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9つの物語が、「できる/できない」に縛られた社会を揺さぶる。書籍『〈ヨコへの発達〉というまなざし』
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表紙画像
垂髪あかり・坂本彩/著(クリエイツかもがわ)

個性の広がりや感情の豊かさで、人の「発達」をまなざす

共に働く人や家族、あるいは自分自身を、何かが「できる」か「できない」かだけで評価してしまうことはないでしょうか。かくいう私も、子どもが何か新しくできるようになったことに喜んだり、他の子どもと比べてできていないことにがっかりしたりすることがあります。

そうした目に見える二分的な評価や能力ではなく、「個性の広がり」や「感情の豊かさ」といった内面へと目を向けるあり方を、人の物語と共に紹介する書籍『〈ヨコへの発達〉というまなざし』が、鳴門教育大学大学院の准教授・垂髪あかりさんと彩社会福祉士事務所の代表・坂本彩さんの共著で、2026年2月に発行されました。

本書では、上へ上へと伸びる「タテへの発達」とは異なる視点を著者2人に与えた人たちのことが、ストーリー形式で紹介されています。病気や障害と共に生きながら、自分らしく生き続ける当事者、家族、支援者、教育者などの生活や人生を通して、「ヨコへの発達」とは何かということが解き明かされていく本です。

目次ページ
提唱者によっては「横軸の発達」「横の発達」などとも表される概念ですが、本書内ではそれらを総称し〈ヨコへの発達〉と表記されています

「ヨコへの発達」とは?

「ヨコへの発達」とは、日本の「障害者福祉の父」と呼ばれる糸賀一雄らが、障害のある子どもたちと共に暮らす中で結像した考え方です。目に見える能力の発達を「タテ」の軸とし、それとは異なるかたちの育ちを「ヨコ」の軸で捉えています。

“三歳の精神発達でとまっているように見えるひとも、その三歳という発達段階の中身が無限に豊かに充実していく生きかたがあると思う。生涯かかっても、その三歳を充実させていく値打ちがじゅうぶんにあると思う。そういうことが可能になるような制度や体制や技術をととのえなければならない。”

(糸賀一雄、1968『福祉の思想』日本放送出版協会、p.177〜178)

本書の著者のひとりである垂髪あかりさんが「ヨコへの発達」に出会ったのは、特別支援学校に勤務していた頃のこと。重い障害のある子どもたちと触れ合いながら、彼らの個性や内面の動きを確かに感じていた垂髪さんは、「できる/できない」を軸とした評価の間で揺れ動くなかで糸賀の考え方を知り、「タテ」では捉えきれない子どもたちの発達を研究するようになります。

しかしそれでも、自身の育児においては「ヨコへの発達」にはなかなか目が向けられずにいた、という垂髪さん。「ヨコへの発達」についてどう整理すればいいか悩んでいたところ、糸賀らがつくった〈近江学園〉のある滋賀県で、知的障害のある人と関わる仕事を30年行う、坂本彩さんと知り合いました。

自分の中にある「能力主義的」な価値観に苦しんでいた垂髪さんのもとへ、坂本さんはいつも一緒に講演活動をしているという、重度障害のある当事者・横川豊隆さんと訪ねます。横川さんのこれまでの歩みを改めて2人で聴きながら、「ヨコへの発達」とはどういうものなのかを言葉にして深めたいと思うようになったことが、今回の共著へとつながりました。

海を背景に2人が並んで立っている写真
大津市で障害者相談支援専門員として活動する坂本さん(左)と、助産師や特別支援学校教諭を経て、研究者として活動する垂髪さん(右)

『〈ヨコへの発達〉というまなざし』は、Part1が坂本さんによる4つの物語、Part2が垂髪さんによる5つの物語で構成されています。

本人、家族、さらに保育士や教員、作業療法士、医師など立場の異なる人たちへのインタビューを中心に、垂髪さん、坂本さんがそれぞれの物語の背景を解釈するパートが織り交ぜてあることも本書の魅力です。実際の9つのストーリーを、いくつか見てみましょう。

子どもの姿から、生きる「価値」を問う物語

自分自身の育ちにおいて、成績や学歴、部活で表彰されるなどの「結果」があることが「自分自身の価値」だと思ってきた。そう振り返る秋山政明さんは、9年前、人工呼吸器の医療的ケアが必要な息子・晴くんの父親になりました。

「今までの価値観のままでいたら、息子のことをどう受け入れていいのかがわからなかった」という当時の秋山さんは、自らの子どもが生まれてきたことの意味や「価値」を新たに探すようになります。

その後、医療的ケア児者を含む障害のある子どものための多機能型デイサービスを手掛ける、〈一般社団法人Burano〉を設立。すると、療育を通じ「タテへの発達」が感じられる部分のある晴くんに対して、それが見えにくい場合もある重度・重複障害のある子どもたちの「発達」をどう捉え、彼らを支えるスタッフのやりがいをどこにおくか悩むことになります。葛藤する秋山さんの心をほぐしたのが、「ヨコへの発達」という考え方でした。

“まわりの人とやりとりすることができる晴くんは、それが難しい重い障害のある仲間の思いーー「ボクたちもたくさん感じてるんだよ!」「ワタシの思いや願いを聞いて!」ーーを代弁し続けてきたのではないか。もちろん、晴くん自身はそんな意図をもって生活していることはないだろうが、晴くんの存在自体がみんなを導いている。”

(『〈ヨコへの発達〉というまなざし』p.134〜135)

垂髪さんは、秋山さんたちに起きていく変化をこう見つめます。そして実際に、障害のある子どもの「感じる世界」「意欲する世界」を大切にまなざそうとする試みが、本書の中で紹介されていきます。(Part2—Story2:目の前にいる一人ひとりと、社会のために)

「できる/できない」を、教育から捉え直す物語

子どもの行動や教員の声掛けなど、一つひとつの場面を「エピソード記述」で記録し、どういった心の動きがあったのかを教員間で検討し合う〈小野特別支援学校〉。この学校では、そうした時間を定期的に持つようになり、教員が子どもの内面をまなざし、子どもの行動の背景にある「思いや願い」に目を向けはじめました。

一方で教員たちは、何かを教えたり、時には禁止や制止をしたりする「教育の働き」と、思いを受け止めたり、存在を認めたりする「養護の働き」のバランスをとることに悩んでもいました。例えばある教員は、子どもの様子を丁寧に見て、やり取りをしながら、「養護」と「教育」が半分ずつになるようにしていたり、また別の教員は「養護」しながら「教育」の働きも入れて子どもたちへ伝えるようにしていると話します。

“それは、教科書に書かれている概念図のようにたやすいものではなく、例えば、子どもが、みんなと一緒に移動する場面で座り込んでまったく動いてくれない時、やるべきことが自分の中の「想定」と違い大きな声を出してパニックになっている時など、教員としては「もう! どうしよう!」と叫びたくなるような瞬間においても、一呼吸おいて、「ちょっと待って…今、この子の心の中は…と考え、寄り添い、自分の次の関わりを模索する、そういう複雑なプロセスなのだと思う。”
(『〈ヨコへの発達〉というまなざし』p.164

教育において本当に大切なこととは「できる」を増やすことなのか? 「エピソード記述」を提案した校長の岩佐直彦さんも、支援学校の教員たちも考え続けている、と結ぶ本章。福祉や教育の現場に限らず、社会のさまざまな場面で「その時、その瞬間」をどう大事にしていくかが、私たちにも問われています。(Part2—Story4:「心に寄り添う」教育のあり方を問い続けて)

本人の視点から語られる物語

本著のきっかけをもたらしたひとり、重度の知的障害がある横川さんは、2014年から坂本さんと共に全国で講演活動をしています。76歳を超えている横川さんは、実は63歳の時に突然「ひとり暮らししたい!」と言い、周囲を驚かせました。

当時、相談支援専門員として横川さんを担当していた坂本さんは、なぜひとり暮らしをしたいと言い出したのかが気になり、横川さんの生きてきた歴史をたどり始めます。すると、〈近江学園〉(糸賀らが設立した障害児入所施設)での生活、農家での住み込み就労、知的障害者の入所施設での暮らし、グループホームへの転居、サークル活動など、その時々の充実した横川さんの生活が見えてきました。そして、その人間関係の中で誰かをモデルにしたり、憧れたりすることで、新しい自分になってみたいという要求が生まれてきたのではないかと考えます。

“今ある発達段階を無限に豊かに充実させて生きている横川さん。その人生に関わった多くの支援者や地域の人々は、その姿に励まされ、自らの人生を生きる力を受け取ってきた。私たちは、お互いの命を慈しみ、励まし合いながら、共に発達し、共に生きていく。横川さんのあゆみは、そのことを力強く教えてくれる。”

(『〈ヨコへの発達〉というまなざし』p.35)

坂本さんは「ヨコへの発達」に関する糸賀一雄の言葉を踏まえて、このように述べます。10代の頃と現在と、発達検査の数値だけを見れば大きな変化はない横川さん。しかしその人生は、今も豊かに広がり続けている、と言えるのではないでしょうか。(Part1—Story1:ひとり暮らしがしたいんや)

2人が足首まで海に入り、ピースサインをしている写真
講演会で訪れた与論島での、坂本さんと横川さん

「できる/できないを揺さぶる」をテーマにしたイベントが開催

障害福祉の現場の物語が中心にありながら、子育てや教育、人としての生き方にさまざまな気づきをもたらしてくれる本書。出版にあたり、著者2人が登壇するイベントが、2026年3月20日(金・祝)に龍谷大学深草キャンパス聞思館(京都府京都市)とオンラインにて開催されます。

テーマは「できる/できないを揺さぶる」。龍谷大学現代福祉研究会の年次大会ですが、一般の参加も歓迎されています。

テーマや日時などが書かれたチラシ画像

本書の出版にあたって坂本さんは、能力主義に苦しんだり、違和感を感じている人々へこの本を届けたいと話します。

「この本を読んで、たくさんの人に肩の力を抜いて生きていってもらえたら嬉しい。一つひとつの物語には、そのヒントが詰まっていると思います。〈ヨコへの発達〉というまなざしをいろんなひとが手に入れてくれたら、世界はもっとやわらかになるはずです」

教育や保育の関係者、福祉医療の関係者、子育てをしている人、あるいはビジネスパーソンや学生にもぜひ届いてほしい一冊です。「できる/できない」では測れない、〈ヨコへの発達〉をまなざす人たちの物語に触れてみませんか。

ami taruiさんによる装画には、その人の豊かな生活や実りある人生がちりばめられたイメージが描かれています