一見、中立に見える「普通」の都合のよさ そのときの私が語りたいこと、誰かと考えたいこと。なみちえさん×下地ローレンス吉孝さん 往復書簡 vol.02
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人の複雑さや多面性、そして流動性を、私たちはどうすれば尊重できるのだろうか?
以前、そんな問いをもとに、アーティストのなみちえさんと『「ハーフ」ってなんだろう?――あなたと考えたいイメージと現実』(平凡社)の著者である下地ローレンス吉孝さんに対談いただいた。
その対談をきっかけに実現した、おふたりによる往復書簡連載。前回なみちえさんからの便りには「日本と海外で見る/見られるの構造変化を感じましたか? 何を凝視/観察しましたか?」という問いが記されていました。なみちえさんからの便りを受けて、アメリカにいる下地ローレンス吉孝さんからの便りをお届けします。(こここ編集部 垣花つや子)
往復書簡という形の「遅さ」
「ボンソワール!」で始まる素敵なお手紙、ありがとうございます!めちゃくちゃ嬉しく手にしました!わーーい。自分は今、アメリカからこの手紙を書いております。
「往復書簡」――。知っているようではっきりと言語化できなかったので(いまさら!)意味をちゃんと調べてみました(言葉にいちいち突っかかる職業病)。
「書簡」は手紙あるいは便箋などで、「往復書簡」は文通(書面やメールでのやりとり)とのこと。二人以外にもだれでも読める形という点でふつうの文通とはもちろん違うんだけれど、こうやってメールやDMなどでなんでもすぐに(絵)文字のやりとりができる加速的な時代に、「手紙」という形式の(実際にはこうやってペンと紙ではなくパソコンで文字を打ってはいるのだけれど……)やりとりができるのがとても嬉しいなと思います。
「速さ」が良いとされる時代に(もちろんそれはそれで便利なことが多いのだが)、なみちえさんと往復書簡という形の「遅さ」を選択するということに、その「良さ」に出会っていけることに、とても興味深さを感じています。
ちょうど、なみちえさんから手紙を受け取ったあと、この手紙を書く間に、吉原真里先生の『親愛なるレニー:レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』という本を読みました。ここでは、世界的に有名な指揮者であるバーンスタイン(この本を読むまで彼の人生についてほとんど私は知らなかった)と、ある二人の日本の方との間に交わされた無数の手紙のやりとりと、そこから見えてくる人物像やさまざまな人生模様、そして戦後の日米の歴史のあれこれが書かれています。
感想はいろいろあるんだけど、その中に引用されているたくさんの手紙を読むことで、この媒体の良さを新たな気持ちで再確認していました。
バーンスタインに送った手紙に対して、そもそも返事がこないかもしれない。実際に返事が来てもそれが数か月後だったり、数週間後だったりする。そんなにも「遅い」言葉のやり取り。でも(だからこそ?)、言葉に対する向き合い方や、言葉の選び方の意味、絵葉書ならその絵の選び方、そして自分の内側にある感覚や感情の伝え方、それら一つひとつがとてもいきいきとしていたのです。
これが絶対良いという意味ではなくて、それぞれの良さ的なものがあるなと思いました。
見る/見られるの構造変化
前置きがめーっちゃ長くなってしまいましたが、、、
なみちえさんが送ってくれた質問についてのお返事です。
見る/見られるの構造変化は本当にあるなー!と思います。自分はアメリカに来て一年半以上の月日が流れて、ハワイやネバダに行きました。
ハワイは、見るもののほとんどが、海外での長期的な暮らしが初めてということもあって、不安と興味深さが入り混じった感覚でした。他の多くの米国の州とも異なることがあっただろうと思う。
ハワイアンの人々はもちろん、プランテーションの時代があって、中国系や日系やフィリピン系の人々がかつて暮らした「キャンプ」と呼ばれる場所が今はかれらの集住地域になっていて。本当にさまざまなルーツの人々が混ざってくらしていて、観光客も多いからだろうけど、話しかけられたり挨拶されることは多くても、ジロジロみられたり変なことを言われたりということはほとんどなかった。ちらっとみて目が合えば笑顔で返事やあいさつをして、それ以上は詮索したり、ジロジロみたりしない。気が向けば、お互いについて話したり聞いたり。さらっとしているようにも見えるし、なんだかこれが見ず知らずの人間同士としての自然なやりとりなのではないかという感覚にもなりました。
特に私は東京での暮らしが長かったけど、見ず知らずの人と世間話をすることなんてほとんどなくて、挨拶さえしない。でもジロジロ見たり、嫌なことがあったり。単純な二項対立でどっちが良いとかそういう話にはしたくないけど、日本にいる時ほど、良い意味で「人目」を気にしなくなった、みんな自分は自分という感じだったかもしれないです。
「人目」は実際に誰かの目の時もあるし、そうじゃなくて、実際に何かを言われたり見られたりしていないのに、自ら何かを言われたり・見られたりしていることを前提に、(本当に着たい服ではない別の)服装を選んでしまったり、髪型を変えたり、行動を抑制したり、そういう感じだったと思います。
至る所で人々を監視・規制するように機能する、ジョージ・オーウェルの世界でいうビッグ・ブラザー的なものが日本にもやっぱりあって、それの一つが「普通」という言葉だった。一見、無徴で「中立」に見える概念こそツッコミを入れて行った方が良い気がしていて。
昨日トイレに入ってる時に携帯でメモしたことは、「普通=権力を正当化する抑圧装置(にもなりえる)」。「普通」が指し示す基準が具体的には何なのかを覆い隠すことができる一方でそれがある種の「良い」「正しい」従うべき基準を意味するという点で、(もちろんいろんな立場の人がいろんな文脈で使う言葉でもあるということは大前提として)その意味を恣意的に変更して用いることができる権力側の人たちにとっては支配の上でめちゃくちゃ都合の良い言葉だなと。
支配されやすいように、自らの行動を規制する、まさにそんな一人として生活してしまっていた。いや、そうできてしまっていたんだなと思います。やろうとしたってそうならない立場の人もいるから。
「普通」を理由にしていろいろ自分が否定されてきたなと思いだした。
私の場合は、母親がいわゆる「ハーフ」なのですが、ほとんどどうしろこうしろという教育は受けて来なくって、でもよく覚えているのが、「目立たないように、目立たないように生きなさい。私は何もしなくても目立っちゃったから」という言葉だった。そうやって教えられてきた立ち居振る舞いを自分は内面化・身体化してきちゃったんだなと思います。
秋田から東京に10歳の時に引っ越してきて、周りの人たちの話す内容や意識することががらりと変わって、自分が色々な人から見られて、人目に敏感になってしまった。そうやって、特徴が無いように、目立たないようにして振る舞った自分の姿を同級生が面白おかしく思って、なんの変哲もない私に似せてつくったキャラクターが主人公の「普通くん」という漫画をクラス新聞に連載し始めた(もちろんめちゃくちゃ嫌だったのだけど……)
だから、本当は、誰かに見られてるんじゃなくて、内面化・身体化してしまった自分がそうやって自分をみている。だからこその、怖さなんだなって思います。
見る/見られるの構造変化って、それを感じない人もいる、ということも、見られました。
あるとき(服屋さんを歩いていて)、日本から観光で来たであろう若い二人組とすれ違って、すれ違いざまに、わりかし大きい声(きっと自分達以外に日本語が理解されていると思っていなかったかもしれない、いやそう願いたい)で、「やっぱ外人は体がでけぇなー」と発言した。思わずギョッとしてしまった。
ルッキズムや他者に対する大雑把で危険なまとめ方もさることながら、自分達が今は海外にいるのだから、この国では自分達が「外国人」に当然なっているのにもかかわらず、周りにいる人たちを「外人(しかもこの言葉で)」と言ってしまえることの、その構造変化に気づいていない、あるいは気づかなくても全然やっていけますよ、という感じがまたすごかったし、やるせない気持ちになった。
国境を越えた移動は、自分の身に染みついた「普通」がフツーではないことに気付く大きなきチャンスでもあると思うけれど。
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あとは、なみちえさんからの手紙にブレイズやコーンロウの話があって、ちょうど手紙を受け取った後に、ある高校生が卒業式で自分の髪質を整えるためにコーンロウにしたことが、「普通の高校生らしい髪型」ではないと、学校側から隔離された衝撃的なニュースも目にした。
途中で帰った、帰らざるを得なかった、この子と親のことを考えて涙がでました。なみちえさんの言うように、「飾りつけしたリスペクト」の表裏の関係で、一定の方向づけされたファッションとして模倣される裏側で、こういう子たちが理不尽に傷つけられてしまう。
社会の目、保護者の目、教員たちの目――。誰の目を気にする? 誰の目が、抑圧と差別を正当化する? それは本当は実際に誰かの目なのだろうか? 目の前にいる人の瞳は見えている?
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凝視/観察はそれ以外にもいろいろありました(お店に売ってるコンビニ弁当そっくりだけどちょっと違ったBentoの中身を凝視したり……ドン・キホーテの店の前で売ってるサーターアンダギーを凝視したり……IHOPやDenny’sのメニューが名前だけじゃ何が出てくるのかわからなくてとにかく文字を凝視したり……)。
その中で、ハワイではタトゥーをしている人がとても多かったのも印象的でした。ハワイアンなど島嶼(とうしょ)系の人々の伝統的なタトゥーはもちろんあったし、有名な俳優さんや自分達の子ども、自分の好きなものや大切なもの、本当にたくさんの個性的で素敵なタトゥーを目にした。
私の研究の目的は、主にオキナワンのミックスの人々の経験について調べることだったのですが、あるとき、ハワイアン・オキナワン・センターというところに訪問したときに、沖縄での伝統的な刺青である「ハジチ」についてのお話をうかがった。おそらくほとんどの場合が、女性たちが「ハジチ」を手の甲や腕などに施してきたんですけど、そのお話を聞かせてくださったスタッフのオキナワ系二世の方のお祖父さんは、腕のあたりにすてきなハジチをしていたそうです。
米国に来てから、自分のアイデンティティをいろいろな形で表現できたらという思いで、髪も伸ばして、指輪もたくさんつけ、服装もいろいろ試してみたりした。その中で、元々タトゥーもしたいと思っていて、自分のルーツの一つであるハジチをしてみたいという思いもより一層強くなりました。
ミックスである自分が、あるいはジェンダークィアである自分が、こういった身体的な表現をすることは、やってはいけないことなのだろうか、どういった意味が生まれてしまうのだろうか、ファッションと盗用を間違えていないか、そういう悩みも一方では新しく生まれてきました。
自分のアイデンティティと身体性とが折り合わない感じがあって、そういった意味で自分の、実際には見られ方という部分も含めて、どうやって折り合いをつけていくのか考えてきたし、むしろ折り合わない感じも含めて、それが具体的な視覚的な形に現れさせたいのか、そういった迷いとか模索とかをどうやって……、そんなことも考えるようになりました。
(この文章を考えている時、脳のもう一個の別の部分がなみちえさんのぬいぐるみの映像をプロジェクターみたいに頭の中に映し出してくれていた)
ずっと目立たないように、そうやって生きてきたから、他人からどう見られているのかを過度に気にして、そうやって生きてきたから、なかなかこの年になってもずっと身体性や見え方について悩んでいます。
もっと社会学者らしくこの土地にある社会や歴史の話をすればいいのに笑、結構内面的な感情的なことをばーっと書いてしまいました。
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なみちえさんの目からどんな世界(社会)が見えたのか、少しでも知りたくて、最後に質問です。
今滞在している場所で、人との交流のなかで、あるいは何気ない生活のなかで、どんな経験があり、どんな世界(社会)がみえましたか。