
相手との関わり方、つながり方を変える「共事者」「共時者」とは? 地域活動家・小松理虔さんとの対話 【前編】 マイノリティ化する子どもたちと|青山誠 vol.03
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住む場所や仕事、家庭環境、自分の身体など、「立場」が違えば「見える世界」も大きく変わります。この十数年、「当事者」という概念が浸透していったことは、それまで声を上げづらかった人々にとって重要な変化だったと言えるでしょう。
一方で、物ごとへの直接の関係が見えない人ほど、「私は経験してないから」「部外者が何か変なことを言ってはいけない」と、関わりや発言を控えたほうがいいような空気感も生まれています。それぞれが“自分の領域”を決め遠慮し合った結果、いつの間にか社会の「分断」が深くなっている……みなさんの身の回りに、そんなシーンはないでしょうか。
保育者の青山誠さんと、「保育」や「児童福祉」にとどまらない、さまざまな領域で活動する人をたずねる連載『マイノリティ化する子どもたちと』。第3回は地域活動家の小松理虔さんをたずね、福島県いわき市南東の町、小名浜を訪れました。
『マイノリティ化する子どもたちと|青山誠』
https://co-coco.jp/series/minority_children/
使い方によっては、人と人とを隔てる言葉にもなる「当事者」。その意味を問い直そうと、小松さんは東日本大震災を経て、「共事者」(事を共にする人)という概念を提案しました。
今回はそこからインスピレーションを受けて青山さんが示した、「共時者」(時を共にする人)という言葉も巡りながら、改めて「誰かと共に生きること」について考えていきます。
震災や原発に「真の当事者はいない」と書いたわけ
——子どもを含め、マイノリティとされる人の傍で何ができるか考えるときに、「共事者」と「共時者」は重要な言葉ではと思います。まずは改めて小松さんから、復興の過程で「共事者」を使うようになった理由を教えてもらえますか?
小松 東日本大震災の時、すでに福島にUターンしていた僕は、いろんな場面で「震災の当事者」として扱われて、自分でも発信してきました。ただ、大きな被害に遭った人たちに比べれば、家が流れたわけでもないし、故郷に住めなくなったわけでもない。別の誰かと比較しながら「俺も当事者って言っていいんだろうか」と何度も悩んでいたんです。
一方で、震災後のSNSなどでは、本人というよりその傍にいる人が「当事者の言っていることこそが正しい」と代弁する場面を見かけるようになりました。その言葉はどこか、「現場から遠く離れた人の意見は論評に値しない」という雰囲気も帯びていて……。
違和感のあった僕は、『新復興論』(ゲンロン)という著書に「震災にも原発事故にも“真の当事者”なんていない」と書いたんです。福島にいた人だけでなく、本当は全員に関係があることだと思ったから。
“原発を受け入れざるを得なかった構造的な問題にまで遡れば、戦後はおろか関ヶ原や戊辰戦争の時代にまで当事者を含むことができるかもしれない。つまり、当事者を限定しようという身振り自体が愚かなのだ”
(『新復興論』p.267)小松 ただ、これには反論の声もいただきました。「本当に困難を強いられた当事者がいるなかで、あの表現には問題がある」と。それを聞いて、僕自身も「そうか。誰もが関係していると伝えるには、別の言葉が要るんだ」と思ったんですよね。
青山 僕は『新復興論』を読んで、「誰も当事者性を占有することなんてできない」とおっしゃりたいんだなと思いました。占有されちゃうと、関わり方の濃淡によって迂闊に発言できなくなってしまうから。
小松 そうなんです。本来は誰もが問題の一端を担っているから、「あなたもあなたの立場から関わっていいんだ」と言いたかった。でも確かに、「真の当事者なんていない」だと、苦しい思いをしている本人と、周りの有象無象の人たちの声を等価にしてしまう。
そこで、当事者を大切にしながら、その周りにいて事を共にしているという意味で「共事者」を考えました。共にする割合は100かもしれないし、0.5かもしれないけれど、みんな共事者ではある。
例えば震災被害を受けていない人にも、「昨日福島のうまいカツオを食べたなら、あなたも立派な共事者ですね」って言えるんですよ(笑)。
解釈を任せて、“正しさ”から離れる言葉
——地域活動家として食や福祉、アートに至るまで、幅広いプロジェクトで人と人をつないできた、小松さんならではの言葉だなと感じました。
小松 さっき青山さんが「当事者性を占有してしまうと迂闊に発言できなくなる」とおっしゃいましたよね。実は僕自身も、周りにいる若い人たちにそうさせていたんです。当事者や震災に興味があるが故に、傷つく人が想像できてしまい、何も言えない移住者たちが多くて。
でも、彼らを語りにくくさせているのって、まさに僕のような——福島出身で、福島で働いてて、本まで出していて、ある種の正しさしか言わない——人間だったんですよ。あるときそう気づいて、語り方を考えなきゃいけないと思いました。
青山 「共事者」という言葉を聞いて、とても納得したんです。
僕はよく保育の現場を“祭り”に喩えていて。祭りって真ん中で太鼓を叩いている人はもちろん、偶然通りかかった人も、家で音を聞いているだけの人も、ちゃんと祭りの一部じゃないですか。みんながそれぞれの形で緩やかに関わり合うあの風景は、園の中にもよく立ち現れるし、考えたらとても共事者的だなと。
同時にあの言葉には、どこか文学的な響きがあるというか、解釈が人に委ねられているのも感じました。強力な概念を表す厚みのある言葉だとは思いつつ、その時々の固有の熱を持っているような。学術的な言葉ではなく、小松さんの身体に根ざした、一回性の言葉として提案されている気がするんです。
小松 まさに僕は「共事者」という言葉をまったく意味付けしていないんです。そこに正しさが生まれてしまうと、外野は「何も言えん」みたいになるんですよね。
震災や放射線、フェミニズムやジェンダーの話などもそうなんですけど、専門家や当事者性の強い人たちが発言することは大事。ただ現代は、そういう人たちと当事者性が少ない人たちの差が大きくなる一方なので、間に立って翻訳や仲介をする人も必要だなと思うわけです。
よく「小松は何にでも“いっちょがみ”して……」と言われるんですけどね(笑)。僕自身はこうした共事者的な関わりがすごく大事だと思って、あえていろんなことに関わるようにしています。
時間を共にするだけでも、どこかでつながり合える
——青山さんは、保育を「共時者」的な仕事だと表現されていますよね。こちらは「目の前の人と同じ時を過ごす」ことの意味を問い直す言葉だと感じています。
青山 そう、小松さんの言葉からインスピレーションをもらって使うことが多くなりました。そもそも幼少期って、教育という名の下に「いずれ克服されるべき/矯正されるべき」期間と思われがちです。
けれど僕らからは、卒園して何年経っても、その子の中に“5歳の子ども”が居続けているのが見える。保育は、子どもたちの幼少期にずっと留まれる仕事とも言えるんです。
小松 ああそうか……確かに「時を共にする」仕事。
青山 一方で、ある時間の中で保育を捉えると、いろんな子どもたちの活動や興味が響き合っているのも見えてきます。僕はそれを音楽の言葉で、「ポリフォニー(多声音楽)」に喩えるんですけど。
よく保育や教育だと、子どもが「できなかった状態から何かに触発されて変容した」ことを“成長・育ち”と呼んで、出来事を順列的に語るケースが多いんです。でも、実際の現場って、同じ時間にこっちでは水がこぼれて、あっちで誰かが喧嘩して……と常にポリフォニックなんですよね。
その関わりって、同じ物ごとというより、時を共にしている「共時者」の感覚に近い。
青山 さっき、小松さんの多様な働き方を聞きながらこの図を出そうと思ってたんですよ。これはある期間、保育の中で起こった出来事を並べたものです。心理学では「コンステレーション(星の配置)」、広げた布の上に配置していく様子に喩えて「布置(ふち)」とも呼ばれますね。
こんなふうに、どこかの出来事が意外と別の出来事にうっすらつながることもあるし、消えていくこともある。そういう自然な状態を表すのにいいなと思っています。
小松 布置の図、いいですね。「人間のあり方って本来こうだよな」と思いました。例えば、子どもがいろいろなことに興味を持って、片方に飛びついたらもう一方のことを忘れちゃうんだけど、彼らの中ではつながっている……みたいな。
僕自身、本当にこんな感じです。福島の炭鉱の歴史とエネルギー産業のことも書くけれど、漁業や食、子育ても入ってこないと小松の本らしくない。一つひとつに関しては専門家ほどの知識はないし、正しく因果関係を説明することもできません。けれど、自分の中では全部、等しく価値のあるものとして散らばっているし、それが人だと僕は思っています。
青山 むしろ一つのことに、あえてフォーカスを合わせないようにしているのかなと。
小松 そうですね。ジャーナリスティックに物ごとの事実関係を深めるときも、生活者として食に関心があるときもある。この町のいろんなことに関心があるのに、どこか一つだけを切り取って「僕はこれの専門家です」と言えない、というか言いたくないと思っているんです。
だから、肩書きも決められなくて、文章を書いてはいるがライターとも言い切れないし、ファシリテーションでお金をもらっていても専門かと言われればそうじゃない。それが全て、僕の中では違和感なく存在しています。
——この社会では、そういう動き方ではなく、一つのことに集中し専門的に語れることが良しとされる傾向がある気がします。
小松 小学生くらいからすでに、“とっ散らかっている”ことがダメな状態だとされるじゃないですか。保育園ではそのあり方が許されても、小学校はできないぞって。
むしろポリフォニックに散らばっているいろんなものを、一つひとつ小分けにして整理し、そのつながりや理由を説明しなくてはいけなくなるんですよね。それが「成長」であり、「分別をつけること」みたいな……。
豊かな「混沌」を生み出す身体感覚
小松 子どもたちの活動の図を見て、最近聞いたある総合診療医の話を思い出しました。さまざまな病気を併発している高齢者の方に対して、専門医がそれぞれに処方したり手術を提案したりすると、患者さんの薬の量が膨大になったり、病院に行く回数が増えたりして、自分らしく生きることが難しくなるそうです。
でも、少し引いた視点で全体を見ることができれば、治療の優先順位を決めて、患者さんの時間を増やせるかもしれない、と。「全体を見る」という専門性も大切なんだと思いましたね。
青山 保育者はそのスキルを持っている人が多い気がします。常々問題になっていますけど、1人で同時にたくさんの子どもたちを見るなかで、特定の子だけを焦点化して見るわけにはいかないから。すごく感覚的なんですけど、「身体を場にする」っていうことをしている気がします。
例えば、「ねえねえ、ダンゴムシがさー」と言ってくる子に応じながら、遠くの砂場で遊んでいる子を「あ、そろそろトイレに行きたそうだな」と見ている。それでもう一度「ダンゴムシすごいねー」とこっちの子を見て、再び砂場の子を見ると、我慢の限界に来ているのがちょうど目に入るんです。
ダンゴムシの話をしているときは砂場の子を見ていないはずなんだけど、その間を想像で埋めているのかな。短期記憶をつなぎ合わせている、みたいなことをたぶんしているんですね。
小松 「身体を場にする」って感覚、わかる気がします。昔、材木屋の仕事で保育園に積み木を配布する活動をしていたとき、大人が何か言う前から、子どもたちが勝手にどんどん積み木で遊び始めちゃう園があったんです。カオスなんだけど、みんなすごく楽しそうで、それぞれ家を作ったり車に見立てて走らせたり。
そのなかで、先生の「その車はそっちのおうちに行くのかな」の声掛けから、「道路つくる!」みたいな子が現れて、いつの間にか全体が一つの町になるという奇跡の瞬間がありました。そういうときの先生って、とっ散らかったまま行きながらも、家を作る子も、車を作る子も、走り回って壁にぶつかっているような子も見えていて、まさに「身体を場に」していたなと思います。
でも、世の中で「良い園」とされている園ほど、子どもは先生の指示があるまで積み木に触りませんでしたね。あと、先生が「みんなで町を作りましょう」と始めから答えを言っちゃう。その場合、最後に町ができるのは同じなんだけど、やっぱり全体の熱量や、過程で起こるカオスな感じは違うなって思いました。
青山 前者の園は、おそらく先生たちが「させる」ではなく「なる」っていう身体感覚を持ってるから、大崩れしないんだと思います。それが僕らにとっては「良い園」でもあって。小松さんがカオスとおっしゃる「混沌」も、決して「混乱」ではないはずなんですね。
混乱だと本当にめちゃくちゃで喧嘩になったりします。僕はそうじゃなく、現場から混沌が立ち上がってくる様を見るのがすごく好きなんですよ。そこでは子ども同士がすごく響き合っていて、場に豊かな意味での行動指向性があるのを感じるんです。
※ 後編につづきます。
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- ライター:ウィルソン麻菜
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「物の向こう側」を伝えるライター。製造業や野菜販売の仕事を経て「背景を伝えることで、作る人も使う人も幸せな世の中になる」と信じて、作り手のインタビュー記事や発信サポートをおこなっている。個人向けのインタビューサービス「このひより」の共同代表。現在は、二児の英語子育てに奮闘中。




