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情報化社会の「偏り」を今、ジェンダーの視点で問う。メディア研究者・林香里さん×田中東子さんの編著書が出版
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帯付きの書影。人の横顔、スニーカー、鳥、手と手、ワイファイのマーク、ビル、スピーカーなどのイラストが、七色で描かれている
林香里さんと田中東子さんの編著書が〈世界思想社〉より発売されています

現代メディアをジェンダーの視点で捉えた『ジェンダーで学ぶメディア論』

差別的な広告の炎上、SNS上のフェイクニュース、ヘイトスピーチの広がり……メディアを眺めていると、偏見や社会構造の不均衡に絡んださまざまな話題を目にします。

こうした問題がなぜ起こるのか、そしてどう考えたらいいのか。メディア論の基礎を学ぶ書籍として、ジェンダーを切り口にした『ジェンダーで学ぶメディア論』が、2023年3月に〈世界思想社〉より出版されました。

本書は、現在の情報化社会の課題について、ジェンダーの視点からわかりやすく論じた本です。全15章から成り立ち、メディアが社会に与える思想的影響(第Ⅰ部)から、デジタルメディアがもたらした変化(第Ⅱ部)、マスメディアとジャーナリズムの本質的な課題(第Ⅲ部)、サブジャンルから捉えたメディア文化(第Ⅳ部)まで、網羅的にメディア論について言及しています。

さらに各部には、それぞれのテーマをより身近に感じ、考える手がかりとなるコラムも挿入。執筆者の武田砂鉄さん、石川優実さん、小島慶子さん、松岡宗嗣さんが軽やかな文体で、今立ち表れている問題の本質を突きます。

帯なしの書影

ジェンダーロールを生む社会と「メディア」の関係性

「仕事をしながら家事や育児を一手に担い、必死に頑張っている母親」の姿を美化するような描き方が、インターネット上での炎上につながったある食品会社のCM。そうしたステレオタイプなジェンダーロールの描写は、しばしば批判の対象となりながらも、今なお繰り返されています。

このような広告表現に対して、思想的側面からメディアについて論じる本書第Ⅰ部の第1章「表現の自由」では、家事育児を圧倒的に女性が担っていること、またそれが働くことにとって大きな障壁であるという社会的な文脈に触れながら、“女性の置かれた抑圧的な状況をただなぞるような女性の描き方は、差別的な女性観の表明として理解される可能性を持つ”(p.21)と述べます。

一方で、制約を受けずに思想や信条を表明できる基本的人権としての「表現の自由」が、そうした表現を正当化できる側面にも言及。表現の自由の価値と、表現が持つ社会的な影響については丁寧に比較していくべきとしたうえで、それらの表現が生む「差別性」や、その議論に参加すらできない人々の存在に目を向ける必要性があると訴えます。

“性表現やステレオタイプな表現、ヘイトスピーチのいずれについても、その規制に賛成するにせよ反対するにせよ、それらの表現がどの程度、どのように差別的な社会の構成・維持に貢献しているのかについての評価が必要である。この評価が適切に行われなければ、「表現の自由」はかえって個々人の人格の発展と民主的議論を阻害するための道具となってしまうだろう。”

(本文p26より)

表現の差別性について、第3章では「メディアと表象の権力」というテーマで、メディアを通した女性の「モノ化」の問題を分析します。また関連して、第Ⅲ部・第9章「メディアを使う」では、いわゆる「ステレオタイプ」なジェンダー・性役割意識を実際に人々が獲得するプロセスについても記述。テレビなどのメディアが現実の「認識」を変えていく大きな役割を担っていることが、さまざまな研究結果から明らかにされています。

デジタルメディアとマスメディアにおける偏り

近年私たちの生活の中で存在感を増しているデジタルメディアについては、主に第Ⅱ部で触れられています。

ネットにあふれる膨大な情報が、AIをはじめさまざまなアルゴリズムによってどのように取捨選択されているかについて詳らかにするのは、第5章「巨大IT産業」。最先端のテクノロジーにも、その元となる技術やデータに人や社会の価値観が潜んでいることが説かれています。

“来たるデジタル時代は、「ヒト」の判断に起因する偏りとは無縁な「マシーン」による膨大な情報収集・蓄積・分析・応用として理解されがちだ。だが実のところ、デジタル処理されたデータは人種・エスニシティとともに性差に関して中立的でなく、むしろ既存社会での差別と偏見を色濃く反映している。”

(本文p79より)

また特に若年層にとって主たる情報源となりつつあるSNSにおいては、自分と似た考えの人たちばかりと出会うことが多くあります。本書では、コミュニケーション資本主義が意見の偏りを生むこと、また同時にその偏りが「フィルターバブル」「エコー・チェンバー」といった現象で不可視化される危険性も指摘されています。

一方で、マスメディア業界でも長く男性中心的なジャーナリズムが展開され、ジェンダーアンバランスな番組が制作されてきました。例えば第Ⅲ部・第8章「ニュースとは」では、犯罪報道において女性被害者や被疑者は容姿や異性関係、性役割に言及される場合が多いことなどが、具体的な事件報道とともに検証されています。

女性やマイノリティをエンパワーメントするメディアの可能性

最後の第Ⅳ部では、メディア文化という観点で、「サブカルチャー論」「ファンカルチャー論」「セクシュアリティとメディア」「エスニシティとメディア」とメディアとジェンダーに関するさまざまな領域についても検討。例えば韓流ブームによって日本の女性ファンたちがエンパワーメントされ、ジェンダーやフェミニズム問題への当事者的な関心が強まっていったことなど、メディアが女性やマイノリティが声をあげることができるツールとなる可能性に言及しています。一方で、ジェンダーや人種など個人のアイデンティティが複数組み合わさる「インターセクショナリティ」と差別の関係性にも触れ、当事者の声に耳を傾け、認識を深めていく必要性についても説いています。

このように多角的にジェンダーの視点を用いながら、網羅的にメディア論を学べる本である本書。企画・出版した〈世界思想社〉は、これまでにも『ジェンダーで学ぶ社会学』など、その分野の基礎をジェンダーを切り口に学ぶシリーズを刊行してきました。今回あえて「メディア」に焦点を当てたのは、ジェンダーギャッ​​プ指数の低迷などの話題が増えるなかで、メディア産業やメディア表象が生む構造的差別を明らかにし、その理解から社会の風土を変えていく必要があると考えたからだ、といいます。

「『当たり前』で私たちが思考を止めてしまっている事柄を、新しい視点から捉え直す。そのことが、見落とされていた問題や課題を見出し、性別や属性を問わず誰もが生きやすい社会の実現を目指すことになると考えています」(〈世界思想社〉担当編集・峰松亜矢子さん)

本書の編著者は、林香里さんと田中東子さん。ジャーナリズム研究の第一人者であり、著書『〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム』などで、排除・不可視化されがちな女性や子ども、高齢者、障害のある人などの視点から「ケアのジャーナリズム」を提唱していた林さんと、ジェンダーとフェミニズムの視点からメディア文化について研究し『メディア文化とジェンダーの政治学』などの著書もある田中さんのタッグによって、多角的な視点からメディアについて問い直すことができる一冊が編まれました。

著者近影。白髪でショートカットでメガネをかけている
林香里さん。東京大学大学院情報学環 教授。専門はジャーナリズム・メディア研究
著者近影。肩につくぐらいの茶色みにある髪の毛で歯を出して笑っている
田中東子さん。東京大学大学院情報学環 教授。専門はメディア文化論、カルチュラル・スタディーズ、フェミニズム

終章で林さんは、今のオンライン空間が、女性やマイノリティの視点が反映されているか、人権を尊重したものになっているか、利用に際して適切な情報開示がなされているかなど極めて心許ない状況であるとしながら、インターネットによる変化が女性やマイノリティをエンパワメントする可能性に触れます。

“今、ほとんど抗うことができなくなっているデジタル情報化の流れに、建設的で批判的な視点を提供するという意味でも、「ジェンダー」はメディア研究にとって今後、一層欠かせない概念であり続けることは間違いない”

(本文p.227より)

巻末には、気になる言葉から本文にたどり着くことができる索引や、豊富な参考文献なども紹介されている『ジェンダーで学ぶメディア論』。「ジェンダー」や「メディア」などの言葉に関心がある人が、自ら興味関心を広げていくこともできそうです。

デジタル化が進むなかで、日々たくさんの情報に囲まれている私たち。一旦スマホを操る手を止め、本書からメディアとの付き合い方を問い直してみませんか。