スカーフ1枚で世界の見え方が変わったエジプト滞在 そのときの私が語りたいこと、誰かと考えたいこと。なみちえさん×下地ローレンス吉孝さん 往復書簡 vol.03
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人の複雑さや多面性、そして流動性を、私たちはどうすれば尊重できるのだろうか?
以前、そんな問いをもとに、アーティストのなみちえさんと『「ハーフ」ってなんだろう?――あなたと考えたいイメージと現実』(平凡社)の著者である下地ローレンス吉孝さんに対談いただいた。その対談をきっかけに実現した、おふたりによる往復書簡連載。
前回下地ローレンス吉孝さんからの便りには「今滞在している場所で、人との交流のなかで、あるいは何気ない生活のなかで、どんな経験があり、どんな世界(社会)がみえましたか」という問いが記されていました。下地さんからの便りを受けて、なみちえさんからの便りをお届けします。(こここ編集部 垣花つや子)
こんにちは!大変遅い返信のお手紙となってしまいました。現在はガーナにいるのですが、相当無理していたようで心も体もキャパオーバーしてしまい、ずっと寝込んでおりました(笑)。(たまに起きてライブしたり……)
往復書簡の形態の遅さに甘えて、これまでの時間は、日本での自分の部屋をまず片付けしてパソコンを開けるようにするなど0から1を作るように生活を立て直していました。その間に、下地さんの往復書簡の返事を読みながらじっくりと返答を考えておりました。
個人的には社会学者の内面が垣間見える返答にワクワクしながら何度も読み返しておりました。アメリカは、ポートランドにしかまだ行った事が無いので、またあたらしい世界を見られたかのように楽しみながら拝読できました。
そういえば!私も人形の多様性はすぐ目に入ってフランスで同じような写真を撮っておりました。(私の小さな頃、神奈川県で同じ肌の色の人形を手に入れるとしたら米軍基地しかなかったので父親がそこで買ってくれていた)
前述した通り、現在はガーナにいますがフランスにいる間に更に、エジプトにも行ってきたので今回は日本とエジプトの文化の違い等を紹介しながら下地さんから受け取った問いに答えられるお手紙ができればいいなと思います。
エジプト一日目
フランス滞在中に大学の同級生A君(仮名)から電話がかかってきてエジプトに行くとの事で二つ返事で行くことを決め、(私はフットワークに波があり過ぎてこれに関してはとてつもなく軽い)フランスの空港からエジプトまでは一人で行き、エジプトで友人とその弟のB君と合流。
到着が深夜で空港出口付近ではタクシー運転手がバンバン声をかけてくる。アラビア語訛りの英語で、エジプトではかなり高い方の料金を支払い、(三人で25ユーロだった気がする)
airBnBをフランスで予約したつもりが全く返答がなくホテルに滞在することができなかったのでエジプト在住のC君が泊めてくれる事に。(大変お世話になりました)
到着してすぐに寝て、朝からタクシーでピラミッドに行く事に。ピラミッド観光ではC君の友達、エジプト人女性Dさんも参加。
800円でぼったくり?
それはラクダに乗って記念撮影をする時に起きたことである。ピラミッドの周りには私が想像していた何倍も、観光客を相手にした客引きがいた。その中の1人に声をかけられラクダに乗ることに。
するとアラビア語が流暢なC君とエジプト人のDさんが客引きと口論している。アラビア語なので内容はわからない。わかるのは客引きのC君、Dさんへの態度とアラビア語がわからない私たちへの態度が違うこと。
ピラミッドを後にして、わかったのはラクダに乗るための料金をぼったくっていたこと。Dさんは800円もかかることが「ありえない」と。C君にアラビア語の説明をしてもらった。
観光客である私たちには英語で「あなた達がハッピーなら私もハッピー♪ チップを払ってね♪」。エジプト人であるDさんには「エジプト人ならわかるだろ!こっちは経営に困ってるんだ!エジプトポンドもどんどん安くなってるし!」。
究極の二枚舌を体験したとわかった。
言語の違いそのものとコミュニケーションのテンションや意味、求めたいことが全く違って、多重人格なのかと思う恐ろしさであった。なるべく簡単でポジティブに話された英語が、彼らの人格を通り越して外交的なビジネスのために機能しているとあらためて感じた。
日本語で、それは柔な配慮なのか侘び寂びなのか果たして「はんなり」なのか内省的な言葉を連ねるのが仕事の私にとっては自分が外部からの観光客として扱われる事で体感した究極の上辺の英語の構造に改めて食らってしまった。
物価の感覚が分からない私にとって推しとチェキを撮るより安い800円でぼったくりという感覚がいまだにピンとはこないけどラクダに乗る感覚は楽しかった。でもちょっと申し訳ない気持ちにもなりながら……
夜 観光街
イスラム教圏の国だと知っていたけれど特に一日目は髪の毛を隠さず、自分がよく日本の夏に着ていたような体のラインが見えるようなピタッとした服を着て歩いていた。(ラクダに乗ってる時の写真の服)
そうしたら、想像以上に、めちゃくちゃ男性から話しかけられた!観光客だとわかるからなのかムスリムでないとわかるからなのか。「可愛いね」とか「愛してるよ〜」とか「美しい!」とか道を歩くだけで商人達からとてつもなく声をかけられた。
「そんなに!!!??? 物を買って欲しいのか????」とずっと内心思っていた。
ただどこのお土産屋さんも観光街なので少し値段は高くなるものの布が綺麗で、美しいピンクのスカーフを買って帰った。
二日目 買ったスカーフをヒジャブ風に
なんと二日目、全く声をかけられることはなかった。
博物館やモスクもゆっくり見られて友人達との他愛のない時間を(まるで日本にいるみたいな感覚で)過ごせて楽しかったなぁ〜という感覚ばかりが残っている。
しかも私は日本人男性三人と一緒にいるグループだとは思われないのでタクシーが三人を乗せた瞬間に私を乗せず発車しようとし引きずられそうになった時は流石に空気になったような感覚だった。(足が痛かった)
帰りの空港ではアラビア語で話しかけられて何度もアラビア語わかりません! と言う始末である。でも言葉にできない落ち着きを体験できたのはこのスカーフをヒジャブとしてつかって分かったことだった。
逆に友人A君(気さく・日本人)は現地人の少年がまるで遊園地で仮面ライダーを見たかのように笑顔になり写真を撮ってとせがまれていた。A君が着ぐるみ着なくても大人気の瞬間を見て私が着ぐるみ作家として着ぐるみを着てる感覚ってこれなんだろうなぁと感じ、なぜだか少し、悔しい気持ちにもなった。
でも私は私で包まれる安心感とともに観光できてよかった。
いつもの自分のファッションの自分でいること。エジプトに馴染むこと、イスラム教圏で女性である事。そこにも見られ方のもつれを感じて深く考え込んだ。
観光客らしい、女性らしい、あの言語は喋れてこの言語は喋れない、肌を見せる、隠す
見た目や言語……
と、たった二泊三日のエジプト滞在でしたが、ヒジャブ一枚で180度違う世界(社会)を見ることができました。余談ですがエジプト人彫刻家とも友達になれたので芸術家としても新しい発展が期待できる経験もありました。
先日地元でショッピングをして「これが欲しいんですけど在庫ありますか」といったら「わっ日本語上手!」と言われました。ああ、(生まれ育った場所に部外者として)日本に戻ってきたな!と思いました。
下地さんへの問い:外国に滞在することで、宗教など文化の違いをどのように感じましたか?
下地さんのタイミングで一番書きやすい言葉で返事がくることを楽しみにしております!