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【写真】ジャケット姿でインタビューに答えるやまなかさん【写真】ジャケット姿でインタビューに答えるやまなかさん

お世話になったこの島で、全世代型の福祉を。新生福祉会 代表理事・山中康平さんの仕事 福祉のしごとにん vol.14

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「どんなまちに住みたい?」

今から10年ほど前、大学を卒業してはじめて一人暮らしをするにあたってそんな問いを投げかけられた時、自分本位な答えばかりが出てきた。好きな喫茶店や居酒屋、本屋、銭湯があるまち。ともだちが近くに住んでいるまち。おもしろいイベントがたくさん開催されているまち。──そういった答えが出てきた理由には、私がまだ若く、困りごとも少なくて、「まずはひとりで自立して楽しく生きていけるようになりたい」という思いが強くあったからだと思う。

ただ、歳を重ね、結婚したり出産について意識をしたり自分やパートナー、大切な人たちの加齢にも触れる中で、少しずつ考えは確実に変化してきている。子どもができたら、大病をしたり身体を思うように動かせなくなったら、歳を取ったら……。そういう時に考える「いいまち」とは、前述のものとは答えが変わる。子育て、介護。人生に付随するさまざまな変化を共に過ごせる制度や施設がちゃんとあるか。そういった目線が、まだ少しずつではあるものの生まれているのだ。

広島県尾道市にある、海の見える穏やかな島、生口島(いくちじま)。このちいさな島で、さまざまな福祉事業を展開する社会福祉法人がある。その施設数はなんと15。特別養護老人ホームにはじまり、子育て支援センター、児童発達支援・放課後等デイサービスなど、業態もさまざまだ。2024年には、就労支援B型事業所と柑橘搾汁所、宿泊施設が一体となっている複合施設「ボナプール楽生苑」もオープンした。 

社会福祉法人新生福祉会。「豊富な人生経験や伝統文化を若い世代へと受け継ぎ、すべての世代がエンジョイできる地域社会を築きたい」という思いのもと、関西で医師・大学教授を務めていた伊原信夫さんが1998年に立ち上げた法人である。

・【新生福祉会が運営する複合施設「ボナプール楽生苑」訪問記】を読む

この島を訪れたとき、とてもいいまちだな、と思った。このまちに暮らす人は安心だろうなと。自分が住むまちの福祉がちゃんと整っているということは、自分や大切な人に何かがあった時にも、できる限りそれまでの暮らしの延長線上で日常を送れるということである。

現在、新生福祉会の代表理事をつとめているのは、大阪府出身の山中康平さん。2014年に伊原さんが高齢で退任したあと、代表理事を引き継いだ。持ち前の愛嬌とやわらかさと誠実さで軽やかにあたらしいことへのチャレンジを続けていき、ますます生口島にとって新生福祉会は欠かせない存在になっている。

山中さんは、どのような思いで生口島の地域の福祉に関わっているのだろうか?

これまでのしごとの歩みについて、お話を伺った。

福祉のしごとを目指したきっかけは、おばあさまの存在

1974年に大阪府の堺市で生まれた山中さん。福祉のしごとを目指したきっかけには、大好きなおばあさまの存在があったという。

祖母はものすごくやさしくて、何をしても認めてくれて、幼い頃から祖母と話をする時間は私にとって心安らぐ大切な時間でした。そんな大好きな祖母は、若いときに事故にあって足が不自由で、人の手を借りないと電車にも乗れず、どこへ行くにもすごく大変そうだったんです。自分の好きな人が苦労している姿を子どもの頃からずっとそばで見てきたので、そういう社会をなんとかしたいと思い、自然と福祉に興味を持つようになりました。

山中さんは、福祉系の大学に進学して児童福祉を専攻した。おばあさまのことがあったので障害者福祉の道に進もうと思ったものの、当時、社会問題として取り上げられていたいじめなどのニュースを目にするうちに、次第に興味がそちらにうつっていったのだという。

大学時代は特別養護老人ホームのアルバイトも経験した。障害のある人、高齢者、子どもたち──。山中さんの「福祉」に対する興味はこの頃から幅が広い。人が社会の中で困難を抱えたときに、どのように支え合い、制度を活用して助けていけるか。何かひとつの専門分野というよりも、大きく社会福祉について考えていたと言えるだろう。

ただ、福祉に対する思いは強くあったものの、大学時代はそこまで勉強熱心なわけでもなかったのだという。

大学時代はフェンシング部に所属していて、部活に夢中でした。結婚願望もあったから、実際に研修で行った先の児童福祉施設のお給料を知った時に、このまま福祉のしごとに就いていいのか不安になってしまって……。それで一度、就職活動ですぐに内定をいただいた食品系のメーカーに就職したんです。

就職したのは福祉ではなく、メーカー企業。だが、実際に働き始めた時に自分の福祉への思いにあらためて気づかされたのだという。

会社の研修を受けていても、どうしても心が踊らなくて。そんな時に、大学時代にボランティアで行った福祉の現場はどれも心から楽しかったなと気づいたんです。そう気づいたからにはいてもたってもいられなくなって、入社2日目、寝ずに一晩考えたあと、人事の方に辞めると伝えに行きました。

「福祉の仕事が楽しくて仕方なかった」

就職した会社を2日で退職した山中さんは、特別養護老人ホームの介護職員として新たなキャリアをスタートした。当時は時給800円からのスタートで、仕事内容も決して楽なものではない。入ってみてギャップや苦しさはなかったのかと聞いてみると、山中さんはにこにこと笑顔でこう答える。

それがまったくなかったんですよね。もう、「これや、これや!」という感じ(笑)。大変なことももちろんあったんですけど、それよりも楽しい気持ちのほうが断然上でした。あとはやっぱり一度福祉から目を背けてしまったので、絶対にこの世界で生きていくぞという固い意思もありました。

山中さんが特に楽しかったというのは、利用者さんとの会話だったという。造詣が深く、人生の先輩であるおばあさん、おじいさんとの話は山中さんの心を踊らせた。特に、好きな歴史についての話をたくさんできるのが楽しかった。

【写真】インタビューの答えるやまなかさん

やっぱり、この仕事が好きだ。そう気持ちを固めた山中さんは、もっと深く福祉について学びたいと思い、貯金をして社会福祉の専門学校に入学し、社会福祉士の資格を取る。そうして結婚を機にパートナーの出身地である広島県尾道市の因島へ移住、新生福祉会と出会い、転職をしたのだ。

大阪から島に移住する。環境がガラッと変わる時、不安や心配ごとはなかったのだろうか。そう聞くと山中さんは「不安はなかったです」と語る。

福祉の仕事はどんな場所でも大切なことは変わらないと思っていたので、場所が変わることに関しては何も心配はなかったです。「とりあえずやってみないといいか悪いかはわからない」というのが私の性格で、一歩踏み出してみることがまず大事だと思っていましたね。

やると決めたらやる。違和感があれば、その都度道を戻ったり方向転換をしたりして軌道修正する。就職の話からも、移住の話からも、自分の心をカラッと明るく信じる山中さんの前向きな性格が見えてくる。

【写真】港の風景。となりじまが見える
新生福祉会がある生口島から見える景色。山中さんが移住した因島は生口島の隣りにある

前代表理事から教わった、本質的で現場主義の姿勢

山中さんが新生福祉会に就職したのは2001年、26歳の時だった。介護職員として入社して、1年後には生活相談員に。さらに2007年には特別養護老人ホーム「楽生苑」の施設長となり、まちに密着した地域の福祉に携わってきた。

山中さんは仕事をするなかで、新生福祉会を立ち上げた伊原さんの考え方や姿勢に大きく影響を受けたのだという。伊原さんは、固定観念にとらわれない、本質的な考え方を持つ方だったそうだ。

たとえば、医者と介護職員のあいだでは、医者のほうが立場が上でなかなか介護職員が意見を言い出しづらいという風習があったのですが、医者でもある伊原さんは自ら「現場を見ている介護職員の意見は大切だ」と言ってくださっていました。福祉に関すること以外でも、生ゴミには栄養があるので資源として循環させようとコンポストをいちはやく取り入れたりと、常に本質的なことを考えている方でした。

伊原さんの徹底的な現場主義の姿勢にも影響を受けた。地域の課題は現場にある。だからとことん地域に出向き、人と関わり、対話をし、その関係性の先に必要なケアを見つけ提供していく。そういった地域と向き合う姿勢は、山中さんにも引き継がれている。

そんな伊原さんのもとで仕事を続けていた山中さんだったが、伊原さんが高齢で体調を崩し、代表理事を交代することになった。「後任は理事会の判断に任せる」という伊原さんの言葉のもと、理事会の話し合いであたらしい代表を決めることになったとき、山中さんに白羽の矢が立ったのだ。当時の理事は山中さんを含めて6名で、当時30代だった山中さん以外は全員70代・80代だったという。

みなさんが「山中くんがやったらいいじゃないか」と推薦してくださって。まさかのことすぎて何も覚えていないんですが……。でも、理事の方々には日頃からとても可愛がっていただいていましたから、とてもうれしかったですね。

どちらかといえば少し口下手だったという伊原さんの思いや考えを理事会で伝えたり、まちの人に積極的に関わって関係性を丁寧に築いたり。そういう山中さんの真摯で明るい姿勢がこのまちに必要だと判断されたのだろう。

2014年。
満場一致で、山中さんは新生福祉会の代表となった。

【写真】しょうてんがいの看板
生口島にある「しおまち商店街」。「ボナプールに泊まっている」とお店の方に伝えると、新生福祉会や山中さんの名前が自然と出ることがあった

情報共有など、ソフト面の整備も

山中さんが代表になって取り組んだのは、生口島の介護事業の整備だ。ほかにも、児童福祉施設を買収したり、ボナプール楽生苑といったこれまでにない複合型施設を開所したりなど、あたらしい事業にも積極的に取り組んでいる。全世代型の福祉に向けて、ひとつひとつ着実に歩みを進めていった。

ハードだけではなく、ソフト部分も整えていった。積極的にグループウェアなどのICTを取り入れて、働きやすい環境作りも整備している。

社内では情報をできる限りオープンにしたかったんです。一緒に働く仲間が日頃何を考えて何をやっているかを知ることは、社員同士で連携したり新しいアイデアが生まれるきっかけになりますし、私の考えも毎週みんなに伝えるようにしています。情報を見る・見ないは本人の自由だけれど、まずは全員に情報が開かれていることが大切だと思っています。

実際に新生福祉会のスタッフさんからも、「転職してきた時に施設間の横の繋がりの多さに驚いた」という声を聞くことができた。今考えていることを発信できる社内SNSのようなものがあり、そういった場所から連携が生まれることもあるのだという。

【写真】ボナプールの近くにある黄色いはし

ほかにも、決裁などもすべてオンラインで完結できるようにした。山中さんは出張で社内にいない時も多い。そんな時にも業務を進めることができるように、ペーパーレスや業務効率化のためのツールを導入。そうやって、自分が介護の現場で思った「こうあったらいいな」をひとつずつ堅実に形にしていったのだ。

地域の福祉を守るために、東京にも進出する

さらに山中さんは、地域を飛び出して東京にも進出している。2022年、東京の足立区に特別養護老人ホームを開所したのだ。ずっと地域に密着した福祉事業を続けていたのに、なぜ東京への進出を決めたのだろうか?

いま、厚生労働省もガバナンス強化を求めて社会福祉法人の合併などによる大規模化を進めているんですよね。そうなった時に、新生福祉会はいまの規模だとどちらかといえば合併化「される」ほうになってしまう。そうなってしまうと、島で今と同じサービスを提供し続けられるかどうかはわからないんです。だからこそ、法人として強くあるためにも、東京に進出することを決めました。

いまは生口島での福祉事業は順調に進んでいるが、島の人口減少なども考えると、この状態が数十年後どうなっているかはわからない。さらには若手の育成をしたいという思いもある。長い目で見るとこのタイミングで東京に進出することは、新生福祉会を残すために必要なことだった。

それもすべては、この島の福祉事業を続けていくため──。出身地ではないこのまちに、なぜそこまで山中さんは思いを寄せるのだろうか。

やっぱり生口島の人にお世話になったので、島の人々のためにもこの法人を残さないといけないという思いが強いんですよね。新生福祉会を残すことが目的なのではなくて、その先にいる地域の人や働く人々を守りたいという思いが強いです。

山中さんがいつも大切に見つめているのは、生身の「人」だ。地域や社会という言葉を聞くと主語が大きく実態を掴むことが時に難しいけれど、山中さんの言葉からは、ひとりひとりの人生に思いを馳せる意思を感じられた。そういう実感のある具体的な思いと、伊原さんから学んだ本質を考える力、そして持ち前の「やってみなくてはわからない」という挑戦心が、ダイナミックな決断を生み出しているのだろう。

「やってみる」ことと、愚直に継続すること

一般企業に就職して、転職、移住、そして地域での福祉、東京への進出──。山中さんは、軽やかに動きながら変化を続ける。取材中にも何度も繰り返していた「とりあえずやってみないとわからない」という言葉を体現し、その軽やかな姿勢が、地域の壁を超え、業種の壁を超え、さまざまな新しいものを生み出してまちの福祉をつくっている。

さらには、「新しいことをはじめる」という煌びやかな言葉の裏にひそむ、さまざまな愚直で大変なことも引き受けている。まちの人々との関係づくり、働きやすい環境の整備。どれもこれも一朝一夕でできることではない。積み重ねが必要なことばかりで、その地道な努力があるからこそ信頼が生まれ、その信頼がいまの生口島の福祉のあり方を支えているのだろう。

持続可能なかたちを考えながら、まずはやってみる。その挑戦心と、地域に生きる人々を思う福祉が続いた先に、きっと山中さんのおばあさんのような方々が生きやすくいられるような──そんな社会が待っているに違いない。

訪問記:地域であたらしいことをはじめるときに大切なことって? 観光と福祉が交わる 「ボナプール楽生苑」をたずねて


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