福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】白いニットを着たおばあちゃんが、ホテルの鍵を来訪者に渡している【写真】白いニットを着たおばあちゃんが、ホテルの鍵を来訪者に渡している

介護施設と同じ敷地内にある「尾道のおばあちゃんとわたくしホテル」をたずねて アトリエにおじゃまします vol.06

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のっけから個人的な話で恐縮だが、私は3年ほど前から、東京と岡山で二拠点生活をしている。

東京では都心に家を借りて編集者として暮らし、岡山では、瀬戸内海が見える自然豊かな場所で、小さな本屋を営んでいるのだ。

そんな私が日々思うのは、「時間」とは定量で固有なもののはずなのに、体感する時間の流れの速さは過ごす場所によってまったく変わるということ。

東京では、人に会い、いろんなお店に行き、膨大な情報に触れ、詰め込んだスケジュールの中で、あっという間に時間が過ぎていく。けれど瀬戸内海を眺め本屋を営んでいるときは、その穏やかな水面のように、ゆっくりと時間を感じている自分がいる。

「時間の流れの速度」を規定するものはなんだろう。そして私は、どんな時間を欲しているんだろう。ここ数年、そんなことを考えていた。

そんなときに、「あかしさんにぜひ行ってほしい場所があります」と、こここ編集部の垣花さんからお声がけをいただき、尾道へ向かうことに。

そこは、「時間」について考えるのにぴったりな場所だった。今日は尾道にある、とある一軒の小さなホテルをご紹介したい。

新尾道駅からタクシーで10分ほどの場所に位置する、三成(みなり)地区。コンビニやスーパー、飲食店などが立ち並ぶごくふつうの公道に、低い屋根が連なる数軒の建物が見える。

【写真】みなりちくのまちなみ。道路のそばに、ひくいやねのたてものが数軒並んでいる

タクシーを降りて近づいてみると、「YUZUCCO HOME MINARI」「尾道のおばあちゃんとわたくしホテル」と書かれた看板が。

【写真】看板におのみちのおばあちゃんとわたくしホテルという字が書かれている

「尾道のおばあちゃんとわたくしホテル」。

このちょっと変わったネーミングのホテルが、今回の旅の目的地。「わたしがわたくしになる、0.25倍速のスロー・ラグジュアリー」をテーマにした、3部屋だけの小さな宿泊施設である。

まずは取材の御礼も兼ねて、ホテルの環境デザインに携わった杉本聡恵(さとえ)さんにご挨拶。

右から、杉本さん、取材スタッフ、筆者

さっそくチェックインへ行こうとした、その時。杉本さんが、こんな言葉を投げかけてきた。

「みなさん、なんとお呼びすればよろしいでしょうか? 呼ばれてうれしい呼び方を教えてください。もちろん本名じゃなくても大丈夫!」

【写真】談笑をする、筆者、杉本さん、取材スタッフ

「私は、“さと”って呼ばれるとうれしいです」と杉本さん。……いや、さとさん。

なんと呼ばれたいか。そんなことをホテルで聞かれたことがなかったので、素直に驚いた。私は最近結婚をして苗字が変わったけれど、人からは「あかし」と呼ばれ続けたい。「あかし、でお願いします」とさとさんに伝える。

座らせていただいていた椅子からふと視線を下ろすと、「どんな名前で呼ばれると、たのしいきもちになるかしら?」という文字が書かれたパネルがあった。

そうか。ここは「お客さん」ではなく、「個」として私を見てくれる場所なんだ。そんなことを感じて、滞在早々心がじんわりとあたたかくなる。

【写真】玄関前の足元にパネルがおいてある。どんななまえでよばれると、たのしいきもちになるかしら。と書かれている

さて、そんなうれしい気持ちとともに、さっそくチェックインすることにしよう。

2つの施設名が書かれた看板、「個」に目を向ける姿勢、そして「尾道のおばちゃんとわたくしホテル」という名前……。これらの要素からなんとなく推測できるように、このホテルには一風変わった特長がある。

それは、介護施設である「ゆずっこホームみなり」が、ホテルに隣接されていること。

「ゆずっこホームみなり」は、訪問介護、デイサービス(通い)、ショートステイ(泊まり)など、それぞれの状態に合わせた介護のサービスが受けられる、「小規模多機能型居宅介護(通称:小多機)と呼ばれる施設だ。

このホテルは、隣でおじいちゃんとおばあちゃんがケアを受けながら生活をしていて、介護の現場を身近で感じられる場所なのである。

ホテルのチェックインカウンターは介護施設側の建物内にあり、チェックインは、施設を利用しているおばあちゃんが担当してくれる。

この日のチェックイン担当は、亀田さん。にこにこと、鍵を手渡してくれた。

白いセーターと青いスカーフが素敵な亀田さん。お客さんが来るのをいつもたのしみにしているのだそう

「ここは、いいとこだから、ゆーっくりできると思いますよ。お値段はちょっとするけどねえ(笑)」と冗談も混じえ、とってもチャーミング。

フォトグラファーのズボンの裾が捲れ上がっていることにいちはやく気づき、「直してやりい」とスタッフに耳打ちするシーンも。さすがの気配りである。

【写真】カメラ目線でこちらに微笑みかける杉本さん、亀田さん、ゆずっこホームみなりのスタッフ

ほかにも、フロントから施設をぐるりと見渡してみると、花を生けているおばあちゃん、おしゃべりを楽しむおじいちゃん……。みんながそれぞれ思い思いに時間を過ごしていた。

私はどんな時間の過ごし方をしようか? そんなことをぼんやり考えながら、チェックインを済ませ、ホテルに向かう。

ホテルはお庭を挟んで介護施設の左側に位置している。

お庭は共用なので、ホテルの敷地内では、散歩していたり、ティータイムを楽しんでいるおじいちゃんおばあちゃんと出会うこともあるのだとか。

通路を挟んでホテルと介護施設が隣り合わせになっている
【写真】ホテルの玄関扉に、おのみちのおばあちゃんとわたくしホテルと書かれている

あたたかみのある木の扉を開け、ホテルに足を踏み入れると、高い天井、こだわりのインテリア、入る日差しの気持ちよさに、大袈裟ではなく「わあ」と声が出た。

このホテルは、「感情が動くことこそが人生の幸せである」という考えのもと、時を重ねてきたもの、身体や心にやさしいもの、風や光など自然を感じられるものを選ぶことを大切にしながら設計をデザインされているのだそう。

さとさんが生み出した、「感情環境デザイン」という考え方だ。

さとさんは、もともと病院や介護施設で働いていて、「環境」が人々の感情に与える影響の大きさに気づいたのだという。介護施設に入って「ふつう」の暮らしが奪われると、とたんに感情が動かなくなってしまうことがある。けれど、人生において、いつまでも自分の感性を大切に生きてほしい──そんな思いのもと、福祉領域の環境デザインに取り組まれているのだ。

感情が動く、それこそが人生の幸せである。その考えには、心から共感した。

3つある部屋の名前にはそれぞれ、「自分だけの物語を紡いでほしい」という思いから、接続詞がついている。

【写真】鍵が3つおいてある。鍵に部屋のなまえが書かれている。1されど、わたくし。2もしも、わたくし。3まるで、わたしく

私が泊まったのは、「されど、わたくし」という部屋。

小さなお庭がついていて、テンピュール製のふかふかのベッドが2台ある、まるで物語の世界に出てくるような部屋だ。

【写真】部屋の表札にされど、わたくしと書かれている
【写真】部屋に置かれているコンセプト文。「されど、わたくし」「されど人生を良いものに。おのみちのおばあちゃんとわたくしホテルでは、物語を紡ぐようにそれぞれのときを過ごしてほしいという願いから、接続詞・副詞を入れた部屋名をつけています。こちらは、されどわたしくのお部屋」と書かれている

アンティークの窓をギイっと開けて、外を眺めていると、おじいちゃん、おばあちゃんたちがティータイムを楽しんでいる様子が見えた。

ああ、おじいちゃんおばあちゃん元気かな……と、自分の祖父母を思い出す。

【写真】椅子に座り、窓の外を眺めている筆者
【写真】窓の先の庭では、介護施設のおじいちゃんおばあちゃんが日向ぼっこをしている

そのあともホテルで時間を過ごしていて、あまりの居心地のよさに驚きっぱなしだった。

まずは、人工的な光がほとんどないのだ。都会でよく見かけるような蛍光色が、まったくない。

さらには、「冷たい」と感じる場所もほとんどなかった。さとさん曰く、触覚の冷たさは、心の温度も下げてしまうそう。だから「触ったときに冷たくないこと」には、設計時にとてもこだわったそうだ。

手すりにも、レザーが巻かれていた。

クーラーひとつとっても、剥き出しではなく、雰囲気に合う色のカバーで包まれていたり。

館内のいたるところに詩のあしらいがあったり……。

【写真】窓に言葉が書かれている。母との小さな旅は小さなケンカの連続 バスの時間は調べたか?ハンカチは2枚もったか?チリシはあるか?こちらはいつまでも小さな子どものまんま
ここにある言葉たちは、尾道という地域の空気感を知る、尾道出身のコピーライター、村上美香さんによるもの

ほかにも、リビングの隅にある素敵なアンティークの机には、宿泊者の方からのメッセージ帳があったり、お土産として2枚いただける、言葉のメモがあったりした。

すべてに、心がとくんと動く。

大切に迎え入れられていることを感じて、「ここにいてもいいんだな」と思える。

【写真】棚の引き出しを開けると、そこに「弱音も本音もひた隠し、私の音を探すのよ」という言葉が書かれた紙が入っている

この場所は、何ひとつとして、蔑ろにされていない空間だと感じた。

それは何も、すべて高級品で揃えられているとか、そういうことではない。

ひとつひとつ、思いを込めて選ばれていること。体験が心地よく設計されていること。そして何より、使う人の気持ちが想像されていること。それらが、しみじみと感じられるのだ。

「ここで過ごす時間は、ゆっくりと、思いやりとよろこびに溢れていてほしい」。そう自然と願っている自分に出会った。

夜に見せるホテルの表情は、昼間とはまったく違う。部屋の光が美しい陰影を生み出し、また別の物語が生まれそうだった。

本を読んだり、考え事をしたりして。ゆっくりと、夜は更けていく。

翌朝。

珈琲を入れてお庭でぼーっとしていると、昨日見た、おじいちゃん、おばあちゃんたちのティータイムの光景を思い出した。

【写真】部屋に備わっているテラスで、コーヒーを飲む筆者

そして、遠方に住む祖父母のことを思い出した。そういえば、最近デイサービスに通い始めたって言ってたっけ……。

心やさしく世話好きなおじいちゃんは、きっとデイサービスでもしっかり者なんだろうな。そんなおじいちゃんを、ニコニコとおばあちゃんは隣で支えながら見ているんだろう。

ああ、ふたりはどんな風に、日々を過ごしているのだろうか。祖父母にはコロナが始まってからもう3年以上も会えていない。それまでは毎年会いに行っていたのに……。

そんなことを思っていたら、部屋の机の上に便箋が置いてあることに気がつき、自然と、祖父母に手紙を書いてみようと思った。

ふたりに手紙を書くのなんて、人生ではじめてだ。

【写真】ホテルのリビング部分で手紙を書く筆者

コロナになってから会えていないけれど、大好きな気持ちは変わらないこと。プライベートも仕事も、マイペースにがんばっていること。今年はどこかで絶対に会いに行くこと。

そんな内容をしたためて、併設されていたポストに投函した。手紙を投函すると、スタッフの方々が切手を貼って郵送手続きをしてくれるのだそう。

ポスト横のパネルの文字を読む。

「逢いたい人の名前を3回唱えましょう」。

【写真】ホテルの庭に黒いポストが置いてある。そこに手紙を入れる筆者

おじいちゃん、おばあちゃんの名前を心の中で3度つぶやいた。

他にもお庭には、たくさんの言葉のパネルが存在する。

【写真】ホテルの庭に置いてあるパネル「なりたいものはなんですか」「なりたかったものはなんですか」と書かれている
【写真】ホテルの庭に置いてあるパネル「昔、デートした尾道のひみつの場所をおしえて」と書かれている。そのパネルにカエルがのっている

これらのパネルは、おじいちゃんおばあちゃんたちが、会話のきっかけにしたり、記憶を思い出すためにつくられているものなのだとか。

なりたかったもの。昔の恋のこと。さまざまなお題のことばに触れ、おじいちゃん、おばあちゃんが今まで歩んできた人生を考えた。そして、両親が年を取ったあと、さらには私や夫が年を取ったあとには、どんな答えを言うのかな、とも。

自分と大切な人たちの人生について考えている自分がいた。

そうして、チェックアウトの時間がきた。

1泊を過ごしてみて思ったのは、このホテルには、ひたすらに「安心」があったということだ。

迎え入れられているという安心。
大切にされているという安心。
情報を追いかけなくてもいいという安心。
自分自身の感情に向き合える安心。
大切な人のことを想える安心。
そして、焦らず、ゆっくりでいいんだという安心──。

そして、その「安心」できる環境によって生まれたのが、穏やかで、時間をゆっくり味わいながら過ごしたいと願う、自分自身の存在だった。

平野啓一郎さんが提唱した「分人主義」という考え方がある。一緒にいる人によって異なる自分が立ち現れたとしても、そのどれもが本当の自分であるという考え方だ。

私は今回のこのホテル滞在を通して、分人は、「人」に対してだけではなく、「環境」に対しても生み出されるのだと思った。

このホテルの環境で現れる私は、「わたし」ではなくきっと「わたくし」という言葉がよく似合った。外からの情報ではなく、内なる感情に目を向け、誠実で穏やかな、普段の0.25倍速の「わたくし」。

そして私は、この「わたくし」の時間を、人生の中で一定数必要としているのだと思う。ずっとじゃなくていい。もちろん、友達とゲラゲラ笑ったり、仕事に没頭してたまに疲れてしまったり、そんな自分自身も好きなのだけれど、たまーに「わたくし」になることで、自分自身が救われ、そしてもっと好きになれる。そんな小さな確信があった。

時間の速さを規定するもの。それはもしかすると、「どんな自分でいるか」なのかもしれない。

私はもっと、「わたくし」でいられる時間を大切にしよう。そんな思いを胸に、ホテルをあとにした。

【写真】ホテルの窓に「わたしがわたくしになる0.25倍速の時空間 時をゆっくり 時にゆっくり」と書かれている

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