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外国にルーツのある子どもが教えてくれる、「届ける」ための言葉と教育のかたち。『ことばのヤングケアラー』出版
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表紙画像。アジズさんの少年時代のポートレート写真
発行:クリエイツかもがわ

家族の「通訳」を担ってきた子どもの物語

“言葉は、乗り越えるものではなく、「届ける」ためにある”

パキスタンで生まれて9歳の時に来日して以来、家族の通訳や手続き対応を一身に担ってきたアジズ・アフメッドさんによる著書『ことばのヤングケアラー』に、この印象的な一文があります。

2026年5月26日に刊行された本書は、「ことばのヤングケアラー」という、これまで十分に可視化されてこなかった課題に光を当てています。外国にルーツをもつ子どもたちの視点から、「言葉」が人と社会をつなぐうえで重要な力になること、それゆえに重い責任を人に負わせることもあると教えてくれる一冊です。

言葉を通じて居場所を見つけた少年時代から、〈NPO法人ともくら〉の代表理事として子どもたちの支援活動を行うまでの、アジズさんの十数年間を綴った物語でもあるこの本。多文化共生を理念として語るだけでなく、誰が情報や支援にアクセスできずにいるのかを明らかにし、具体的な支援のあり方を考えさせてくれます。

【写真】遊園地のような場所で、ベンチに腰掛ける少年
来日したばかりのアジズ・アフメッドさん

「ことばのヤングケアラー」とは何か

「ヤングケアラー」とは、本来大人が担うようなケアの責任を引き受けている子どもや若者を指します。2020年ごろからメディアで取り上げられる機会が増え、家族の世話を日常的に行う子どもの存在が認知されるようになってきました。

これまでヤングケアラーの問題では主に、家事や介護を担う子どもたちに焦点が当てられてきました。それに対し今回の「ことばのヤングケアラー」とは、外国にルーツをもつ子どもが、家族の通訳や翻訳、代筆などを担う状況を表す言葉です。

病院での診察、学校とのやり取り、行政手続き。子どもたちは単に言葉を訳しているのではありません。家族の生活や健康、時には人生を左右する重要な場面に立ち会い、その内容を理解し、伝える役割を担っています。

特に家庭の中で起きていることは外から見えにくく、保護者が日本語を話せない場合も、「子どもが話せるなら大丈夫だろう」と受け止められてしまうこともあります。けれども、日本語が話せることと、医療や行政、進学に関する複雑な情報を理解し、家族に伝え、その責任を引き受けることはまったく別の問題です。その負担はこれまで十分に社会に認識されてきたとは言い難いでしょう。

本書は、こうした見えにくいケアの実態を、当事者の経験を通して描き出しています。

アジズ・アフメッドさんの半生が語るもの

『ことばのヤングケアラー』は当初、外国にルーツのある子どもたちや、その子たちに寄り添う教員たちの、困りごとの解決を目的とした企画として構想されていました。しかし打ち合わせを重ねるなかで、まずは子どもたちが背負わされている責任や負担の大きさをみんなが知ることが重要であり、それなくしては表面的な解決にとどまってしまうという結論に至ったそうです。

その結果、支援のハウツーを示すのではなく、アジズさんの人生や経験を描く構成へと舵が切られました。支援策を論じる前に、一人の人生に耳を傾ける。その編集方針自体が、本書の大きな特徴であり、読者の理解を深める力になっているように感じます。

著者のアジズ・アフメッドさんは、1999年にパキスタンで生まれ、9歳で来日しました。幼少期を過ごしたパキスタンから日本へ。言葉も文化も大きく異なる環境のなかで、日本語がわからないまま生活が始まります。

【画像】本の見開き。日本の学校生活初日、の小見出し
来日したばかりで、異なる言葉や文化に戸惑う小学生時代が回想される。『ことばのヤングケアラー』p.38-39

本書では、小学校、中学校、高校、大学、そして〈NPO法人ともくら〉の設立に至るまでの道のりが詳細に振り返られています。

学校で言葉や文化を学ぶ一方で、家では家族の通訳としての役割を担うようになる。学校では何とか異文化に溶け込もうと、時に自分を押し殺しながら友人と関わる一方で、家に帰れば家族を支える責任が待っている。そのアンバランスさは、平易な言葉で語られているからこそ、かえって切実さが際立ちます。

著者は、ことばのヤングケアラーとしての役割を「単なる通訳ではなく、トラウマである」と表現します。例えば父親の病気のとき、医師からの説明を通訳しなければならなかった経験。家族の命や暮らしに関わる場面で、子どもが大人の役割を担わざるを得ない責任は、もはや「通訳」では言い表せません。その責任の重さが、本書を通して具体的に描かれています。

【画像】本の見開き。見えない世界に取り残されて、の小見出し
『ことばのヤングケアラー』p.50-51

一方で、本書は困難だけを描いているわけではありません。

パソコンとの出会い、先生との出会い、本との出会い。言葉が「壁」だった時期を経て、やがて言葉は「橋」へと変わっていきます。

言葉が、ただ日本社会に適応するための手段ではなく、誰かとつながるためのもの、自分の居場所をつくるためのもの、そして自分の声を誰かに届けるためのものでもあると気づいていくアジズさん。「誰かの『わからない』に寄り添う人になりたい」と、自分が経験した困難を次の世代の支援へとつなげていく思いを抱き、外国ルーツをもつ子どもたちを支援する〈NPO法人ともくら〉を設立します。

自分が欲しかった支援を、今度は自分が手渡す側になる。その歩み自体が、本書の大きな説得力になっています。

【画像】本の見開き。高校生活のスタートと、言葉の壁を超えた感覚、の文字
言葉との向き合い方に変化が訪れた高校時代を描く。『ことばのヤングケアラー』p.106-107

わからない、に寄り添う〈ともくら〉の活動

本書では、現在のNPOでの取り組みについても紹介されています。

外国にルーツをもつ子どもたちが自分の経験を物語として描く絵本プロジェクト「Kodomoえほん」、進学情報をわかりやすくまとめた高校進学ガイドブック、相談支援など、さまざまな実践が行われています。

【写真】明るいホールの大階段に、たくさんの若者がこちらを向いて座っている

これらに共通するのは、情報や機会へのアクセス格差を埋める視点です。

日本で育った人にとって当たり前の情報が、外国ルーツの家庭には届きにくいことがあります。入試制度、学費、必要書類、進学の選択肢。情報の不足は、将来の「選択肢」そのものを狭めてしまいます。だからこそ、支援は善意ではなく、社会の仕組みとして整えられる必要があります。

もちろん、国籍や家庭環境、地域によって、直面する課題も必要なしくみも異なります。本書には「海外にルーツをもつ いまは大人の座談会」も収録され、外国ルーツの経験が決して一様ではないことが、参加者たちの語りから見えてきます。一方で、「説明しきれない生きづらさ」や「わかってもらえない感覚」には共通するものもあります。また、教員が一人で問題を抱え込んだり解決しようとしたりするのではなく、専門機関や地域の支援者とつながりながら課題に向き合う必要性も示されています。

アジズさんたちがめざすのは、困ったときに助けを求められ、その声を受け止める大人や仕組みがある社会です。多文化共生とは、異なる文化的背景をもつ人々が同じ地域に暮らすことだけを意味するものではなく、必要なときに適切な支援へアクセスでき、誰もが安心して声を上げられる環境を整えること。その積み重ねが、共に生きる社会の土台になるのだと、本書は教えてくれます。

健康や生活への影響をどう捉えるか

本書の刊行を記念したイベントも開催されます。2026年7月31日(金)、アジズさんが活動の拠点にしている群馬県前橋市の本屋〈水紋〉にて『ことばのヤングケアラー』刊行記念イベントが行われます。

当日は著者のアジズさんに加え、共同執筆者の仲田海人さん、さらに映画『ブルーボーイ事件』の飯塚花笑監督がゲストとして登壇予定です。

【画像】刊行記念イベントのキービジュアル。7月31日開催

仲田さん自身も、きょうだいヤングケアラーの経験を持つ当事者。今は作業療法士の視点から、ことばのヤングケアラーが健康や生活に及ぼす影響を分析しています。

ヤングケアラーの問題は、単に「手伝いが多い」という話ではありません。十分に休めないこと、自分の時間を持てないこと、相談相手を見つけられないこと。そうした積み重ねが、子どもの発達や進路選択はもちろん、健康や生活に大きな影響を与える可能性があります。

本書が重要なのは、それを「がんばっている子ども」の物語として消費するのではなく、「子どもの権利」の問題として捉えている点です。支援を受けることは特別なことではなく、安心して学び、遊び、相談できる環境は、本来すべての子どもに保障されるべきものだからです。

そしてこの視点は、外国ルーツの子どもたちだけに向けられるものではありません。家族を支える子ども、地域の中で孤立しやすい家庭、制度にアクセスしにくい人たち。そうした人々が「助けて」と言える社会をどうつくるのか。本書は共生社会の足元にある問いを、誰もが日々扱う「言葉」を通して、私たちに投げかけています。

言葉は、人を孤立させることもあれば、人と人をつなぐ橋にもなります。本書が投げかけるもう一つの問いは、「言葉は何のためにあるのか」。その答えはきっと、人と人をつなぎ、「わからない」に寄り添うことの中にあるのではないでしょうか。