こここ文庫
脱「いい子」のソーシャルワーク――反抑圧的な実践と理論 坂本いづみ、茨木尚子、竹端寛、二木 泉、市川ヴィヴェカ(著)
本を入り口に「個と個で一緒にできること」のヒントをたずねる「こここ文庫」。今回はインクルージョン研究者の野口晃菜さんに選書をお願いしました。テーマは「他者と自分の権利を大切にするために必要な視点」。
ご紹介していただいたのは『脱「いい子」のソーシャルワーク――反抑圧的な実践と理論 』。
本書の帯には「福祉職が社会構造による抑圧を黙認するとき、支援を必要とする人たちもまた、その抑圧構造に否応なくからめとられていく。わが身のしんどさと我慢がより弱い立場の人たちに向いてしまわないために、『変えられないもの』と思い込んでいる法や制度、社会規範に対し、批判的な目を向けよう」と書かれています。
野口さんは、本書を通して、小学校の非常勤講師として働いていたときに目の当たりにした構造的な問題を「さらに深く」知ることができたと言います。
支援者自身が、自らを脅かす抑圧を「しょうがない」と受け入れたとき、支援を必要とする人に対し抑圧的なまなざしが向いてしまう。それが抑圧の再生産である。組織の機能不全や多数派の流れに疑問を持たない、もしくは異論の声をあげられない福祉職者が抑圧の一部となったとき、支援を必要とする人たちもまた、その抑圧構造に否応なくからめ取られていく。
『脱「いい子」のソーシャルワーク――反抑圧的な実践と理論 』第Ⅱ部 p.91より
他者と自分の権利を大切にするために必要な視点
11年前、博士後期課程に進学したと同時に、日本の障害児教育を変えたい、との思いを持ち、小学校の非常勤講師として働き始めた。通常の学級に入り込み、場合によっては特別な支援が必要な子どもに1対1で教えることができる特別支援教育に関わる講師をしていたが、1年間しか働くことはできなかった。「このままここで働き続けても、障害児教育を変えることはできない」と思ったと共に、私自身がものすごくつらく、耐えられなくなり、限界を感じてしまったのだ。
たとえば、炎天下の全校朝会で先生の話がどこまで続くかの見通しが立たない中、自閉症スペクトラムの子どもに対して「手を後ろに組んで話を聞こう」と言わなければならない。
体育館で実施できないものか。校長先生の話を聞くことが目的であるならば、放送でも良いのではないか。せめてどのくらいの時間話を聞くのか見通しは立てられないのか。「話を聞く」だけではなく、視覚的にプロジェクターで絵を見せながら話すことはできないのか。改善案はいくらでも出てきた。
けれど、「非常勤講師」であり、週に数回しか出勤せず、それも大学院を修了したばかりの「若い女性」である私がこのようなことを提案するのは非常に難儀であった。担任の先生と信頼関係を築く中で、学級内においてはいくつか提案をし、採用されたものもあった。
一方で、学校そのものの方針や仕組みを変えることはとても難しく、自分自身も納得できないルールや行動を子どもに強いらなければならない状況に私自身が耐えられなくなってしまった。
勤務時間外に働くのも当たり前、休憩はなしなど先生一人にかかる負担がとても高い。その中で、学級が「落ち着いて」いないと、一人ひとりの先生が責められるような環境を見ていて、「このまま先生になったとしても全体の構造を変えていくのは難しそうだ」と感じてしまった。
辞めた後、しばらくは「自分が学校という場に合わなかっただけだ」「何も変えられなくてあきらめた自分が悪いんだ」と思っていた。もちろんその側面はあると思いつつ、一方で、そもそも学校という場が働く人にとっても、教育を受ける子どもにとっても抑圧的な構造になってしまっているのではないか、ということにここ数年で気づいた。
本書『脱「いい子」のソーシャルワーク』を読んで、その気づきをさらに深めることができた。本書で紹介されている「反抑圧的ソーシャルワーク(AOP)」は、「多くの人が経験している『生きにくさ』は構造的な力の不均衡に端を発すると考え」、「生活に困っていたり、生きにくさを経験している人たちの状況を、まずは当事者の立場から理解し、問題を抑圧という視点で構造的に分析することで、複数のレベルから解決に向けてアプローチする、というソーシャルワーク実践理論と実践法」である。
たとえば、社会が障害のないマジョリティ仕様に作られており、障害のある人と比べて障害のない人には特権があり、それ故に、障害のある人は抑圧を受けやすい、と捉える。そのため、実践としては、目の前にいるその人に対してその人のニーズに応じた支援をするのみでなく、目の前にいる人の困難さの要因となっている抑圧構造に働きかけることが重要視される。
小学校で経験した、目の前にいる子どもが学校で過ごしづらい要因は、学校が障害のある子どもがいることを前提としたつくりになっていないという構造的な問題がある。その構造を変えることに働きかけられなかったのはなぜなのか?それは、私自身、ひいては先生たち自身もおそらく抑圧構造の中にいたからである。
その抑圧構造の中で、「まあ仕方ないよね」と言い、自分が受けている抑圧を我慢することは、自分が接している子どもに対しても抑圧を強いることにつながり、そのようにして抑圧は再生産され、抑圧構造が維持されていく。「良い」支援者であるためにも、組織にとっての「いい子」をやめよう。自分自身が受けている抑圧に対して、Noと意思表明をしていこう。本書はこのようなことを教えてくれた。さらに、どのようにして意思表明をしたら良いのか?まで教えてくれる。大きな運動をはじめからする必要はなく、ささやき声からでよい、と優しく教えてくれる。
また、本書について特筆すべき点は、著者自身の立ち位置、そしてその立ち位置を踏まえた自らのこれまでの実践や考えの変遷をたどることを通して、AOPを学ぶことができる点である。対人支援に関わる多くの専門書は、「専門家」が様々な専門知識について解説をするものである。その専門家の解説には確実にその専門家の立ち位置が影響しているにも関わらず、著者自身の立ち位置についての解説はあるものは少ない。そのため、読者には「専門家」は完璧であり、自分とは遠い存在であり、「正しい」答えを持っている人である、とも捉えられかねない。また、専門家自身が自身のマジョリティ特権について認識をしていないような文言が多くみられることもあり、そういった文言を抑圧的に感じる人もいるであろう。
本書はそれぞれの著者がご自身の経験や試行錯誤について書いている。「ああ、この人も初めからすごい専門家なわけではなかったんだ」と親しみを感じると共に、著者はそれぞれのマジョリティ特権を認識している、という安心感がある。本書そのものにてAOPが実践されていると感じる。
本コラムを執筆するにあたり、本を読み返していて、最後の対談での竹端さんの言葉に号泣をしてしまった。
頑張り屋な人ほどこの本を読んだときに、腹が立つかもしれないですね。自分の経験やがんばったことを否定されているように思うかもしれない。でもこの本で伝えたいのは、あなたの経験や頑張りだけではどうしようもない現実ーつまり社会構造の抑圧の問題ーなのに、それをあなたの経験や頑張りだけで回収できると思い込ませてしまっていることがあかんのよっていうことなんです。
第Ⅲ部 p181より
今悩んでいる対人援助職はもちろん、ケアする立場にいる人全員にぜひ読んでほしい。そして、今抑圧構造の中で生きている人たちと連帯していきたい。
『脱「いい子」のソーシャルワーク――反抑圧的な実践と理論』著者プロフィール
坂本いづみ(さかもと・いづみ)
トロント大学ソーシャルワーク学部准教授。博士。上智大学社会福祉学科卒業、同大学社会福祉学専攻博士前期課程修了。その後フルブライト奨学金を得て、ミシガン大学大学院ソーシャルワーク修士課程(M S W)と心理学修士課程終了後、ソーシャルワークと心理学の二重専攻で博士号取得。在学中に多国籍からの留学生家族の支援のコミュニティ活動プロジェクトを立ち上げた。トロント大学では、反抑圧的ソーシャルワークの研究のほか、移民の雇用差別や、日系カナダ人の社会活動など、アートを使いながらコミュニティーに根ざした参加型の研究を行っている。
二木 泉(にき・いずみ)
大学卒業後、民間企業を経て、国際基督教大学博士前期課程修了(行政学修士)。介護福祉士として認知症専門デイサービス、訪問介護、専門学校講師などに従事。2014年に子どもと共にカナダに渡り、トロント大学大学院に留学(ソーシャルワーク修士)。現在はトロント郊外の高齢者入所施設にてアクティビティケアを実践しながら、トロント大学博士課程(社会学)に在籍。オンタリオ州認定ソーシャルワーカー。
市川ヴィヴェカ(いちかわ・ヴィヴェカ)
東京生まれ。社会福祉士・保育士。NPO団体理事・市役所 の非正規福祉職員として生活困窮世帯・生活保護世帯の子どもと家族支援に従事。2017年よりカナダ トロント大学大学院(社会福祉修士)に留学。LGBTQ+難民支援、若年ホームレスの家族カウンセラーとしての経験を経て、2020年より同大学院博士課程に在籍。移民・難民・カナダ在住の日本人の方々に向けた個人カウンセリングも行っている。
茨木尚子(いばらき・なおこ)
福岡県生まれ。明治学院大学社会学部教授。早稲田大学教育学部卒業後、東京都特別区福祉職として障害者施設での勤務を経て、明治学院大学大学院社会学専攻博士前期課程修了。日本における障害者自立生活センター創設期から、障害当事者の活動にかかわりながら、当事者主体の社会福祉支援とは何かを、組織運営も含めて研究課題としている。共著書『支援費風雲録』(現代書館)、『障害者総合サービス法の展望』(ミネルヴァ書店)等。
竹端寛(たけばた・ひろし)
京都市生まれ。兵庫県立大学環境人間学部准教授。大阪大学人間科学部卒、同大学院修了。博士(人間科学)。山梨学院大学教授を経て、現職。脱施設化と権利擁護研究を土台に、ダイアローグを基盤とした地域福祉・多職種連携などの研究や研修にも携わる。著書に『「当たり前」をひっくり返すーバザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた革命』『権利擁護が支援を変えるーセルフアドボカシーから虐待防止まで』(現代書館)、『枠組み外しの旅ー「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)等。
Information
『脱「いい子」のソーシャルワーク――反抑圧的な実践と理論 』
坂本いづみ、茨木尚子、竹端寛、二木 泉、市川ヴィヴェカ(著)
- 出版社:現代書館
- 発売年:2021年
- ISBN:4768435823
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Profile
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野口晃菜
博士(障害科学)/一般社団法人UNIVA理事
小学校6年生の時にアメリカへ渡り、障害児教育に関心を持つ。高校卒業後に日本へ帰国、筑波大学にて多様な子どもが共に学ぶインクルーシブ教育について研究。小学校講師、障害のある方の教育と就労支援に取り組む企業の研究所長を経て、現在一般社団法人UNIVA理事として、学校、教育委員会、企業などと共にインクルージョンの実現を目指す。文部科学省「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」「通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方に関する検討委員会」委員、経済産業省産業構造審議会委員、東京都生涯学習審議会委員、日本ポジティブ行動支援ネットワーク理事など。共著に「LD(ラーニングディファレンス)の子がみつけた勉強法-学び方はひとつじゃない!」(合同出版)「差別のない社会をつくるインクルーシブ教育」(学事出版)「発達障害のある子どもと周囲の関係性を支援する」(中央法規)などがある。