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発達障害のある当事者から見た、「世界」の街並みと文学の重なり。旅行記『イスタンブールで青に溺れる』
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あおいなみにのみこまれるようにタイトルがならぶ、ほんのひょうし。おびにはけいこうピンクのもじ
横道誠さんの著書『イスタンブールで青に溺れる』が、〈株式会社文藝春秋〉より発売されています

「発達障害のある人が旅をするとどうなるか?」を描いた、超ジャンル的な書籍

発達障害の当事者であり、文学研究者の横道誠さんによる旅行記『イスタンブールで青に溺れる ─ 発達障害者の世界周航記』が2022年4月に発売されました。

本書は、自閉スペクトラム症(ASD)と注意欠如・多動症(ADHD)のある著者が、世界中を旅した記録集。25の街・地域を訪れた際の記憶と、旅先で現れる自身の「こだわり」「クセ」を発達障害の視点から振り返りながら、そこに文学の引用を重ねていく、多ジャンルをまたぐ1冊です。

発達障害当事者としての立場から、精力的に著作を発表する横道誠さん

ドイツ文学・比較文化研究を専門とする横道誠さん(京都府立大学文学部准教授)には、発達障害の一種である、「自閉スペクトラム症(ASD)」と「注意欠如・多動症(ADHD)」があります。これらは生まれつきの脳の特性を指すものですが、横道さんが診断を受けたのは、2019年、40歳のときでした。

ろうかのようなところにたち、スーツすがたで、うでをくんでこちらをみるよこみちさん
横道誠さん(提供:文藝春秋)

発達障害の診断を受けてから、「当事者研究」という、自分の疾患や障害を仲間とともに研究する活動に取り組んだ横道さん。その後、当事者の立場から自分をとりまく世界の不思議を描いた著書『みんな水の中 ─「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院「シリーズ ケアをひらく」)を、2021年5月に発表します。

続いて、自助グループの運営に関わる大学生を主人公とした物語『唯が行く!─ 当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)を2022年2月に出版。本書は、3作目の単著として、発達障害の診断を受ける前の20〜30代の頃の海外(最後だけ国内)での体験を、障害を自覚した現在、改めて振り返る形で編まれています。

当事者研究であり、旅行記であり、エッセイでもある『イスタンブールで青に溺れる』

“ウィーンに到着した飛行機から降り、ターンテーブルからトランクを受けとり、ゲートを出る。そうするとドイツ語がほうぼうから発せられている。音が反響しあって洪水のようだ。空港のこのような音響空間に接するたびに、僕にはモダンジャズが連想される。ビバップ、ハード・バップ、モード・ジャズなどの煌めくような音の星屑。しかしそれらはよそよそしい異世界のものだと感じられる。”

(p.12より引用)

これは、初めての海外旅行の目的地、ウィーンの空港に到着した瞬間の著者の体験です。自閉スペクトラム症のある方に多く見られるように、聴音に対する解像度が高すぎて、押しよせる無数の音を処理することができなかったと振り返る横道さん。そういったことを「何も知らなかった」当時、自らがどのような旅をしていたか、そして独特の体験の原因がどこにあったかを、本書では一つずつ考察していきます。

また、自閉スペクトラム症と注意欠如・多動症に加えて、現実に幻想の要素が混入する「解離」と呼ばれる精神現象なども起こることを、実際のさまざまな体験を通じて説明。スイスのマイエンフェルトで「ハイジの道」を行くときには、身体的な特性としての「発達性協調運動症(DCD)」も相まってすぐに「ゾーン」に入り、強い快感を感じながら歩いた経験を語ります。

“発達障害があると過集中という意識状態に入りやすい傾向がある。定型発達者が問題なくできる作業が、発達障害者には難度の高いものになるため、集中力が爆発的に跳ねあがるのだ。この結果、心理学で「フロー体験」と呼ばれるものが生まれる。大きなうねりに流されているような神秘的な感覚。スポーツ選手はこれをよく「ゾーン」と表現し、自分の身体能力が飛躍的に上昇していると感じる。(中略)長大な山道で、僕にとってはかなりの運動量になったから、ふだんよりも負担は大きかった。だからゾーンに入りっぱなしだった。”

(p.46より引用)

一方で、文学研究者でもある著者は、旅の中でさまざまな文学や芸術作品を想起し、引用します。モロッコの砂漠と隣り合った街カサブランカで、サン=テグジュペリの『星の王子さま』やフィンランドのムーミン谷シリーズに思いを寄せたり、アメリカのロサンゼルスでお酒を飲みながら中世ペルシアの詩について考えたり、ドイツのベルリンで歩いた雪の道の記憶を、韓国の作家ハン・ガンの作品を読んだときに思い出したり。

なかでも、横道さんが「もっとも感動した海外の場所のひとつ」と記しているのが、フランスのパリです。収集し配列することへの強い欲動から、パリの道と建物がつくりだす「配列の美」に惹かれた著者が、この章で引用したのは日本の俳句。国やジャンルを超えた縦横無尽なイメージの飛躍も本書の魅力です。

“しばらくまえに、中学校の国語の教科書のために、僕が10句の俳句を選ぶならば、どうなるかと思案したことがあった。僕はそのときも、パリのことを思いだしながら、作業を進めた。

古池や蛙飛びこむ水の音 松尾芭蕉
をととひのへちまの水も取らざりき 正岡子規
分け入っても分け入っても青い山 種田山頭火
水枕ガバリと寒い海がある 西東三鬼
炎天の遠き帆やわがこころの帆 山口誓子
草二本だけ生えてゐる 時間 富澤赤黄
彎曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太
かぶとむし地球を損なわずに歩く 宇多喜代子
皿皿皿皿皿血皿皿皿皿 関悦史
起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希

おそらく僕以外の誰が見てもパリとは無関係に感じるはずだが、僕にとっては、この10句をとおして立ちあがる香気は、その優美さと完全さによって、パリの美と等価だ。”

(p.175-176より引用)

さまざまな立場から、多角的に楽しむことができる文芸作品

本書のタイトルにもあるトルコ・イスタンブールでは、鮮やかな青の描写が印象的です。著者によると、「自閉スペクトラム症があると、青にこだわる人が多い」そう。かつて見た幻想的な風景が、鮮やかに描かれる一節もあります。

そんな当事者研究と文学研究と紀行文が重なりあう、横道さんだからこそ記すことのできた『イスタンブールで青に溺れる』。著者は「はじめに」で、本書がきわめて個人的な体験に基づいた体験ばかりであることに触れつつ、障害のある当事者にとっても、またそうでない(一般に「定型発達」と呼ばれる)方にとっても「発達障害に対する認識を更新する機会になれば」と述べています。

あおいなみのなかにタイトルがのみこまれるようにえがかれた、ほんのひょうし

実は今回の出版の背景には、2021年10月、横道さんがウィーンに渡航しようとしたところ、発達障害に起因するミスで出国できなくなってしまった出来事がありました。意気消沈するも「発達障害×旅行」という本のテーマが思い浮かび、Twitterで興味がある編集者を呼び掛けた結果、立ち上がった企画のうちのひとつが『イスタンブールで青に溺れる』です。出国できなかった顛末を記した本など、いくつかの企画は今も進行中だそうです。

本書は、ジャンルをまたいで新しい旅の体験を描き出す画期的な内容になっており、書店でも「新刊話題書」のほか、「文芸ノンフィクション」「成人期発達障害」「旅行記」など複数の棚に陳列されていることもあるといいます。ぜひ一度ページを開いて、横道さんの旅を追体験してみませんか。