福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】住宅街の青い建物の前で、たくさん子どもたち。中央では女の子がキックボードに乗り、他にもさまざまな年齢の子が思い思いにあそぶ【写真】住宅街の青い建物の前で、たくさん子どもたち。中央では女の子がキックボードに乗り、他にもさまざまな年齢の子が思い思いにあそぶ

個人経営のブラジル人学校ってどんなところ? 0〜18歳が通う「サンタナ学園」の日常 こここ訪問記 vol.21

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公式には「移民政策」をとっていない日本。しかし、さまざまな形で外国人労働者の受け入れは急増しており、在留外国人数は2025年末時点で412万5,395人と過去最高を更新しました。

こうした話題はよく「労働力」の側面で語られますが、一方でその一人ひとりは、異国で暮らす「生活者」でもあります。家族とともに日本に滞在することも珍しくないなか、特に子どもたちは、親が生きてきた環境と異なる文化圏で育ちながら、母国の言葉や文化を勉強することになります。

滋賀県愛荘町にある「サンタナ学園」は、そんな子どもたちが通う場の一つ。日系ブラジル人二世である中田ケンコさんが校長を務める、個人経営のブラジル人学校です。

サンタナ学園はどのように生まれ、どんな子どもたちが利用しているのでしょうか。在留外国人を取り巻く環境が変化するなか、ここがブラジルにルーツのある子どもや保護者にとって大切な“セーフティネット”になっている理由をたずねに、現地へと向かいました。

住宅地の奥に連なる、鮮やかなブルーの校舎たち

【写真】いくつもの建物があるなかで、右の1軒に「COLEGIO SANT’ANA」の看板
サンタナ学園がある通りは袋小路。この一角は、8割がブラジル人の住まいだという

JR稲枝駅から田園と住宅が広がるエリアを車で10分ほど走ると、鮮やかなブルーが目を引く建物が見えてきました。住宅街の突き当たりに広がる一帯、ここがサンタナ学園です。

車を止めるとすかさず、「ようこそ〜!」と元気に挨拶してくれる方が。

【写真】紫色の服を着た女性が笑顔で立っている。背景には子どもたちの絵が描かれた青い壁

この方が校長のケンコ先生。サンタナ学園を設立して以来、28年に渡り、私塾としての運営を続けてきました。

ケンコ先生はブラジルで日本人の祖父母や両親と共に生活をした後、1992年に来日。日本で働くブラジル人家族の子どもたちが、学校へ行くこともできずに自宅で1日中テレビをみて過ごしている様子を見て、「なんとかしないと」と立ち上がることに決めたと言います。

1998年、自宅の1階を保育所とし、わずか3名の子どもからスタートしたサンタナ学園ですが、口コミなどでピーク時には約120名が通う規模にまで拡大しました。リーマンショックやコロナ禍で派遣労働の仕事が落ち込んだり、日系四世以降に対する在留制限(※注1)の影響で来日するブラジル人自体が減少したりしたことから、生徒数は減少傾向にあるものの、現在も未就学児から高校生まで約40名が通っています。

(※注1)就労制限のない長期滞在ができるのは日系三世まで。ただし、近年は「日系四世の更なる受入制度」なども用意され、在留制限は緩和されてきている

【写真】教室で、子どもたちが机を囲みながら学習している
サンタナ学園のポルトガル語の授業風景。家族の都合で日本に暮らすブラジル人の子どもは、母語としてのポルトガル語と日本語、どちらの習得も難しい状況にある

ブラジルの教育制度に合わせたカリキュラム

在留外国人家庭の中には、日本の文化に馴染めるよう、日本の保育所や小中高等学校に通う子どもも少なくありません。一方で、朝鮮学校、中華学校、ドイツ人学校、そしてブラジル人学校などの外国人学校に通うケースもあります。

後者の特徴は、同じ文化圏を生きる同胞のコミュニティがあること。母国の文化を学び、アイデンティティを確立させることにも繋がっています。もちろん、家庭の中でも使われる母語で、母国に準ずる教育を受けられることもメリットです。

サンタナ学園もブラジルの教育制度に則し、ポルトガル語で授業が行われてきました。0歳から入れる認可外保育所の他に、日本の小学校と中学校にあたる1〜9年生、さらに高校の1〜3年生が、いくつかの教室に分かれています。

【写真】光が差し込むなか、青い手すりの階段を降りる少年

小中高生は9時〜12時が午前授業、1時間のお昼休憩を挟んで、13〜15時が午後授業となっています。希望すれば週1回、愛荘町国際交流協会に日本語を学びに行くこともでき、16時半ごろから下校していきます。

ケンコ先生に導かれて最初に訪れたのは、「COLEGIO SANT’ANA」と看板が掲げられた鮮やかなブルーが映えるプレハブ校舎。1階・2階それぞれに2部屋ずつ、計4部屋あります。

【写真】教室で、教師が立ちながら子どもたちに話しかけている。机には教材が広げられている
6〜9年生が授業を受けていた部屋。幼い頃からサンタナ学園に通う子どもも、ブラジルから来日してきたばかりの子どもも共に学ぶ

「日本の小学校は、一人の先生が全ての科目を教えますよね。ブラジルでは教科ごとに先生が変わります。ただサンタナは先生の数が十分ではないので、いくつかの科目を教える先生もいます」

サンタナ学園の先生は全部で8名。給与をもらいながら教える先生もいれば、ボランティアで関わっている人もいます。

使っている教科書は、ブラジルから輸入したもの。ブラジルは4学期制で、学期ごとに教科書が変わります。そして一冊の中に、一つの学期中に学ぶ全ての科目の内容がまとまっているのが特徴です。

【写真】ポルトガル語のテキスト、表紙にはPOSITIVOの文字
ポルトガル語や算数、理科など複数科目の教科書が一冊にまとまっている。一冊1万円ほど、一人あたり年間4万円かかるため、保護者にとって大きな負担になっている
【写真】教材やノートを広げながら、子どもと大人が向き合っている
高校生に向けた数学の授業。遅れて開設した高校部門は、ブラジル教育省の認可を受けられていない

「サンタナ学園には全学年の生徒がいるわけではありません。年によって、一人しかいない学年もあれば、一学年10人近くいるときもあります。子どもや先生の人数によって、クラス分けを変えています」

学園には、それまで十分な学習環境がなかった子どもが転入してきたり、発達の凹凸が大きな子どももいたりするとのこと。そのため、年齢だけでクラス編成をせずに、一人ひとりの学力や特性に合わせた教育ができるよう環境が整えられていました。

ケンコ先生のおいしい食事は元気の源

プレハブ校舎にある部屋のうち一つには、食堂や手洗い場、トイレ、そして自由に過ごせるフリースペースがあります。

サンタナ学園の給食には、毎日ケンコ先生の手料理が振る舞われます。給食は子どもたちの一番の楽しみ!

【写真】幼い子どもたちがスプーンを手にしながら、食卓で食事をしている。
教室で食べることもあれば、天気が良ければ外で食事をすることもある

「今日のメニューは、ブラジルの伝統的な料理。フェイジョアーダです。ブラジル料理が多いですが、日本で食べられているような料理も作っています」

【写真】白い皿に黒豆の煮込みとソーセージ、ご飯、サラダが盛り付けられている
黒インゲン豆やお肉を煮込んだ料理。この日は豚足やソーセージがたっぷり入っていた

食材は地元のスーパーで仕入れるほか、農家や企業からの寄付、最近ではフードバンクを通じて食料品を寄付してもらうことも。結果的に、子ども食堂のような立ち位置にもなっているそうです。

「隣の東近江市にできたコストコさんから、パンやピザ、お菓子などもいただいています。ここに来ると、お腹いっぱい食べられるから子どもたちも大喜び(笑)」

地元の企業・農家さんからお米を寄付してもらったときには、生活が苦しいご家庭に持って帰ってもらうなど、家庭全体の支援もしているというケンコ先生。基本的に昼食のみの提供ではあるものの、お腹を空かせている子どもがいれば朝ごはんや夜ごはんも食べさせており、サンタナ学園で3食いただく子どもも少なくないのだとか。

「家に食べるものがない、と子どもが言うこともある。その時は、お昼の残りやフードバンクでもらったものを、授業終わりに食べさせてから帰宅してもらうようにしています」

【写真】室内のプレイルームで、子どもたちが床に座り、おもちゃの線路で遊んでいる
給食を食べ終わり、フリースペースで遊ぶ子どもたち

調理を行うのは、プレハブの向いにある一軒家です。ここは、ケンコ先生のご自宅でありながら、やはりサンタナ学園の一部になっています。キッチンで給食を作るだけでなく、体調が悪い子どもがいたらリビングルームは保健室に早変わり。ダイニングルームは職員室にもなっていて、ここで先生と打ち合わせをしたり、取材を受けたりしています。

【写真】キッチンで、紫色のシャツを着たケンコ先生が大きな鍋をかき混ぜている
取材チームにも子どもたちと同じ給食を振舞っていただいた

片道2時間、送迎車を走らせて

自宅の横には、未就学児が過ごす保育施設があります。この日の登園児は4人。

ブラジル人家族の子どもの利用が中心ですが、フィリピンなど他の国から日本に移り住んだ家族の利用もあるといいます。保護者は非正規労働者が多く、工場などには夜勤もある。日本の保育所では柔軟な対応が難しいことから、24時間・365日受け入れ可能なサンタナ学園が選ばれているそうです。

【写真】床にはマットやぬいぐるみが広がっている保育室
おもちゃやお昼寝ぶとんは、ご近所さんなどから寄付されたもの

勉強をする場所でありながら、子ども食堂でもあり、ブラジル人の家庭支援を行う場所でもある。サンタナ学園は一般的な学校としての役割を超えて、日本に暮らす外国人家族の生活を支えてくれる場として求められています。それを感じさせるのが、遠方から通っている子どもが大勢いるという事実です。

「子どもたちは8つのまち(市町村)から通っています。一番遠いところだと、甲賀市の水口町。サンタナ学園からは約30キロ、まっすぐ向かっても1時間くらいかかります」

しかも、ほぼ全ての生徒を先生たちがdoor to doorで送迎しているそう。6台の送迎車をフル稼働させながら、ケンコ先生もハンドルを握り、朝・夕それぞれ2時間にも渡る運転を毎日こなしています。

【写真】青い車のスライドドアから、ケンコ先生が幼い子どもを抱えて降ろしている
ブラジル人学校は滋賀県内に3校のみ。そのため遠方に住まう家庭のニーズも高く、仕事で忙しい保護者に変わり、子どもたちの通学を支えている

また、サンタナ学園では病児保育にも対応しています。一般の保育園だと、子どもに発熱があると預かってもらうことはできませんが、「ここでは、病気の時こそ預けに来る」とケンコ先生は答えます。

「保護者に代わって、私が病院の受診をします。開園した頃から、毎日のように小児科へ行っています。ブラジル人の多くは、非正規雇用で働いているので、しょっちゅう休むと仕事を続けさせてもらえない。時給で働いていると、休んだ分のお給料が減ってしまいます」

【写真】上から見下ろした路地で、子どもたちが地面に描かれたカラフルな絵の上を走り回って遊んでいる

国のサポートがない場所で、子どもの笑顔をどう守る?

土日祝日にも対応してもらえるサンタナ学園の月謝は月3〜5万円。「学校」と言われるものの範囲を超えて、ケンコ先生は子どもたちのために人生を注いできました。

しかし、情熱とは裏腹に、サンタナ学園の経営は盤石なものではありません。

保護者の多くは非正規労働者。貯金をして安定した生活を送る世帯もありますが、なかには来日する際の飛行機代の返済に追われたり、ビザの更新費、日本の税金の支払いなど出費が重なったり、十分な日数を働けない月があったりすると、月3〜5万円を払えない家庭も出てきてしまいます。現状、国や自治体のサポートも望めません。

保育所については2019年以降、幼児教育・保育の無償化制度の対象になっていますが、これも2029年3月までの期間限定です。続けるには日本の保育士資格を持つ人が必要と言われていますが、ポルトガル語を話せる日本人の有資格者を探すのは容易ではなく、制度を利用できなくなってしまう可能性が高まっています。

【写真】住宅街の中に建つ鮮やかな青色の建物たち
写真に映る建物は、多くがケンコ先生の個人所有。正面の一軒家は、初期にサンタナの保育所として利用していたが、現在は在籍家庭の住まいとして貸し出している

けれど一度受け入れた以上、ケンコ先生は未払いを理由に登校を拒むことはありません。

「子どもの顔を見たら、『お金を払ってないから今日はバスに乗れないよ』なんて絶対言えない。みんなすごく楽しみにサンタナ学園に来るから。日本の小学校にも、他のブラジル人学校にも馴染めなかった子どもが、ここで読み書きを覚えて、新しいことを身につけるのが『嬉しい』って言ってくれます。他の先生には『バカ!』って言われるけど(笑)、子どもの顔を見たら断るなんて難しいです」

【写真】ドアの近くで、笑顔で料理の皿を持っている子どもたち

とはいえ、払われなかったお金を翌月以降に回収できる見込みはほとんどなく、ケンコ先生はサンタナ学園を赤字で運営してきました。子どもたちのことを考えて日々走り続けていますが、どうすればこの場所が持続可能な場所になるか、今も答えは見えていません。

「私の家族はみんなブラジルにいます。『ママ、帰ってきて』と何度も言われましたが、日本に残り続けてきました。たった一人でもサンタナ学園を必要とする子どもがいたら、私はがんばりたい。何をしたらいいかはわからないけれど、これからも子どもたちが笑顔でいられるようにしたいです」

【写真】柔らかな光の入る背景の中で、真剣な表情を見せている

学校は子どもたちの「夢」をつくる場所

まもなく70歳を迎えるケンコ先生。自らが引退した後もサンタナ学園が続くことを願い、これまで周囲の応援者たちとも、継続する方法を様々に検討してきました。

2017年には地元の方々が中心になり、〈NPO法人コレジオ・サンタナ〉が設立されています。理事の柳田安代さんによれば、一時、サンタナ学園をNPOで運営することを目指したものの、法人運営になると「学校として業務の線引きが必要になり、今のように家庭ごとのニーズに柔軟に対応していくことは難しくなる」と断念。現在NPOは、寄付や事務手続きなどの運営サポートをする形にとどまっています。

【写真】白いセーターを着た女性が、耳を傾けながら微笑んでいる
同席くださった〈コレジオ・サンタナ〉の柳田さん。日本語ネイティブでないケンコ先生の取材を手伝うことも、仕事の一つだという

各種学校(※注2)になり、金銭面のサポートを得やすい体制に変更することも検討しましたが、制度に合わせたサービス内容に組み替えることは難しく、フリースクールなどの違う形を模索しているところです。

大切なのは、既存の教育や就労の仕組みの中で、「日本国籍がない」という理由で十分に権利を保障されない子どもや保護者が、それでも助けを求められる場があること。「どんなに制度を整えても、こぼれる人たちは一定数いる。そういう人たちが集まってくる場所として、まずは境界線を引かずに受け入れるのが、ケンコ先生が作ってきたサンタナ学園なのだと思う」と柳田さんは語ります。

(※注2)授業時数・教員数や施設・設備などの一定の基準を満たしている場合に、所轄庁である都道府県知事の認可を受けて設置される教育施設

【写真】壁いっぱいに貼られた子どもたちやイベントの写真を、室内から眺めている

ケンコ先生が続ける限りサポートしたい、という柳田さんの言葉を受け、ケンコ先生も力を込めて「助けてくれる人、力になってくれる人もいるから、辞める気はありません」と語ります。

「学校は子どもの『夢』を育む場所です。学校に来たら友達と遊んで、勉強をすることができます。いろんな大人と出会うなかで、歯医者になりたい、弁護士になりたい、先生になりたいって夢が生まれます」

【写真】自然光が差し込む室内で、笑顔でたたずむケンコ先生

日本とブラジルの交流は、もともと国の政策として始まりました。1908年以降の約100年間で約26万人の日本人がブラジルに移住した一方、1990年代から2000年中頃までは、ブラジルから日本へ渡る二世・三世の日系ブラジル人が増加。しかしそれも減少に転じ、日本国内に一時90校以上あったブラジル人学校は現在、約30校まで減少しています。

こうしたなかで、言語や文化の違いから日本の学校に馴染めない子どもは、十分な教育を受けられずに大人になっていく可能性もあります。移民政策はあくまで「労働力」の観点で行われていたため、その子孫たちの生活まではあまり考えられてはおらず、同胞コミュニティと、ブラジル人が置かれた厳しい現実を知る一部の人たちの手によって、何とか支えられてきました。

この28年、サンタナ学園があったことで、救われた家庭は多いはずです。一方で、各種学校などと比べると教育環境が十分でなかったり、家庭の負担が大きかったりする部分は現実としてあります。卒業後の進路が限られていることも、取材を通して教えてもらいました。

「子どもたちの笑顔を守るために、自分にできることをする」。在留外国人が過去最高となった今、ケンコ先生の言葉に、一人ひとりが答えられる社会が求められています。

青い建物の前に、子どもたちと大人たちが集まった集合写真

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連載:こここ訪問記