こここなイッピン
「7色の色とカラフルな色」〈やまなみ工房〉
福祉施設がつくるユニークなアイテムから、これからの働き方やものづくりを提案する商品まで、全国の福祉発プロダクトを編集部がセレクトして紹介する「こここなイッピン」。
今回は〈やまなみ工房〉に通所するメンバーが手がけた刺繍作品。長い年月をかけて一針一針糸を重ねた、重厚なアートピースです。
一針一針、想いを込めて糸を重ねた、“時間の集積”ともいうべきアートピース
遠くから眺めると、中央の青・黄・薄ピンクの色の帯が両側の落ち着いた色味によって引き立つ、独特な調和のとれたデザイン。
近くに寄って目を凝らすと、シックなカラーだと思っていた布の両側は、赤・水色・青・ピンク・黄・薄紫・黒という7色の刺繍糸が隙間なく布を埋め尽くすことでできた色なのだと、ようやく気づきます。
規則的な色の反復、針を差し込む間隔の均一さ、丁寧な糸の返し縫い。一本一本の刺繍糸が布全体を覆うまで、いったどれほどの月日がかかったのか……と、手仕事の風景に想像を巡らせたくなるイッピンです。
「7色の色とカラフルな色」と名づけられたこの作品は、滋賀県甲賀市にあるアートセンター&障害者福祉施設〈やまなみ工房〉に通所する田中乃理子さんが手がけています。1997年から同施設に所属し、特別支援学校に通っていたときに教わった刺繍を、長年、大切に、自身のアートワークとして続けてきました。
“縦”の刺繍
ひとつの作品に、決まった5色もしくは7色の糸を一組と定め、規則的に色を並べて“縦”方向に縫っていくのが田中さんの刺繍の流儀。赤糸の隣は水色の糸、その隣は青糸……と、糸一筋ごとに色を変え、隣に沿わせながら縫い進めます。
糸は留めの処理を行わず、始めと終わりに一度返し縫いを施し、ジョキッとはさみでカット。そのフリンジのような切り口は、田中さんの作品のオリジナリティをさらに際立たせるポイントです。この端の処理は、作業中に引っ張っても糸が抜けないようにと、長年の経験から独自に生み出した工夫なのだとか。
自分の体側から外に向かって、ひたすら“縦”に縫っていく。なにかしらのモチーフを糸で描くことが多い一般的な刺繍作品と異なり、反復による色や糸の移ろいのおもしろさと、そこに垣間見える集中力と、時間の集積。それらがこの作品の魅力かもしれません。
月日をかけ、布の端から端へと隙間なく緻密に糸を並べ、やがて布一面に施されて、作品は完成します。
田中さんの、好きな人・コト・モノ
田中さんが刺繍作品を手がけるようになったのは、特別支援学校での実習がきっかけでした。刺繍を教えてくれた担任の先生が、とにかくやさしくて大好きだったといいます。
「先生に私の刺繍をみてもらって、ほめてもらいたいです」
という田中さん。やさしい記憶と、刺繍は楽しいという制作への喜びが、彼女のなかにはとても大きなものとして存在しているようです。
日々、とてつもない集中力を傾け、多くの時間を刺繍に充てる田中さんですが、元来とても陽気でおしゃべり好き。お笑いファンのスタッフと、お気に入りの芸人の話をするのも彼女の大切な時間です。スタッフとのノリ・ツッコミのある会話は、まるでコントのように笑いが絶えません。
また、施設のホールで行われるフィットネスや仲間とのカラオケ、映画鑑賞などのレクリエーションには必ず参加するといいます。〈やまなみ工房〉は彼女にとっての楽しい時間に満ちた場所。スタッフに対しても「私の話をよく聞いてくれるので、うれしいです」と語ります。
メンバーの喜びや、安心できる空間をつくり出す〈やまなみ工房〉
1986年、滋賀県甲賀市に開設された〈やまなみ工房〉。所属するメンバーそれぞれの興味や関心のある活動を中心に行い、一人ひとりの生きがいや充実感を一層深められるような活動を行っています。
施設のスタッフは、メンバーの創作や活動に対して決して“評価”をせず、各人の「これをすることが幸せ」というものを尊重し、引き出し、サポートすることに徹底しています。
田中さんにとっての「これをすることが幸せ」は、刺繍であり、仲間と楽しむレクリエーションであり、スタッフとの楽しい会話。心地いい時間や、安心できる空間が〈やまなみ工房〉にあるからこそ、田中さんは大好きな人たちを想いながら糸を重ね、その時間と想いの集積が作品の魅力として表れてくるのかもしれません。