ともだちってなんだろう? 答えを出す必要はないけれど。新澤克憲さんとテンギョー・クラさんの対話から考える こここインタビュー vol.20
旅先でおみやげを選んでいるとき。なにかに悩み疲れたとき。ちょっとしたいいことがあったとき。ふと、ともだちの顔が思い浮かぶことがあります。毎日のように顔を合わせていても、ほとんど会えなくても、大切な存在であることに代わりはないともだち。でも、自分にとって「ともだち」ってなんだろう? あらためて考えてみると、モヤモヤとしてわからなくなる人も少なくないのでは。
その問いにきちんとした答えを出す必要はもちろんないけれど、「ともだち」を巡る個人の対話がすこしのヒントを与えてくれるかもしれません。今回、「ともだち」というテーマを中心に置いて自由に対話してくれたのは、精神障害がある人などが通う就労継続支援B型事業所ハーモニーの施設長・新澤克憲さんと、さまざまな地域を転々としながら暮らすヴァガボンドのテンギョー・クラさんです。
「いたずらに人を評価しない/されない場所」を掲げ、ハーモニーのメンバーやスタッフと日々関わっている新澤さんと、ヴァガボンドとして、未知の場所と関係のなかに飛び込む「カルチャーダイブ」を繰り返してきたテンギョー・クラさん。地域と福祉施設をつなぐカフェ活動などを通して福祉に関わってきたテンギョーさんのことを、新澤さんは「ともだち」と呼びます。ときにまじめに、ときにふざけ合いながら語られたおふたりの対話に、耳を傾けてみてください。
「あいついまなにやってるんだろう」と考える幸せを与えてくれる人
テンギョー・クラさん(以下、テンギョー):かっちゃんとはじめて会ったのって、TURNの交流プログラムでハーモニーに行かせてもらったときだったよね。
新澤克憲さん(以下、新澤):そうだっけ?
テンギョー:うん。正確にいうと、交流プログラムの前に、こんどお邪魔するテンギョーですって挨拶したのが最初だったかな。その交流プログラムは通常、アーティストが1年を通してひとつの福祉施設に通うかたちをとってるんだけど、俺は例外的に、複数の福祉施設を転々と回らせてもらうスタイルでやったんだよね。それでいちど、ハーモニーのミーティングにも参加させてもらったんだよ。
「なんて呼ばれたいですか?」ってかっちゃんに聞かれて、「テンギョーなんでテンちゃんでお願いします」って。そこからテンちゃん・かっちゃんって呼びはじめていまに至るっていう……。かっちゃんはさ、どうだったの? 俺の第一印象。
新澤:僕はあなたがそういうしかけでハーモニーに来たっていうのをよく知らなかったから、なんだろうこの人? って思ったよ(笑)。しかも、コーヒー淹れてあげる、写真撮ってあげるっていきなり言うでしょう。これをやってあげるからこれをしてください、みたいな交換条件がなんにもないからさ。
テンギョー:交流プログラムでハーモニーに行かせてもらったのは結局いちどだけだったけど、なぜかあのあとコーヒー淹れに行ったんだよね。
新澤:そう。で、あなたいったい誰なんですか? って聞いたら「ヴァガボンドです」って。まずそれが意味わかんないでしょう(笑)。福祉施設にやってくる人ってたいてい、アーティストにしても療法士にしても、目的がはっきりしてるんですよ。でもヴァガボンドっていうものには目的なんてなさそうだし、そもそも職業なのかなんなのかもわからない。「サボテン」とか「玄武岩」とか、そういう一般名詞なのかどうかさえ……。
テンギョー:サボテン……(笑)。でもたしかにね。そもそもは、責任を負いたくないからヴァガボンドって名乗りはじめたんだもん。
新澤:だからこの人はきっと、責任をとらないこと、なんにもしないことで生きてる人なんだなっていうのだけはわかったんだよね。それってなにかしたがる人がたくさん来る場所にいる僕からすると新鮮だったから、こいつおもしろいなって感じたんだと思う。そもそもテンギョー・クラはさ、なんでヴァカボンドになったの?
テンギョー:もともとは2001年に、格闘技をやるためにアメリカに行ったんだよね。そのあと格闘技にはいったん満足したから英語教師の研修を受けてて、いろんな国をまわるようになったんだけど……当時は、なにをやって生きているかがイコール自分って気がしてたんだよ。アイデンティティってものにすごくこだわりがあったんだと思う。俺さ、自分への愛着がすごいから。
新澤:自分大好きだよね。
テンギョー:うん。で、教師ってやりがいはあるけど同時に責任も重大でしょう? だから徐々に、もっと身軽にフラフラしていたいって欲求が高まってきて。そんなときにインドに行ったんだよ。2013年だったんだけど、世界最大級の宗教の祭典と言われる「マハ・クンブ・メーラ」っていう祭りの場にたまたま滞在する機会があったんだ。
そこで無数の巡礼者の人たちに囲まれていたらとつぜん、喜びで魂が打ち震える感じを味わって。俺はいままで自分が何者であるかにこだわりすぎてて窮屈だったのかなとはじめて思ったんだよね。ここにいる無数の人たちにとって俺は何者でもないと感じたときの心地よさがたまらなくて。これからはもう、何者であるっていうことを放棄して生きようと思ったの。
新澤:そうだったんだ。
テンギョー:ヴァガボンドっていうライフスタイル自体は昔からあるんだけど、歴史を紐解いていくと、「飲んだくれ」とか「ゴロツキ」とか、ある種ネガティブな意味を持った言葉であったと同時に、どこにも属さない魂を持つ自由の象徴でもあったみたいなんだよね。
俺はその言葉とどう出会ったかもはや覚えてないんだけど、自分のあり方ってヴァガボンド的なものだろうな、といつの頃からか意識するようになって。なにをしてる人なんですかって聞かれたときに「ヴァガボンドです」って答えるようになったの。でも、ヴァガボンドってかっちゃんが言ったように目的を持ってやってくるわけじゃないし、特別なスキルを持っているわけでもない、ただよそからやってくる存在だから、たしかに厄介ではあると思う。
新澤:でも、ただ外からやってくるだけっていうのが僕にとってのあなたの魅力というか。
テンギョー:そうなの?
新澤:そうだよ。僕は自分の姿勢が東日本大震災で大きく変わったと思ってるんだけどね。震災のあと、原発事故なんかをきっかけにして、ともだちやハーモニーのスタッフの何人かは東京から地方に引っ越していったんだけど。僕自身もいままではいろんな場所を転々としてきたほうだし、家族ともこのまま東京にいるよりはどこかに行きたいよねって話していて。
でも考えてみると、ハーモニーのメンバーたちの多くは、移動の自由がものすごく制限されているなと。障害のある人にとっては主治医や病院を変えるのって非常に負荷のかかることだし、貧困で苦しんでいる人にはそもそも地方に行くようなお金がないわけで、彼らは簡単には動けない人たちだっていうのをそのときはじめて、自分のなかでズシンとくるほど感じたんだよね。そうしたらやっぱり、恩を売るわけでもなんでもなく、いま目の前にいるこの人たちと一緒にいることが自分のやるべきことだと感じて、動かないことをあえて選択したんですよ。
テンギョー:うん。
新澤:でも動かないでいると、自分がどんどん干からびていくような感覚も覚えるようになった。施設って外からの風が入ってこないと、あっという間に駄目になっちゃうんだなって。だからこそ、ハーモニーは外からやってくる人に対していつも開いた状態でいようと決めたんだけど、そんなときにらんぼうな彗星が……テンギョー・クラのことを僕はらんぼうな彗星と呼んでいるわけなんだけど(笑)、彼が現れたんですよ。
テンギョー:ふふ(笑)。
新澤:この人はアフリカから船便で手紙くれたりするんだけど、届くのに半年とかかかるから、着くときには本人も帰国してたりするんだよ(笑)。だから……当然、テンギョー・クラがいる時間も大好きなんだけれども、いない時間に「あいついまなにやってるんだろう」と思うことも、僕やハーモニーのメンバーのように動きづらい人たちにとってのひとつの希望というか。またきっとくだらんことやってるんだろうな、みたいなことを考えてるだけで幸せになれるっていうのかな。
僕からすると、テンギョーはすごく長い周期で回っている彗星のようなもので。ときには太陽系を飛び出していっちゃうかもしれないけれども、ひょっとしたらいつか帰ってくるかもしれないって思いながら待つ幸せ感みたいなものを与えてくれる人かな。来てもただコーヒー淹れて帰るだけなんだけどさ(笑)。そのくらいがちょうどいいのかもなっていつも思うんだよね。
目の前の人を大切にするための「友情ベース」
テンギョー:最初にコーヒー淹れさせてもらってからは、もう5年くらい経つのかな。ハーモニーとはいろんな企画を一緒にやったよね。来てくれた人からコーヒーのお金を頂く代わりに思い出話をしてもらう「お金をとらない喫茶展」とか、ハーモニーのメンバーがお悩み相談に答えてくれる「答えにならない喫茶店」とか。結局そのときも、俺がしたのってコーヒー淹れたりメンバーとにぎやかに喋ったりするだけだったんだけど。
新澤:そうだったね。
テンギョー:とにかく俺はなにかの企画をやるっていうときに、無理だけはしたくないのね。自分ができないことを無理してやりたくないし、現場の人にも絶対に無理させたくない。俺自身、ちょっとでもなにかを無理して背負うと、がんばってる自分としてその場にいることに戸惑ってしまうし、周りからのリアクションも気になったりしちゃうんだよ。だから、かっちゃんならかっちゃん、ハーモニーのメンバーならメンバー、俺なら俺がそれぞれの自然体でやれることをやって、その延長線上に地域の人たちとの出会いもあるなら楽しそうじゃない? ってことで考えた企画が「喫茶展」だったんだよね。
それは俺自身のこだわりでもあるけど、もとはかっちゃんの振る舞いから学んだことでもあると思う。新澤克憲って、なんたって福祉業界のパンク中のパンクでしょう? いつも太陽みたいにニコニコしてみんなを和ませてるけど、一方で自由じゃないとすぐに嫌になっちゃうんですよ、この人は。心のなかはめちゃくちゃたぎってる。かっちゃんの書く文章にも出てるけど。
新澤:怒ってるもんね(笑)。
テンギョー:うん。でも、俺はそれがめちゃくちゃいいと思ってる。だから、お互いに無理せずあくまで自然体でっていうのは、ハーモニーとなにか一緒にやるのであれば絶対に譲れないところだったんだよ。
たとえば、すこし前の話でいうと、俺がわがままを言って1年で終了にさせてもらった行政とのアートプロジェクトがあったんだけど……かっちゃんとも話し合って、これはハーモニーにかかる負荷が大きすぎて、ともだちとしての俺たちの遊びの範疇を超えちゃってるって結論になったんだよね。もちろん、一緒にやろうと考えてくれた人たちには感謝も共感もしているけれど、同時にちょっと、「ともだちに頼むこと」としては大変すぎるなって感じた。
新澤:そうだね、お互いがいつもどおりでいられるかどうかだから。自然体でいれられればそれでいいしね。
テンギョー:それを俺は「友情ベース」ってあえて言ってるんだけど、ハーモニーとの関係とか、かっちゃんとの付き合いが血肉になってこういう言葉になったのかなと思っていて。
これはあくまで俺自身のケースとして話すんだけどね。いまってインターネットやSNSでいろんな人と繋がることができるすごく便利な時代だけど、繋がってはいるけれど顔の見えない存在が自分にとってどんな意味をもたらすかを考えたときに、自分が自然体で築ける人間関係の境界線を超えて繋がりすぎてしまう可能性があるという意味でポジティブなイメージがあまり湧かないんだ。
じゃあ繋がるっていう上でいちばん大事にしたい存在って誰だろうと考えてみると、かっちゃんがさっき言った「メンバーと一緒に動かないでいることを決めた」っていうのと似ているかもしれないけど、顔の見えるともだちっていうのが自分にとってのリアルなんだよね。……ただ、これはもちろん、ともだち以外は誰も入ってくるなという話ではなくて。
新澤:うん、うん。
テンギョー:親友や恋人じゃなくても、いまここで、目の前で出会った人の存在をまずは大事にしたいっていう気持ちがベースにある。それは、よそ者としてある土地を訪れ、無知の状態からその土地の文化や歴史を学んでいく、ということを繰り返して生きてきたなかでの自分のひとつの結論でもあって。
格好つけた言い方をすると、ヴァガボンドって社会的・文化的マイノリティだと思うのね。新しいカルチャーのなかに飛び込んでいくためには、それまでの自分の常識とか固定観念を捨てていく必要があるけれど、自分が信じてきたものってやっぱりそう簡単に捨てられないし、捨てることに対する怖さも不安もある。だからこそカルチャーダイブをするたびに、自分の弱さや小ささと同時に、いまここにいる周りの人たちの大切さを実感することになる。
新澤:なるほどね。
テンギョー:うん。俺は別に、誰彼構わずみんな任せろっていうタイプじゃないから、「友情ベース」っていうのは自分自身に境界線を張る意味でも言っているのかもしれない。たとえばなにかがあったとき、目の前にいる人たちのことを体を張って守れるか考えようとすると、その人たちへの愛情が本物かどうか、常に自分自身にも問わなきゃいけなくなるというか。
そういう意味で、目の前の大切にしている人たち同士が関わったら素敵なことが起きるかもしれない、というのを信じてなにかやるというのが、自然体で楽しめる自分自身の限界なのかなと思う。
汎用性のない「個人的な関係」であること
──ひとつ編集部からもお聞きしたいです。いま、おふたりのお話のなかに「無理をしない、自然体でいる」という言葉がありましたが、相手が大切だからこそ、関係を続かせるために無理をしたり、過剰に相手を気遣ったりしてしまうこともときにはあるのではないかと感じました。おふたりはいかがですか。
新澤:性格的には僕も、わりと相手に気を遣うタイプかもしれない。……変な言い方ですけど、僕はテンギョーの話すこととハーモニーのメンバーの語る幻聴や妄想にあまり区別をつけていないというか。テンギョーがどこかの国について語るときも、メンバーが頭のなかの王国について語るときも、聞き方としては同じなんですよ。
テンギョー:最高だよ。本当、それだよ。
新澤:だからテンギョーに対しても、ちょっと今回は無理させちゃったかもなとか、こんな寒い日に来てもらってコーヒー淹れさせるのも悪いなとかよく勝手に思うんだけど……思うのは勝手じゃん、とも思っていて。そういうふうにあれこれ考えてしまうことも含めて、彼の不在を楽しんでるというか。ここにいないテンギョーのことを思って余計な世話を焼かせたり心配させたりしてくれるっていうのが、僕にとっての彼に感じている魅力のひとつなのかもしれない。
テンギョー:それだと、かっちゃんは片思いじゃん。
新澤:うん。だから、いま目の前にいる人を大事にするのももちろんだけど、そこにいない人のことを思っておせっかいを焼くっていうのも、それはそれで人付き合いというか、ともだちなんだろうなって思うかな。
テンギョー:でもたしかに、俺もたけし(クリエイティブサポートレッツが運営する公共文化施設「たけし文化センター」の中心人物であり、知的障害のあるくぼたたけしさん)に対しては前から「自称ともだち」って言ってる。たけしが俺をともだちって認めてくれてるかは俺にはわからないから、一生「自称」だし、一生片思いだよね。
本当につま先だけだけれど、俺が福祉の世界に入らせてもらって強く感じたのは、人間関係をわかった気になっちゃいけないってことだった。ともだちって本当に心強い存在だけど、同時に心もとない存在でもあると思う。人間関係ってすごく微妙なバランスで成り立っていて、それがすこしでもずれると、あっという間に搾取や共依存の対象になってしまうこともあるでしょう。
新澤:そうそう、本当に。
テンギョー:やっぱり、ともだちであることにあぐらをかくような関係性はいけないと思う。だからたとえば、「なにもしません、責任は負いません、嫌になったらいなくなります」っていう俺のような存在って、受け入れる側からしたら本当に信用ならないだろうなと思う。けど、自分としては健全な関係性を保つためのひとつの方法でもあると思ってるんだよね。俺が責任を感じないように、あなたも俺に対して責任を負う必要はないですよ、と。尊厳って言い方をすると大げさになるけど、相手の存在に対する俺なりの敬意でもある。だから、さっき言ったアートプロジェクトを終わりにしちゃったのは申し訳なかったけど、俺なりのかっちゃんへの最大限の敬意でもあった。
……それで、「関係を続けるために無理をする」ということについて言うと、かっちゃんと俺、タイプが違うんだなといま聞いてて思ったよ。さっきもちょっと言ったけど、俺は自分への圧倒的な愛着があるんですよ。この世界のなによりも自分自身に興味がある。
新澤:本当に自分好きだよね。
テンギョー:自分大好きなんだよ。
新澤:写真送ってくれって言ったら、平気で20枚くらい送ってくれるもんね。自撮り。
テンギョー:それはまあいいとしてもさ(笑)、自分がいちばん大切だから、自分が嫌な思いをしたら相手にもなにもできないって思ってるんですよ。愛をいっぱい持ってそこにいたいし、自分自身も愛を受けたい。自分となにかを天秤にかけたら、すぐに自分! となってしまう。だから、それを受け入れてくれる人たちが俺のともだちなのかもっていま思ったよ。
新澤:そうだと思うよ。いまわかったんだ?
テンギョー:だからやっぱり俺、らんぼうな彗星なんだ(笑)。心配したり気を遣わせたりしてしまうときもあるかもしれないけど、ともだちは俺のそういう部分を愛でてもくれているんだなって感じた。ただ、これは本当に個人的な、俺たちの関係性でしかない。ユニバーサルでもないし、汎用性もない。俺たちが無理しないで自然体でいるためにも、これはあくまで個人的な関係であるって言い続けていくしかないと思う。
俺がハーモニーやレッツを心地いいなと感じるのは、なにかを求めたりせず、そこにいる人の存在をそのまんまそこに置いておける場所になっているからなんだよね。かっちゃんや、レッツの代表の(久保田)翠さんからは、そういう場のつくり方をすることによって、関わる人の重しを外してあげられるって学ばせてもらった。だからいま、自分がいかに役立つ存在かを社会に対して証明しなければいけないようなプレッシャーを感じている人がもしいたとしたら、それは人間関係で超えていける可能性のあることだって伝えたいし、俺自身もそういうことをしたいと思ってる。
新澤:そうか。それでアフリカンジャンボリーの企画に行き着いたんだ?
テンギョー:うん。アフリカンジャンボリーっていうのは、2025年に、ハーモニーのメンバーと一緒にアフリカに行けたらいいなっていう企画なんです。ハーモニーでつくっている「幻聴妄想かるた」のことをアフリカの子どもたちに伝えるのはさすがにハードルが高いから、まずは真っ白なかるたをアフリカに持っていって、最終的には現地の子どもたちと一緒にかるたをつくって遊びたいなって。福祉施設が自分たちの活動や思いを言語化して社会に届けるのはすごく大切なことだと思うんだけど、同時に、たとえばハーモニーのメンバーの誰かがアフリカにいたとしたら、それだけで言語を超えたメッセージになる気もしていて。
福祉施設として、アーティストとして、という立場は関係なく、かっちゃんとハーモニーのメンバー、俺という個人的な関係性のなかでおもしろいことが起きるんじゃないかと期待してるんだよね。それに、そういうことがいろいろな場所で起きていけば、社会がすこし明るくなったり、個人にとっても生きづらさが和らいだりするきっかけになるんじゃないかと思ってる。
新澤:メンバーは、アフリカに行きたいって言ったのすら忘れてるかもしれないよ(笑)。
テンギョー:そうだよね(笑)。でも、ドタキャンありなのがアフリカンジャンボリーのいいところなんですよ。それこそ友情ベースだから、「ごめんちょっと行けんわ」ってなったら、「OK、全然いいよ」っていう。だからかっちゃんにもぜひ一緒にきてほしいな、アフリカ。
新澤:行こう行こう。
ともだちってなんだろう?(編集後記:垣花)
おふたりの話に立ち会って、あらためて考えました。自分にとって「ともだち」ってなんだろう?
せっかくなので今回取材に同席したメンバーが、取材を経て「ともだち」について感じたこと、考えたことについて記します。
こここ編集部 岩中さん:
新澤さんとテンギョーさんが「ともだち」をテーマにお話しするということで、「すごく面白そう!」と、同席させてもらいました。お二人のことは、話にも出ていたアートプロジェクトを通してよく知っているのですが、今回は「ともだち」としてのお二人の顔を見れて面白かったです。
なんか、「人を傷つけちゃいけない」とか「誤解を招いちゃいけない」って、発言や言動に神経質になってしまうことが自分はよくあるんですけど、正しくないかもしれないところにも自分らしさとか相手と共有できる気持ちがあるかもしれない。それを「この人だったら受け止めてくれるだろう」と思って言える関係性って、とても風通しがいい。私にとって「ともだち」は、きっとそういうことを許せる人だな、と今回の対談を聞いて思いました。
ハーモニーは、不思議と居心地のいい場所で、ハーモニーに来ている人の中に「ともだち」だと思う人もいます。それは、メンバーさんと新澤さんが、風通しのいい関係で笑ったり突っ込んだりし合っている様子を見て、私も、ここで何か頑張ってしなくてもいいんだ、という気持ちになるからかなと思います。
ライター 生湯葉さん:
一緒にいるときになにをするか。相手にどんな言葉をかけてあげられるか。ともだちとの関係について悩んだとき、20代のころはもっぱらそんなことを考えていた気がします。けれど徐々に歳を重ねるにつれ、どうやら「相手の目の前でなにをするか」だけが友情を決めるわけじゃないっぽいぞ、と思うようになってきました。だからこそ、おふたりの対談のなかで出た「不在を楽しむ」という言葉は、ストンと自分の腑に落ちるものでした。
コミュニケーションはひとと関わっているときにだけ発生するものではない、というのをこの頃よく思います。相手がいないときに、相手のことを(それがあくまで一方的な行為だと自覚した上で)どんなふうに思えるか。それを考えながらともだちと関わっていくことを、これからの楽しみにしたいなと思っています。
こここ編集部 垣花:「ただ、これは本当に個人的な、俺たちの関係性でしかない。ユニバーサルでもないし、汎用性もない」。テンギョーさんの言葉にはっとしました。企画担当だったわたしは、そもそもなぜ「ともだち」について考えたかったんだろう。どうすれば「ともだち」ができるのか、大切な人をどうすれば大切にしていけるのか、知りたかったのかもしれない。あ、そっか、「ともだち」という概念や定義を知りたかったわけじゃなかったのか。おふたりの対話を通して、やっと気づきました。人と人が出会って、一緒に過ごして、たまに思い出して、なんだか名付けられないけれど、なんとなく気にしていて。「ともだち」と名付ける必要もないかもしれなくて、でも大切で。誕生日に、本を贈ってくれたり、SNSでなんとなく気配を感じていたり、LINEで突然「いってきます、いってらっしゃい」と言い合って、それでやりとりがぷつんと途切れたり、「休む」ができたら全力で褒めあったり。個人的な関係を、わたしなりの距離で、時間で、場所で、育んでいきたい。おふたりの対話の傍らで、そんなきもちがむくむく育っておりました。
Profile
Profile
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Tengyo Kura /テンギョー・クラ
Vagabond
2001年に渡米後、2003年のモンゴルを皮切りに教師としての活動を開始。スリランカ、ノルウェー、ラトビアなどの大学・高校で教育に関わった後、インド滞在をきっかけにストーリテラーとして物語(主に記述と写真)の制作を始める。中央アジアや南米での滞在制作を経て、2017年から東京都の文化事業「TURN」に関わり、交流プログラムアーティストとして福祉施設を訪問して物語を制作した。2018年と2019年にアフリカに滞在して個人的に主にアフリカ南部諸国の障がい者との交流を行った(TURNフェス4にてアフリカ滞在中に撮影した写真を展示)。2020年から2022年まで大阪西成にあるアートNPOココルームで活動。2022年末からアフリカでの活動を再開、2023年5月現在ボツワナ全国規模でのソーシャルアートプロジェクトの導入を試みている。また2025年に本開催予定の日本とアフリカの多様なバックグラウンドを持つ人たちの交流イベント「アフリカンジャンボリー」を友情ベースで企画中。先行イベントとして5月に日本とボツワナのろう者のオンライン交流会を実施した。
- ライター:生湯葉シホ
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1992年生まれ、東京在住。フリーランスのライター/エッセイストとして、おもにWebで文章を書いています。Twitter:@chiffon_06
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