"駅ビルに憧れた私"という私。「駅ビル」「豆腐」「勘違い」をテーマにした詩(うた)、投稿作品発表! ムラキングとみんなの詩(うた) vol.05
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★この連載は、日常の切実な気持ちを言葉にしてきた妄想恋愛詩人ムラキングと、その活動に伴走する水越さんを、〈こここ〉編集部メンバーが訪ねていく連載「ポロリとひとこと」から生まれた、「詩」にまつわる読者参加型企画です。記事の最後に、次回の作品募集も掲載していますので、ぜひふるってご参加ください!
妄想恋愛詩人・ムラキングと〈こここ〉編集部による連載「ムラキングとみんなの詩(うた)」。「生活から生まれた切実な詩」を読者のみなさんから募集して紹介する読者投稿型連載です。今回も、寄せられた作品を眺め味わいながら、その人が送っている日常の手触りや、誰かにとっての切実で大切なことを想像して、ラジオ番組のようにあれこれとおしゃべりしていきます。
登場人物紹介
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妄想恋愛詩人ムラキング:1981年生まれ。高校生時代から詩を書きはじめ、即興で詩を書くのが得意。認定NPO法人クリエイティブサポートレッツの就労継続支援B型を利用している。
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水越雅人:認定NPO法人クリエイティブサポートレッツのスタッフ。同い年のムラキングと出会って10年になる。
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中田一会:こここ編集長。千葉在住。社会福祉士資格取得を目指してへろへろになりながら勉強中。
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岩中可南子:こここ編集部メンバー。東京の下町在住。ムラキングと水越さんと同い年。
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鈴木竜一朗:写真家。最近ハマっていることは、スパイス料理に濁酒の熱燗を合わせること。
第4回テーマに寄せられた4作品を紹介します
第4回の募集テーマは「駅ビル」「豆腐」「勘違い」。今回は〈こここ〉編集部チームが、ムラキングと水越さんが活動する〈クリエイティブサポートレッツ〉の拠点〈ちまた公民館〉にお邪魔して、久しぶりにリアルでのおしゃべりに花を咲かせました。
多数寄せていただいた作品のなかから、印象深かった4本をご紹介します。
「『ムラキングとみんなの詩(うた)』になってからはずっとオンラインでおしゃべりをしていましたが、年に1回は集まりたいねと言っていたんですよね。今回はちまた公民館に集まってまたみんなで対面しながら詩を囲んでいこうと思います」
「久しぶりですね」
「今回で4回目になるのかあ」
「さて、では緩やかに始めていきましょう」
余計な心配が冒険先(はいぱーぐりーんさんの詩)
1作目ははいぱーぐりーんさんの詩。テーマは「駅ビル」です。
あなたとのデートは、大抵こういう場所
あのおしゃれな隠れ家カフェも、路地裏の焼き鳥屋さんも、おいしいオムライスで噂の喫茶店も、
一緒に行ってみたいけど
車いすと生きる私は、余計な心配がなく行けるこの場所を選びがち
入れるかな、段差あるかな、通れる幅あるかな、トイレに行けるかな、とか
そんな余計な心配
一緒に過ごす時間を、ただ、楽しみたくて
純粋に味わいたくて
余計な心配はしたくない
だから、ここに来る
安心して行けるここに来る
また一緒に来よう
おいしいごはんを一緒に食べよう
…たまには、余計な心配も一緒に冒険してもいいかな
「ご本人からは『駅ビルというテーマを見て、いつも駅ビルやショッピングモールのお店を選びがちだなと改めて気付きました。その思いを書いてみました。』とコメントをいただいております。なるほど、そっか。車椅子と一緒に生きるはいぱーぐりーんさんにとっての駅ビルは、段差がなかったり、トイレに行きやすかったり、安心して行ける場所なんですね」
「最後の一文は、本当に愛してる人だから、相手に『ここ危ないよ』とか、そういう心配をかけてもいいから冒険してみたい、ということなのかな。すごくいいな」
「そこで『余計な心配』が冒険先なのがいいですよね」
「そう、この詩の人は『あなた』へ心配をかけてもいいと思えているようで、そこの関係性もいいですよね」
「先回りするのは、この人とただただ時間を集中して、ノイズなくゆっくり長く過ごしたいからなんですよね。余計な心配はしたくない」
「この詩、だからなんとなくポジティブなんですよね。自分が余計な心配をせず楽しみたいという思いが強く働いていて。一方で、自分の安心のためでもあるし、相手への配慮でもあるんだけど、先回りすることによってちょっとだけ選択肢が狭まってしまっているような側面もありますよね。みなさんは、生活上で先回りしすぎちゃってることってありますか?」
「私の場合は、自分の親と出かけるシチュエーションでよくありますね。行き先を決めるときも、わりと歩かなくていい場所や、空調のきいた快適なところを選びます。外へ行くのが大変そうなときは自分が家を訪れますが、先回りしながら本当は外に行きたいんだろうなあ、と考えたりします」
「あと、食べものの食べられる/食べられないが、はっきりしている人も先回りしているみたいですよ。仕事相手に『何食べたいですか?』と聞かれても、食べられないものが多くて答えづらい。そんな私の友人は、先回り案として『中華』に行きついていました。中華だと食材や調理方法にバリエーションがあるし、お店も比較的どこにでもあるから伝えやすいそうで。だけど、本当はいつも中華ばかりが食べたいわけじゃないんだろうなって思っています」
「僕の先回りですが、デートに行くとき、向こうが家を出た頃合いを見計らって僕も家を出て、少し先につくくらいのタイミングに先回りするんです。相手が待ち合わせに来ると『ああ、本当にその時間のバスに乗ってたんだ。本当にやってきた!』と妙に実感がわくんですよね」
「ムラキングは待つ時間みたいのが一番そわそわしますか?」
「はい。だけど相手が来るまでの時間は楽しみですよね」
「ムラキング、それって先回りというよりも“見通しが立ってるかどうか”じゃない?」
「あ、そうかも! それって見通しですね」
勘違いした、だけどよかった(本田タダシさんの詩)
次の作品は本田タダシさんの作品。テーマは「駅ビル」と「豆腐」と「勘違い」です。
「では次にいきましょうか。ムラキングさん、読んでもらってもいいですか」
「はい」
駅ビルがなくて豆腐屋さんがあります。木綿豆腐が食べたいのに、勘違いして絹ごしを買いました! 美味しいです、よかった。
「この短い3文のなかに、ぎゅっと今回のテーマ3つがすべて自然に入っていてすごいですね。パッと全部繋がったんだろうなと感じました」
「『田舎に住んでいて、僕自身、勘違いが多いので。』という一言コメントをいただいています。『駅ビルがなくて豆腐屋さんがあります』って、なかなかのパンチラインですよね。そこだけでだいたい街の感じがわかる。個人商店が中心で、チェーン店が少ない商店街を想像しました」
「『木綿豆腐が食べたいのに、勘違いして絹ごしを買いました』……僕はこの部分、勘違いできないかもです」
「これこそが勘違いですよね。お店先でとっさにあれ、自分はどっちが好きなんだっけ? と思って選んだけどこれじゃなかった……というシーンなんでしょうね。でも美味しいようで、よかった」
「最初にこの詩を読んだとき誰かとの会話なのかなと思ったんですけど『よかった』って続いているから、会話じゃなくて独白なんですよね。なんだか作者の人がすぐそこにいるような感じがします。ムラキングは絹と木綿、どっち派ですか?」
「僕ねえ、関係ないんですよ。どっちも好きっていうか。絹も木綿も、同じ値段じゃないですか。だからよく食べていた時期は、絹5個、木綿5個みたいに揃えて買っていましたね。ただ、近所のスーパーの木綿豆腐が、出来立てなのになぜかパッサパサで。で、絹は絹で、すごいすべりやすい。……これって豆腐だったっけ? って」
「豆腐かどうか疑いはじめちゃった。でもあらためて考えると、どっちが好きなんだろう」
「絹が好きだけどすき焼きにするんだったら木綿がいいな」
「ムラキングの話を聞いてて思ったけど、ちゃんとした豆腐屋さんが朝から作ってるタイプの豆腐だから、この詩の人はどっちも美味しかった可能性がありそうですね」
「なるほど確かに。そう思うと豊かですね。こんな短文でも面白く読めるのってすごい」
「ね。短いならではの余韻といいますか」
どうしてもらいたかったんだろう(千里akaみどりさんの作品)
次の詩は千里akaみどりさんの作品。テーマは「豆腐」です。
豆腐のかどに頭をぶつけてみた
豆腐はくずれなかった
豆腐にかすがいを打った
豆腐はなんともなかった
豆腐に黙って触った
豆腐はなにも言わなかった
豆腐の匂いを嗅いだ
豆腐は無言だった
豆腐に息をふきかけた
豆腐は黙っていた
豆腐を覗いた
豆腐は平気なようだった
豆腐にスマホを向けてみた
豆腐は
豆腐の持ち物に触った
豆腐は
豆腐に
豆腐は
豆腐はそうしてもらいたかったんだ
「おお。これはいいですね。面白いですね。作者さんからは『豆腐はいいことずくめで、なすがままでおいしくいただけて文句も一言も言わず、あつかいやすくて、でも私達は豆腐にいろいろして、豆腐は……』というコメントをいただいています」
「豆腐『の』とか、豆腐『に』とか助詞を使いわけているから、読む人にも深く詮索してもらいたかったのかな」
「確かに、豆腐に対してなにかをしているのと、それに対する豆腐のリアクションでずっと“対”ですよね。この作中の豆腐は何もしていないのに、リアクションがとても豊かです。私、豆腐に対してこんなに向き合ったことないです」
「子どもの頃、かくれんぼや鬼ごっこをするとき、小さい子だけルールをゆるくすることを『トウフ』と呼んでいる人もいました。『君、トウフでいいよ』みたいな感じで使うのを、この詩を読んで思い出しましたね」
「鬼ごっこでタッチされても鬼にならない人のことね。懐かしい!」
「おお、私の出身地でそれは『オミソ』と言いましたね。ちょっとのけ者のニュアンスもあるし、特別扱いの意味もあるし、ある種の配慮みたいなものとしてはたらくときもあるのかな」
「そう。だから詩にこういうかたちで豆腐が出てきて、ちょっとびっくりしました。見方によっては、いじめっこといじめられっこのような」
「たしかに、詩のなかにも、ちょっとそんな苦しさがありましたね。作中、行為をしてる人が、豆腐が何もリアクションしてくれないからって、徐々にいろんなアプローチをかけていく感じもしますよね」
「何も言いたいことがないから無言なのではなくて、豆腐は実は言いたいけど言えていないだけで、そんな豆腐に対して静かに耳を傾けている人のようにも、私は読めました。だから行為をする人は豆腐側に立っているのかなって」
「なるほど。『そうしてもらいたかったんだ』という箇所も、俯瞰から『それが真実です』って断定しているのか、いろいろ試した側として『きっとそうしてもらいたかったんだろうなあ』って納得してるのか、ちがう立場で捉えることができますね」
「もしくは、リアクションのわからない人のことを想像して、こういうリアクションだったらこうかもみたいに、コミュニケーションの方法を模索しながら近づこうとしているようにも見えますね」
「僕、最初にこの詩を読んだとき、この豆腐、赤ちゃんみたいだなあと思いました。でも『そうしてもらいたかったんだ』というところが妙に偉そうだから、気持ちや関係性がピタッとあうところがまだ自分のなかで見つかっていないですね」
「最後の『豆腐に 豆腐は』の部分は、それぞれお互いからくる表現なんだろうなって思います。行為をしている第三者から見えている豆腐と、豆腐である本人たちと。誰かだからするのではなく、豆腐だからこそして欲しいみたいなことなのかなと思いました」
「豆腐への行為は無限に続いていく感じがしました。豆腐にちょっかいをかける人と、豆腐のリアクションがずっと続く。どうしてもらいたかったんだろうなあ」
「私はこの作者を、黙ってされるがままの豆腐側の人なんじゃないかと解釈していて、行為する側の人へ『そういう関わり方じゃなければもっとこうできたのに』って思っているのかもとも考えました。ぶつかってこられたら無言になるし、別に触られても何も言わないけど、こういう風に向き合ってくれたら、自分はこういう風にリアクションできるのに、みたいな」
「この作品の中に、行為を受ける側と行為をする側とがいて、どっちに立ってるかもわからない。読み手のなかにある体験に合わせて、詩が姿かたちをまるっきり変えてしまうのがすごいですよね。ヒリヒリして不安にもなるし、優しい恋のようにも思えるし」
「そうですね。読み方や受け止め方が人によって変わるのって面白いですね」
「静岡地域では豆腐という言葉がゲームの中の特別枠という意味で使われていることも初めて知って、興味深いです。次の作品も見てみましょうか」
望むものが手に入った街で私は(スイさんの作品)
次の詩はスイさんの「駅ビル」。テーマも同じく「駅ビル」です。
「駅ビル」
最寄り駅に駅ビルがなかった私は
最寄り駅に駅ビルが欲しかった
最寄り駅に駅ビルがあるここに引っ越してきた
最寄り駅に駅ビルが欲しかった私は
最寄り駅に駅ビルがあって「よしっ」と言った
三ヶ月が過ぎた
最寄り駅に駅ビルがあることは
やはり嬉しいのだけど
同時に
少し疎ましいような気もしている
私
選びもしなかったのに
望みさえしなかったのに
どこまでもついてくる私
という私
そんな私であることを
疎ましく思っていた時も
あったような気がする
よく 覚えていない
ただ 諦めた
生クリームのような諦めの後味が
ほんのり ある だけ
じっとり
でも
あまい
最寄り駅に駅ビルがあることを
願わしさも疎ましさも諦めも過ぎて
最寄り駅に駅ビルがあるのだと
ただ思えるくらいまで
ほんのり ほんのり あまくなるまで
ここにいられたら
いいな
「詩全体の余白やリズム、言葉の感じがいいですね」
「最寄り駅に駅ビルが欲しいって、私個人が欲しいって言っても、手に入るものでもないから、結構大きな望みだなって思いますね。だから自分から引っ越してきたんだ。だけど、途中から駅ビルじゃなくて『私』の話に移っていくんですよね。この人にとっての『私』は『疎ましく思っていた時も』ありながら『どこまでもついてくる』ものでもある」
「『選びもしなかったのに望みもしなかったのに、どこまでもついてくる私、という私』……おお~」
「『生クリームのような諦めの後味』って表現しているけど、自分のことをあんまり好きじゃないのかな。じっとりした感じから、いい味わいに落ち着くのを待ちたいのよね、きっと。もしかして、駅ビルに一喜一憂している自分が『ダサいなあ』と思ったりしているのかな」
「この『三ヶ月』が気になってて。ずっと憧れていたものを手に入れてみたら、意外と三ヶ月で気持ちが変わってしまった、そのことに引っかかってそうじゃない?」
「恋愛関係でよくいうやつですよね、“三ヶ月が山場”みたいな話とかね」
「ああ、それだ! 中田さんの話を聞いて、この詩の『私選びもしなかったのに』っていうセンテンスがすっごい気になってきちゃってて。これは妄想なんですけど、ある人から告白されるんだけど、『ああ、この人でもいいや』と思って関係が始まる恋愛シチュエーションなのかなって。そうなってくると『駅ビル』はお相手ですよね」
「ムラキング、こと恋愛の話題になるとぐっとアクセルがかかるね。一気に入りこんだよね、この世界にね」
「で、今から話すのはいつも通り妄想なんですけど」
「いままでのは?!」
「『どこまでもついてくる私』っていうのが、引っ越しを何度か繰り返すことで、駅ビル、駅ビル、駅ビル……と歴代の駅ビルたちを渡り歩くなかにも、私が絶対についてくる、みたいなことを言っているような気がして。『そんな私であることを 疎ましく思っていた時も あったような気がする』と発言しているときには、“駅ビル”のお相手に対してやっぱり違ったな、と思うところがあったのではないかと。『よく 覚えていない』のは、忘れてしまいたかったから思い出せなくなって、だから『ただ 諦めた』んじゃないかと。
最終的にその相手とは距離が離れていくことにより『諦めの後味』が生まれたし、それがまだほんのりと残ってるから、自分の中で『じっとり でも あまい』んじゃないでしょうか」
「なるほど。私は詩から『欲しかった』こと、『選ぶ』こと、『望む』ってことは、またちょっと違うのかもしれないってことを読み取りました。これが欲しいと思っていたけど『欲しかったのって本当にそれだっけ?』っていうことってありますよね。駅ビルさえあれば素敵な生活が約束されると思っていたけど、どうやら違った。住んでみたら意外と、駅を降りてすぐ帰路につけなくて邪魔くさかったり、キラキラした人たちばっかりが目に入って帰り道がしんどいとか、無駄にお金使っちゃうとか……」
「いざ暮らしてみたら生活自体はそんなに変わらなかった、そこにギャップがあったのかも」
「そんな自分の浅はかさに気づいちゃって、もうちょっと駅ビルに対して何も感じずニュートラルにいられる自分でいたいと思うようになった、と捉えることもできそう。なにかに意気込んで一歩踏み出すときって期待しすぎちゃうことがありますよね。仕事や学校、日々の人間関係や住む場所もだけど『これがあればもっとちょっと良くなるんじゃない?』と思って、いざそうなってみたら、期待した結果にはならなくて恥ずかしくなったり、がっかりしたりすることは往々にしてありますよね」
「いや、この詩の人と駅ビルとの関係はここからですよ。生クリームの後味も、もうちょっと発酵したら美味しくなるかもしれない。この後味にお酒を合わせたら意外と美味しいかもしれない。駅ビルの裏にいい飲み屋さんを見つけたとか、逆に目が行くからこそ、諦めたからこそ味わえる、次の面白さがあるかもしれませんよ」
「諦めたからもういいや、じゃなくて『またほんのり甘くなるまで居続けられたらいいな』というのは暗い話ではないですよね」
「場所やこの街にこだわりがありそうですね。ここに住んだら生活変わるかもみたいな予感ってあるし、『ここにいられたら』とも表現しているから、いるために、ちょっと買いたいものを我慢したり、予算より高い家賃を払うために努力する必要があるのかも」
「はいぱーぐりーんさんの作品は駅ビルに安定感を感じていましたけど、スイさんのはそれと並べるとまた見え方が異なりますね」
「先程の方はデート先としての駅ビルで、なんでもあって便利で選択肢としてニュートラルなものとして描かれている一方で、こちらはなにやら『何かの象徴』のようにみえますね」
あなたの切実な詩(うた)、ぜひお寄せください!
「今回も楽しかったあ。濃厚でしたね。駅ビルもそうだけど、まさか豆腐でこんな多彩な詩が送られてくるだなんて……みんなそれぞれの切実な生活の詩だからこそ、みんなでここまで話せたんだと思います」
「いま、喋りすぎて水分不足で自分の口もパッサパサです」
「やっぱり対面は話しやすいですね」
「今回もさまざまな作品が寄せられましたが、いろんな人の生活とか、そこに感じてる想いにみんなで思いを馳せられたら『みんなの詩』なのかなって。たとえば掲載作ではないですが、現在の社会のなかで感じた理不尽や無力感をしたためた作品も、本当に切実なものでした。みんなで、この詩の人は『どういう立場にあったんだろう?』と考え、想像する時間がもててよかったです。そこには大切な意味があると思いますが、今回は私たちのおしゃべりのなかだけに留めておこうと思います」
「僕も個人的にアンサーソングを書いてみたいなと思いました。その詩を見せられるかどうかはわかりませんが」
「アンサーソングかあ、いいですね」
「ね。ときにそういう入口で、募集テーマと同じもので私たちも詩を書いてみるのもいいかもしれませんね。さて、次回のテーマを考えてみましょうか」
そんな生活の切実さが溢れる作品に触発されて会話が弾んだ第4回『ムラキングとみんなの詩』。今回〈こここ〉上でご紹介した作品の作者にはささやかですが記念品をお届けします。
毎日を自分らしく過ごす工夫、不意に出会った印象的な出来事、日常のやり過ごし方や自分との約束、行き先の見つかっていない気持ちや言葉。そんな切実な日々にしおりをはさむように、あなたも詩を書いてみませんか。
次回テーマは「ねごと」「コンセント」「パッサパサ」です。
次はどんな“切実さ”に出会えるのか、連載メンバー一同、とても楽しみにしております。みなさま、ぜひふるってご応募ください。
第5回募集内容(〆切:2025年1月10日)
テーマ
- あなたの生活から生まれた切実な言葉を詩として届けてください
- 第5回の募集テーマ「ねごと」「コンセント」「パッサパサ」のうち、好きなものをひとつ選んでください。複数テーマをつかう作品もOKです
形式
- あなたが「詩(うた)」だと考える言葉であればどんな形式でもOK
- テキストデータにした文章でもいいですし、紙に書いた文字を写真やスキャナなどの画像にするような形でもOK
締め切り
第5回テーマの締め切り:2025年1月10日(金)24:00まで
応募方法
メールの件名に「みんなの詩作品応募」と記入し、〈こここ〉編集部メールアドレス(co-coco@magazine.co.jp)まで以下の内容をお送りください。
- 作品(詩) ※メール本文に記入しても、画像などを添付してもOK(添付ファイルサイズは5MB以下)
- 選んだテーマ
- ペンネーム
- 作品についてひとことコメント
発表/記念品
- 応募いただいた作品のうち数点を〈こここ〉の記事上で掲載します(2025年春頃を予定)
- 掲載作品の作者には、記念品を贈呈します
※作品が掲載された場合、作品を応募いただいたメールアドレス宛に、記念品の発送先について編集部からご連絡します
注意点
- 応募された作品がすべて掲載されるわけではありません
- 未発表の作品、ご自身が考えて書かれた作品に限ります
- 掲載作品については作品・ペンネームのほか、応募時のひとことコメントも掲載される場合があります
- 代理で応募いただくこともできますが、作者本人に事前に確認をとった上で代理であることも明記してください
- ご応募いただいた情報は本企画の運営を担う株式会社マガジンハウス〈こここ〉編集部と、協力団体である認定NPO法人クリエイティブサポートレッツで共有させていただきます
- 他者の尊厳や権利を傷つけたり、損なったりする表現はご遠慮ください
Profile
Profile
- ライター:遠藤ジョバンニ
-
1991年生まれ、ライター・エッセイスト。大学卒業後、社会福祉法人で支援員として勤務。その後、編集プロダクションのライター・業界新聞記者(農業)・企業広報職を経てフリーランスへ。好きな言葉は「いい塩梅」、最近気になっているテーマは「農福連携」。埼玉県在住。知的障害のある弟とともに育った「きょうだい児」でもある。
この記事の連載Series
連載:ムラキングとみんなの詩(うた)
- vol. 042024.07.182時間スペシャルって、ちょっと複雑。生活から生まれた詩(うた)、投稿作品発表! 〜次回募集テーマは「駅ビル」「豆腐」「勘違い」
- vol. 032024.02.22“切実に生きる”方法はみんな違う。生活から生まれた詩、応募作品発表! 〜次回テーマは「失敗」「目玉焼き」「2時間スペシャル」
- vol. 022023.10.12「生活からうまれた切実な言葉を詩として届けてください」第1回作品発表! 次回は11月24日〆切です。
- vol. 012023.08.09【作品募集】“生活からうまれた切実な詩”を募集。 テーマは「ど忘れ」「遮光カーテン」「前の席と後ろの席」(〆切:9月8日)