福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【イラスト】ブレイズヘアの人が、正面と後ろ、横、斜め前からスケッチのように描かれている【イラスト】ブレイズヘアの人が、正面と後ろ、横、斜め前からスケッチのように描かれている

フランスで与える視線、感じる視線 そのときの私が語りたいこと、誰かと考えたいこと。なみちえさん×下地ローレンス吉孝さん 往復書簡 vol.01

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人の複雑さや多面性、そして流動性を、私たちはどうすれば尊重できるのだろうか?

以前、そんな問いをもとに、アーティストのなみちえさんと『「ハーフ」ってなんだろう?――あなたと考えたいイメージと現実』(平凡社)の著者である下地ローレンス吉孝さんに対談いただいた。

取材という限られた時間のなかでのおふたりの言葉だけではなく、違う環境や時間にいて考えていることや言葉に触れられる機会があってほしい。対談に立ち会うなかで、そう思った。

「なみちえさんと下地さんの往復書簡を読んでみたい」

そう伝えたところ、おふたりにご快諾いただき、この往復書簡企画が実現。テーマは「そのときの私が語りたいこと、誰かと考えたいこと」。環境や状況によって、感じること語りたいこと考えたいことは変わる。誰かからの便りを読んではじまる思索もある。そこへのまざなしを大切にできる企画でありますように。

今回はフランス滞在中のなみちえさんから便りをいただきました。(編集部 垣花つや子)


そもそも旅行ってなんだろう?

ボンソワール! 下地さんとの対談の後半原稿をフランス時間19時に訂正しながら。

今回、このような新たな形でのダイアローグの展開も始まる事にワクワクしています。対談のときちょうど下地さんはアメリカに滞在していて、お互いのアイデンティティを日本から離れた所で観察し発信できたら面白いなというアイデアから生まれたこの往復書簡ですが、どのような内容を掘り下げていく事ができるか今からとても楽しみです。

現在私は5年ぶり(2018年、イタリア・ミラノ)に海外に来まして初のフランス滞在をしております。

因みに一人で飛行機に乗るというだけでめちゃくちゃに緊張して行きの車で吐きそうになっていたりとか予約したチケットは姓名を逆にしちゃってたりとかそういうしょうもない事の積み重ねで飛行機では完全に体は強張っておりました。

日本で生活する中での見る見られるの構造と比較すると当たり前だが変化があります。顔と活動を一致させて発信しているアーティストであるので「なみちえ」として存在する、もしくは外国人に間違えられるとか、どうしても日本社会から逸脱した部分を評価・知覚されつつ生きていることが殆どです。なので、まずその感覚が一切無くなる事は、私の非常に内向的な人格が水を含んでいないスポンジ如く全く新しい景色の全てを受け止めるだけの受容体となる事で精一杯だけどそれ自体に慣れていくと肩の力、心の力すら抜けているような新しい体感があります。

ずっと体調は良好だったのにフランスに到着して早々に風邪を引き、一週間位はめちゃくちゃ具合悪かったです。あまりにも家にいる時間が多かったので免疫力が下がったからなのか、心身ともに大幅な環境の変化への必須のイニシエーションだったのか、緊張の糸が解けたからなのか……?

因みに日本よりずっと乾燥しているしフランスの街はマスクしている人はほぼいないです。(一日にひとりいるかいないか)

そもそも旅行って何だろう? という疑問も浮かぶ。例えば私の二つ目のルーツの国(ガーナ)に行く事は、帰る事でもあるし、ただ住んで生活が始まるだけでもある。また親戚への挨拶周りでもある。コロナ前にとったチケットをキャンセルせずに行った時の宮古島の殺風景で美しい海と漁師の後ろ姿、ああいうのが私にとって観光を超えた生活であり貴重な時間だったんだ……と過去の感情に浸りながら、フランスでの数週間は旅行をより日常化する事を意識しながら散歩と人間観察に勤しんでおりました。

自分は太めの明るい茶色と黒色が混ざったエクステを使ったブレイズをして国を出た。ので、意識的にお洒落なアフリカ系の女性の髪の毛を観察していました。自分の中でブレイズといえば高校2年生の時、その髪型にしたら校舎に入れてくれなかったので二週間クラスメイトからノートを移してもらっていたという最悪の思い出が印象的です。でも、その思い出が払拭されるくらい沢山の綺麗な髪型に見とれてしまったと思います。私にとっては日本で生活している時より、多くアフリカ系の人がいる環境に滞在出来るというのはそれだけでなんとなく心強い感覚がある。メッシュみたいにして1〜2本だけ赤いブレイズを編み込むとか、アルビノの方は髪の色(プラチナブロンド)に合わせて髪の毛を付け足しているとか。

散歩では日本で手に入らないアフリカ系のヘアケア製品とかを買ったり(アフリカ系の店が固まって道に並んでいるのでその場所はアフリカ系の人が多くいる)マルシェとかが近所でやってるので買い物をして飽きたら帰るみたいな生活をしていました。

その日は部屋に戻ると同時に日本から電話がかかってきました。ミュージシャンの友人からでした。

「俺がブレイズにするのってどう思う?」

私はこう答えていた。

ブレイズやコーンロウは日本で特に私の世代だとヒップホップダンスの発表会などの特別な時に派手髪として機能していると私は感じていて、本来の髪質が縮毛(カーリーヘアー)の人にとっては特別性を際立たせるものというよりかは、極めて日常的にその髪質の人が生活し易くするための所作なんだよね。私もヘアケアよりも文化の吸収に集中したかったからブレイズにしてここに来た。毛が細く柔らかいのでエクステで付与された重みに安心感を覚えるのだ。ただ私が高校生だった時にブレイズヘアーで学校に行ったら担任は、教室に入れてくれなかった。それは、ブレイズヘアーを特別な物、異質なもの、装飾の一部だと判断し文化背景を理解せずに切り離し日本社会で適切な対応をせずに、日常の一部にすら溶け込ませる事が許されなかったからなのではないか? と思った。

だから貴方の髪質はブレイズにより毎日が楽になる髪質だからするの? お洒落に見せたいからするの? 音楽へのリスペクトを込めてするの? 音楽ジャンルの模倣とアフリカンヘアの模倣の違いとは何か? 髪は生活やその人の身分を表すのに重要な役割があるから? 確かに私はその、日本の「飾りつけしたリスペクト」に少しずつ傷つけられていたのかもしれないし現状もそのような状態であると感じる。

ヘアースタイルの機能が記号化する事によって失われたものがあるのではないか!?……

みたいな会話をして、ああなんか少し前よりも自分の意見にまとまりがついたような? 過去の自分と今の自分を照らし合わせることが出来ているのかもしれない、そんな気持ちになってその日は寝ました。

【イラスト】ブレイズヘアの人が、正面と後ろ、横、斜め前からスケッチのように描かれている

私はゆっくり滞在してちょっと馴染んで生活を楽しむみたいなのが好きであるとか前述しながら母がブックオフで買ったフランス旅行ガイド200円をパラパラ見ながらしっかり観光地もチェックしました。

フルヴィエールのノートルダム大聖堂

内装の美しさと共にちょうどミサが始まるところも見学できたりして、とても良かったです。中に入ると音の響き方が全然違うので別世界に感じた。

基本的には曇りが多くてずっと太陽が恋しくて、観光以外だといい時間に公園に行く事が楽しいなと思っていて(日常をエンジョイしている)そればかりやっていた。

また別の日に広場のカフェでお茶をしているとゾロゾロとたくさんの人々が同じ方向に歩いてくる。

デモに遭遇した!

フランスで多いと聞いていたが遭遇するのが初めてでコーヒーを飲みながらゆっくり観察した。思ったよりも静かで、カジュアルな雰囲気でさまざまな人種、性別の人が集まり、行進していた。定年引き上げのデモだったため、60代が特に目立って見えたが若い人もたまにいて自分にとって新鮮だったし強烈な光景だった。市民の自己表現の昇華を見ると自分もああ、この肉体を何かに誇示するために動かさないと、と強く思った。

デモは市民の為の権利として十分に機能しているが、ストライキも従業員の権利として機能しているということも知っているのでこちらも見かけたらレポートできたらいいなと思っております。(交通の便ダメージが出ることがおおいそう)

【イラスト】フランスで行われていたデモの様子。プラカードを持つ人が描かれており、そこには病気になる前に年金をよこせ!と記されている

下地さんへ

日本と海外で見る/見られるの構造変化を感じましたか?

何を凝視/観察しましたか?

それではご返信楽しみにしております!


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連載:そのときの私が語りたいこと、誰かと考えたいこと。なみちえさん×下地ローレンス吉孝さん 往復書簡