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“能力”に縛られた社会をどう解きほぐす? 勅使川原真衣さん×教育・福祉の専門家4人の対話集『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』
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【写真】『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』
編著/勅使川原真衣、著/野口晃菜・竹端寛・武田緑・川上康則

「変わりたい。でも変われない」のシーソーゲームを抱える現場に寄り添う一冊

うまく挨拶が言えない。じっと椅子に座ることができない。みんなと同じように、漢字を覚えることができない。

そんなふうに、周囲が当たり前に「できること」をなかなか乗り越えられない子どもに対し、「これくらいできないと……」と言葉をかけてしまいそうになった/かけてしまったことがある大人は少なくないのではないでしょうか。

子どもたちの個性を伸ばすような支援をしたいが、中学、高校、さらには就職へと進む姿を想像すると、つい耳馴染みのある“能力”の向上に重点を置いてしまう——。教育・福祉分野で働く人はもちろん、子育てをする人の多くが抱えてしまうジレンマに寄り添うのが、2024年12月に発行された『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』(東洋館出版社)です。

編著者は、社会や労働における一元的な能力主義や「傷つき」について、組織開発者として日々論じる勅使川原真衣さん。本書では教育・福祉の専門家4人との対話を通じて、能力と個性の狭間で悩む人たちの気持ちを解きほぐしていきます。

【画像】著者の名前と各章のタイトル。横に、良し悪しではなく、実存から語りはじめる対話の記録、全4編、のコピー

教育現場の変革に挑む実践者と、勅使川原真衣さんの対話

「将来、子どもが困らないように……」という理由から、理解力や集中力、コミュニケーション力などのさまざまな“能力”を「みんなと同じように取得させなければ」と考える人は多いのではないでしょうか。同時に、「子どもの個性を大切にしたい」「この子のペースで成長させたい」といった思いを持つ方も少なくないはずです。

『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』の編著者・勅使川原さんは、これまでにも『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)や『働くということ』(集英社新書)などの著作を手掛けるなかで、「能力とは個人に宿るものではなく、他者や環境との関係の中で発揮されるのではないか」と提案してきました。

できることを増やして“強い個人”を目指すのではなく、弱さと強さを組み合わせながら他者と協働して生きる方法はないか。本書ではそのことを、学校教育の現場をよく知る実践者たちとの対話を通し模索していきます。

【画像】書影と、勅使川原さんのポートレート。上に、学校をめぐる一元的能力主義と専門家・実践家との対話を通じて解きほぐす、のコピー

「声を聞かれるということ」と題された第一章では、〈一般社団法人UNIVA〉理事の野口晃菜さんとの対話が掲載されています。

以前、〈こここ〉に掲載された「合理的配慮」についての記事もきっかけとなり、実現したという本対談。様々な学校現場や教育委員会などで学校関係者と出会うことの多い野口さんは、その中での経験を踏まえながら、働く教師が多様な人たちと協働していく大切さを語ります。

それに対して勅使川原さんは、企業の組織開発の現場でのエピソードも交えつつ、大人自身も自分を生き直しながら、互いに影響を与え合っていくことが重要ではと重ねていきます。

野口 それこそ能力をつける・足すではなくて、その人たち自身の関係性を編んでいくなかで、ワクワクすることと出会いなおす環境を用意すること。いろいろな人と出会ったりとか、いろいろな場に行ったりすることによって。

(「対談1 声を聞かれるということ」p.78)

勅使川原 自己拡張か、なるほど。まさに子どもが社会に飛び出していくように、大人も生きている限り、他者との境界をあいまいにしながら、越境したり、融合したりして、溶け合っていく。

(「対談1 声を聞かれるということ」p.85)
【写真】本の帯。子どもをひばり、先生もしばられる、際限なき望ましさはどこから来る?の文言

第三章では学校DE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)コンサルタントの武田緑さんとの対談を収録。「学校がそうせざるを得ない合理性を追って」と題して、職場の中で相互に認め合いながら、変容を可能にする方法や視点を模索していきます。

武田 「授業に参加しない」とか「前向きに取り組まない」というようなことがあったときに、それを「その子の問題」として捉えて、個人の成長だけを求めようとすることに、私は違和感があって。教え方や授業の構造・クラスの環境は変わらなくていいんだっけ? って思うんですよね。やっぱり社会モデル的な考え方というのはすごく重要だと思います。

(「対談3 学校がそうせざるを得ない合理性を追って」p.204)

また、第四章は「言っても癒えない?――学校という職場で」と題し、現役で特別支援教員として働く川上康則さんとの対談が掲載されています。本章では、川上さんが日々教育現場の「構造」とどのように格闘しているのか伺うなかで、大人自身の傷つきにも目を向けつつ、子どもと共に前を向いていくためのヒントを探っていきます。

川上 この業界は、深めようと思えばいくらでも深められると思うんですよね。でも逆に、「自分はもう、この辺でいいんだ」と思った瞬間から、子どもたちの変化や成長、気持ちと離れていくのが教育でもあります。そこを乖離させないためには、やはり教師も子どもたちから学び続ける必要があります。
そこを抜きにして「頑張らなくていい」となってしまうと、一番大切な子どもの心や育ちからどんどん離れてしまうのではないかと思うんです。

(「対談4 言っても癒えない?――学校という職場で」p.354)

子どもと大人、相互に変容していく旅を歩もう

私たち自身の振る舞いを何度も問い直し、相互変容の意味を考えさせてくれる『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』。野口さんや武田さん、川上さんといった学校教育改革の実践者だけでなく、本書の第二章には、福祉社会学者の竹端寛さんとの対談も収録されました。

「ケア」をテーマに、学校や企業での能力主義を問い直していく2人の対話では、様々なジレンマを抱えながらも、子どもと大人、上司と部下などの間にある権力勾配の構造を変え、関係性の中から動的に物ごとを評価していく重要性も語られています。

勅使川原 相互変容は、通り一遍の能力主義から一回抜けておかないとできないですね。

竹端 「私があなたに伝えることによって、あなたは変わるかもしれないけど、あなたの言動に基づいて私も変わり得ます」と言わないといけないから、強固な上下関係に基づく指導する・される関係性では成立しませんね。そしてこれは、フィードバックする側、指導する側にとってはきつい。(中略) だけど本当は、静的評価で獲得した「成果」こそ、一度崩すことによってもっとよりよいものになるんです。

(「対談2 学校でケアし、ケアされるということ」p.155-156)

「これくらい」という言葉がつい出てしまう。その背景にある“能力”は、本当に実在するのでしょうか。

勅使川原さんは本書のおわりに、「好むとこの好まざるとにかかわらず、私たちは多様な姿でこの世に生まれ落ちています」と語ります。そしてその先に、今日のような資本主義社会が構築されるはるか昔から存在する「自然の摂理」に、今一度目を向けようとする姿勢が示されます。  

子どもへの声がけだけでなく、大人である私たち自身に向ける言葉や姿勢が変わっていく。本書は、共に変容していくための背中を押してくれる一冊です。ぜひ一度手に取ってみてください。