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【写真】触手話をヒントに生まれたコミュニケーションゲームを行っている様子【写真】触手話をヒントに生まれたコミュニケーションゲームを行っている様子

共に生きる楽しさから新しい言葉が生まれる ふれる世界探索 たばたはやとの触覚冒険記 vol.02

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私は生まれたときから耳が全て聞こえず目もよく見えない、先天性盲ろう者である。コミュニケーション手段は弱視手話、触手話(手話を触って会話する)、少しだけ指点字などである。

私は触覚を使いながら言葉の概念を獲得した。そして、今も触手話や指点字など触覚を使ってコミュニケーションをしている。相手の手に触れることで、言葉の意味だけではなく、相手の気持ちが伝わってくる。

また、最近は視力が落ちてきて、通訳・介助者と一緒だが、以前は一人で外出することもあった。そのとき、触覚のアフォーダンスから、色々な気づきがある。電車やバスなどに乗ると、乗り物によって手すりの形が違うことが、私には大切な情報だ。物の形状や触った感じによって得られるものは多い。

こう語るのは、触覚デザイナーたばたはやとさん。この連載では触覚がもたらす文化や表現の可能性をたばたさんと共に探索する。

※初回記事:点字ブロック、電車の手すり、多目的トイレの触覚情報

今回はたばたさんが、ある福祉施設の実習で思いを巡らせたことや「ユニバーサル・ミュージアム――さわる!“触”の大博覧会」で感じたことを綴っていただきました。(編集部 垣花)

社会福祉実習のなかで感じたこと、考えたこと、悩んだこと

幼いころから多くの人々が助けてくれた。そのおかげで今がある。将来は誰かの役に立ちたいと、武蔵野大学で社会福祉を学んでいる。盲ろう障害のある私が人の役に立つことができるのだろうか。その方法を知りたいとずっと思ってきた。

2021年の秋に、社会福祉の現場で実習に参加した。

ある福祉施設は、自然の中で生きるためのものを作る活動をしていた。たとえば海水を取りに行って塩を作る。野菜や果物を育てる。田植えを行い秋に稲刈りをする。私は稲刈りを体験させてもらった。田んぼは凸凹していて、足を踏み出すたびに、土の感触が足の裏に伝わった。

稲の束の根元をのこぎり鎌で刈る。軍手をした左手で稲の束をもち、右手で何度もカマを動かして稲を刈る。軍手を外して稲の手触りを感じながら、5束を1つにまとめてひもできつく縛った。それを乾かすために竹の柵に干した。

田んぼを触ると、土がとても柔らかいと感じた。後日、干した稲穂を足踏み脱穀機で脱穀した。足踏み脱穀機に稲穂を当てて、足に強い力を入れる。たくさんの力が必要だ。そして、唐箕(とうみ)という道具で籾や藁くずを取り除く。

すべてが時間のかかる手作業だった。空、土、水、草、実、自然の中で生きるためのものを作る。長い時間を一緒に過ごす。共に生きていると身体で感じた。

【写真】たばたさんが訪れた福祉施設の敷地。竹が生い茂っている

私と聴者である利用者にはコミュニケーションの壁があった。盲ろう障害があるために、相手の表情や声の様子が分からず、相手の好き嫌いを想像する情報は少ないし、楽しいのか苦しいのかなど気持ちをつかみにくかった。通訳者に言葉を通訳してもらっても、十分には心情などがわからなかった。

手話が出来ない利用者と通じ合うために、私は手のひら書き(※注1)や身振りでコミュニケーションを取ろうと試みた。すると、彼らも私と直接コミュニケーションをしようと新しい方法を考え始めてくれた。

※注1:ひらがなやカタカナ、漢字などを手のひらに指先などで書いてことばを伝える方法。

古くなった竹を小さく切って、たい肥にする仕事をしたときのことだ。私がノコギリで竹を切る時、利用者のIさんは私にノコギリの使い方を教えてくれた。竹に切り込みを入れるところまでは一緒にやり、あとは私の手に自分の手を添えてくれた。Sさんはあと少しで竹を切り終わるというときに、私の手の甲を少しつまんでくれた。それは、手話で「少し」を意味する動きと同じだった。あと少しで切り終わることを触って分かるように伝えてくれた。

【写真】たばたさんが訪れた福祉施設の敷地。切り株など木材が小屋に置かれている

施設利用者は、私よりも力があり仕事ができた。私は支援したいと思っていたが、逆に助けてもらうことの方が多かった。役に立っていないと悩んでいた私に、施設長は私の存在そのものが支援だと言った。

「利用者が私とコミュニケーションを取りたいと思い積極的にその方法を考えた経験、それは彼らの新たな力を拓いた」と。

そこにいる人々の間で通じ合う新しい言葉を、その時々で一緒に創っていけば全ての人々と友達になれる。そうしたいという気持ちを誰もがもっている。共に生きる楽しさの中から新しい言葉が生まれる。言葉の違いや障害の有無などバリアはいつの間にかなくなっている。

大阪・奈良旅行

2021年の11月に大阪と奈良に行った。国立民族学博物館で開催された特別展「ユニバーサル・ミュージアム――さわる!“触”の大博覧会」に行くことが目的のひとつだった。

博物館に展示してあるものを、すべて触ることが出来た。たとえば、人形の顔、手。石や飾りのようなものもあった。ひとつずつ展示してあるものを触った。次はどのようなものがあるのだろう、と考えることが楽しかった。硬くて冷たいものが多かったように思う。

【写真】ユニバーサルミュージアムの看板
【写真】展示内にある偉人の彫刻ふれるたばたさん

私は美術館の絵を直接見ることが出来ない。タブレットなど機器の持ち込みを許してもらって、絵を拡大して見ることが多い。その方法だと、絵の一部分を見ることはできるけれど、全体は見えない。大阪の特別展は、展示物を触ることができるという点が興味深かった。もし、私が触ることのできる展覧会を開くなら、どのような企画にするだろう。

私は日本地図、世界地図が大好きだ。これまで何度も国内外旅行に行った。私にとって旅行の楽しみは、乗り物で移動しその土地で暮らす人々と出会うことだ。文化や言葉の違いにとても興味がある。私は地図の細かいところを見ることが出来ない。形をなぞりながら様々な土地で生きる人々のことを想像する。地図から次に出会う人々のことを想像することが好きだ。

日本や世界を触る、どのようなイメージか考えてみた。日本はとても狭い。北海道の形は人の顔のようである。九州はワニのようだ。そして、アメリカはとても広くて、大きい魚のような形である。アフリカは象の鼻のような形だ。国の形を楽しむだけではなく、その土地を感じられるものがあると良い。世界中の椅子を集めて座ったらどうだろう。座り心地の良さは、その土地に暮らす人々の身体や気候などによって違うのではないか。いつか誰でも楽しめるイベントを開きたいと思う。

【写真】展示内にある触れる地図にふれるたばたさん

博物館には、友人たちと一緒に行った。友人のDさんの父親は、私と同じ盲ろう者だった。去年の春、ある視覚障害のある男性からIさんを紹介してもらった。その後、DさんとDさんの父親とZoomで話をした。オンラインで何度も話した。直接Dさんに会いたいと思い、新型コロナウイルスの感染状況を見ながら、会える日程を調整した。そして、大阪と奈良に行った。

直接、Dさんと盲ろうの父親に会うのは初めてである。オンラインよりも直接会った方がたくさん話せたし、もっと話したいとの思いが強まった。

Dさんの父親とは、電車に乗った時、食事をする時、ずっと触手話で話をした。私が少し身体に触れると、すぐに私に両手を差し出してくれた。その手はとてもあたたかいと感じた。彼の話は面白くて何度も笑った。触手話は手話の一部分が触れるだけで、相手が言おうとしていることの全体が分かりやすい言語だと思う。

「次の予定は何か」と触手話で尋ねると、次を楽しみにしている気持ちも手の感触を通して相手に伝わる。触手話の相槌は、相手がどれくらい興味をもってくれているのか分かる。気持ちが通っている感じが心地よい。世界の人々と触手話で話せたら、どれほど楽しいだろう。


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連載:ふれる世界探索 たばたはやとの触覚冒険記