異なる言語や身体をもつ人たちが集まる創作の場。
たとえば演劇やダンス公演の稽古場や劇場、美術家の作業場であるアトリエ、音楽家が訪れるレコーディングスタジオ。
そこにはどんな問いや葛藤、対話があるのか。それぞれどのような工夫を重ねているのだろうか。
私は障害のある身体、というか、ちょっと人と違う形や性質の身体を持ちながら、ダンスや演劇をしております。その私の目線から見える世界や、私の身体で感じること、時には気になる人とお話ししたりしながら、私の頭の中にあることなどを、文字にしていきたいと思います。
こう語るのは義足の俳優(ときどき車椅子俳優)&ダンサーとして活動する森田かずよさん。
この連載では「創作の場にある問いや葛藤、対話、それらを置き去りにしない環境づくり」というテーマを掲げ、森田さんと共に考えます。
初回は森田さんが携わるダンス公演『そう、それはいつか繋がるダレカのお話し』の創作プロセスで感じたことを綴っていただきました。
「障害者」という肩書の前に、森田かずよという名前があり、肉体がある
2021年11月現在、私は大阪の茨木市で、ダンス創作の真最中である。障害のある人ない人を含んだ多様な人と、追手門学院大学地域創造学部草山太郎准教授のゼミ生と共に創作を行っている。
ことのきっかけは2019年、九州大学で開催されたソーシャルアートラボでのイベント登壇。草山先生から声を掛けていただき、「ゼミでダンスに取り組みたい」との熱いラブコールをいただいたことからだった。大阪住まいの二人がなぜ九州で出会ったのか、これは運命の出会いだったのだろうか。
2020年4月、ゼミで学生と出会うことから、この公演がはじまっていた。私にとってはじめての大学での講義。一筋縄ではいかなかった。当時、世の中は新型コロナウイルス感染症のパンデミックで一度目の緊急事態宣言が発令されていたのだ。
元々草山先生は障害学が専門であり、ゼミでも共生社会をテーマに掲げている。障害のある人を含む多様な人と出会うこと、とくに今年度は「ダンスという共通の身体表現を通じて相互理解をはかる」という方向性で進んでいくことになっていた。
講義の内容については熟考した。ダンスをしたことがほとんどない学生たち。そもそも彼らは「ダンス」にどんなイメージを持っているんだろう。やっぱりEXILEとか、K-POPとかHIPHOPとかだろうか。私HIPHOPなんか踊れない。そんなことが頭を巡る。そして、障害のある私と出会うことにもどんな印象を抱いているのか、ほんの少し不安もあった。
初講義の前に、草山先生からこんなことを聞かれた。「事前に『社会モデル』など、いつ障害についてレクチャーしましょうか」。私は即答で「いらないです」と言った。きっと草山先生は障害について最低限知ってから、私と出会う方がいいと思われたようだ。
しかし、私は学生たちに障害について知って欲しいわけではなく、森田かずよという人間と出会って欲しかった。
たしかに私には障害がある。でも「障害者」という肩書の前に、森田かずよという名前があり、肉体がある。まず障害よりもそこが先なのではないか。変な前知識も、構えもいらない。リアルに出会うことは出来なかったが、出会って欲しい。そして私の作品を観て欲しい。私の身体から創出される動きをダンスと捉えるのか、そんなことも一緒に言葉を交わしながら考えたいと思っていた。
初講義当日、私のダンス映像をはじめ、日本のみならず、外国にルーツがある障害のあるダンサーの作品など、時間の許す限り見てもらい、感想を語ってもらった。学生にとってははじめて見るものばかりだったと思う。
今までの人生で障害のある人に出会ったことはあるのだろうか。あったとしても、こんなに障害のある身体をじっと見たことはなかったのではないか。面白く感じたところや「すぐに言葉に出来ない」などと率直な感想をくれた学生もいた。
すべてオンラインとなってしまった前期(2020年4月〜8月)だったが、座学の講義だけでなく、ダンスワークショップも何度かやってみた。もちろんオンラインでダンスワークショップをするのもはじめてだ。
先ほども書いたように、ダンスをほとんどやったことがない学生たち。まずなかなか身体が動かない。学生によってはパソコンではなくスマートフォンで講義を受けているので、画面の中の身体が小さくてわかりにくい。そして音楽を流すと、タイムラグが起きるのか、音はずれる。手探りなんていう可愛い言葉ではなく、怒涛のような時間だった。
向い合いお互いの動きを真似つつ踊る、というワークでは、ブレイクアウトルームに2人ずつ5分間無理やり放り込む、なんて暴挙にもでてみる。後から聞くと、5分間何も動かず終わったペアもいたようで、それはそれで「ノンダンス(※注1)」の作品になるのではないかと思った。
注1:フランスの振付家ジェローム・ベルが生み出したとされる、ほとんど動かない、踊らないダンス。ダンスとは何か、身体とは何かを問う。
ワークを何度か重ねていき、日常の動作や感情などをテーマに、Zoomの画面上でそれぞれが踊るということもやってみた。徐々にZoomの小さい画面が、それぞれのステージのように感じられ、短い作品のようなものが出来上がるようになった。オンラインながらも、かすかな手ごたえを感じて前期が終わった。
2020年9月、後期になりやっと対面での講義が可能になり、加えて2020年11月15日茨木市文化振興財団主催でワークショップをする機会をいただいた。
このワークショップは障害のある人ない人含め多様な人が参加する。その内容を詰めているときに、文化振興財団から「新型コロナウイルス感染症対策のガイドライン」に沿って「ワークショップでは、人と人の間は1m離れてください。接触は禁止です」と言われ、計画した内容は赤く修正され戻ってきた。
いくら直接出会えるようになったとはいえ、まだまだ安心できる状態ではない。人の身体に触れながら、あたたかみを感じ、心を通わせ関係が築けるワークをしたいと考えていた私は、現実を突きつけられる。ワークの内容を変更し、ワークショップ自体はなんとか成功に終わった。
ワークショップでは、学生がサポートに入り、障害のある参加者とペアで踊った。終了後の反省会では、私の想像以上に、学生たちは参加者の細かい表情や行動に気づいていることを目の当たりにした。一人ひとりが出会った相手に対してどのようにサポートをしたらいいのか試行錯誤していたのだ。
ひとつのワークをする際、性格や特性によっては輪に入れない人もいる。それははじめての場所に対する緊張だったり、警戒心だったりする。
私の方針としては、無理やり入らなくてもいいと思っている。その空間にいることに慣れて、やりたくなったら入ってきてくれたらいい。でも一旦離れてしまうと輪に入ることにとても勇気が必要になる。ある学生は、そこに寄り添い、タイミングを見ながら一緒にワークをしてくれていた。
短い時間だったので、思った通りにいかなかったことも多かっただろう。とくに私は参加者に対して無理やり手を取ることを避けて欲しいと以前から言っていた。参加者の気持ちや行動を待つことが大切だと考えていたからだ。
手を差し伸べるのではない、一緒に踊る関係を築いて欲しい。「次はもっとこうしたい」など、ポジティブな意見が出て驚かされた。このように多様な人と関係を重ね、経験を積み上げていった。
「会いたいのに会えない」気持ちを何度味わっただろうか
そして、2021年9月。12月5日に本番を迎える「みんなでつくるダンス公演」に向けての練習が始まった。公募ダンサー+学生合わせて36人という大所帯となった。
しかし、やはり一筋縄ではいかないのが私たちらしい。9月は4度目の緊急事態宣言が発令中で、一般公募のダンサーの方々は集まることは出来たが、学生はオンラインでの参加となった。(10月より無事対面でのリハーサルが可能となった)
会いたいのに、会えない。こんな気持ちをこの1年半、私たちは何度味わっただろう。もう、それを作品にするしかない!そう決めた。『そう、それはいつか繋がるダレカのお話し』というタイトルを付けた。
そして今、これを書いているのが11月。リハーサルも折り返し地点を過ぎ、作品の構成を詰め始めた。私は基本的に振付をしない振付家である。こう書くと誤解を招きそうだが、自分の身体から生まれた動き(振付)を、自分が動きながら人に渡すのがいまだに苦手というか、しっくりこないのである。
振付を考えるときに、振付をする対象者の身体を思い浮かべる。そうなると、頭の中で想定するのは健常者の身体になることが多い。自分の身体の場合もあるが、自分では経験できない動きを想像し、それを伝えることになる。
そうすると、やはり自分の身体を通していないからなのだろうか、私の経験不足もあるのだが、伝えた振付がその人のものにならず、ちぐはぐしているように見えてしまう。あくまで私から見える「ちぐはぐ」なのだが、違う身体を持っているということを思い知らされる瞬間でもある。
その為か、自分の動きを振付として渡すのではなく、ほとんどは言葉でイメージを伝えたり、ある状況や場面設定などを示し、関係を創って、それぞれの身体からダンスを生み、組み立てていく方法をとっている。その方が、それぞれの身体特性が立ち上がっていくように思う。
先日、あるシーンでは、いくつか動作を組み合わせて振りを作り、それをダンサーに踊ってもらった。その後、別の関係性を提示し、いくつかの指示だけを与え、それぞれ学生&公募ダンサー達のペアでダンスを創ってもらう時間をとってみる。ペアによっては振付を話し合ったり、その場で即興をしながら合わせていったり。それぞれ手法は違っていたようだが、それは私が考えたものより何百倍もの素晴らしいダンスだった。
出会ってまだたった2ヶ月という短い期間だが、その間で少しずつ心を許したり、言葉を交わしたり、関係を築いていった時間が詰まっていた。今までなかなか自発的に踊らなかった子も、学生とペアを組みながら踊っていた。
それを見ながら、私はちょっと涙した。このシーンを見ながら、私はとても無力だ、と思った。演出だ、振付だと言いながら、私のやれることなんて、たかがしれている。いや、逆だ。どこまで、この素敵なダンサー達の姿を舞台上で見せられるのか、私の力にかかっている。そう思うと恐くなった。試されている、と日々感じる。
第6波が来ないことを祈りながら、公演まで走り続けたい。
編集部注:12月5日に公演は終了。公演後の内容に関しては森田さんのブログに綴られています。
Profile
この記事の連載Series
連載:森田かずよのクリエイションノート
- vol. 092024.06.14滞在先で医療ケアが受けられる場所を探すこと
- vol. 082023.12.26「歩く」を解体して見えた景色
- vol. 072023.09.0416年活動してきた劇団が生み出した「障害演劇を作るための創作環境規約」にふれて
- vol. 062023.06.02踊ること、自分の身体のこと、それを誰かに見せること、その逡巡。キム・ウォニョンさん×森田かずよさん
- vol. 052023.04.07わたしの義足とわたしの身体の関係
- vol. 042022.12.21「障害のあるアーティスト同士が出会う場」で私が聞きたかったこと
- vol. 032022.08.01障害のある俳優は「障害のある役」しか演じられないのか
- vol. 022022.05.19私ではない身体が生み出したダンスを、私の身体はどのように解釈するのか