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世界に知られるアートはなぜ生まれた? 福祉施設「やまなみ工房」山下完和さん新刊『咲ける場所に置いてくれ』
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様々な色が重なったうえに、タイトルが書かれた表紙画像
2026年8月に〈ライフサイエンス出版〉より発売

山下さんの半生と「やまなみ工房」の軌跡が綴られた一冊

独創的な作品が、国内外から注目を集めている「やまなみ工房」。

かつて作業所だった施設は、いつ、なぜ表現活動を行うようになり、どのように作品が生み出されてきたのか。「福祉界の異端児」と呼ばれてきた施設長・山下完和(まさと)さんが、自らの半生と「やまなみ工房」のこれまでの軌跡を綴った書籍『咲ける場所に置いてくれ』が刊行されました。

職を転々とした20代までの記憶、福祉との出会い、表現活動を行うようになった経緯、施設の継続が危ぶまれたエピソード……。本書には、50年以上に渡り山下さんが見てきたことが、今そこで起こったかのように、ありありと描かれています。作家一人ひとりとの関わり方を通して、やまなみ工房の活動の本質はどこにあるのか、一人ひとりが「咲く」ことができる場所はどのようにつくることができるのかについても考えるヒントとなる一冊です。

【写真】絵画や、人形や洋服などさまざまな造形物が、所狭しと飾られたギャラリー
「やまなみ工房」のギャラリー(本書p291に掲載されている写真)

「やまなみ工房」とは

「やまなみ工房」は、滋賀県甲賀市にある障害者福祉施設です。所属する90名あまりのメンバーの関心を中心に、一人ひとりの思いやペースに沿って表現活動を行っています。

設立したのは山下完和さんの父、勝也さん。「やまなみ共同作業所」として3名の障害のある人とともに、1986年にスタートしました。当初は手作業の内職仕事を中心に請け負っていましたが、1990年頃から表現活動に力を注ぐようになります。

【写真】ベンチのようなところに1列に並んでいるメンバーたち
「やまなみ共同作業所」時代の様子

認可外の作業所だった施設は、1996年に〈社会法人やまなみ会〉として法人化し、1997年に新施設「やまなみ工房」を開所。その後も増築を重ね、ギャラリー、カフェ、ショップ、ライブハウスなどのスペースをオープンしています。

また、クリエイティブ・ユニット「PR-y」との共同プロジェクトで作品をデザインとして使用した洋服を国内外で販売するほか、ポートレート集、作品集、ドキュメンタリー映画など、さまざまな媒体を用いて、幅広く社会へ発信を行ってきました。

変化のきっかけとなった、一人の「いつもと違う姿」

本書『咲ける場所に置いてくれ』は、その情熱と行動力で「やまなみ工房」を世界中から注目を集めるアトリエへと導いた現施設長・山下さんによる初の著作です。

物語は、山下さんの幼少期からはじまります。障害者施設で働いていた両親とともに、施設の敷地内にある社員宿舎で障害のある人に囲まれて暮らしていたこと。家族の不和におびえていた小学校時代の思い出や、中学から20代半ばまで続いたバンド活動のこと。高校を卒業して、定職に就かず次から次へと環境を変えていた20代の記憶。第1章では、軽やかな語り口で、山下さんの今につながる半生が語られます。

やがて「やまなみ共同作業所」で働き始めた山下さん。転機となったのは、利用者の一人であり、自ら言葉を発することがほとんどない三井啓吾さんが、鉛筆を握りしめ、コピー用紙に向かって高速で描く姿に惹きつけられたからでした。

“声を掛けるのを躊躇し、少しの間言葉もなく身動きできないほど圧倒された。これは決して紙に姿を現したなぐり描きを見たからではない。ただならぬ勢いの中に映る、彼の笑顔を見たからだ。”

(第2章「心が優しい人にしか見えない妖精」p.62)

メンバーが表現する機会を作る

啓吾さんの笑顔をきっかけに、メンバーが夢中になれること、喜ぶことをしたいという思いを抱くようになった山下さん。第3〜5章では、メンバーが表現する機会を作ろうと奮闘する様子が描かれます。

とはいえ、メンバーの中には、それまで自らを自由に表す機会が得にくかった人もいます。当然、誰もがすぐ表現活動に取り組み始めるわけではありません。

例えばメンバーの大原菜穂子さんは、当初頑なに粘土を触ろうとしませんでした。創作を促すことをやめ、月日が流れたある日、栗拾いに夢中だった菜穂子さんの傍で、山下さんは求められるままに栗を焼き続けます。とうとう焼く栗がなくなったとき、ふと菜穂子さんに「粘土で栗作ってよ」と投げかけてみると、ためらいなく粘土で栗を作り始めました。

山下さんは、「僕にできることは、彼女が自らの意思で何かを表現しようとするまで『待つこと』」だったと述べています。

“菜穂子さんが探し求めていたのは僕への信頼。「この人大丈夫? 私にとってどんな人?」。僕はようやく菜穂子さんに認めてもらえたんだ。もちろん環境も大事。でも何かをする時に最も大事なのは信頼関係。大好きな「こと」じゃなく、大好きな「場所」になるための「誰か」だったんだ。”

(第5章「咲ける場所に置いてくれ」p.114)
【写真】両手を使って、笑顔で粘土をこねている様子
粘土で制作をする大原菜穂子さん

施設長になってからの挑戦

社会福祉法人化、新しい施設の建設、そして存続が危ぶまれるようなトラブル。やまなみ工房を父が去らざるを得なかったことを含め、葛藤が多かった時代を経て、第8章からは山下さんが施設長に就任してからの挑戦が描かれます。

カフェ、ショップ、ギャラリーの建設、憧れの施設との展覧会の開催、クリエイティブ・ユニット「PR-y」との共同プロジェクト。作品は世界中に発信され、海外のマーケットでは美術品として販売され、たくさんの評価を受けるようになっていきました。

【写真】六角形に並んだテーブルの上に、作品が並んでいる
新しく増築されたやまなみ工房のアトリエ

もちろん誰より嬉しい気持ちはある一方で、盛り上がる様子をどこかで他人事のようにも眺めていたという山下さん。「本当に叶えたいことはもっと違う所にあった」と、表現活動を始めた当初からブレることがない思いが語られます。

“僕が目指しているのは彼らが素晴らしい芸術家と周りから呼ばれることでもなければ、彼らが驚くような対価を得ることでもない。彼ら自身が生きている今日を自分らしく健康で幸せに笑って過ごせているかどうか。ただシンプルにそれだけなんだから。”

(第10章「DISTORTION」p.223)

山下さんは、「僕にはアートがわからない自信がある」と公言します。それでもたくさんの展覧会を行い、日々作品の発信をするのは、自分が大好きなアーティスト(やまなみ工房のメンバー)のことを多くの人に知ってほしいから。実際に本書でも、さまざまなメンバーの名前をあげ、一人ひとりと信頼関係を積み重ねながら、表現が創作へとつながる様子が丁寧に描かれています。

第12章から最終章にかけては、そんなメンバーが安心できる日常をつくる、やまなみ工房のチームについても書かれています。山下さんが「スタッフファースト」だと言い切るのはなぜなのか。スタッフとメンバーのどのような関係性の中で作品は生まれてくるのか。一人ひとりが「咲ける場所」をつくるためのヒントを、ぜひ書籍を読んで感じてみてください。

【写真】左手で絵筆を持ち、数字を描くメンバーの様子

刊行記念トークが11月末に開催

本書の刊行を記念したトークイベントが、2026年11月29日(日)19:00〜21:00に、〈勤労福祉会館ホール〉(東京都杉並区)で開催されます。やまなみ工房と親交が深い内田也哉子さん、作品とコラボレーションしたアルバムをリリースした清春さんを迎え、「やまなみ工房がアーティストに呼びかけるもの」をテーマに語り合います。参加費は3000円で、申込み方法は後日やまなみ工房のSNS等で発表予定です。

細密な絵を色鉛筆で色付けする手元

「メンバーが自分らしく笑って健康に過ごせるかどうか」。30年以上に渡って、そんな変わらない思いを抱き続ける山下さん。

本書は施設の歩みを通して、その人らしく生きられる場所はどのように作ることができるかを問い直す一冊でもあります。支援に携わる方、アートや福祉に関心のある方、場づくりに興味のある方は、ぜひ一度書籍を手にとってみてください。