福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】広いリビングに40名近い人が集まっている。テーブルの上にはさまざまな料理が置いてある。【写真】広いリビングに40名近い人が集まっている。テーブルの上にはさまざまな料理が置いてある。

現代版の長屋ってどんなところ?さりげなく助け合って暮らせる場所「NAGAYA TOWER」をたずねて こここレポート vol.08

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「おめでとうございます!」という声と共に、ケーキが運ばれてきた。上には蝋燭が灯っている。

パチパチパチ!という大きな拍手にむかえられて、照れくさそうに男性が前に出た。明日が誕生日らしい彼が火を吹き消すと、部屋にいる人々から、わーっとまた拍手がおこる。

笑顔で手を叩く人たちの顔ぶれは、おじいさん、おばあさん、小学生くらいの子ども、若者……。バラバラな年齢の人たちが、45人ほど、それぞれのテーブルを囲んでいた。

【写真】広いリビングに40名近い人が集まっている。テーブルの上にはさまざまな料理が置いてある。

これは、ある賃貸住宅で目にした一場面。賃貸住宅、といっても、ちょっと変わった賃貸住宅である。

暮らしているのは、下は小学校四年生から一番上は92歳の住人たち。なかには歩くときにサポートが必要だったり、認知症の症状があったりして介護が必要な方や、さまざまな事情で家庭で暮らすことができない子ども、学生もいる。

ここは、鹿児島市にある「ナガヤタワー(NAGAYA TOWER)」。血縁や年齢にとらわれず、老若男女が助けあいながら生活する「現代版長屋」である。

「現代版長屋」とは、いったいどんな場所なんだろう?訪ねてみると、孤立や孤独の問題が影を落とした現代社会を照らす、ひとつの希望が見えてきた。

年老いたとき幸せに生きていけるか、という不安

スマホのマップから目を上げると、赤と黄色の建物が目に飛び込んできた。おお、ここか!なんでも、桜島の灰が降る街中を照らすようにと、この明るい色にしたらしい。

【写真】ナガヤタワーの外観
(提供写真)

ここ、「ナガヤタワー」は、鹿児島中央駅から徒歩10分ほどのところにある「ちょっとかわった賃貸住宅」。江戸時代の長屋のように老若男女が助け合って暮らすことを目的に、2013年4月にオープンした。

建物の1階は、クリーニング屋、美容院、カフェ、児童発達支援事業所、放課後等デイサービスが入っている。2階にはワンルームのシェアハウス11室と、事務局、共同の台所。3〜6階は、1LDK~2LDKの賃貸マンション。3階には「ファミリーホーム 冨永さんち」もある(※)。

※ファミリーホーム(小規模住居型児童養育事業)
さまざまな理由で家庭で暮らせない子どもを、養育者の家庭に迎え入れて養育を行う事業のこと。

【写真】堂園メディカルハウスの外観
すぐ隣には「堂園メディカルハウス」という診療所がある。院長はナガヤタワーのオーナーでもある堂園晴彦さん

「血縁や年齢にとらわれずに、老若男女が助けあいながら生活している」。そう聞いて、僕自身が抱える将来への不安をやわらげるヒントがここにあるかもしれない、と思っていた。

その不安とは、「年齢を重ねるにつれ、孤立し、孤独になって、幸せじゃなくなっていくんじゃないか」というものだ。

現在35歳、独身。親や親戚との関係も心許なく、将来、結婚するかもわからない。仮にしたとしても、いつ別れがきてもおかしくない。そうしたときに頼れるほどのご近所付き合いもないのだ。ときどきニュースで伝えられる高齢者の孤立の問題は、他人事だと思えなかった。

「いやいや、いまどきシェアハウスとか、いろんな選択肢があるでしょ」という考えも浮かぶけど、いや待て、いつか日常生活のなかで医療的ケアや介護が必要になったとき、シェアハウスの人を頼れるだろうか?

頼る人がいなければ、施設に入る手もある。ただ、好きなときに外出したり、好きなことを好きな人とやれる環境を見つけるのは難しいのでは。

……といったように、将来、家族に頼ることができなくなったとき、楽しく幸せに生きていけるイメージがあまり湧かなかったのだ。

大勢の集まりは得意ではないけれど

1階でエレベーターに乗ると、もう美味しそうなにおいがただよってきた。僕たち取材班が訪れたこの日は、ナガヤタワーで定期的に開かれている晩ごはん会の日。僕たち取材班もお呼ばれしたのだった。

【写真】
エレベーターの前には、「微笑みを交わす人がいれば、人生は幸せ。」というナガヤタワーのコンセプトと、晩ごはん会のメニューが

2階に着くと、8つほどのテーブルが並べられたひろびろとした空間で、せっせと晩ごはん会の準備が進められていた。

いちばん入り口側の長机に並べられた料理は、唐揚げ、ポトフ、煮物など、10種類以上。スタッフと、料理が得意な住人がつくっているらしい。お店で出てきてもおかしくないのでは? というほどのクオリティだ。

19時になると、ぞろぞろと人が集まってきた。おじいさんおばあさん、子ども、若者……総勢45人くらいはいるだろうか。

みなさん誰に促されるでもなく思い思いの席に着き、6〜10人くらいで一つのテーブルを囲み、談笑がはじまった。「あら〜、元気?」「ひさしぶり〜」という声が響き、部屋はまたたくまに賑やかになる。

白状すると、僕は大勢の集まりが得意じゃない。うまく場にとけ込めず、みんなでいるのに孤独を感じることがあるのだ。今日は大丈夫だろうか……と不安になりながら、端っこテーブルにこそっと腰を下ろした。

しばらくすると、食事が始まった。みなさんお皿を手に、食事が載ったテーブルに集まる。さながらホテルのビュッフェだ。一人で歩くのがむずかしそうな方には、他の住人さんが「待っててね、私とってくるから!」と声をかけていた。

【写真】たくさんの料理がのったテーブルに集まる人たち

僕が座ったテーブルには、女性の住人さんが4人。年齢は5,60代くらいの方がお二人と、8,90代くらいに見える方がお二人。

僕の隣に座ったAさんは、にこにこしながら、ゆっくりと料理を口に運んでいた。「どうですか、ここでの暮らしは?」と尋ねると、「ええ、友達もいるから、楽しいですよ〜」と、クシャッとした笑顔。「一緒にデイサービス通ってるのよね」と、目の前に座った女性も会話に加わる。ふたりとも、いや、この部屋にいるみなさん、本当に楽しそうに話し、笑っている。

Aさんは緊張する様子もなく、場に馴染んでいるから、ここに住んでずいぶん経つのかと思った。「住んでからどれくらい経つんですか?」と聞いてみたら、「まだ2ヶ月くらいですかねぇ」と言うので、驚いた。

いや、Aさんだけじゃない。だいたい、大勢が集まったら所在なさそうにしている人もいる気がするが、この晩ごはん会では誰もが、場に馴染んでる感じがする。冗談を言ってわっはっはと笑う人、隣の人と深く話し込む人、もくもくとご飯を食べる人。それぞれが、思い思いのかたちで、この場にいた。そして多くの人の顔に、笑顔があった。

時計の針が20時をさすころ、冒頭で書いた、サプライズケーキが出てきた。祝われていたのは、ナガヤタワーのオーナー・堂園晴彦さん。「おめでと〜!」と声をかける住人さんたちの姿を見ていると、オーナーというより、気心の知れた友人、といった関係のようにも見える。

晴彦さんへのプレゼントとして、パートナーさんのピアノ演奏。そして、「まあさ」と書かれた赤いキャップをかぶった男性が前に出て、歌を披露しはじめた。

春の名のみの 冬の寒さや〜♪

(『早春賦』 作詞:吉丸一昌 作曲:中田 章)

部屋のすみずみまで響きわたる、心地の良い歌声を聴きながら、そういえば、いつも大勢が集まる場にいると感じる孤独を感じていないことに気づいた。

これは偶然だろうか? いや、もしかしたら、Aさんも、ほかの住人さんも、そして僕も孤独にさせない、むしろ笑顔にさせてしまうなにかが、ナガヤタワーにはあるのだろうか。

現代版長屋「ナガヤタワー」の成り立ち

ここで、ナガヤタワーのなりたちをふり返っておこう。

ナガヤタワーを構想したのは、さきほど誕生日を祝われていたオーナー、堂園晴彦さんである。1952年に鹿児島県で生まれた晴彦さんは、1991年に父の産婦人科を継承。1996年11月に、内科、がん総合診療科、産婦人科、東洋医学科、ホスピス病床を備えた「堂園メディカルハウス」を開業した。

【写真】
ナガヤタワーのオーナーであり、堂園メディカルハウスの院長でもある堂園晴彦さん

晴彦さんはホスピスで年間100人前後を看取るなかで、あることに気づいた。心の病になってしまう患者が多く、その大半が、人とのつながりがなくなる「社会的孤立」と、精神的につらい状況に置かれる「精神的孤独」に苦しんでいたのだ。

もしかしたら、必要なのは薬による治療ではなく、人との交流なのではないかー。そんな思いは、インドのコルカタにあるマザー・テレサがつくった約850人のハンセン病患者の村「チタ・ガール(平和の村)」を訪れたことで確信に変わった。

そこでは、両親が機織りをしてお金を稼ぐ間、おばあさんが赤ちゃんのお世話をしたり、症状の軽い人が重い人の介助をしたりと、助け合う人々の姿があったのだ。

血縁や地縁によらず助け合う共同体。晴彦さんは、「自分が作りたいのはこれだ!」と思った。

帰国した晴彦さんは、共同体の構想を始めた。調べていくと、日本にも地縁・血縁によらずに助け合う共同体があったとわかった。江戸時代の長屋である。

長屋では、井戸や厠、路地など、生活のためのスペースの多くが共有で、人々の助け合いが自然と生まれていたという。

ひるがえって現代の福祉や医療の現場をみてみれば、「高齢者」のための施設や「障害者」のための施設、終末期にある方のためのホスピスといったように、年齢や置かれた状態によって別々の場がつくられている。しかし晴彦さんは、あらゆる人々が一つの建物で家族のように住まい、助け合うことが大切だと考えた。

そして2013年に誕生したのが、老若男女が助け合いながら生活していく現代版長屋「ナガヤタワー」だ。

設立から11年。ナガヤタワーには多様な住人が集まってきた。現在は、9歳から92歳までの計41名が暮らしている。70歳以上の方が6、7割だが、なかにはファミリーホームに暮らす子どもたちや、学生、30代の若者もいる。子ども食堂をひらくときは、0歳の子どもの姿もあるそうだ。

【写真】キッチンでお皿を洗ったり片付けたりしている人たち
晩ごはん会が終わると、誰が指示するでもなく、住人、スタッフ入り混じって片付けが始まった。僕ら取材班も「今、手空いてます?じゃ、ここ掃除して!」と、仲間に。あっという間に部屋は片付いた。こんな風景に、ナガヤタワーで生まれている助け合いが象徴されている気がする

主人公はあくまで住人

晩ごはん会の翌日。まだ昨日の余韻が頭に残ったまま、ふたたびナガヤタワーを訪れた。この場所について、もうちょっとくわしく話を聞くためだ。

昨夜の賑わいとうってかわって、2階の部屋にはおだやかな空気が流れていた。迎えてくれたのは、事務局長の堂園春衣さんと、事務局スタッフの福原旭陽さん。さっそく、あれこれと質問させてもらうことにした。

まずは、そもそもナガヤタワーって、なんなのか。一応、賃貸住宅ではあるらしい。けれど、ちょっと変わっている。以前読んだ記事では、春衣さんは「住宅と施設の間のような場所」といっていた。

堂園春衣さん(以下、春衣):福祉施設にすると、行政への報告や施設の基準を満たすことも必要になって、あたらしい取り組みもしにくくなってしまいます。「サービス付き高齢者向け住宅(※)にしたらどうか」という話もあったんですけど、そうすると入居者を限定しなければいけなくなってしまう。だから、株式会社の不動産事業として取り組むことにしました。

※サービス付き高齢者向け住宅
バリアフリー対応の設備や、スタッフによる安否確認や生活相談サービスがあることで、高齢者単身・夫婦世帯が自由度高く住むことができる賃貸住宅。

【写真】インタビューに答えるどうぞのはるえさん
堂園春衣さん

かといって、一般的な賃貸住宅かといえば、それもちょっとちがう。ひとつの大きな特徴は、常勤の管理人兼相談員として、事務局スタッフがいることだろう。

事務局スタッフは、全員が社会福祉士など、国家資格を持っている。昼間は1,2人が常駐していて、晩ごはん会のようなイベントの企画・運営のほか、日常生活の困りごとの相談や買い物の代行やごみ出し、部屋の片づけ、入院や介護サービスなどの手続きを行っている(夜間や休日も、電話を通して 24 時間対応)。

また、希望があれば食事サービス、生活支援サービスも別途契約できる。介護や医療的ケアが必要になった場合は、隣接する堂園メディカルハウスや近隣の病院と連携して対応。また、作業療法士もいるのでリハビリを受けることも可能だ。

看取りをおこなうこともある。70歳以上の方は入居する歳にフェイスシート(氏名、年齢、家族構成や既往歴などが記された書類)を作るのだが、そのなかで、 「いざというときに延命以上を望むか」「安否確認で部屋を回っているとき、返事がなかったら鍵を開けて入っていいか」「葬式はどうしてほしいか」なども聞いておく。これまでにナガヤタワーで看取ったひとは5人いるそうだ。

こんなふうに、支援体制が整っているが、ナガヤタワーは、施設ではない。すべての施設がそうではないにしろ、世の中の施設のなかには、利用者を管理してしまうところもあると聞く。けれど春衣さんは、「私たちは管理はしない。管理人じゃないんです」と強調する。

春衣:主人公は住人さんで、あくまでも私たちは、みなさんが楽しく生活するための伴走者。 「◯ ◯さん、これ決まりなんで、こうしてください!」なんて言ったら、たぶん楽しくないじゃないですか。

春衣さんは、「楽しさ」という言葉を何度も使った。そうか、ここでは住人さんの楽しさをすごく大事にしているのか。だからこそ管理することなく、一人ひとりの住人に合わせて対応している。

でもそれって、運営する側はめちゃくちゃ大変なのでは……?と聞いたら、福原さんは「それはそうですよ!」と、くいぎみにリアクションがきた。

福原旭陽さん(以下、福原) :管理のしやすさだけを考えたらナガヤタワーはもう、こんな運営の方法はできないです!(笑)

【写真】インタビューに答えるふくはらさん
福原旭陽さん

ちなみに、大きなケンカはほぼないものの、ちょっとしたトラブルはちょくちょくあるらしい。たとえば、共同のお風呂を使うときに、「◯◯さんのあとはぬるい!」といった苦情などが出たり。そうしたときも、直接同士で話し合うより、事務局が間に入ってちょうどいい解決方法を探るそうだ。

江戸時代の長屋では、大家さんが家賃の集金だけでなくトラブルの仲裁や住人の身元保証など、コミュニティを健全に保つための役割を担っていたらしい。ナガヤタワーでの事務局スタッフも、江戸時代の長屋の大家さんに近いのかもしれない。

人と人の関わりが生まれて、いつも誰かの気配を感じられるような建築的工夫

僕は、とくに気になっていることがあった。昨日のご飯会のような、孤独を感じさせない、明るい雰囲気の場がどうして生まれるんだろうか。

春衣:ああ、それは、ナガヤタワーには、「微笑みを交わす人がいれば、人生は幸せ」というコンセプトがあるからかもしれません。

【写真】インタビューに答えるどうぞのさん

「微笑みを交わす人がいれば、人生は幸せ」。この印象的な言葉は、オーナーであり春衣さんの父・晴彦さんの経験から生まれたのだという。

マザーテレサがつくった村に衝撃を受けた晴彦さんは、のちにマザーテレサが来日した際、こんな言葉に触れた。

「欧米や日本の施設は立派だが、部屋に入ってる人はみんなドアの方をみている。つまり、笑顔が入ってくるのを待っている。私の施設は立派じゃなくて、壁もないけど、笑顔の壁に包まれています」。

ホスピスでの経験で、孤独や孤立に悩まされる多くの人に触れてきた晴彦さんは、「『微笑みを交わす人がいること』が幸せに生きるために必要だ」と考えた。その考えは、ナガヤタワーのハード面、ソフト面、それぞれに落とし込まれている。

たとえば、ハード面。もともとナガヤタワーは、今よりずっと大きなビルにする予定だった。

春衣:はじめは、10階建ての、バーン!っていう感じのビルになる予定でした。 でも、そんなに大きな建物で、たくさん人がいたら、一人ひとりと顔見知りにはなれないですよね。

私たちは、長屋みたいな、人と人の関わりが生まれて、いつも誰かの気配を感じられるような雰囲気にしたかったので、これはちょっとちがうよねって、設計を大幅変更したんです。

そこで、屋久島在住のアメリカ人設計士ウィリアム・ブラウワーさんに設計を依頼。ウィリアムさんが設計したのが、6階だての、コの字型の建物だった。

この建物の大きな特徴は、たくさんの共有スペースがあることだ。まず、みんなで料理をしたり、食事をしたりすることができる「みんなのLDK+台所」。昨日晩ごはん会が行われた場所だ。そして、子どもたちの遊び場になったり、植物などを置くこともできる「空中庭園」。共用のお風呂「みんなのお風呂」も設けた。

【写真】広い共有部に椅子と机が置いてある
空中庭園。この日は雨だったが、ふだんはここで遊ぶ子どもたちの姿もあるという。左手の部屋は「ファミリーホーム 冨永さんち」
【写真】ゆったりとした岩風呂
「みんなのお風呂」。使いたい人が予約して、交代制で入る(提供写真)

さらに、各部屋のベランダは仕切りとなる壁をなくした。こうすることで、隣に住む人と声をかけあったり、飼い猫が行き来する、という風景が生まれるようになった。

【写真】となりの部屋と仕切りがないベランダ

また、各階のエレベーターを降りたところにあるスペースもひろびろととられ、椅子と机が置かれている。一般的な賃貸住宅では、お金を生まない「むだなスペース」として設計段階で排除されてしまいそうだけれど……

(提供写真)

春衣:そうですよね。だけど、むだを全部そいでしまうと、生活の潤いがなくなる。あえてひろく空間をとって椅子と机を置いておくと、そこで夕涼みをするひとが出てきたりします。そういう小さい環境が、気づかないうちに生活の質に影響を与えてると思うんです。

環境が変わることで、生活の質が変わる。社会学者のエリック・クリネンバーグは、「健全な社会的インフラがある場所では、人間どうしの絆が生まれる 」と言っている。図書館や公園、学校、教会のような社会的インフラとしての集まる場所があると、人々の交流や助けあいが増えるというのだ。(参考:『集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』)

ナガヤタワーには、その内側に「社会的インフラ=集まる場所」がたくさんある。だからこそ、交流や助けあいが生まれているんだろう。

高齢になったり、病気や障害があると、まちなかにある集まる場所に行くことがむずかしくなることもありそうだ。そんなとき、ナガヤタワーであれば、扉をガラッと開ければ「社会的インフラ=集まる場所」がある。だから、高齢の方でも孤立せずにすむのかもしれない。

【写真】ナガヤタワーの共有スペース
建物がコの字型担っているのも理由がある。「コ」の両側に住まいがあることで、扉を開けると住人が顔を合わせる。そこで自然と、交わりが生まれるのだ。これは江戸時代の長屋にはない特徴で、マザーテレサの村からヒントを得た
【写真】よく陽が入っているリビング
部屋は、年齢、要支援度、要介護度、障害の有無に関わらず、誰でも入居できるような設計にされている

つながるきっかけとしての催したち

「微笑みを交わす人」をふやす工夫は、ハード面だけじゃない。ソフト面での工夫もある。

たとえば、ナガヤタワーでは頻繁に催しが開かれている。エレベーターのなかに貼られていたカレンダーを見たら、ほぼ週に1,2回はなにかしら催しがあるらしい。

2024年3月の予定表

その一つが、僕らも昨日参加した、ほぼ月イチで開催される晩ごはん会。昨日の会でも、冒頭で最近入居した住人の紹介や、誕生日を迎えた住人のお祝いがあるなど、さりげなく関係性が生まれる配慮があった。

ご飯会だけじゃなく、絵手紙サークルや映画の観賞会などの催しもある。それに、第2、4土曜日には「みんなのLDK」で「こども食堂」が開かれる。また、3階の空中庭園で子どもたちと、流しそうめんやバーベキュー、スイカを割りをすることもあるらしい。

【写真】仮装したこどもたち
ハロウィンには、1階にある「児童発達支援事業所 まふぃん」に通う子どもたちがハロウィン仮装でお部屋を訪ねたそう。(提供写真)
空中庭園で開催されたBBQ(提供写真)
花火大会の日には、みんなで屋上で鑑賞(提供写真)

ただ、こうした催しに参加するのが得意でなかったり、入居したばかりで気後れしたりしてしまう人もいそうだ。そういう方でも、「微笑みを交わす」関係の輪に入れる工夫もあるらしい。

スタッフが「こんなイベントあるけど、どうですか?」と声をかけるのもひとつ(もちろん、強制はしないそう)。それと、毎月発行している「ナガヤ新聞」も、つながるきっかけだ。

A41枚で、新しい入居者の紹介や、住人さんの近況、イベントのカレンダーが掲載されている。ナガヤ新聞で知ったんだろう、昨日のご飯会でも「あ、もしかして◯◯さんですか?」という会話が生まれていた。

そうやって「微笑みを交わし」ていると、不思議なことに、だんだんと元気になっていく人もいるのだそうだ。

福原:最初入った時は、元気がない方もいます。でも、友達ができたり、自分で好きなことができるようになったりするうちに元気を取り戻して、入居時と比べてすごい若返って見えるようになった方もいらっしゃいますね。

その話を聞いて、「社会的処方」のことを思い出した。認知症や鬱病、運動不足による疾患など社会的孤立が引き起こす問題に対して、薬ではなく「地域とのつながり」を処方することで対応する考え方だ。

ナガヤタワーに入居した人が元気になるのは、ここではさまざまな催しやナガヤ新聞、スタッフの声かけなどを通して、つながりが処方されているからかもしれない。

ナガヤタワーの住人0号、川崎さん

さて、そんなナガヤタワーをとびきりエンジョイしている住人がいる。「まあささん」こと、川崎眞俊さん。昨日のご飯会で美しい歌声を披露していた、あの方だ。

川崎さん、なんでもナガヤタワーの「住人0号」。なんと、オープン前から住み始めてしまったとのウワサである。これは話を聞くしかないと、インタビューを申し込んでいたのだった。

昨日と同じ、「まあさ」と書かれた赤いキャップをかぶって、川崎さんが「みんなのLDK」にやってきた。「なになに、尋問はじまるの?」と開口一番、おどけてみせる川崎さん。いかにもエンターテイナーである。

川崎眞俊さん(以下、川崎):この帽子? これはね、2,3年前の誕生日に事務局からプレゼントしてもらえたんです。なぜ「まあさ」かというと、まさとしなので。そのころよくね、女装してたんですよ。それで、「まあさ」っていうニックネームになってね。

【写真】インタビューに答えるかわさきさん

年齢を聞くと、「81.5歳ですね!あと半年で82歳なので」とのこと。川崎さん、昨日の歌といい、トークの軽妙さといい、活力がみなぎってる感じがする。

まあささんは現在、株式会社川崎塗料という塗料販売の相談役として、会社の朝礼に週に1度だけ顔を出しながら、鹿児島市カヌー協会の会長も務めている。そういえばナガヤタワーの一階に、カヌーが立てかけてあったっけ。「そう、それ私のなんですよ」。

どこか田舎に車で運んで、カヌーをするのだろうか。「いや、そこのね、ナガヤタワーの目の前の、甲突川でやるんですよ」というから、うそでしょ? と耳を疑った。だって、けっこうな市街地を流れる川なのだ。

川崎:昔は沖縄から北海道まで、カヌーを車で運んで、休みの日に勝手に浮いていたんですが。ここ(ナガヤタワー)に移ってきた理由のひとつが、目の前に甲突川でカヌーができるから。カヌーを持って通りを渡って、飲みながら、ちゃぽんと浮いて、ね。飲酒カヌーですよ(笑)

市街地を流れる川での飲酒カヌーも型破りだが、ナガヤタワーに住み始めた経緯も型破りである。あるとき川崎さんは、小中高の年代の離れた後輩だったという堂園晴彦さんから、夢を告げられた。

川崎:「先輩、私はですね、ある建物をつくる夢を持ってるんですよ。その夢が実現しそうになった時には、ペンキを、 儲けなしで提供してくださいね」って、言われたんですよ。

ある建物とは、のちのナガヤタワーである。それから2年後、「国交省の補助金の認可がおりたから、工事を始める。すぐに来てください」と連絡が入り、川崎さんが駆けつけた。そこで、「微笑みを交わす人がいれば人生が幸せ」というコンセプトを聞いた川崎さんは「ペンキを提供するだけじゃなく、住みたい!」と思った。

川崎:ちょっと事情があって、当時奥さんとも別居してて、もう家も売ることになってたもんだから、 「じゃあ、ここを終の住処にしよう!」と思いましてね。

2013年3月24日、落成式の日。川崎さんは寝袋と懐中電灯を持って、ナガヤタワーを訪れた。以前から目をつけていた最上階、6階の1番端の部屋に、この日から住み始めようと思っていたのだ。

川崎:本当は4月1日から入居開始だったんだけどね。窓から、共研公園の素晴らしい桜が見えるんですよ。4月1日じゃ、もう桜が咲いてるかもしれないでしょ。だから、「待てない!」と言って、 不動産屋を通さずにオーナーから鍵を借りて、住み始めたんです。

正式な入居開始日の前に住み始めたから、「住人0号」。以来11年、ナガヤタワーでの暮らしには「ほんと、大満足」だという。「とにかく便利だし、住み心地がいいし、コンセプトもいいしね」。

【写真】インタビューに答えるかわさきさん

川崎さんはナガヤタワーでの暮らしを本当に楽しんでいるみたいだ。とにかく趣味が多い。カヌーもだし、以前は女装も趣味だったというし、屋上に続く階段スペースには、川崎さんのものだという大きな望遠鏡があった。

歌も趣味で、毎日欠かさず部屋で歌っているという。「1日1唱」して、Facebookに投稿するのが習慣だそう。なるほど、それで昨晩の、あの歌唱力。昨日歌った『早春賦』も、さっそく投稿したのだとか。

たまにナガヤタワーで子どもたちと交流できることも、川崎さんの楽しみになっている。

川崎:昨日の晩ごはん会にも、ファミリーホームに住んでる里子ちゃんたちがいたでしょ。あの子たちのことは、幼稚園のころから知ってるんです。幼稚園から帰ってくる時にエレベーターで会うと、「あっ、川崎さん!川崎さんって歌上手いんだよね〜」って声をかけてくれて。ほんとに可愛いですよねぇ。

「微笑みを交わす」から生まれるケア

いったいそのバイタリティはどこから!?と思うほど元気に見える川崎さんだが、かつて一度ピンチがあった。

ナガヤタワーでは、70歳以上の入居者は家賃の他に2万5000円の生活支援費を月々払うことになっている。しかし、川崎さんは入居当初からそれに疑問を持っていた。

川崎:「飛行機も映画も高齢者は割引になるのに、どうしてここでは余計にお金を払わないといけないの!?」って、納得いかなかったんですよ。

【写真】インタビューに答えるかわさきさん

スタッフに尋ねると、「なにかあったときのための安心料ですよ」といわれたが、川崎さんは「自分はこんなに元気なのに!」と、納得できないままだった。

2022年、6月のある日。この日も川崎さんは午前中、スタッフに生活支援費について尋ねた。「なんでこんなに払わないといけないの?」。しかし、この日も自分が納得できる答えは返ってこない。

その後、16時ごろ、日課であるウォーキングから帰ってきた川崎さんは、パソコンやスマホがうまく操作できないことに気づいた。その時のことを、スタッフの福原さんも覚えているという。

福原:川崎さん、いつもなら事務局の部屋の前で話すんですけど、その日は部屋の中に怒った感じで、どかっ!って座っちゃったんです。「スマホがぜんぜん見えない!」って、イライラした様子で言うので、なんか変だなと思いました。

【写真】インタビューにこたえるふくはらさん

違和感を感じた福原さんたちは、作業療法士のスタッフを呼んで簡単なテストをすることに。すると、「すぐに病院に行った方がいい!」となり、川崎さんはスタッフに付き添われて病院に。結果は脳梗塞。即入院となった。

医者によれば、「症状がでにくい部位の脳梗塞で、早めに気づけたのは幸いだった」とのこと。入院中、スタッフが荷物を届けたり、留守中の部屋でのメダカや植物を世話、家族への連絡、病院での付き添いなどをしてくれた。

川崎:そのまま何も相談せず、食事して寝てたら、ひょっとしたら脳梗塞が進行してたかもしれませんね。皮肉なことに、午前中に「生活支援費は、なにかあった時のためですよ」っていう説明してもらってたんですよ。そしたら、夕方にその“なにか”が起きたわけなので。仕組まれたようによくできた話ですね(笑)。

生活支援費と、なにげないことでも共有しておくことの大事さを知った川崎さん。「もう、最近なんか毎日のように報告に来てますよ!」と、福原さんは笑う。

川崎さんのエピソードには、大事なことを教えてくれる。それは、「ほほ笑みを交わす」ことが、いざというときの助けになるということだ。

たとえば、昨日のようなご飯会でもそう。実は、笑顔でおしゃべりをしながら、スタッフは「お箸をちゃんと持てているか」「食べ残しが多くなっていないか」「ちゃんと歩けているか」など、住人一人ひとりの全身運動を見ている。

また、毎日部屋を回って見回りもしている。「変わりないですか?」と声をかけ、身体の状態も確認。ほんの2,3分だが、「呂律が回ってないなとか、いつもよりむくんでるなとか、ちょっと元気ないなって気づいて、どうかしました?って聞くと、実は……みたいに打ち明けてくれることもあるので」と福原さん。

【写真】玄関で立ち話をする井上さん
この日も、スタッフの井上さんが見回りを行っていた

さりげない見守りは、住人同士でも生まれているらしい。たとえばお風呂。ナガヤタワーには、共用の岩風呂がある。予約制なのだが、「前の人がまだ出てこないんだけど、大丈夫かしら?」と、事務局に電話がかかってくることがあるそうだ。

福原:見に行ってみたら、単純に上がるのが遅くなっていただけだった、っていうのことがほとんどなんですけど。倒れてるっていうこともありえますからね。

あとは、住人さん同士がおしゃべりするなかで、「あなた、体調よくなさそうだから、事務局に相談したほうがいいんじゃない?」と声をかける、という光景もあるのだとか。

こうした見守り合いのエピソードを聞いて、江戸時代の長屋もそうだったのかもしれないなぁ、と思った。

長屋の特徴として、お互いが見守り合い、助け合う、相互扶助があったことがよくあげられる。そうした相互扶助は、地域コミュニティの衰退とともにうしなわれていったといわれる。けれどナガヤタワーでは、「微笑みを交わす」なかでさりげない見守り合いが行われていて、それがいざというときのケアにつながっているのだろう。

いつまでも幸せに、楽しく暮らす、という選択肢

ナガヤタワーで過ごすうちに、「年齢を重ねるにつれ、幸せに、楽しく生きることがむずかしくなっていくんじゃないか」という将来への不安が、すこし薄くなっていることに気づいた。

年齢を重ねても、家族に頼れなくても、病気や障害があっても……微笑みを交わし合う関係性の中で、いつまでも自由に、楽しく暮らすことができる。その選択肢となる場があるのだと、ナガヤタワーのみなさんは教えてくれた。

最期の瞬間まで、自由に、楽しく暮らすことができる。そう教えてくれた言葉がある。以前ナガヤ新聞に掲載された、ナガヤタワーで息を引き取ったYさんの息子さんから届けられた、Yさんからの伝言だ。

ここでは本当に自由でした。ペン習字に行き、買い物に生き、食事に出かけ、美術展を見に行きました。デイサービスも時々さぼりました(ごめんなさい)……私は好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、好きなテレビを見て、好きなものを食べました。そして、6月22日の朝、208号室で、息子の見守る中、旅立つことができました。本当に幸せでした。

ナガヤタワーは、今日も僕たちの未来を照らし続けている。

【写真】ナガヤタワーの屋上から見える桜島
(提供写真)

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連載:こここレポート