福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】ある北欧の介護施設を前に4名が立っている。右側に白いTシャツを着たたなかのぶやさんがおり、カメラに微笑んでいる【写真】ある北欧の介護施設を前に4名が立っている。右側に白いTシャツを着たたなかのぶやさんがおり、カメラに微笑んでいる

スウェーデン・デンマークの介護施設をたずねて 「ライフの学校」田中伸弥さんによるレポート こここレポート vol.03

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日々のケアの中から「ライフ(LIFE)=命や暮らし、生きること」についての学びを多くの人々と分かちあうこと。宮城県仙台市にある社会福祉法人ライフの学校が掲げているコンセプトだ。以前こここでも理事長をつとめる田中伸弥さんや、施設長の菅原篤人さん、スタッフの村松直美さんに話を伺った

2023年5月末、田中さんが北欧にある福祉施設を視察していると知った編集部は「さまざまな施設や文化にふれて感じたこと、考えたことを寄稿していただけないか」と依頼。北欧視察レポートを寄稿いただいた。(編集部 垣花)

「ライフの学校」の発端とも言える場所へ

昨年、盛岡市で講演をした際、岩手県社会福祉法人経営者協議会の会長である熊谷氏とお話しする機会があった。

そこで、熊谷氏が理事長を務める法人、社会福祉法人つくし会(一関市)では平成14年より、デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・ドイツへの視察研修を行い、多くの職員が参加していることを知った。

「世界一幸せな国」デンマークを中心に、現地在住で、日本・デンマーク生活研究所理事長の千葉忠夫(※注1)氏の案内のもと、高齢者施設や障害者施設、保育園等を見学し、福祉先進国の現状を学んでいるというのだ。目的は、北欧の国の文化や歴史、自然、国民性にふれる機会を多くとり、幅広い人間性を養うため。

法人内のメンバーに限らず、関係者に声をかけながら、ツアーの企画運営をしていたそう。コロナ禍により3年もの間、中止していたが今年は再開するという。

「もしよかったら参加しませんか?」
「こんなチャンスは二度とない!」と二つ返事で参加することに。

そもそも私が携わる「ライフの学校」は、日々のケアの中から「ライフ(LIFE)=命や暮らし、生きること」についての学びを多くの人々と分かちあうことをコンセプトに掲げている。

その発端となったのはコミュニティスクールの考え方とデンマークのフォルケホイスコーレ(※注2)だった。(実際に法人名の変更を検討する際の候補に「スコーレ」も挙がっていた)

福祉に携わるものとして、やはり、福祉先進国家である北欧への憧れは付き纏い「学校」を標榜しているからにはフォルケホイスコーレに実際に触れてみたいと常々思っていた。

他の業界の方はもちろん、同業の方にライフの学校の名刺を渡すと「本当に学校は運営しているんですか?」と聞かれることも多い。介護初任者研修の講座をひらく計画もあって、インターンの学生用にカリキュラムを組んで学校運営も実際に行いたいと思っている。

毎週土曜日に様々な学びのイベントも行っている。先生が子どもだったり障害のある方だったり、地域の方だったり。事業でおこなわれるケアとは別の文脈で「学び」を意識したのもこの構想があったから。

この記事は、実際にわたしが北欧視察ツアーに参加し、そこで感じたこと考えたこと、その一部の記録である。

※注1:1941年東京都生まれ。1967年に福祉国家の実態の勉強を志して渡欧。デンマークで社会福祉の実践を学び、現地で社会福祉現場活動に従事。70年代に生涯の師バンクミケルセン(ノーマリゼーション実践提唱者)と出会う。1991年NEバンクミケルセン記念財団を設立。1997年には日欧文化交流学院を設立し、日欧文化交流のためのさまざまな活動を行う。現在、デンマークのボーゲンセ市在住。元日欧文化交流学院学院長、NEバンクミケルセン記念財団理事長。NPO法人日本・デンマーク生活研究所理事長。

※注2:北欧独自の教育機関。特徴は、試験や成績が一切ないこと、民主主義的思考を育てる場であること、知の欲求を満たす場であること。加えて、全寮制となっており、全員が共に生活することなども代表的なフォルケホイスコーレの文化です。教員も各校数人は敷地の中に自宅がある。参照:IFAS ウェブサイト

スウェーデンの都市ランツクルーナ、38人の高齢者が住む 「太陽の丘」へ

【写真】「太陽の丘」の庭。コンクリートの上に黒い椅子や白いテーブルが置いてある。そのそばで4人ほどが白と赤の外装をした建物を眺めている

ここには38人の高齢者が住んでいる。日本で言うサービス付き高齢者住宅に近い。日本との違いは、建築、空間のおおらかさ。施設名の通り太陽の光がリビングに差し込み、目の前の庭では、ある男性が、パートナーが乗る車椅子を押しながら外の風を浴びていて、その風景がとても印象的だった。

キッチン、トイレも広く「施設」ではなく、あくまで在宅としての「住まい」という位置付け。保育園と隣接しているので、元気な子どもの声が聞こえる。郊外ではなく街の中に存在していることも「住まい」と「地域との接続」を大切にされていることがわかる。

【写真】キッチンの様子。黒いケトルが置いてある
【写真】建元内の様子。窓が大きく、陽の光が差し込んでいる

スウェーデンには、日本の市町村にあたる「コミューン」がある。この施設に入居するなど、社会福祉サービスを得るには、本人や家族がコミューンに申請し、各コミューンの判定員が要介護度やサービスの内容等を決定するというプロセスが必要だ。

ただし日本でいう「介護度」の概念はなく各ケースで必要なケアを算出してサービス提供している。そのため、各コミューンによって判定の基準等は異なり、住んでいる場所やその場所にある資源によっても判定は異なる。

日本で言うと介護保険創設前の「措置制度(※注3)」のイメージが想起される。その制度において介護保険創設前にあった「非選択制(市町村がサービスの種類、提供機関を決め、利用者が選択できない)」「サービスの均質化」といった問題点のイメージが私には強く残っていた。そのため、コミューンから振り分けられることで家族や本人に不満はないのかが気になった。

「太陽の丘(Solbacken)」施設長に尋ねると「ナッシング」と答えた。内心、施設側の視点と利用する側の視点でギャップもあるだろうと思っていたが、この施設がある都市ランツクルーナ(Landskrone)の住民の80%が高齢者福祉に満足しており、83%の高齢者が在宅介護に満足しているとのこと!

「この施設に入居されてから看取るまでの期間は?」と尋ねると、1年から2年と返答があった。ライフの学校の特別養護老人ホームでは、入居条件が要介護度3以上に限定される前は3年半から4年、限定されてからは3年前後と短くなってきているが、それよりも短い期間。

できる限り長い期間を在宅で過ごし、そこでの暮らしが難しくなった際に施設に行く。それが実現できることで、本人も家族も気持ちの整理ができているのかもしれない。ランツクルーナの在宅介護の満足度が高いことからそんなことを考える。

日本において多様なサービスが生まれ、選択肢が増える部分は良いことだけど、選択肢が増えすぎて、制度が複雑になってしまうのも考えものだ。なぜならば家族が選択肢を誤って、後悔をしているご家族をたくさんみてきた。

相談にくるご家族に多いケースは「ケアマネに言われて……(キーパーソンではない)家族が……」と本人不在で主語が本人ではないことも多い。だからこそコミューンからサービスを振り分けられても、満足度が高いことが新鮮に映った。

質問する時間は限られているため、最後に人員、施設は足りているのか?給与について満足はしているのか尋ねた。「人も施設も概ね足りている。給与も満足、ストレスもない。残業はしない」と。

視察同行者が意地悪く「本当に残業はないの?」と聞くと「私は2人の子どもがいて、生活があるし、母の時間は限られているのよ」と。「自分」を大切にする文化。

このことをより深く理解できる言葉に次に訪問したデンマークの施設で出会った。

※注3:行政が必要性を判断し、サービスの種類・提供を決定する仕組み。利用申請に対して市町村がサービス内容、施設などを選定・決定するため、自分で老人ホームを選択することはできなかった。介護保険制度により、利用者自らサービスを選択する「選択利用制度」となる。

補足メモ:
職員は40人、20人はパートタイム、月給29万円〜45万円(1SKR=13円換算)。
無資格者の月給は26万円~31万円
65歳以上の平均年金の月額は19万円
年金月額26万5千円の高齢者は1万4500円の税金(5.4%)を払う。
消費税は25%、食品は12%、書籍類や交通費には6%内税。
80%の住人が高齢者福祉に満足感、83%の高齢者が在宅介護に満足感。
全スウェーデンでは高齢者施設に77%、在宅介護に88%が満足。
平均寿命:男性81.34歳。女84.73歳。

デンマーク オーデンセにある「ローカルセンター ローセンゴー」へ

56名の重度かつ医療的ニーズが高い人が入居している。

この施設では今年の1月から5月まで20人を看取ったそうだ。30年前は何年も長く住んでいる方も多かった。最近はベットの回転が早く、スウェーデン同様、基本在宅で長く過ごし、介護度が重くなる、もしくは医療的ニーズが高くなってから入居する方が多くなってきたそう。入居期間は最短だと14日間から半年。コロナ前は1年で28名を看取り約50%。

ここには、高齢者センターを取り囲むように100人が住む住宅住居(日本で言うサービス付き高齢者住宅)がある。そこには自立度が高い人が住んでいて、高齢者センターにある通いのサービスにくる方もいる。

医療的ニーズが高くなった場合は原則そのままセンターを利用することが多い。馴染みのスタッフ、慣れた環境を望む人が多いとも言えるだろう。

これはライフの学校で現在進捗中の新事業のコンセプトと近しいものを感じた。六郷キャンパスの看護小規模多機能と地域密着特別養護老人ホームが連携し、高齢者がなるべく在宅で通所、訪問、泊まりサービスを利用できる状態を実現する。それでも在宅が難しくなった場合は特別養護老人ホームへ入居する形を目指している。

この施設の運営で印象に残った点。

・3ヶ月に一回は夜に全体ミーティングを開催し、必ず全員が参加できるようにその日は臨時スタッフを配置する。年間予算として投資しているそうで、医療的ニーズも高まっており、情報共有は大切という考え方から。

・デンマークの日勤は日勤採用、準夜勤は準夜勤の採用、夜勤は夜勤採用……と時間帯で採用が分かれている。全体を見れるように全シフト対応する人はいないという。「朝型の人もいるし、夜型の人もいるでしょう?その人にあった働き方が一番能力を発揮できるから」とのこと。

・ケアの方針を決める計画書などは、デンマーク全体で医療も介護も一体となったICTシステムが採用されている。1968年に個人番号、1970年に個人番号が納税記録と紐付けられ、1977年に個人医療記録システムを導入し、電子化された個人医療情報が活用可能な状態に整備されている。

・監査は事前通告なく、年に1回。内容は3項目。
 ①きちんと記録(ドキュメンテーション)されているか。
 ②生活しているパートナーに対する尊厳が守られた自由な生活が担保されているか
 ③スタッフの質

そのほかに面白い取り組みだと思ったのは、臨時職員を派遣する会社があること。これは日本とは違い、臨時スタッフには医師志望、看護師志望の人がいてそこで働きつつ実学に活かしているという点。施設側も臨時で働くもの双方がwin-winの関係性。こういった臨時職員を活用して全体MTGを行っている。

スウェーデンとの違いがあるとすれば、デンマーク全体として人員が足りないと話されていたこと。資格をもたない人が働く割合がとても増えているそうだ。将来的にはもっと足りなくなる予測をしていた。高齢者が増えていることに加えて、この仕事自体に魅力がないと感じる人も増えており、特に若い人が介護の仕事に就かないらしい(施設を見学すると若いスタッフがほとんどいなく、若い人を見ると外国人の割合が多かった)。

若い人に魅力がない大きな理由は週末(土日)もシフトにはいらなければならないから。海外からのスタッフもデンマーク語ができることを最低条件に受け入れを行っていて、最近は増えている。外国人がデンマークの文化に馴染めないことで起こる様々な課題もあるようで、この辺りも日本と同じ課題を抱えている。

また、デンマークは家庭医制度のため、こうした施設においても家庭医が原則だという。ただ近年は効率化の観点から施設ドクターの制度もできたそう(日本で言う嘱託医に近い)。月曜はビデオチャットで診察、木曜日が直接往診。介護度、医療度が高くなったので、毎回ケース事例を検討できる機会になり大きなメリットだと語っていた。効率化、集約化という観点でみると、2010年に日本でいう特別養護老人ホーム(プライエム)を全廃したデンマークでも、良し悪しは別として、特養化してきている印象を感じた。

サービス付き住宅にて印象に残ったのは、実際に住宅に住んでいる女性にインタビューした時のこと。

「ご家族と一緒じゃなくて寂しくないですか?」(デンマークではほとんどが核家族)と聞くと、「自分の好きに暮らすのが一番。子どもたちは子どもたち。一緒に生活するのは煩わしいし、大変なことの方が多いでしょう?それは子どもたちも同じ」。

確かにその通りなのだが、それをさらっと言い切ることに衝撃を受けた。

こうした住宅や施設に入る前後に自宅を売却等処分するのが一般的なのだとか。

通訳の方が、「日本も核家族がほとんどになってきましたが、同じ世帯に住んでいる人も多いんですよ」と補足すると、その彼女は「でも、娘は毎日会いにきますよ。このほうがお互い自分を大切にできるでしょう」と。

見事に「自分を大切にする文化」が根付いている。

日本では本人の意向よりも家族の意向が優先される場面が多い。特別養護老人ホームでは入居時に看取りの同意書を交わすものの、いざという時に家族は揺れ動き、病院に搬送するケースも少なくない。

デンマークでは自らの意思で終末まで過ごす環境が整っていると感じた。それは制度やサービスのおかげというよりは個人の生き方そのものを尊重しているからなのだと納得する。

AEDは街中にたくさん設置されているが、高齢者センターにAEDはあえて配置していないのだという。尊厳死の国民的浸透が進んでいるデンマーク。考えさせられるものがあった。

補足メモ:
67歳以上の国民年金受給者、独居29万円/月、婚姻者21万円/月。
高齢者住宅入居費 平均家賃2LDK 8万円/月。
高齢者センターにおける食事費(3食)平均7万円/月。
看護師(教育期間3年半)、社会保健介護士(教育期間1年8ヶ月)
看護/介護士の平均給料(週37時間)69万円/月、ヘルパー(教育期間1年2か月)50万円/月
デンマークではパートタイム(正社員)で勤務する人が多数
平均寿命男79,3歳、女83,2歳。

「福祉に限らず、社会の中で『その人の文化を尊重する』こと」フォルケホイスコーレでの学び

デンマークは第二次世界大戦時に「命より尊いものはない」との考え方からドイツに占領を余儀なくされた過去がある。戦後日本は経済大国を目指したが、デンマークは生活大国を目指した。

「人間を機能と捉えて「できる、できない」で計るのではなく、『存在そのものが価値がある』という考え方にベクトルを向けた。いわゆる教育に全振りした。文化の違い、そもそもの目指した理念が違う。なので、単純化して比較はできない。そこが出発点。」

これらの言葉は、ノーフュンスホイスコーレの副校長モモヨ・タチエダ・ヤーンセンさん(※注4)の講義から。「デンマークは日本よりも福祉が進んでいるとよく言われているのは、全体の一部分を切り取って見ているから」だと。

そもそも取り組んできたことが異なるため、注力した分野が発展しているのは当たり前といえば当たり前。AI、テクノロジーがどんなに発達しても「人」が基本だ。人としての価値は同じだが、役割が違う。価値観の共有が大切であるが、日本は圧倒的に対話が少ないと思う。教育も先生から生徒、会社も社長や上司から部下への一方通行が多い。

双方向性をうまく循環させていくために対話が欠かせないことを、講義を受けて再認識。ライフの学校も「学び」が一方向になっている部分があるのでは? と反省した。

最も重要なことは、学びは自分のためだということ。自ら考え、自分が自分であること、さらにはそうした自分が、他者や社会から認められているという感覚を養う時間や機会、環境をきちんと作る必要性がある。その感覚なくして、本当に「尊厳」をまもるケアはできないだろう。福祉に限らず、社会の中で「その人の文化を尊重する」こと。

施設運営をする立場にとって、モモヨさんから心救われるキーワードもいただいた。「認知症ケアの文脈、側面から『可能な限り在宅ではなく、可能な限りその人の生活(環境)を整える』にシフトしている」と教えていただいた。

在宅(場所)を最優先にし、縛られるのではなく、まさに「その人らしさ、文化を守れる場所での暮らし」が大切であると。これが叶えることができれば、日本の特別養護老人ホームも捨てたもんじゃない。

※注4:Momoyo T. Jørgensen モモヨ・タチエダ・ヤーゲンセン
デンマーク国立介護士養成教育機関にて、社会保健介護士取得(医療介護士)。国立オーデンセ教育大学で、教育指導学、教育心理学、心理学、社会学を専攻し、教員免許を取得。デンマーク認知症コーディネーターの資格取得。日本人留学生を受け入れる日欧文化交流学院にて教員として勤務ののち、現在ノーフュンスホイスコーレ副校長。

帰国後、咀嚼しても、しきれない過程で

帰国してから早一ヶ月が過ぎた。アウトプットするべく、北欧視察で感じた感情や学びを言語化しようとすればするほど適切な言葉がみつからないでいる。咀嚼すればするほど、福祉にとどまらず考えがあちらこちらに散らばってしまい収集がつかない。

今回デンマークを訪れて学んだことは、福祉というより、福祉大国=生活大国を築き上げる上で基礎となる「自由」「平等」「連帯」「共生」という考えの成熟した民主主義そのものなのかもしれない。この考え方がきちんと国民1人ひとりの意識の中に根づいていて、その土台に「安心」と「信頼」があるように思った。これには正直カルチャーショック。

どうしても日本で福祉事業をやる場合、介護報酬は公定価格として決まっている以上、政治は切ろうとしても切りはなす事のできない重要な関係性にありながら、選挙の投票率は日本が50%台なのに対して、デンマークは85%。

これらはやはり教育によって得られるものなんだろうと思う。まさにホイスコーレが担っている役割が非常に大きいのではないだろうか。

日本では哲学に触れる機会がほとんどない。「人間とは何か」「生きるとは何か」「人はどう生きるべきか」。人生の中で余白を生む時間。一旦立ち止まって自分を見つめる時間。こうした時間を国が責任を持って負担、いや「投資」していることへ羨望の念を抱く。

私にできることは何か。今なお問い続けている。

今私は、北海道でこの記事をまとめている。デンマークのフォルケホイスコーレで出会った日本からの参加学生に北海道東川町でフォルケに挑戦している取り組みを聞き、実際に訪問することにしたのだ。立ち上げた2人は日本の「教育」に疑問を感じて、フォルケホイスコーレに興味を持って、実際に現地で見て、触れて「これだ!」と思い立ち上げたとのこと。福祉と建築は親和性が高く最近は協働を見かけるようになった。福祉と教育もまた親和性が高いはずでありながら、まだまだ日本では進んでいないのが現状だ。

ライフの学校の中期計画のスローガン「コレクティブインパクト」。福祉の枠に閉じこまらずに、多様なステークホルダーと協働することを意識してきた。この中期計画も今年度で終了。次年度からは今年作成する長期事業計画-road to 2032-のもと法人が動き出す。

モモヨさんが、デンマークで船を一艘作る課題を出した時にどう伝えるかを例え話で教えてくれた。

「船を作るための『手引き書』を教えるのではなく、海の青さ、海の怖さ、海の強さ、海のダイナミックさを伝える。そうするとそれぞれが考えて多様な船ができる」と。

10年後に見たいのはどのような風景なのか。
その風景に出会うために、どのよう船をつくり、どのような航路で、誰と航海を共にしていくのか。

10年後「支えあって学びあってすべてのひとの人生を豊かに」のミッションを今まで以上に具現化できるよう、この1年たくさんの人と対話を繰り返して長期計画を策定したいと思う。


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連載:こここレポート