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痛みを「感じる人」と「わかりたい人」をどうつなぐ? 頭木弘樹さん著書『痛いところから見えるもの』発売
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「痛い」という感覚に、さまざまな言葉で光を当てる一冊が9月刊行
「ズキズキするの? それともキリキリ?」幼い頃、腹痛で苦しんでいるときに母からそう尋ねられ、「ズキズキとキリキリはどう違うのよ!?」と逆ギレしてしまった記憶があります。
言葉を扱う仕事をしている今も、その違いはうまく説明できません。自分だけの痛みを、適切に表現して相手に伝えることは難しい。そして、伝わらなかった痛みは、より一層人を孤独に追い込んでしまうこともあるのでしょう。
2025年9月11日に刊行された、文学紹介者の頭木弘樹さんの著書『痛いところから見えるもの』は、そんな「痛みを伝えられない人」と「痛みをわかってあげたい人」をつなぐ一冊です。20歳で潰瘍性大腸炎を患った著者自身の体験を軸に、文学からの引用も交えて、さまざまな角度から「痛み」という感覚の表し方を紐解いています。
20歳で患った難病。伝わらない痛み、わからない苦しみ、深まる孤独
頭木さんは20歳のときに、大腸の粘膜に慢性的な炎症が起こり、びらんや潰瘍ができる病気「潰瘍性大腸炎」を発症しました。原因もわからないまま、さらに腸の内容物が通過できなくなる腸閉塞も経験し、闘病生活は13年に及びました。

本書の第一章「個人的な痛み──私の場合」では、頭木さん自身の痛みの経験から、当たり前に使う「痛み」という言葉に込められた多様な意味への気づきが語られています。
切り傷の痛みと、歯を削られるときの痛みではかなりちがう。殴られても平気という人でも、歯を削られる痛みには耐えられなかったりする。
「痛みには種類があって、とても耐えにくい痛みがあるのか!」というのが私の発見で、 こんな発見はまったくしたくなかった。
(第1章「個人的な痛み──私の場合」p.31)難病を経験したからといって、必ずしも「痛みがわかる側」になれるわけではありません。頭木さん自身も入院中、毎日のように「痛い! 痛い!」と叫び続ける同病室の男性を前に、次第に「本当にそこまで痛いのだろうか」「わざと痛がっているのではないか」と疑いの気持ちが芽生えた経験があるといいます。
暑さや寒さは、多少の体感の差はあったとしても、比較的人と分かち合える感覚といえるでしょうが、「痛み」は自分が感じているものを他の誰かが経験しているとは限りません。きわめて稀な難病を患った頭木さんは、あるとき自分のような特殊な事情を抱えているのは「もしかすると世界で自分だけかもしれない」と思い至り、ぞっとしたと語っています。
同じ痛みを感じている人は他に誰もいないかもしれないのだ。せめて「かもしれない」と言いたいわけだが、これがもし本当にいないとしたら、とても耐えがたいことに思えた。
(第2章「痛みには孤独がもれなくついてくる」p.58)痛みは「孤独」を伴うのです。その一方で、「痛みを分かってもらえたかもしれない」と感じた瞬間の感動は、何ものにも代えがたいものがあります。痛みを分かち合えるからこそ、同時に痛みが「人と人とをつなぐ」力を持つことにも頭木さんは目を向けます。
つらい気持ちは、なかなか人にわかってもらえないから、わかってもらえたときには絆となる。
その中でも、痛みというのは、とくに個人差が激しく、自分の痛みを知るのは自分だけ で、相手に感じてもらうことができない。みんなが同じ痛みを感じているということは、 まずない。だからこそ、わかりあえたときには、深い感動がある。
(第3章「人と人の心は痛みによって結びつく」p.66)文学が痛みを伝える橋となる
痛みをうまく他者に伝えられれば、孤独や無理解の悪循環を断ち切ることができるかもしれない。そう考えた頭木さんは、痛みを伝える手がかりとして特に「文学」に光を当てます。
言葉では説明できないことをなんとか言葉で説明しなければならないシーンは意外と多い。そして、病気をして、自分の病状を医師に説明しなければならないという状況は、これはもう命がかかっているのだから、究極的に実用的なシーンと言えるだろう。
生きていくためには、文学の力がどうしたって必要なのだ。言葉で説明できることだけで暮らしていけるうちはいい。しかし、そうはいかないときがある。
(第5章「痛みを言葉で表す」p.106)実際に本書では、多様な書物からの引用が紹介されています。カントやアランといった哲学者、太宰治や夏目漱石といった過去の文豪、さらに現代文学の村上春樹や社会学者の岸政彦まで幅広いジャンルを横断しながら、痛みについて語りかけています。
人は不幸を味わうほど 人の不幸やいたみに敏感になることができるのです。
──瀬戸内寂聞『生きることば あなたへ』光文社文庫
(第4章「おまえなんかにはわからない」と言わない/言われないために」p.93)病気になるということは、痛みにどれだけ耐えられるかの実験を受けているようなものだ
──ゴンサロ・M・タヴァレス(『エルサレム』木下眞穂訳 河出書房新社)
(第12章「それぞれの痛み」p.283)
痛みは、我慢するもの。そして、それを乗り越えた人にしか見えない景色がある。そんな言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。実際に、痛みの経験を経て、新たな景色にたどり着いた人もいるかもしれません。
そうした視点の変化が起き得ることを頭木さんは認めつつも、一方で女性や黒人などマイノリティの「痛みが軽視されやすい」社会背景や、「痛みを感じない」先天性無痛症などのケースに言及し、痛みを単純化してしまうことに警鐘を鳴らします。
痛い人が、痛みをわかりたいと願う人たちとともに手を取り合い、同じ景色を共有するような生き方はどうすれば可能なのか? 本書は、景色をともにするヒントを与えてくれる一冊となっています。ぜひ手にとってみてください。
インフォメーション
『痛いところから見えるもの』
著:頭木 弘樹
頁数:320頁
発売日:2025年9月
定価:1,870円(本体1,700円)
ご購入はこちらから
・刊行記念トークイベント
「“ままならない体”と生きる」 頭木弘樹✕伊藤亜紗(特別ゲスト)
開催場所:オンライン
開催日時:2025年10月22日(水)19:00~20:30
登壇者:頭木弘樹さん×伊藤亜紗さん
販売開始:2025年9月17日 12:00
販売終了:2025年11月6日 12:00
アーカイブ配信期間:2025年10月23日15時00分~2025年11月6日23時59分
申込み:丸善ジュンク堂書店ネットストア