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「生活習慣病」という言葉にまつわる社会的スティグマを解消するには? 「自己責任」について考えるシンポジウムが4月8日(土)開催
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シンポジウムのキービジュアル

「自己責任という生きづらさ」=「社会的スティグマ」を多角的に捉えるシンポジウム

健康は、自分の日々の行いや生活習慣の上に成り立ち、自分で管理できるもの。「健康」に関して、そう捉えている人も多いのではないでしょうか。毎日の食生活や適度な運動などの生活習慣は、「予防医学」を根拠とするリスク管理の一環であり、健康になるための第一歩とされ、実際にその観点はとても重要です。

しかし、リスク管理をしていても体質や遺伝的要因など一人ひとりの身体的特徴は異なるうえに、置かれている経済状況や環境などさまざまな条件が重なって、病気に罹ってしまうことは十分起こり得ます。それでも、病気に罹った人は「健康になるための努力を怠った怠惰な人」なのでしょうか。

市民公開シンポジウム2023「社会的スティグマのない社会をめざして〜『自己責任』という社会的圧力に抗う方法を考える〜」が2023年4月8日(土)に開催されます。昨年の2021年に続き2回目となる今回は、オンラインで配信されます。

このイベントを主催するのは〈生活習慣病を死語にする会(SSB45)〉。「生活習慣病」という呼称から連想されるような「太っていそう」や「自分の怠惰で病気にかかったのだろう」といった根拠のない非難や差別など、ステレオタイプな偏見に伴う「社会的スティグマ」の解消を目指して活動しています。今回のシンポジウムでは、なかでも「自己責任」という言葉に着目し、心理学や文化人類学の研究者、医師などの9名のパネリストを招いて議論します。

「生活習慣病を死語にする会(SSB45)」とは

〈SSB45〉は2020年4月に糖尿病患者と医師の3名によって発足されました。発起人の1人である患者が「糖尿病を抱えて生きることで生まれる“生きづらさ”(スティグマ)について当事者が集まって話し合うような場をつくりたい」と、担当医で糖尿病を専門とする内科医の杉本正毅さんにもちかけたことがきっかけに。それぞれが過去にどんな偏見を被ってきたのか、医師や患者の関係性を越えた会のメンバーとして、それぞれのケースについて共有し、考察する時間を設けてきました。

〈生活習慣病を死語にする会〉代表の杉本正毅さん

外から見れば、ただの病気なのかもしれません。しかし私にとっては、日常を一緒に送る大切なパートナーです。もう余分なラベルを貼らないで欲しいと願っています。同じ問題に苦しむ人が生まれることのない社会の実現を目指し、多くの方と話しあえたらと思います。

生活習慣病を死語にする会 HP メンバー挨拶より

活動のなかで「いつか糖尿病に関連したスティグマに配慮することの大切さを社会に伝えたり、また当事者が話し合うことができるような場を作れたら」と考え、2021年12月に「糖尿病患者の“生きづらさ”について考える〜医学、社会学、文化人類学、臨床心理学、そして当事者の立場から〜」の題で、第1回のシンポジウムを開催しました。そして、討論のなかで、もし会の名前の通りに「生活習慣病」という呼称を死語(過去に使われていたが現在では使われない言葉)にできたとしても、すべての疾病を生活習慣と関連付けようとする現代社会の傾向を変えることはできないと気づいたのだそうです。

現代社会には「病気は特定可能な原因によってもたらされ、徹底した自己管理で避けることができる。病む人はその病気を予見できたはず」という考えが多く見られます。それは、病気に罹った人へ「病いは自らが招いたものだ」と、自己責任を容易に問う要因になりかねません。

第1回シンポジウムの糖尿病当事者による発表の模様

「自己責任」をキーワードに偏見や差別について考える

第2回となる今回は「自己責任」という言葉に着目し、対象テーマを肥満や障害にも拡大して、偏見や差別について9つの視点からの思考を試みます。偏見や差別を解消するための言語表現活動や歴史、研究者による各分野の最新動向を知ることで、さらに「スティグマ」を深く理解し、自己責任に抗う方法を探るのがこのシンポジウムのねらいです。

この「自己責任」というキーワードは、今回のシンポジウム登壇者で障害者文化論などを専門とする荒井裕樹さんの著書『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)の一説から影響を受けているそう。荒井さんは〈こここ〉でも過去に対談でご登場いただきました。

「自己責任」というのは、声を上げる人を孤立させる言葉だ。ぼくが真に不気味に思うのは、むしろ一般の人たちが、この言葉を使って互いに傷つけ合うことで、「他人の痛み」への想像力を削ぎ落としていくことだ。 「他人の痛み」への想像力は、人々が社会問題に対して声を上げるための<勇気>を育む最低限の社会的基盤だ。(中略)「自己責任」という言葉が、「人を孤立させる言葉」だとしたら、「人を孤立させない言葉」を探し、分かち合っていくことが必要だ。1人の文学者として、そうした「言葉探し」続けていこうと思う。

『まとまらない言葉を生きる』p195〜198より引用

シンポジウムは三部構成で、第1部は「我が国における社会的スティグマをめぐる現況」がテーマです。登壇者は偏見や差別のメカニズムを研究する「社会的認知」が専門の大江朋子さん(帝京大学文学部心理学科教授)、文化人類学を専門にアメリカの肥満差別について研究する碇 陽子さん(明治大学政治経済学部教員)、糖尿病および肥満症専門医としてこれまで長年に亘って難治性高度肥満症のチーム医療に取り組む齋木厚人さん(東邦大学医療センター佐倉病院教授)、病者・障害者の自己表現活動や社会運動の歴史を研究している荒井裕樹さん(二松学舎大学文学部准教授)による講演と、1型糖尿病の当事者で糖尿病内分泌代謝科の医師である小谷紀子さん(国立国際医療研究センター病院)が参加した欧州糖尿病学会のレポートなども行われます。

第1回に登壇した文化人類学・医療人類学を専攻する磯野真穂さんの講演の模様

第2部は「当事者の立場から」。糖尿病などの当事者3名が社会に望むこと、同じような立場にある当事者へ伝えたいことなどを発表します。第3部は、第1部・第2部の登壇者によるパネルディスカッションとして、各部であった内容や発表について振り返りながら総合討論を繰り広げます。

第1回シンポジウムのアーカイブも

第1回シンポジウムで使用されたスライドや、登壇者のコメントは〈SSB45〉のホームページから視聴することができます。前回登壇した文化人類学者の磯野真穂さんは、次のようにコメントを寄せています。

ホモ・サピエンスの「サピエンス」には知恵という意味があります。 だとするならば、その知恵をどのように使うのか。 私たち一人一人は、どうにもこうにも、わかりやすい物語を求めてしまう存在である。 それを踏まえつつ、わからないことをわかりやすく変換し、誰かを闇雲に責める物語には、「わからないまま」抵抗し続ける。 そんなわかり切った、でも忍耐のいるやり方が、ホモ・サピエンスに与えられた知恵の使い道なのでは、と思います。

—— 磯野真穂 (文化人類学・医療人類学)

また、シンポジウムに参加した人からは、以下のような声がありました。

突然自分に降りかかった「予測不可能性」に対して、つい過剰にコントロールすることで対処しがちになりますが、コントロールできないのが生きるということであると柔軟に受け入れる社会になっていくとよいな、と思いました。

目に見えないスティグマがいつの間にか社会にも自分の中にもできていることを知りました。言葉の使い方によってはスティグマを無意識に作ってしまう怖さも分かりました。

医療技術の進歩は、私たちの思考におけるコントロール可能性を高めます。そのような構造のなかで、いかにままならない糖尿病と生きていくのか。そして、その生を支えるのか。コントロールに向けて治療法が進歩する情勢のもと、生活の営みと病状が深く絡み合う糖尿病を生きる個別の経験を丁寧に記述して地道に考え続けることが大事なように思いました。

興味のある人は過去資料を見てみるところから「社会的スティグマ」について考えてみたり、シンポジウムの参加を検討してみてはいかがでしょうか?