
「ミックスルーツ」から外見に基づく差別を考える。社会学者 田口ローレンス吉孝さんをたずねて 「ルッキズム」に立ち止まる|NPO法人マイフェイス・マイスタイル vol.03
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人を見た目で差別してはいけない。その通りだと思う。
しかし、なにが差別にあたるのか、どのような構造において差別が起こってしまうのか説明できるかと言われると難しい。
人を見た目で差別してはいけない。この言葉が、個人の「思いやり」や「やさしさ」のみに託されてしまうと、本質的な問題が隠されてしまう場合もある。
この連載では、「見た目問題」の解決を目指すNPO法人マイフェイスマイスタイル代表 外川浩子さんと、口唇口蓋裂の当事者支援を行うNPO法人笑みだち会代表 小林えみかさんと共に「ルッキズム」という言葉が何を指すのか、社会において「美しさ」の基準はどのようにつくられているのかなど、さまざまな専門家をたずねながら考えます。
第三回は、社会学者であり「複数ルーツの人々のアンケート調査委員会」メンバーで『「ハーフ」ってなんだろう? あなたと考えたいイメージと現実』著者の田口ローレンス吉孝さんにお話を伺いました。
ルッキズムをどう捉えていますか?
外川浩子さん(以下、外川):この連載ではルッキズムを「外見に基づく差別」と捉えています。ただ、世間一般では「外見が良い人を優遇する」といった広い意味で使われることも多いですよね。田口さんは「ルッキズム」という言葉をどう捉えていますか?
田口ローレンス吉孝さん(以下、田口):外見に現れているものによって相手を判断し、それが何かしらの構造的な排除とか抑圧に結びつく状態を指す言葉が「ルッキズム」だと考えています。「差別」という枠組みの中で、ルッキング(Looking)にフォーカスしたものだと思うんです。
外川:構造的な排除や抑圧ですか?
田口:はい。相手の外見や身体的な部分を見て「この人はこういう人かな」と頭の中で思ったり、判断したりすることは、生活の中で誰でも起こります。それが即、差別というわけではありません。問題は、その判断が学校、職場、医療機関、バスや映画館など公共空間で、特定の人を排除したり、アクセスしにくい状況をつくったりしてしまうことです。
外川:たとえば「ドイツ人は生真面目だ」みたいな、無意識に植え付けられたイメージがあるとします。それ自体というより、その偏ったイメージに基づいて、排除する方向に力が働くことが問題なんですね。
田口:はい。固定観念に基づく排除や抑圧を、個人の心の問題として片付けるのではなく、そう思わせてしまう社会構造に目を向ける必要があります。
以前、イランにルーツをもつ人にインタビューする機会がありました。その方がアルバイトの面接で、自身のルーツについて面接官に話したそうなんです。すると「イランはやっぱり規律とか戒律とか厳しくない?」「バイト遅い時間まであるけど門限は大丈夫?」「お父さん厳しくない?」とか、家庭環境について面接官が執拗に聞いてきた。結局どうなったかというと、不採用だったと。
もちろん他の理由があるのかもしれないけれど、社会によって植え付けられたルーツにまつわる偏見が思い浮かんで、それを目の前にいる相手に直接結びつけて、就職から排除する要因になっています。
外川:その人のスキルではなく、ルーツから勝手にイメージされた「家庭の厳しさ」が、採用の判断に影響しているかもしれない、と。
「見た目」の症状がある人にも、同じロジックが働くことがあります。たとえば、顔に赤アザがある人が面接に来たときに、「きっとアザがあることで苦労しているだろうから、性格は暗いだろう」とか「人付き合いができないだろう」と勝手にイメージを押し付けられて、採用上の優先順位がさがる。結構よく聞く話です。
田口:かなり似ている属性の人が二人いた場合を考えてみるとイメージがしやすくなります。たとえば女性で30代、一人はイランにルーツがある方、もう一人はミックスルーツではない。一方は「親が厳しいかどうか」執拗に聞かれて不採用、もう一方は全く聞かれずスムーズに採用される。
社会的につくられたイメージや偏見によって、排除されない人がいる一方で、それが理由で排除されてしまう人がいる。宗教もそうですね。宗教も外見にルッキングとして現れる場合があります。たとえばヒジャブをつけてると差別されてしまうとか。
「ルッキズム」が話題にあがるとき、外見的な好みの問題と混同されがちですが、特定の属性をもつ人が社会的に不利益を被り続ける「不公正な状態」があることに、もっと注意深くあるべきだと思うんです。
「ミックスルーツ」の人たちは、どのように扱われてきた?
外川:これまで日本において、複数の国や文化にルーツをもつ「ミックスルーツ」の人たちは、どのように扱われてきたのでしょう。
田口:見た目という点からすると、かなり多様なんですよね。言葉で説明するのは難しいので構造的な部分を先に説明できればと思います。
日本社会には、「日本人」の風貌はこうだっていうイメージがあります。同時に「日本人ではない人」を「外国人」と捉え、「こういう見た目をしている」というイメージをもっています。
全く同じではないんですけれど、外見をジェンダーという視点でみた場合にも似ていることが起こっています。例えば、男女二元論が前提とされがちな社会において、日常的に、目の前にいる人を「男性」か「女性」か瞬時に判断して、いろんなことを振り分けたりしてしまう。「男」か「女」か、「日本人」か「外国人」というように、二つのどちらかに峻別しようとする動きが外見に基づいて起こりがちです。
私自身も子どもの頃、「ハーフ」である母親の顔を見て「うちのお母さんの見た目って日本人っぽくないな」と思ってしまったことがあります。自分の母親に対しても「日本人はこういうもの」「外国人はこういうもの」と見てしまっていた。人種あるいは民族にかかわる見た目の二分法は、すごく強力にあるんです。
外川:「ミックスルーツ」の人たちが、その二分法によって被っている苦労はどのようなものがあるのでしょうか?
田口:大きく分けて2つのパターンがあります。1つは、見た目から「外国人」と思われてしまう人たち。日本で生まれて育っているにもかかわらず「日本人」とはみなされず、差別されたり抑圧を受けたりする。
もう1つは、見た目から「日本人」だと思われる人たち。
具体的に言うと、東アジアにルーツがある人が多いかもしれません。自分のルーツを知らない人たちが、目の前でそのルーツに対して差別的な発言をする。そんな場面に出くわしてしまうことがあります。また「カミングアウト」をするか悩んでいたり、しなければいけないプレッシャーを感じていたりします。
さらに複雑なのは、ミックスルーツだとわかりやすいルッキングだと、商業的、あるいは政治的に使われる瞬間があることです。東京オリンピックの聖火ランナーをつとめた大坂なおみさんやプロバスケ選手の八村塁さんが象徴的ですが「多様性を示すアイコン」として取り上げられる。でもミックスルーツの人に対して日常的にある構造的な排除や人権を守るための法整備はされず、野放しにされたままなんです。
垣花つや子(以下、垣花):対外的なアピールでは表面的に都合よく使って、問題のある環境や構造は変えようとはなっていない、と。
小林えみか(以下、小林):今ふと思ったんですけど、SNS等で「ハーフっぽい」メイクや外見がポジティブな要素として取り上げられたり、そう言われることをプラスだと捉える風潮がありますよね。
田口:社会の中に「ハーフっぽい」というイメージがあると思うんです。「中産階級の白人女性」のような外見が「ハーフっぽい」によく結びつけられてきた背景があります。
ハーフという言葉自体は1970年代頃から流行した言葉だと言われています。当時白人系の「ハーフ」の女性たちを集めたアイドルグループ「ゴールデン・ハーフ」がつくられ、「ハーフ」という言葉が生まれました。それゆえに、そのイメージがすごく結びついている。他にもさまざまな背景はあるのですが、白人系の「ハーフ」がなんとなくすごくいいものと表示されて、そうなりたいと思わせるように社会でつくられ、商品化されているんです。
日々存在するマイクロアグレッション
外川:社会的な構造の問題があるのに、多くの人は「別にハーフの人たちってそんなに困ってないでしょ」って思っている気がします。
田口:実際にそういう発言はすごくありますよね。芸能界では「日本人より活躍しているじゃん、だから問題ないでしょ」みたいな。そういう偏見をもとにした言動、行動である「マイクロアグレッション」は、日常でたくさん起こっています。
田口:「他のカテゴリや属性に比べたら問題は少ないんじゃないか」と言われることもありますね。アカデミアでも、軽く扱われがちな存在でしたし、これまであまり研究されてきませんでした。でもそもそも困難な状況を他の属性と比較する方向で話されることが根本的におかしい。
母は私に対して「いや、なんかモテたよ、人生も大変なことはなかったよ」と言うんです。実際は、常に「外国人」として扱われて、いつまでたっても「日本人」にはなれなかった。気にしないようにしてるだけで、マイクロアグレッションは日々起きていて。構造的な排除もそうですけれども、メンタルヘルスにも深刻な影響を及ぼしているんです。
2024年にソーシャルワークを専門とするトロント大学の市川ヴィヴェカさんと「日本において複数の民族・人種にルーツがある人々についてのアンケート調査」をしました。その結果、傾向としてはかなり深刻な状況がいろいろわかってきました。
外川:「調査からわかった7つの現実」というレポートを出されていますけど、見た目の症状がある人たちと同じだと感じました。
外川:たとえば「マイクロアグレッションを受ける割合が高い(経験者は全体の98%、1ヶ月以内に1度以上経験する人は68%)」とありますけど、もう本当にそう。見た目の症状は障害じゃないし、「気の持ちようでしょう」みたいな言い方をされたり。
小林:本当にそうですね。「病気なの? 障害なの?」と二者択一を迫られたり、こちらの困難を軽く見積もられたりすることは、多くあります。
田口:「本人が気にしなければいい」もそうですよね。そう言った発言は、当事者が直面している困難を「無効化」してしまう可能性があるんです。
マイクロアグレッションは言動だけじゃなく、行動も含まれます。たとえばカーリーヘアの人が、同意なく勝手に髪を触られた経験を教えてもらったことがあります。「可愛いからいいじゃん」と触る側は言いますが、同意無しで体に触るってそもそもおかしいですよね。その方は「自分が動物園の動物や、博物館の展示物のように扱われている」と感じたと言っていました。
外川:「モノ化」されているわけですね。
田口:はい。そこには圧倒的な力関係があります。「マジョリティが理解するために、マイノリティはなんでも答えなければならない、触らせなければならない」という無言の圧力です。「なにじん?(What are you?)」という質問も同様で、相手を自分たちとは違う「何者か」としてカテゴリに押し込めようとする暴力性があるんです。
垣花:カテゴリに押し込める力は、物語の世界にもありますよね。漫画『半分姉弟』のなかにも絵本『スイミー』のような話があったなと。
田口:黒い魚の話ですね。赤い魚たちのなかで自分だけ色が違うから仲間に入れてもらえない。でもその集団で役割を見つけて、共通の敵を追い払う。一見いい話に見えますが、要するに集団の役にたたないと排除されてしまう構造が前提となっている。
外川:集団に受け入れてもらうためには、有用でなければいけない。
田口:そうです。「スポーツができる」「勉強ができる」など突出した能力があってはじめて社会の一員として受け入れられる。そうでなければいけない。そのプレッシャーが常にかかっている状況なんです。
「今の発言やふるまいはよくなかったかもしれない」と立ち止まる
外川:こうした構造を変えるために、なにができるのでしょうか。「これはダメ」というハウツーを求める人も多いような気がします。
田口:知識として、なにがダメか知ることはとても重要です。
垣花:報告書に「マイクロアグレッションの背景にある5つの要点」が記されていた背景を知ることも大切なんじゃないかと思っています。
田口:ただ、ハウツー形式で伝えると、それを覚えて考えるのをやめてしまう場合もありますよね。マイクロアグレッションを学んで、コミュニケーションのハードルがあがったという声も聞きます。
垣花:場合によっては「腫れ物」として距離をおく対応になってしまう人もいるかもしれません。
田口:そこで考えたいのは、そもそも相手を絶対に傷つけないコミュニケーションは難しい、コミュニケーションには必然的に傷つく可能性が含まれているんじゃないか、ということです。親密な関係であればあるほど、接している時間が長ければ長いほど、そういうことも起きやすい気がします。私もどういうコミュニケーションが正解か、わからないんです。
大切なのは、傷つけてしまったり、なにかが起こったときに「今の発言やふるまいはよくなかったかもしれない」と立ち止まり、その場で話し合える関係性をつくっておくことだと思うんです。マイクロアグレッションをしたから一発退場ではなく、一旦立ち止まって話をしてみる。そういう場をつくることが大切なんじゃないかなと。
外川:田口さんが執筆された書籍『「ハーフ」ってなんだろう?: あなたと考えたいイメージと現実』にインタビューで登場するあんなさんが紹介されていた「初対面カード」の話を思い出しました。
垣花:表面には「ハーフですか?」など、よく聞かれる質問とそれに対する答えが書いてある。裏側には、次のメッセージが綴られています。
外川:見た目問題の当事者も、よく聞かれる質問が結構あるって言っていて。今度それについて話をしてみたいと思っています。
田口:それぞれが自分のケース版のものをつくってみたら、見えてくるものもある気がします。
外川:たしかに! そうですね。
田口:あるカテゴリに属していても、そのなかで全員が全員同じ経験をするわけではないですよね。でも似た経験と言えるものもたしかにある。差別が起きやすい構造とか枠組みをみたときに「ミックスルーツ」と「見た目問題」の当事者の経験は、重なり合う部分があるのだと思いました。
話せば話すほど、共通の部分と差異の部分が出てくる。それが大事な気がします。それぞれの経験をどんどん可視化していくと、共通点もすごく出てくるし、それがゆくゆくは日本社会がどういう状況にあるかを浮き上がらせていくことにもつながる。全部が理解できるわけではないんだけど、以前よりも理解が進んでいくんじゃないかと思っています。
「日本における複数の民族・人種等のルーツがある人々のアンケート調査結果」
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Profile
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外川浩子
NPO法人マイフェイス・マイスタイル(MFMS)代表
東京都墨田区生まれ。20代の頃につきあった男性の顔に大きな火傷の痕があったことがきっかけで、見た目の問題に関心をもつようになる。一緒に街を歩いているときも、電車に乗っているときも、たくさんの人たちの視線を感じ、「人って、こんなに無遠慮に見てくるんだ!?」という驚きと、見られ続けるストレスにショックを受ける。2006年、実弟の外川正行とマイフェイス・マイスタイルを設立。見た目に目立つ症状をもつ人たちがぶつかる困難を「見た目問題」と名づけ、交流会や講演などを通して問題解決をめざし、「人生は、見た目ではなく、人と人のつながりで決まる」と伝え続けている。著書『人は見た目!と言うけれど――私の顔で、自分らしく』(岩波ジュニア新書、2020年)。作家水野敬也さんとともに『顔ニモマケズ』刊行(文響社、2017年)




