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言葉やコミュニケーションに潜む意味を「哲学」でひも解く。エッセイ『言葉の展望台』
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『言葉の展望台』の表紙画像(帯なし)
講談社の文芸誌『群像』の連載を単行本化した『言葉の展望台』

日常的な「言葉」と「コミュニケーション」に焦点を当てた、哲学エッセイ

ふと口にしたり、SNSなどに書き込んだりした一言が、誰かに喜びをもたらしたり、一方で誰かを傷つけてしまったりする「言葉」。毎日何気なく使われるなかで、人を幸せにすることもあれば、差別を助長し、暴力を生んでしまうこともあります。

そのように、私たちの心をさまざまに揺り動かす「言葉」とは、一体なんなのでしょうか?

2022年7月に発行された書籍『言葉の展望台』は、分析哲学を研究する三木那由他(みき なゆた)さんが、人が交わす言葉の正体を探り、それらがもたらす結果について思いを巡らせるエッセイです。日常を送るなかで体験した「これは一体なんだろう?」と感じたコミュニケーションを取り上げ、哲学の知識を交えながら考察していきます。

「哲学」と聞くと、少し近寄りがたさを感じる人がいるかもしれません。ですが、三木さんが扱う題材は、小説や漫画の引用、著名人の発言、トイレの張り紙、ロールプレイングゲームに登場するキャラクターが繰り返す台詞など。ある日の三木さん自身の会話も含め、ごく身近なものが切り口となっており、親近感を持ちやすい内容になっています。

『言葉の展望台』の表紙画像(帯あり)

言葉やコミュニケーションの構造を叙述し、その作用を考察する

“「お金のことは気にするなよ」
聖司は腕をのばし、そうじゃなくて、と言いかける桃嘉の頭を撫でる。
「奥さんと子どものために稼ぐのは、男にとってあたりまえのことなんだからさ。それに俺は、桃嘉に甘えられるのが嬉しいんだよ」”

例えば、温又柔(おんゆうじゅう)さんの小説『魯肉飯のさえずり』(中央公論新社/2020年発行)のこのシーンを引用した本書の「プロローグ」。三木さんは、自立を望み「働きたい」と訴える主人公の桃嘉と、一見優しく応える夫・聖司との会話のなかに“コミュニケーション的暴力”のひとつの典型を見て取ります。

そして、桃嘉の伝えたいことが聖司によって変質させられる会話の数々に「意味の占有」という概念を当てはめ、コミュニケーションにおける「言葉」がどんな作用をもたらすのかを説いていきます。

話し手がその振る舞いや発言で何かを意味しようとしても、聞き手の力によって別の何かを意味したことにされ、その別の何かに従って約束が結ばれてしまう。聞き手が意味を独り占めしてしまう。私はこれを「意味の占有」と呼んでいる。
(「プロローグ コミュニケーション的暴力としての、意味の占有」から引用)

話し手の意図と聞き手の受け取り方を一つひとつ順序だて、潜む力関係を見ていく三木さん。会話のズレの先に、いつの間にか交わされていた望まない約束、義務、コミュニケーション的暴力などが生じてしまう構造を解説するさまは、分析哲学者ならではの思考の回路を覗き見しているようなスリリングさがあります。

本書では、こうした「言葉」を巡る考察が随所で行われ、そのような状況に直面したときに自分ができることなどについても触れられています。

さらに、さまざまな哲学者の概念を用いた分析にもチャレンジ。漫画『金田一37歳の事件簿』(天樹征丸原作・さとうふみや画/講談社)では、とある男女の“嘘”をめぐる駆け引きに、他人に対する義務を生じさせる「共同的コミットメント」という概念を見出します。同時に、これまで歴史的に構築されてきた理性的なコミュニケーション観と、この引用場面を比較し、かつての哲学者たちの視野の偏りを指摘。時代や人によって「言葉」に新たな解釈が加わるおもしろさも感じさせます。

私には、非理性的とも思える振る舞いにこそ、人間の愛らしさがあるように思える。『金田一37歳の事件簿』のふたりも、(中略)あえて嘘だとわかっていることを言ったり、あえて嘘だとわかっていることを信じるふりをしたりすることを選んだ。それがこのやり取りを印象的にしているのであって、こうしたコミュニケーションを取りこぼすコミュニケーション観は、狭すぎるのではないかと私は思う。
(「心にない言葉」から引用)

ほかにも、相手を無知と決めつけて知識をひけらかす「マンスプレイニング」、必要な言語がないことによる不利益や、生まれた言葉を奪い合う「言語的なポリティクス」、不誠実な「謝罪」 など、興味がそそられるようなテーマが並びます。

「LGBTQ+」を哲学の観点で論じる

本著を読み進めると、性的マイノリティを取り巻くエピソードがいくつも登場することに気づきます。例えば「哲学と私のあいだで」の項では、2021年の「LGBT理解増進法案」に関する自民党の会合で出た「道徳的にLGBTは認められない」などの差別発言に触れ、その言葉が社会へ向けてどのような害となり、環境を変化させてしまうのかを、哲学者のメアリー・ケイト・マクゴーワンの議論を用いて説いています。

しかし、こうしたテーマについて語ろうとするたびに「本当に語りたいことに言葉が届いていないという感触」を抱いてきたという三木さん。哲学者の論理には同意しつつも、それは自身の痛みではないと心の内を述べ、三木さんは自身が「トランスジェンダー」であることを連載の途中でカムアウトします。

連載開始時にはそのことをおおやけにしていなかったし、担当の編集さんにも伝えていませんでした。他方で、連載開始時から性差別や性的マイノリティへの差別については語っていきたいと思っていました。その結果として、そうした話題をしばしば扱いつつもどうにか「でも私は当事者ではないんですけどね」というふりをしないとならないという、どうにもやりづらい状況に勝手に追い込まれてしまいました。
(「おわりに」から引用)

本著でも、中盤でトランスジェンダーであることを打ち明けたあとは、より当事者としての視点でエッセイが綴られ、「言葉」の背景が鋭く分析されていきます。カムアウト後の文章の解放感のようなものを受け取る読者も少なくないはずです。

少し難しい専門用語も語られますが、「言葉」への関心が強い方は、読み進めるにつれ胸が高鳴る一冊かもしれません。

『アライになるためのガイド』の翻訳

大阪大学で講師を務める三木さんは、アメリカのAmélie Lamontさんが作成したオープンソースの『アライになるためのガイド(The Guide to Allyship)』の翻訳も手掛けています。

同ガイドによれば、アライとは「当事者ではないけれど、マイノリティ・グループを支援し、一緒に差別の是正を目指す人のことを指す」言葉。〈こここ〉でも、過去にLGBTQ+/SOGIについて知る記事で引用し、ご紹介しています。

三木さんがこのガイドを訳した理由は、「差別には反対している」としながらも、その振る舞いが実際にはマイノリティへの無自覚な攻撃になっていたり、結果的に相手をひどく疲弊させたりしているような事例に遭遇したため。

アライになるための作法、発言や振る舞いで無自覚にも当事者を傷つけてしまったときの考え方、失敗してしまったときの謝り方なども紹介されています。こちらもぜひ一読してみてください。

コミュニケーションは確かに素晴らしいものであり得る。けれどそれだけではない。言葉による支配も、侮蔑も、否定も、コミュニケーションのなかで起きる。つまりは差別も暴力も。
(「プロローグ コミュニケーション的暴力としての、意味の占有」から引用)

言葉による支配は、誰もが気づかぬうちに経験していたり、無自覚に行っていたりするかもしれません。本著を参考に、これまでの自身のコミュニケーションを振り返りながら、言葉が持つ作用を改めて考えるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。