ああ、どれもこれも、はやすぎる。「あらゆるものが、はやすぎる」をテーマにさまざまな方にエッセイを寄稿いただく連載です。今回は、文筆家である絶対に終電を逃さない女さんに綴っていただきました。(こここ編集部 垣花)
あらゆるものが、はやすぎる。連載タイトルをそのまま書き出しに持ってくるのは安直かもしれないが、私は本当に、あらゆるものがはやすぎると普段から感じている自信があるので、堂々と書き出しにさせてもらう。
小学校2年生のときの担任は給食を残すことを許さない方針で、私はほぼ毎日、給食後の掃除の時間まで食べている組の1人だった。たいていは10分遅れくらいで済んでいたのだが、ある日ついに掃除の時間が終わるまで食べ終わらず、同じ班の子に「なんで掃除来なかったの?」と責められたこともある。多少の好き嫌いはあったものの、とにかく食べるのが遅かった。外食でも「まだ食ってるのか」と父によく叱られた。
あらゆることが遅かった。体育の着替えにも時間がかかっていつもギリギリだったし、絵や工作や裁縫も、完成までみんなより2倍は時間をかけていた。50m走も高校まで11秒台だった。
一人暮らしを始めてからは、家具の組み立てや料理にも信じられないほど時間がかかった。やがて説明書やレシピの所要時間を確認しては「普通の人で30分ということは、私なら1時間はかかるな」などと、人並みの0.5倍速を目安に取り組むようになった。
当然、仕事も遅い。大学時代には企業でライターのアルバイトをしていたが、1つの記事を仕上げるまでに同じ大学生バイトの2〜3倍の時間がかかっていた。そこはある事業で巨万の富を築いた社長が道楽でやっている会社だと囁かれており、「終電さんは個性的で良いねえ」という社長の一言だけで、ポンコツの私にも居場所を与えられていたのだった。大学卒業後はフリーランスで文筆業をしているが、同業の方と話すとその筆の速さに驚かされる。だいたい私の2〜3倍は速い。
大人になってからはやくなったこともある。食べるのは随分と速くなった。どんな食事であれ遅くとも1時間以内には食べ終わるし、中高時代と比べて2〜3倍のスピードが出ていると思う。人と一緒に食事をしてもそこまで差を感じない。
しかし、3年前、祖母と高野山の宿坊ツアーに参加した時のこと。参加者は高齢者ばかりで、ちょうど1クラスと同じ40人くらいだった。そこで私は、唯一の若者でありながら、朝食も昼食も夕食も、毎回最後の一人になってしまった。嫌いな食べ物があったわけでも、口に合わないわけでも、量が多すぎるわけでもなかった。ただ、普通にいつものペースで食べていたら、一人、また一人と退室していき、誰もいなくなっていたのだ。
こどもの頃と、何も変わっていないじゃないか。なんで掃除来なかったの? 教室の後ろに寄せられた机と椅子に拷問のように挟まれて、箒で掃かれて舞う埃の中で一人、黙々と給食を口に運び続けた、あの日のままだ。私は本当に大人になったのだろうか。友人と食事をしてもそれほど遅いと感じないのは、みんなが合わせてくれているからだったのだろうか。
こどもの頃は「のんびり屋さん」とよく言われたが、大人ののんびり屋さんは許されない。のんびり屋さんという概念自体が失われ、何も言われなくなり、ただ静かに社会から置いていかれる気がする。
そんな、あらゆることが遅すぎる私の人生を支える言葉がある。
「ゆっくりでいい、人と比べなくていい」
保育園の卒園式の日に母がくれた手紙は、確かイルカが描かれた水色の便箋だった。とっくに紛失してしまい全文は覚えていないが、その一言だけは、25年もの時が流れても、決して消えることがない。
保育園では着替えや食べるのが遅いだけでなく、あらゆる点でずれていた。毎朝送ってくれる母と離れたくないと泣きじゃくった挙句に不登園となり、年長から通えるようになったものの、いつも一人で行動していた。ままごとにも鬼ごっこにも興味を持てず、ひたすら一人で泥団子を磨き、雲梯を何往復もし、パズルに興じていた。クラスの子の色鉛筆セットを誤って落としてしまい、「ごめんね」の一言が言えなくて大泣きした。毎月の誕生月の子を祝う会での質問コーナーで「クラスで好きな子は?」というお決まりの質問があり、みんな仲の良い子を数人挙げていたのに、1年間通して私の名前が挙がることは一度もなかった。運動会のダンスでは棒立ちだった。保育園で撮られた写真に写る私は、どれも痛々しいほどに強張った顔をしている。
3年前に一人暮らしにしては広めの家に引っ越してから、時々母が泊まりに来るようになった。「ちょっとずつ進歩してるね」と、部屋を見渡して母は言う。引っ越して1年経っても未開封の段ボールがあり、2年経っても電子レンジは床に置いたままで、3年経っても洗濯洗剤を床に置いて使っている部屋である。
何も進んでいないわけではない。引っ越して1年近く経った頃に本棚を買って押し入れに詰め込んでいた本を並べ、1年半経った頃にキッチンワゴンを買ってシンク横に適当に置いていた食器を片付け、その少しあとにはハンガーラックを買って部屋じゅうの長押に掛けていた服を並べた。母はまだ見ていないが去年電子レンジを置く棚も買った。段ボールも徐々に減っている。
母は散らかっている部分や風呂のカビについては何も言わない。進んでいない部分よりも進んでいる部分に目を向けてくれる。ゆっくりでも進んでいる部分に。
一緒に食事をすれば、「食べるの早くなったね」と、母はいつも褒めてくれる。人と比べればまだまだ遅いし、母と比べても遅いが、こどもの頃と比べれば早くなったのは確かである。早くなっておよそ10年、一緒に食事をするたびに、母は飽きもせず感心して見せるのだ。私は結婚もせず経済的自立もおぼつかない、食べるのが遅い30歳である。結婚や恋人の有無を聞かれることすらなく、将来について説教されることもなく、食べるのが早くなったというだけで褒めてもらえる私は、幸せ者だと思う。
母は決して、私のように“遅い”タイプではない。どちらかというと要領良くテキパキ動ける人である。母のおかげで実家は常に綺麗に保たれ、食事は毎日三食欠かさず用意され、遠足の弁当は決まって同級生に「綺麗で美味しそう」と言われ、おまけに「お母さん綺麗だね」と容姿までよく褒められた。それでいて専業主婦ではなく仕事もしていた。
だから母は私に共感できるはずがない。理解してもらえているとも思わないし、理解しようとしてくれているとも感じない。私の言動にぽかんとしている様子を、今でもよく見る。
私はそんな母を尊敬している。母からすれば、若くして生んだこどもが、自分と真逆の性格で、奇行を繰り返し、学校では友人ができず、どう見ても将来普通に働いたり家庭を持ったりできないであろう感じに育っていったわけで、そんな状況にもかかわらず、私は母に叱られたり呆れられたりした記憶がほとんどないのだ。
保育園に行きたくなくて眠れなかった夜、母は私を励ますわけでもなく、説教するわけでもなく、近所の公園に連れて行った。二人でベンチに座って手作りのおにぎりを食べ、向かいのマンションの明かりを眺めながら、「あの部屋の人はお風呂入ってるのかな」などと話した。ただそれだけだった。妙に安心して、帰って眠りについたのを覚えている。
母はそういう人だった。運動会のダンスができないことを祖父母に叱られた時も「そういう子もいるの」とかばってくれ、小学生の頃は「友達なんていなくていいじゃん。ただ一緒に授業を受けるだけの子たちだと思えば」と言ってくれた。学校のことも私から話さない限り聞かないでいてくれた。
私の母は、さかなクンや黒柳徹子の母親と同じタイプだと思う。どんなに“変わった子”でも、こどもの意志や個性を尊重して見守り、才能を信じて育てる。私にもっと才能があれば、さかなクンや黒柳徹子レベルのとんでもない天才が生まれていたに違いない。
共感や理解はできなくても、人は他者を尊重したり、優しくしたりできる。そういう姿勢を私は母から学んだ。母は私のことを全然わかっていない。わかっていなくても、優しい。よくわからないけどこの子がそう言うならそうなのだろう、という尊重がある。こどもの頃は理解してもらえなくて不満だったこともゼロではないが、今は母に理解してほしいとまったく思わない。必要がない。わかってもらえなくても困っていないし、わかってもらえなくても愛されている。十分すぎるくらいに。
最近、多忙ゆえに急ぎがちで、仕事や日常生活でのケアレスミスが如実に増えた。私は何事においても基本的に、急ぐとあらゆる失敗をする。逆に言うとゆっくり行動することで失敗を防いでいるのだ。
そして失敗だけでなく、急ぐことで物事への観察や思考なども雑になっていることに気がついた。私はマイペースにのんびり生きることで、あらゆるものに丁寧に向き合い、それをエッセイという仕事にもしてきたのだと実感した。のんびり屋が仕事になっていたのだ。
こないだ友人と、「何らかのコミュニティでの共同作業でのんびりしてると、やる気がないと思われるから多少無理してでもスピードを上げたほうがいい。それでミスが増えても、この人頑張ってるけど不器用なんだな程度には思ってもらえる」というような話になった。私は共同作業をするような仕事に就いていないので幸いそうした機会自体ないのだが、あるとしたら確かに私が失敗しないスピードで作業をするとやる気がないように見えてイライラされたり嫌われたりしやすいのは事実だし、急いでミスをするほうが一般社会での処世術としてはベターであることも同意する。
でも、お母さんがゆっくりでいいって言ってくれたしな、とも思う。効率性や生産性ばかりが評価されがちな社会で、堂々とのんびり屋をやれる人は、そうそういない。周りのスピードに合わせようとして苦しんでいる人もたくさんいる。私が人と比べずにゆっくり生きられることは、母から貰った最高のギフトである。親から貰った大事な身体ならぬ、大事なメンタルを、守っていきたい。
ここ数年で、私の精神年齢や社会性はやっと中学生くらいに発達してきたと感じている。やはり人の2倍ほどの時間がかかっている。でもお母さんが、ゆっくりでいい、人と比べなくていい、って言ってくれたから、まあいっか、と思う。







