演劇は「一緒にどう生きるか」を探せるツール。〈たんぽぽの家 アートセンターHANA〉佐藤拓道さん アトリエにおじゃまします vol.02
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演劇って、人が「一緒にどう生きていくか」を考えられるツールなんです。
こう語るのは〈社会福祉法人わたぼうしの会〉が運営する〈たんぽぽの家アートセンターHANA(以下、アートセンター HANA)〉副施設長の佐藤拓道さん。佐藤さんは、アートセンターHANAで行われている演劇プログラム「HANA PLAY」の運営や演劇作品の構成演出を担当している。
プログラムに参加しているメンバーの実体験をベースに、演劇創作が行われているというHANA PLAY。そこではどんなやりとりが生まれているのか。社会福祉法人が運営する施設に演劇創作の時間があることで育まれているものとは何か。
こここ編集部は2021年10月末、佐藤さんが構成演出を手掛ける演劇公演『贅沢な時間』の稽古場を訪れた。
あるメンバーの経験から着想を得た『贅沢な時間』
『贅沢な時間』は、メンバーの一人である上埜英世さんが「引越しのときに経験したこと」から着想を得た、HANA PLAYのもっとも新しい作品。稽古場に到着した編集部に、佐藤さんはその背景を共有してくれた。
英世さんが一人暮らしをはじめて半年ほど経ったときに、偶然ひとりの時間が生まれたそうなんです。日常生活にも介助が必要な英世さんにとって、そばに誰もいない時間を自由にもつのはなかなか難しい。でも、そのときはたまたまひとりになったらしくて。
目の前には冷蔵庫が置いてある。ふと思い立ち、なんとか自分だけで移動して冷蔵庫を開けてみると、エビ風味のおかきが入っていた。そのときに食べたおかきの味が忘れられない……そんな話をしてもらったことがあって、ずっと覚えていたんです。
佐藤さんは演劇プログラムの運営を担うだけではなく、アートセンターHANAのスタッフとして、そこに通ってくる障害のあるメンバー一人ひとりの介助にも携わる。そのため、英世さんの話を面白いと思うだけではなく、自身の行いを省みる機会としても捉えていた。
メンバーそれぞれが、いろんなプログラムに参加するので、僕もつい「この時間で収めよう」と一つひとつの行動を急かしてしまうんです。トイレに行くこと一つとっても、早く効率よく動けるように、こちらから「そろそろ行こうか?」と声をかけてしまうこともあって。
本来だったら、一人ひとりが「ここに行きたい」と発信してから、僕らがそれに応えていく方がいい。そうしたい気持ちは常にあるのだけれど、どうしても時間制限や効率よくすることに目を奪われて、後悔することがあるんです。
そう考えたときに、英世さんが「自分だけの1時間」を経験したのは、とても大切なことだったんだろうなと思って。それを軸に据えながら、創作をしてみたいと考えました。
既存のやり方に合わせるのではなく、その人のあり方を面白がる
HANA PLAYのメンバーと創作を共にするなかで、大切にしていることは何か。佐藤さんに尋ねると、「既存の演劇のやり方にメンバーを無理やり近づけようとしないこと」と言葉が返ってきた。
演劇のあり方は多種多様に存在するものの、作品の多くは「健常者が観ること・演じること」が想定されている。オーディションの募集要項などに「心身ともに健康な方」と、半ば無自覚に書かれていることもまだまだ多い。
その文脈に沿って技術を高め、表現を突き詰めていくことに、佐藤さんは違和感があるという。
既存の演劇に合わせるのではなく、演劇の視点を活用して、その人ができる「その人なりのやり方」に目を向けることが大事だと思っているんです。その人がもつ時間軸や物語があることを忘れずに、それも大切な表現だと捉えて伝える方法を考えたり。
もちろん、僕自身のなかにも固定観念はいくつもあって、「これは面白くないんじゃないか」と不安になることがあります。たとえば、会話や移動の速度が遅いシーンだと、どうしても「観ている人が退屈しないかな……」と考えてしまいそうになる。
でも、これまで観たものや自分自身の限られたものさしでしか見ていないから、遅いと感じているのかもしれないですよね。固定観念の外にどう出るか、できるだけ頭を柔らかくして考えるよう意識しています。
演劇を通して、その人のやり方・あり方を面白がる。こうした考えは、佐藤さんが俳優として、さまざまな演劇作品に携わるなかで育まれていった。
僕は脳性麻痺で、小学校のときから足が悪くて。同級生から、横目に見られたり、指さされたり、真似されたりすることが多く、もともととあまり目立ちたくはなかったんです。でも一方で、「目立ちたくないと思ってしまっている自分」も嫌で。映画とか演劇のように、思いっきり他者に見られる環境に飛び込んでみれば克服できるかもしれないと、ある劇団に携わりはじめました。
そうして作品で演じる登場人物のことを考えたり、「それを自分が演じると観客からどう見えるのか」を俯瞰してみたりするなかで、誰かが僕のことを見るのは、単純に排除したくて見ているのではない、ということに気づくようになります。劇作家・演出家の野田秀樹さんのところにお世話になったときには、「なぜその身体を使わないんだ。もっと賢くなれ!」と言われたこともあって。
「そんなこと言われたってわからない」って思ったんですけど、しばらくして、無意識に健常者と一緒になろうとしていたことに気付いて。俳優として「他の人たちと同じぐらい動かなきゃ」という思い込みを、ちょっと外せるようになったんです。
しかし、さまざまな作品に携わるなかで気づきを得ていくものの、出演した作品において「あの登場人物はなんで足が悪いんですか?」「足の悪い演技が上手でした」とアンケートに書かれることもあった。
「障害がある登場人物」が出てくると、何か物語性を帯びるようなことを観客は求めてしまうとわかって。でも、「障害があるのは、実は昔こういうことがあって……」と説明を加えなくても、そのまま、その世界にいてもいいじゃないかと僕は思ったんです。
ある作品に出ていたときのアフタートークで「なぜ〇〇役は足が悪いんですか?」と聞いてくれたお客さんがいて、演出家が「彼の足が悪いからです」と返していたのを目の当たりにしたのも、そういった考えをするきっかけのひとつでした。
作品において、障害がある人が当たり前にいることは何も不思議じゃないし、不自然じゃない。実際に、そこにいるんですから。
その人の「存在」の向こうに、風景が見えてくる
こうした佐藤さんの思いは、HANA PLAYでも実践されている。そのひとつが、「メンバーの日常エピソード」を起点に作品を組み立てていくことだ。
せっかく演劇をするのであれば、もっと自分ごとにしてもらいたいし、自ら「これをやりたい」と思いながら演じてもらいたい。そこで、当初は僕がこれまで経験してきたワークショップをいろいろ試して、メンバーに合っているものを探していきました。
あるときメンバーそれぞれの日常を、エピソードとして集めてみたことがあって。すると、これがすごく面白い。演じてみても、生き生きと体が動くので、その方向で作品をつくってみようとなったんです。
そうして生まれたのが、2018年に上演された『僕がうまれた日』だ。メンバーたちがこれまで実際に経験した出来事と、数年前に亡くなったかつてのメンバーの人生が重なり合う、約57分の舞台作品。オンライン型劇場〈THEATRE for ALL〉で、現在も視聴できる。
稽古を進める上で大切にしていることを尋ねると「演じさせすぎないこと。あとは『失敗してもいいよ』と言い続けること」と、佐藤さん。
人から見られることには、どうしても恥ずかしさや緊張がつきまとう。そこでやるべきことを増やしてしまうと、どんどん体が強張り、地に足がつかなくなってしまうからだ。
どちらかと言えば「台詞をうまくしゃべること」よりも、「その状況において、どんなイメージが見えているのか」や「そこに自分が存在していること」を僕は大事にしたいし、みなさんにもしてほしいと思っています。セリフの正確性にはこだわっていなくて、だいたい合っていればいいかなと(笑)。
決まりごとをなぞるのではなく、自分が何かをイメージできていれば、体は勝手に動いてきます。すると、台詞が多少違ったとしても、その人の向こうに何か「風景のようなもの」が見えてくると、僕は思うんです。
『僕がうまれた日』も今回の『贅沢な時間』も、基本的にはメンバー自身が語ってくれたエピソードを、自らが演じる形をとる。それは「自分を表現する」ことにつながる一方で、不特定多数の人に自分の個人的な経験を開示することにもなり得る。
佐藤さんはそのリスクを踏まえたうえで、脚本づくりでは「作品にしていいか、何度も尋ねている」と話す。
話を聞いて、そこからストーリーをつくると、すごく生き生きと演じてくれます。でも、それは「メンバーは面白がってくれたけど、実は自分がまだ傷ついていて、多くの人に共有したい話ではない」可能性がある。
ここはすごく気をつけるようにしていて、「あの話って本当にしていいですか?」と頻度高く聞くようにしているんです。僕は稽古場だけではなく、スタッフとして日々ずっと一緒に過ごしているので、そうしたコミュニケーションも取りやすいなと感じています。
一緒にどう生きていくかを考える、ツールとしての「演劇」
そうして生まれた作品は、演出する上でも「わかりやすく観客に近づけるのではなく、メンバーそれぞれのやり方・あり方を意識している」と佐藤さんは語る。
たとえば『僕がうまれた日』の場合。観客の中には、発声や発語に障害のあるメンバーのセリフが、聞き取りづらいこともある。要所でスクリーンを活用したり、パンフレットに台本を載せたりと一定のサポートは行いつつも、セリフのすべてを舞台上に字幕で流すことはしなかった。そのことを含めた“わからなさ”を残すことにも意味があると考えたからだ。
彼らが一生懸命伝えようとしていることを、普段周りにいる僕らも1日通してやっとわかる場合もある。このことを、見ている方にも追体験してほしいと考えたんです。
もちろん、物語の内容もある程度理解してもらいたいとは思うんですが、それ以上に「息遣い」や「緊張感」など、そこにある生きたエネルギーが伝わることを大切にしたかった。全てをつまびらかにして“わかった”と思ってもらうのではなく、“わからなさ”を抱えたまま、部分的にわかることを大事にしようと思ったんですね。
そうしたまなざしを佐藤さんが向けられる背景にも、稽古場だけではなく、日常の時間を多くをメンバーと共にしていることが大きく影響している。時にはトイレの中で、介助をしながら「突然セリフ合わせが始まることもあります(笑)」と佐藤さんは話すが、そのことは創作だけではなく、日々のケアにも生きていた。
メンバーと一緒に創作することを日々考えていると、相手の「ここが好きだな」「美しいな」という仕草がより見えてくるんですよ。それを、できるだけたくさん紹介したい気持ちにもなるんです。
HANA PLAYを通じてそういう関係性がつくれることは、ケアの仕事そのものにも生きているかもしれません。演劇を「楽しく拡張しよう」とする発想が、ケアをするか、されるかの立場を超えたいい作用をもたらしてくれるなと感じています。
演劇のまなざしがあることで、新しい発見や日々の関係に変化を生むHANA PLAYのプログラム。変化は直接関わり合う人だけでなく、障害の有無を超えて多くの人にとっての「気づき」と育んでいく。
たとえば施設の外で実施する公演によって、メンバーが「施設以外の場所」にどんどん出ていけるようになったという。
かつての僕もそうでしたが、自分の体を素直に見せることができれば、「こういう障害があるんだよ」といろんな人に知ってもらう機会になるのがわかります。
また、一緒に創作したり、演劇ワークショップをする機会があると、実際に触れ合いながら出会える。そこで気づけることがたくさんあると思うんです。
障害がないからこれができる、あるからこれができない……とわけていくのではなく、それぞれの特徴を生かして何ができるかを、演劇を通じて模索する。その現場には、人と人とが互いを理解しあうための大切な視点があるのでは、と佐藤さんの話を聞くほどに感じられる。
体を通じて、一人ひとりとコミュニケーションをしていくこと。相手の動きを見ながら、どう反応を返そうかと考えること。場面設定を通じて、他者への想像を膨らませること——。こうした演劇に潜む応答性から私たちが学べるものは、たくさんあるのだろう。
演劇って、「人と人が一緒にどう生きていくのか」を考えられるツールなんです。そういう意味での演劇の発想や方法が広がれば、社会のさまざまな場面で、いろんな人がもっと柔軟な視点で考えられるようになるんじゃないかと思うんですね。
何かを上手くやるとか、人前でいい演技と呼ばれるものすることも大事だとは思いますが、それだけじゃないのかなと。人同士が“わからなさ”を許容しあったり、触ることを通じて気づきあったりもできる。
もしかすると、それは必ずしも外に開く必要はないものかもしれない。何かに気づくきっかけを作るために内輪だけでやることにも、僕は十分価値があると考えています。
Profile
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たんぽぽの家 アートセンターHANA
コミュニティ・アートセンター
すべての人がアートを通じて自由に自分を表現したり、互いの感性を交感することができるコミュニティ・アートセンター。障害のある人たちが自分の得意なことを生かして働き、興味や関心のあることを学び、それを人に発信・共有できる社会づくりに取り組む。アートセンターHANAには、障害のある人たちによるビジュアルアーツやパフォーミングアーツのスタジオ、今を生きる人たちの表現を紹介するギャラリー、コミュニケーションの場としてのカフェ&ショップ、アートの可能性について探求するインフォメーションセンターやミーティングルームが用意されている。たんぽぽの家と連携して活動を展開。
- ライター:佐々木 将史
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1983年生まれ。編集者。保育・幼児教育の出版社に10年勤め、’17に滋賀へ移住。保育・福祉をベースに、さまざまな領域での情報発信、広報、経営者の専属編集業などを行う。個人向けのインタビューサービス「このひより」の共同代表。保育士で4児(双子×双子)の父。2021年8月よりこここ編集部に参画、以降は執筆ではなく主に企画・編集側を担当。
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連載:アトリエにおじゃまします
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