自分ではなく、傍にいる人が幸せになることを願うための言葉。あるいは、願ったうえで取る行動。なのになぜか、もやもやしてしまうことってないでしょうか。
社会の中でときどき聞く、人々の幸せ(=福祉)に確実に影響を与えているだろう言葉をみんなで考えていく連載『言葉のもやもや歩き』。第2回のテーマは「あなたのためを思って」です。
今回は、特別支援教育の現場で働く川上康則さん、在宅医療の現場で非医療者としてデザインプロジェクトに取り組む神野真実さん、障害福祉施設を運営する山下完和さんの3名にご寄稿をいただきました。
・川上康則さん(杉並区立済美養護学校 主任教諭)
・神野真実さん(株式会社メディヴァ デザインリサーチャー)
・山下完和さん(やまなみ工房 施設長)

欠いてはいけない「行ったり来たり」 川上康則
「あなたのためを思って」と言ってくれる人は、きっと心からそう思っているんだと思います。言葉の根っこに、「将来のことを考えて」「この先苦労するといけないから」という親心にも似た親切心があるからこその「あなたのため」ですよね。
でも、言う側が「自分の言っていることは正しい」という思い込みがあることに気づけていない場合は、かなり危険な言葉にもなりえます。
学校の職員室では、「あなたのためを思って」の気持ちに似た表現として、「将来が心配」「今のうちに何とかしないと」「このままだと大変」などの言葉を聞くことがあります。いずれにしても、自分は子どもを正す権限があると勘違いしている教師ほど、ためらいなく使い、子どもの尊厳を傷つけてしまっている印象があります。
これらの言葉を言えるのは、たいてい「強い立場」の人です。教師をはじめ指導する側の人には、自分が「正解を知っている人」であり、「能力を持ち合わせている人」だという自負があります。そのため、相手の様子や言動を自身の基準に照らしながら、「足りていない」「届いていない」という思いを強くしていきやすい。やがて揺らがない信念になっていくこともありえます。
他方、言われる人は「弱い立場」であることが多いので「いやいや、それは違いますよ」とはなかなか反論できません。中には、自分の至らなさを責めてしまう一方で、表向きは従順にふるまいつつ「お前に何が分かる!」と唇を噛みしめている人もいるはずです。こうした権威性による差(権威勾配)に、子どもなど弱い立場の人は自ずと気づきますが、そうでない側はなかなか気づけません。
そのように、強い立場にある者が弱い立場の意志や事情に関わらず介入・干渉することを「パターナリズム」と言います。「あなたのためを思って」という言葉に多くの方がモヤモヤする理由は、そこにパターナリスティックな関係性が内包されていて、「かくあるべし」という一方通行の押し付けが見え隠れするからだと思います。
「あなたのため」と言いながらも、相手の意見を聞く気を示せていない振る舞いは、教育現場でも残念ながら見られます。「あなたのため」であった言葉が、やがて「自分を満たすため」に置き換わっていくことも少なくない。でもそれを看過することはできません。
これを防ぐには、まずは他者との対話が欠かせません。「私はこう思っているが、あなたはどうだろうか」という、行ったり来たりの双方向のやりとりが、「あなたのために」と言い放つ冷たさを防ぎます。
それ以上に、言う側の内面的な対話も重要です。「相手の不足を感じたのはどこか」や「なぜ、あなたのためだと言い切れるのか」など、自己の思考とも行ったり来たりしてみる。
そうした揺らぎを抱えながら、自分自身を俯瞰できる教師に、むしろ子どもたちは信頼を抱くようです。難しいことかもしれませんが、その事実を受け入れていくことこそが、「あなたのためを思って」と言い切ることの怖さへの気づきをもたらすのではないでしょうか。

プレゼントも、人の最期も 神野真実
小さい頃から「贈り物」が好きで、大切な人の誕生日や友人に久しぶりに会う日には「とっておきのものをあげるぞ!」と意気込む癖がある。
以前付き合っていた人の誕生日に、3ヶ月前から腕をまくり、何を買おうかリサーチを重ねたことがある。お祝いにと食事に誘った当日、その人が好きそうな店のちょっといいTシャツを、ラッピングがばれないよう袋にいれて持って行った。食事が終わり、ドキドキしながらプレゼントを渡すと「……ありがとう!! へぇ……面白いね!」という、良かったのか悪かったのかよくわからない反応をされ、時がとまった。
その後、数週間、微妙な空気が続いて居た堪れなくなった私は、彼に本心を問うた。言いにくそうに返ってきたのが、「何もわかってないんだなって、悲しかった」という、強烈な一撃。「あなたのためを思って」、日夜Instagramを徘徊し、おしゃれな友人に相談し、何度もお店に足を運んだあの時間はなんだったんだろうか……と思いつつ、それは彼の好きなブランドではなかったという事実と、「自分を理解してもらえていない」と感じた相手の気持ちを受け止めようと考えた。そもそも本人の考えを理解しているつもりになって、他人の意見と自分のリサーチだけを信じて贈り物をし、喜ぶ反応を期待することは、善意のようでエゴだったのだ。
そんな私は現在、医療機関の運営に関わりながら、日常や地域から遠くなった「老い」や「死」を取り戻す取り組みをしている(*注)。その中に、「人生会議」というものがある。人生会議は、まさに「あなたのためを思う」準備の一つで、もしもの時に、どんな医療やケアを望むのか、人生の最期の時間をどう過ごしたいのか、本人の考えや根本にある思いを、身の周りの大切な人たちや医療・介護者たちと繰り返し話し合うプロセスのことである。
その人がこれからどう生きていきたいのかは、ネットリサーチや、専門家に聞いても正解があるわけではなく、その人自身もまだ言葉にできていないこともある。「家に居つづけたい」「でも家族に迷惑をかけたくない」という気持ちが拮抗して「自分でもどうしたいのかわからない」というようなこともある。では、そうした思いを、どうすれば開いていけるのだろうか。
それは、過去どんな歩みをしてきて、今どんな考えなのかに、その人自身も、周りの人も向き合い、よく話し、関係性を作り続けることに他ならない。「きっと、こうだろう」「詳しい人が言うなら、間違いないだろう」という思いこみが過ぎると、本人の望むものを手渡せなくなってしまう。まるで、あの頃の私のように。
大切な人を目の前に、自分が「こうしたい、してあげたい」という気持ちが湧いてきたとき、「本人にとっては、どうなんだろう?」と立ち止まり、話してみる。人生の最期の時間が、一方的な善意の押し付けではなく、本人に望まれた贈り物になるような準備を一緒にできたらと思う。

彼と僕との誓い 山下完和
滑らかに、ダイナミックにキャンパスの上を走る彼の指先。その光景はまるで白い氷上を華麗に舞うアスリート。工房で目にした彼のパフォーマンスは、瞬時に僕の心を魅了した。
研ぎ澄まされた集中力が醸し出す心地よい緊張感と底知れぬ喜び、ゾーンを共有した僕たちに会話は不要、ただキャンパスと筆先の擦れる音の中でフワフワとした無重力空間を体験しているようだった。
息を呑み瞬きもせず指先を追いかける、その時僕の心はあるメッセージを受信した。
「自分自身の今と、こうありたいと思う姿が一致してきたかい?」。不意を突かれ我に返った僕は、施設長として彼と過ごしたこれまでを振り返りながら、得体のしれない声の主に反応した。
「ごめんよ。随分時間がかかってしまったけど、ようやく大切なことに気が付いたよ」。思えばこれまで、僕の無意識の当たり前がどれほど目の前の彼の困難を作っていたことだろう。
障害のある人の自立? 就労? A型B型工賃向上? それはいったい誰のため、誰の理想で誰の願い? 彼が彼であるために、僕はいったい誰の本音に向きあっていたの? 真実はいつも彼の心の中にあるはずなのに、僕はいったい誰の心の中を覗いていたの?
言い訳とも開き直りともとれる利己的な言葉を口にしそうになる僕に、声の主は再び問いかけた。
「『彼のためを思って』『あなたのためを思うからこそ』。何度も飛び交う議論の中心に置かれた『あなた』や『彼』は誰のことだったのだろう?」。
「正直に言うよ、僕のことだよ。彼のことを蔑ろにして、自分の偏った考えを主張するため口にした最も偽善的で無責任な言葉だよ。ごめんね、今なら分かる。彼が求めていたのは安らぎ、そして自分らしく過ごせる時間と空間」。
僕はどうすればいい? 僕の役割は何? 答えは明白。彼が必要としているのは大切な場所ではなく、そこが大切な場所になるために必要な誰か。
いつも安心して言葉を交わし合える人と、どんな小さな事も励まし合い、ありのままを認め合う。もう迷うことはない。二度と裏切ることもない。
僕自身の心の弱さである、声の主に僕は誓った。これからは、彼の本心を聞き逃したりはしないよ。すべては彼と幸せを感じるために。

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神野真実
株式会社メディヴァ デザインリサーチャー
祖父の死をきっかけに、耳の不自由な祖母(当時86)が引きこもる姿を目の当たりにし、ケアや社会包摂のあり方に興味を持つ。「かつて暮らしの延長にあった老いや死を、どのように日常に取り戻していけるのか」という問いのもと、ケアの現場の内と外をつなぐプロジェクトを実施。世田谷区を中心に在宅医療を提供する医療機関の運営に携わりながら、市民・専門家参加型のデザインアプローチを実践。認知症のある方が暮らしやすい地域づくりや、患者と家族、医療者がこれからのケアと暮らしについて対話をしやすくする環境づくり等を行う。
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山下完和
社会福祉法人やまなみ会 やまなみ工房施設長
1967年生まれ。高校卒業後、様々な職種を経た後、1989年5月から障害者無認可作業所「やまなみ共同作業所」に支援員として勤務。その後1990年に「アトリエころぼっくる」を立ち上げ、互いの信頼関係を大切に、一人ひとりの思いやペースに沿って、伸びやかに、個性豊かに自分らしく生きることを目的に様々な表現活動に取り組む。2008年5月からはやまなみ工房の施設長に就任し現在に至る。