福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】縁側で車椅子に乗って佇む女性と、その後ろで幼子を抱っこしながら外の景色を眺める女性【写真】縁側で車椅子に乗って佇む女性と、その後ろで幼子を抱っこしながら外の景色を眺める女性

自分らしく生きるってなんだろう? 一人ひとりの人生に向き合う介護事業所「あおいけあ」をたずねて “自分らしく生きる”を支えるしごと vol.01

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「自分らしさ」とは、なんだろう。 強みや得意を活かせていること? 自然体でいられること? 自分の価値観を大切にできていること?

いろいろと考えつく中で確かだと思うのは、何かひとつの側面や単純な要素が「自分らしさ」を規定するのではなく、複雑な要素が絡まり合って自分という存在はできていることだ。

育ってきた家庭環境、出会ってきた人々、趣味嗜好、安心できる場所、辛かったことや楽しかったこと。どれもが「わたし」を作り上げている大切な要素で、それらによって「自分らしさ」が育まれている。できることなら、そんな「自分らしさ」を大切にしながら生きていたい──。

しかし、実際に今の社会では、それを貫き通すことは簡単ではないとも思う。「こうあるべき」というような規範やルールが先にあって、そこに個人の生き方を合わせていかなければいけない場面に出くわすことも多いからだ。

そんな中で、「命ある限り自分らしく生き、一人の価値のある人間として存在する」という思いのもとに介護事業所を運営している会社を知った。歳を重ねても、認知症になっても、以前より体に自由がきかなくなっても、最後の最後まで自分らしく生きることを何よりも大切にしている場所。

それが、神奈川県の湘南エリアで複数の介護事業所を運営している「株式会社あおいけあ」だ。あおいけあでは、どのように出入りする人たちの「自分らしさ」を大切にしているのだろうか?

運営している2つの小規模多機能型居宅介護(※注1)「おたがいさん」「おとなりさん」とおたがいさんのサテライト「いどばた」、グループホーム「結」を案内いただきながら、代表の加藤忠相(かとう・ただすけ)さんに話を聞いた。

※注1:訪問、通い、泊まりなど、利用者それぞれの状態に合わせた介護サービスが受けられる施設。通称「小多機」。

サポート役であるはずの人が、他者の人生の主導権まで握ってしまうのはおかしい

夏の日差しが強い日だった。汗を流しながら小田急江ノ島線 六会日大前駅から10分ほど歩くと、あおいけあにたどり着く。連なる建物の屋根は低く、空が青く広がっていて、緑がたくさんあるとても気持ちいい場所だ。

【写真】「いどばた」のソファにこどもたちがくつろいでいる、また近くのテーブルでは各々お祭りの準備をしている
小規模多機能型居宅介護「おたがいさん」のサテライトとして使用されている「いどばた」の空間。あおいけあのHPには「これまでの『お年寄りが行く施設』ではありません、お年寄りが主役の『第2の我が家』」「居心地が良いです。その証拠に(?)よく近所のオバチャンや子供たちがあがりこんでお茶を飲んだり遊んだりしています」と書かれている。

代表の加藤さんがあおいけあを立ち上げたのは、2001年、25歳のとき。「命ある限り自分らしく生きる」ことを大切にしたいと思った原点は、高校時代に出会った先生のある姿を見たことだ。

高校時代、全国大会に毎年出場するような吹奏楽部に入っていたんです。そこの指導者の先生が、僕が大学生になった時に癌になって入院しました。先生には引き続き指導をしたいという思いがあったのですが、もう余命が長くなく、日常的に指導できる状態ではありませんでした。

そんな状況のなか、先生がいないなりにOBたちが頑張って指導してその年の全国大会出場をなんとか勝ち取りました。報告を聞いた先生はその大会で「どうにかして最後に一度指揮を振らせてほしい」と病院側にお願いをしたんです。

しかし病院側が出した答えは「外出不可」。リスクが高いという理由で、一時退院だとしても決して首を縦に振らなかった。結果的に先生は自ら退院することを決め、指揮をしに来てくれた。大会では、その年の日本一の成績で、今でも後世に語り継がれるほどのすばらしい演奏が生まれたのだという。

その時に、日本の医療に大きな違和感を覚えました。先生にとっては、たとえ余命が短くなったとしても指揮できた方が人生として幸せだったはず。でも、医療は人が幸せに生き切ることよりも、少しでも延命することを優先してしまうんですよね。

あおいけあ代表の加藤忠相(かとう・ただすけ)さん

やりたいことを我慢して、大切なものを失ってまで「寿命をのばす」ことが本当に幸せなのだろうか? そんな思いを抱くようになった加藤さんは、大学卒業後、家庭の事情がきっかけで予期せず介護の道に進むことになる。

しかし、最初に働いた介護施設では、一斉に100人の高齢者のおむつ交換をしたり、お風呂やドライヤーの時間がすべて決められていたり……1日の流れが完全に決まっていて、どこにも高齢者の自由がなかった。

介護や医療とは、人を“健康にする”ことが本質的な目的ではありません。その人が最後の時まで生きがいを持って暮らしていくためのサポートが目的だと思うんです。でもサポート役であるはずの人が、他者の人生の主導権まで握ってしまうケースがある。それはおかしいと思います。

支配や管理をされることなく、最後まで自分らしく生きてほしい。人の尊厳を絶対に奪わない。そんな強い思いとともに独立して作ったのが、あおいけあだった。

環境設計によって、自然発生的に人生が交差している

実際にあおいけあの施設内を見学させてもらうと、さまざまな光景に出くわした。プールではしゃぐ夏休みの子どもたち。それを見ているおばあちゃんや、赤ちゃんを抱っこするお母さんの姿。

夏祭りの踊りの練習をしていたり、施設内で散髪をしている子どもたちがいたり、サングラスをしながらサラダを盛り付けているおしゃれなおばあちゃんがいたり……。

【写真】ビニールプールではしゃいでいるこどもたち
【写真】鏡の前で髪を切ってもらっている子とそれを眺める子どもたち
【写真】サングラスをかけ、食事の準備をする女性

みんな、いきいきと自分のやりたいことをしていた。そしてどの景色も、無理に「作り出された」感覚がまったくなかった。自然発生的に、それぞれの人生が交差している感覚。

あおいけあは、敷地の外と内を遮っていた塀を取り壊して地域住民の「抜け道」を作ったり、介護施設の上で書道教室を行ったり、以前は喫茶店や和食料理屋が入っていたりと、地域の方との関わりも大切にしてきたという。だからこそ自然発生的にさまざまな光景が生まれているのかもしれない。

【写真】太鼓を叩いている女性
取材日の翌日に控えた夏祭りに向けて、太鼓の練習している方も。加藤さん曰く「『イベントそのもの』は目的ではなく、地域の方々とよりよい人間関係を構築する『きっかけ』づくりなのだという」

私が想像していた介護施設とはまるで違う。なんだか、仲の良い大家族の家にお邪魔しているような気持ちになった。そう伝えると、加藤さんからは次のような言葉が返ってきた。

子どもたちが将来、“認知症になったとしても別に自分らしく生きられるじゃん”と思えるような環境をつくることが大事だと思っています。だからこそ、地域の方や子どもたちが自然と関われるような場所になるようにしたいんです。

「自分らしく」を支えるあおいけあの流儀

実際に、利用者の「自分らしさ」を支えるためにあおいけあが大切にしていることは何なのだろうか?

まず、あおいけあの最大の特徴は、「決められたルールがほとんどない」というところにある。「この時間にはこの作業をしてもらう」といった、施設都合のタイムスケジュールがほとんどなく、利用者に合わせた100人100通りの「ケアプラン」に沿ってスタッフたちは動いていく。一人ひとりの尊厳や、やりたいことにとことん寄り添うのである。

システムをつくり、そこに人をあてはめるのが好きじゃないんです。たとえば昔、施設内におばあちゃんが運営する駄菓子屋さんがあったのですが、それは、そのおばあちゃんが昔駄菓子屋をやっていたからやろうと決まったこと。その方が亡くなったので今はやっていません。同じように、庭の掃除をしてほしいからさせるのではなく、過去に庭師だった人がいるから庭を綺麗にしてもらう、といったように、一人ひとりに合わせた行動ができるようにしています。

見学するなかで、お化粧を楽しんでいる方とも出会った

「一人ひとりの尊厳を守る行動」を支えているのが、「アセスメント」と呼ばれる利用者の情報をまとめた膨大なファイルや、スタッフが日常生活をメモしている記録ノートだ。

スタッフが日常生活をメモしている記録ノート。利用者との関わりのなかで印象に残った場面などが4コマ漫画風に記されていたりするとのこと

アセスメントは基本的にどの介護施設にも存在するが、「できないこと」のみにフォーカスしてしまうことへの懸念を、加藤さんは語る。

施設によっては、ADL情報(※注2)の弱点ばかり書いているところが多いんですよね。歩けないとか、ひとりでごはんを食べられないとか。できないことばかりを知って、それで“いいケア”ができるでしょうか? 弱点だけではなく、好きな食べ物や趣味、誇り、興味関心、人間関係や暮らし方など、その人のこれまでを形作ってきた情報がないと、いいケアプランが作成できるわけがありません。

(※注2)Activities of Daily Livingの略で、生活を送るために行う活動の能力のこと。

これまでどんな人生を歩んできたか。何を大事にして生きているのか。あおいけあは、一人ひとりの「人生」にとことん向き合う。

加藤さんが編著を担当した『世界が注目する日本の介護(講談社)』には「『その人らしさ』とは、『本人が得意なことをしてほめられ、楽しい時間を過ごしている』ときにこそ発揮される」と書かれている。

得意なことやできること、やりたいことに目を向けて楽しい時間を過ごす。その積み重ねによって、人は元気になっていく。すると、「できないこと」が気にならないようになっていくのだ。

相手の持っている畑を耕して、相手の生活がうまくいくように気にかけていくことがケアだと僕は思っています。ひとりでお茶が淹れられないおばあちゃんがいたら、どうやったら自分で淹れられるようになるんだろう? と考えるのが介護の仕事。決められた時間に、代わりにお茶を淹れてあげることじゃないんです。

「機械的な作業をさせてしまうことが、介護の仕事に人が集まらないひとつの要因だと思っています」と加藤さんは続ける。

「やらなきゃいけないことが決まっていない」を意識をしたことがない

あおいけあで働くスタッフは現在、50名ほどだという。今回、実際に働いているスタッフにも話を聞いた。

椎名萌さんは、18歳からあおいけあで働きはじめて現在31歳。母親もあおいけあの社員で、学生の頃からずっとこの場所に出入りをし、自身の結婚式もこの場所で挙げたのだという。現在は産休中で、生後半月の赤ちゃんを連れて偶然施設にいらっしゃった。産休中だけれど、頻繁に出入りしているそうだ。

椎名萌さん

あおいけあの「やらなきゃいけないことが決まっていない」ことやマニュアルがない自由な運営に対し、椎名さんはどう感じているのだろうか?

「めずらしい」とかよく言われるけれど、昔からこの環境があたりまえだったので、特に意識したことはないんですよね。おばあちゃんたちに“認知症”というレッテルを貼って見たことは一度もなくて、目の前にいる、ちょっと物忘れしちゃうただのおばあちゃんを大事にしているだけ。大事にしたいし知りたいからアセスメントを読むけれど、“読まなきゃ”という感じではまったくないです。

さらに椎名さんは、お母さんに言われた「認知症の症状がある人は嬉しいことより嫌なことの方が覚えてるんだよ」という言葉を大切にしているのだという。

嫌なことを覚えてしまいがちなら、ありがとうをいっぱい言おう、嫌な思いをさせないようにしようと思っています。忘れちゃってもいいから、嬉しいことをいっぱいしてあげたい。幸せに生きてほしい。本当に、そういうただ単純な気持ちでしかないんです。

心からそう思っていなければ、わざわざ産休中に職場まで足を運ばないだろう。おばあちゃんと接している椎名さんの姿は、本当に楽しそうで幸せそうだった。

「人として接する」ことを、何よりも大切にしているからこそ

加藤さんや椎名さんの話を聞き、そして実際に見学をさせてもらうことでわかったこと。あおいけあにいる人たちが「自分らしさ」を守れる理由は、「人と人としての関係を大切にして生きているから」なのだろう。

認知症だから、高齢者だから、職員だから、子どもだからとか、そんなことは関係ない。一人ひとりが相手に興味を持ち、「人間」として接する。だからこそ、その人の過去が知りたいし、その人が大事にしていることを大事にしたいという気持ちが生まれていく。加藤さんも、一番大切なのは「よりよい人間関係の構築」だと言う。

マニュアルがあると、そこに書かれていることを守ることが目的になってしまう。そうではなく、目の前にいる人と「よりよい人間関係」を築いていくために何ができるか考えて動くこと。

もちろん、いつもうまくいっているわけじゃないですよ。失敗もあります。でも、人間関係を築く上で失敗することはあたりまえじゃないですか? 日々トライアンドエラーなんです。人はうまくいかない時に成長するのだから、失敗を許容する文化は必要だと思っています。

一人ひとりの人生に目を向け、よりよい関係性を築くための方法を模索し、失敗や成功を積み重ねながら日々を過ごしていく。加藤さんの話を聞いて、介護の仕事とは、課題を見つけ、想像し、解決策をさまざまな方法で見つけていくクリエイティブな仕事である──そう思った。

【写真】利用者と一緒に太鼓をたのしむスタッフ

あおいけあをあとにするとき、子どもたちがプールで遊んだあとの片付けを、職員、おばあちゃんおじいちゃん、子どもたちみんなでやっている姿を見た。

そこには「利用者」や「職員」といった線引きはなく、あおいけあに集まった人々が、心を大切に共に生きている姿。ただそれだけを感じるのだった。

【写真】利用者、スタッフ、子どもたちがプールの後片付けをしている
【写真】気づくとさまざまな人が集まって思い思いに過ごしている

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