて』『だれも私たちに「失格の烙印」を押すことはできない』の3冊が翻訳され日本で発売された。それを読んだ私は、彼の才能に震えた。ここまで自分の障害、他者の障害、社会との関係を客観的に言語化できることに。

自分自身が障害をもって生まれてきて、正常・健常であることが前提とされる世界で生きていく。その中で、どのように自身のアイデンティティーを得て、どう尊厳を守っていくのか。体得してきたものはあるが、私は、それが上手く言葉に出来なかった。障害を持つ身体のこと、美と歪み、テクノロジー、社会に対しての批判など著書に記されていることに共感しつつ、学ぶことも多かった。キム・ウォニョン、凄すぎる!!!

彼に無性に会いたくなった。話したくなった。どうしても、今じゃなきゃいけない気がした。「こここ」の編集担当に相談し、対談の機会をいただき、ソウルまで実際に彼に会いに行けることになった。

ひとつ余談だが、私は旅行するには、ちょっと面倒な障害がある。

私は二分脊椎症と側彎症という障害がある。二分脊椎症、聞きなれない障害名だと思うが、脊椎損傷と似ていて、脊椎の管の中にあるべき脊髄が脊椎の外に出て癒着や損傷して生まれてきているため、さまざまな神経障害が起こるのだ。私の場合、特に困ることはお手洗いで、尿意を感じて自分で排尿はできるのだが、全部を出し切ることが出来ず、膀胱から腎臓に逆流をしてしまう。そのため、日常生活を送るにあたり、カテーテルという管で出す必要がある。本来なら自分でやるのだが、私の場合、側弯症(背骨が湾曲)が重度のため、自分で管を入れることができない。9歳からカテーテルになったが、今に至るまで、1日2回、母やヘルパーの手を借りている。

このカテーテル、旅行をする際に誰にやってもらうのかがいつも問題になる。母を連れていくか。しかしながら、自分の用事のためだけに母の時間を奪うのは申し訳ない。今までも出張、地方公演、海外公演のたびに、いろんな手段を使ってきた。これだけでひとつの記事を書きたいくらい。幸運なことに韓国は近い。今回はカテーテルなしでなんとか、1泊2日という強行で行くことにした。

実際に対談をしたのは今年の3月であり、もう早5か月が経過したのだが、「行ってよかった!」と心から言える旅となった。2日間、見聞きして感じたことを書き記しておきたいと思う。

コロナ禍を経て、初の飛行機、海外に心躍っていた。

韓国はこれまでも何度か滞在したことがある。2018年にはi-eum(韓国ソウルにある韓国障害者文化芸術院)で開催されたKorea Disability Art & Culture Center Forumに登壇した。

そのフォーラムを聞きに来ていたトラストダンスシアター(※注1)の芸術監督であるKimHyongHeeに誘われ、2018年12月にはソウルに2週間滞在し、リハーサルと公演を行った。そのカンパニーとは、今でも交流が続いている。

※注1:1995年設立のダンスカンパニー。“2017年よりCANE&MOVEMENTという障害のあるパフォーマーの団体も設立され、それぞれ活動している

さて、今回の滞在。まずソウル中心部にあるi-eumに向かった。i-eumは障害のある人に向けた文化施設で、ホールやギャラリー、スタジオなどを備えている。建物もいいのだが、i-eumのウェブサイトも充実しているので、ぜひ一度のぞいて見て欲しい。(韓国語だが)障害のあるアーティストが関わる公演やレビューが掲載されていたり、公演ごとのアクセシビリティー対応なども記載されている。コラムやインタビュー、対談などもあり、さまざまな障害のある人アーティストがどのように創作しているのか、アクセシビリティーについての持論などを述べている。

今回の滞在は1泊2日と短いが、せっかくだから夜は何か舞台を観たい。ちょうど私たちが韓国に渡航する前に知り合うことが出来た舞台プロデューサーにお勧めの公演を尋ねた。すると「ソウルで一番活発に活動している『障害者劇団』の本番がある」と聞き、チケットを予約してもらった。なんてラッキー。

今回見た公演は劇団恋人(극단애인)『障害、第3の言語で話す_選択』

「第3」というのは、既存の何かを選択しなかった、新しい道を意味する。 これは客観的で、中立的な、そして別の選択を意味することもある (公演チラシより引用)

ソウル中心部から電車で1時間少し、到着した場所は劇場ではなく、劇団の事務所兼、小さなアトリエだった。中に入ると、周りを囲むように、20席ほどの椅子が置かれている。既に俳優はこの空間にいて、雑談をしている。誰が俳優なのか、観客なのか、一見見分けがつかない。俳優と同じ場所に手話通訳もいる。公演直前、観客にレジュメのような紙が配られた。

上演がはじまる。

当然ながら全編韓国語での上演であり、詳細な内容は理解することが出来なかった。しかし、言葉がわからないながらも印象に残ったシーンがある。

配布されたレジュメと、この公演に連れていってくれたKohさんに終演後解説してもらった情報、後日i-eumのサイトに掲載された公演レビューを元に振り返りたい。

【配られたレジュメの1枚目、この日の上演プログラム】

<障害、第3の言語で話す_選択>

1 ヒチョル国民年金管理公団職員との対話
2 シスの本日の選択
3 芸術悲しみの5段階
4 やりがい、知性演技に対する対話
5 障害演劇を作るための創作環境規約
6 自己紹介
7 誤差動物語
8 ジュヒの廃業物語
9 ウラム練習室物語
10 チョル活動支援に適応する
11 シスの運動

終演後知ったが、これは劇団恋人の解散に向けた公演であった。16年間、障害のある俳優6名、障害のない俳優1名が共に活動してきた劇団。その代表であるキム・ジス氏が代表を退くといい、それそれの俳優が自身の意見をぶつけていくものだった。年を重ね病気を抱えた俳優の言葉、国からの支援事業を得ることや、劇場・事務所をどのように維持するか、かかる費用の計算など、俳優としては身につまされるような、なまなましい意見が飛び交っていたようだ。

この時配られたレジュメの中に「障害演劇を作るための創作環境規約」がある。上演中、これをその場に居合わせた観客が一斉に読みあう場面があった。一部をご覧いただきたい。

障害演劇を作るための創作環境規約(ハ・ソン)

1.私を紹介します。

2.キャスティング提案が来たとき、作品や配役が障害をどう扱っているかを確認します。

3.練習室までの移動距離と車椅子がアクセスできる場所であることを確認します。

4.助けが必要な場合、私は最初に要求します。

5.作品について話す時間を、シーンを作るために動き試みるプロセスを互いに尊重します。

6.練習時間と休憩時間をどのように設定するかを決定します。 例えば、練習50分、休憩10分あるいはシーン別練習後に休憩する方法があります。

7.限られた練習時間を効率的に使うために、私がどのように話をするのか考えて方法を探します。

8.相手俳優が障害俳優について見知らぬとき、コミュニケーションの始点を作品物語に解放してみようと思います。

9.練習がもっと必要だと思われる場合、俳優あるいは演出と話してみる必要性があることを確認し、約束します。

10.公演する前に、事前に劇場で確認してください。劇場の入り口から舞台まで安全に移動経路になっていることを確認します。

日本の障害のある俳優はここまで主張することができるだろうか、そんな気持ちになった。これはきっとハ・ソン氏が俳優をする中で、時間をかけて生み出してきたものだろう。自分の身体、障害について、そして俳優としての自分の存在を理解していなければ、出てこない言葉だと思う。障害のない俳優と等しく仕事をするために、どのような環境があればいのか。どのような環境があれば自分の強みを生かし、俳優という仕事が出来るのか。つい私たち日本人は、この主張をすることで、「迷惑がられるのではないか」「排除されるのではないか」という想いに苛まれる。

そして、これを観客全員で読みあったことにも、私は衝撃を受けた。そう、障害のある俳優の創作環境を考えることは、決して障害のある俳優だけの課題ではない。こちら側(障害者の世界)だけの問題ではない。一緒の問題なのだ。上演のリアルタイムではこの時間の素晴らしさがわからなかったけれど、この規約の内容(あと3人の俳優についても記されていた)を理解していたら、涙を零していたと思う。

ラストシーン。俳優全員が円になり、ゴムの紐を持った。そしてその紐を絡ませ、放射線状に広がる。互いに引っ張る力で、紐は中心に居続ける。俳優はお互いの顔が見える状態で、手に持つ紐を置く。そこで舞台は終わった。ゴムの紐は絡まった状態で、真ん中に残っていた。私はこの絡まったゴム紐を観て、とても救われたように感じた。解散ではあるが、別れではない。新しい道を選択したのだ。この絡まった紐が残るように、何もかもが無かったことになるわけではないのだ。

この劇団、そして俳優が歩んできた道のりの、ほんの僅かな時間を垣間見ただけであったが、とても重く私の心に残った。

【イラスト】3本の紐が絡まり合ってフローリングに置いてある

翌日、キム・ウォニョン氏との対談を行ったのだが、前日に「明日の朝、車椅子ユーザーによる地下鉄への乗り込みがある」と話を聞いた。朝の通勤ラッシュの時間帯に、何台かの車椅子が一斉に地下鉄に乗り込むというのだ。それ以上何をするというわけではない。シュプレヒコールをあげるのでもなく、乗って降りるだけ。遭遇することは出来なかったが、非常に驚いた。日本では1977年に「青い芝の会」が「川崎バス闘争」起こしたことは歴史的に残っているが、今は2023年である。

今回、ソウルの鉄道を何度か利用したが、車椅子で移動するにあたり、ホームと電車の差もなく、そのまま乗ることが出来、エレベーターもどの駅にもあった。ソウル中心部だけだよ、という声もあるが、困ることは、ほとんどなかった。でもそれは、きっと障害者による運動の結果なのだと、この話を聞いて納得した。

キム・ウォニョン氏の本の中でも車椅子のアクセシビリティーに関して、何度か記されている。日本では「合理的配慮」として扱われるが、韓国では「移動権」として法律に反映させている。しかし、満員電車への車椅子の乗り込みには批判も多いと聞いた。

今、日本でこのようなやり方をすれば、非難されるだろう。

そもそも車椅子ユーザーは、電車の乗降に非常に時間を要したり、駅の優先エレベーターですら乗れない場合が多い。「バスやタクシーで乗車拒否にあった」というものをはじめ、さまざまな声を耳にする。それがたまにニュースにもなっている。交渉を続ける障害者団体もある。しかし、なかなか声を上げている人の顔が見えないと思うことがある。SNS上を見ると同じような困りごとを持つ人は多いはずなのに、共有できているという感覚は少ない。

通勤ラッシュ時、満員電車に乗り込むというやり方がいいかどうかは私にはわからない。ただ、たとえ障害が違っても、同じ意志を持つ仲間だと思える時間があることは、少し羨ましくも感じた。

日本へ帰国する飛行機の中で、母と祖父と一緒に、初めて韓国に滞在した時のことをふと思い出す。1988年の夏だった。その頃、ソウルには道で物乞いをする「障害者」がいたことも心に残っているが、それ以上に印象に残っていることがある。その当時、日本において「障害者」は好奇の目に晒されることが多かった。しかし、その時、ソウルで私のような身体に向けられた目は、もっときつかった。刺すようなまなざしで、私はその目が恐くなり、物陰に隠れた。日本ですら、そんなことはしなかったのに、自分の身体を隠すように、見えないように歩いた。

それから35年が経った。今回の旅はソウル中心街にいたこともあるが、車椅子をよく見かけた。大きな電動車椅子に乗った方もいた。自由にソウルの街を車椅子は走っていた。

この光景を得るために、どれほど多くの闘いがあったのだろう。

さあ、私たちは、私たちが出会う人と共に、私たちの闘い方をしないといけない。

【イラスト】車椅子に乗った人物がいきいきとビル群の間を移動している

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