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対立を超え、より良く生きる手段としての「哲学」を。映画『ぼくたちの哲学教室』5月27日よりユーロスペースほか全国順次公開
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© Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin d’oeil films, Zadig Productions,MMXXI

「対話」の大切さを学び、「対立」を超えていく手段としての「哲学」と出会うドキュメンタリー映画

「人の意見に耳を傾けることで、自分の意見も変わる。それが哲学の面白さなんだ」

生徒たちへ、ケヴィン校長は授業の中でそう語りかけます。
場所は、北アイルランドの首都ベルファストにあるホーリークロス男子小学校。この学校では「哲学」が主要科目となっています。

当校で行われた哲学の授業を2年間にわたり記録した映画『ぼくたちの哲学教室』が、5月27日(土)より〈ユーロスペース〉(東京都渋谷区)ほか全国順次ロードショー。本作は、第49回日本賞(NHK)一般向け部門「最優秀賞(東京都知事賞)」や第18回アイリッシュ映画&テレビアカデミー賞「最優秀⻑編ドキュメンタリー賞」など、国内外の映画祭で多くの賞を受賞しています。

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生徒たちとケヴィン校長との「対話」がなされる哲学の授業

「怒りを人にぶつけても良いと思う?」

ある哲学の授業内で、ケヴィン校長はこう生徒たちへ問いかけます。

「何かされたら殴っても良いと思う」
「やり返さないとやられるだけ」
「僕は反対。だれかを傷つけて、その人も苦しんだらさらにひどいものになる。相手も怒りをぶつけはじめてしまう」

それぞれの立場で生徒たちが発言するなか、ケヴィン校長はそれらを聞きながら、対話を促します。また全ての発言は、書記係に割り当てられた生徒によってホワイトボードへと一つひとつ書き写されていきます。

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そして十分な議論の時間を経た後で、校長先生は締めくくります。

「良い対話ができたと思う」

授業終了後、教室を出ていく生徒一人ひとりに声をかけながら送り出していきます。

「良い議論が出来たね」「いい意見だったよ」

これが子どもたちとケヴィン校長との「対話」を中心とした、ある日の哲学の授業の模様です。

分断された街ベルファストで「哲学」に目を向けるその理由とは?

それではなぜ、このベルファストにあるホーリークロス男子小学校には、「哲学」が授業として取り入れられる事になったのでしょうか? そこには、政治と宗教による対立と分断が未だに残る、北アイルランド紛争の歴史が背景にあります。

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過去、アイルランド全体はイギリスに統治されていました。しかし1921年にアイルランド自由国として一部が独立。その過程で北部は分離され、北アイルランドとしてイギリスに残る事となります。もともと北アイルランドはカトリック教徒が多い地域でしたが、この分離をきっかけにイギリスを支持するプロテスタント系住民と、アイルランドを支持するカトリック系住民とによる宗教対立が起きました。

この対立は次第に深刻度を増し、武力闘争へと展開されていきます。このような歴史を経て、北アイルランドのベルファストの街には「平和の壁」と呼ばれる分離壁が建設され、一定の安定が保たれてはいますが、今なお武装組織は存在し時折衝突が起こっています。

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本作品内で度々映し出される、ベルファストの街を分断する「平和の壁」は、その名からは皮肉な程「そこに現実に存在する対立」を象徴しています。また街を巡れば目に入ってくる扇動的なペインティングや、武装組織の存在。このような街が持つ厳しい過去の記憶と、今もなお残る日常的な緊張感と不安状態とが子どもたちに与える影響は、犯罪や薬物乱用、さらにはヨーロッパで最も高い青少年の自殺率という形で反映されています。

なぜケヴィン校長は「哲学」という手段を用い、子どもたちへの教育を試みるのか? そこには「対立や暴力と、どう向き合うべきか」という逼迫した、解決しなければならない深刻な問題があるからなのです。

「個」と「個」とがより良く生きる手段としての「哲学」を

哲学の授業でケヴィン校長が意識的に教えているのは、感情をコントロールする方法と、他者とのより良い対話を行う方法の二つ。こうした姿勢からは、安心して自分の意見が話せる場作りと、理性的な対話を進めていくための工夫を見て取ることができます。

例えば感情のコントロールについては、自分で抱えている悩み事や問題をホワイトボードへ書き出し、それを見て分析する訓練を生徒たちへ行っています。これは一時的な感情にとらわれず、自分自身となるべく切り離して問題を客観視したうえで、自分の頭で考えることのできる能力を養うためです。

© Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin d’oeil films, Zadig Productions,MMXXI

また、相手の話を聞く事も、より習慣化されるよう徹底されている事が読み取れます。

例えば対話の際には、生徒間でボールを回し合い、そのボールを持っている生徒だけが自分の意見を話し、その間、他の生徒たちは黙って聞くルールが設けられています。これは「相手が話す際は、話し終えるまでまず聞く」という習慣を養う工夫です。

さらに哲学の授業とは別に、本作品では特別支援学級の先生と生徒との関係も紹介されています。

「どんな小さな事でも言葉にする価値がある」
「私たちが力になる。あなたは優秀な生徒よ」

そう先生は語りかけながら、悩みを抱え、気持ちが不安定で頑なになっている生徒と根気強く向き合い、時にユーモアを交えながら、丁寧に解きほぐしていく姿が記録されています。

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より良く聞き、より良く考える。「個」と「個」とがより良く生きるための手段としての「哲学」と「教育」がここにはあるのです。

「哲学とは“問う姿勢”なんだ」
「暴力を止める力が、君たちにはある」

そう話すケヴィン校長とそれを聞く生徒たちの光景からは、個々がより良く生きる未来を感じることができるのではないでしょうか。

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また、エルヴィス・プレスリーを愛し、鼻歌を歌いながら校内を軽やかに歩むケヴィン校長のキャラクターも印象的です。予測できないトラブルが毎日絶えず、ストレスの多い職場環境であるにも関わらず、終始機嫌よくふるまい、生徒たち一人ひとりへ声を掛けていくその姿。そこにはケヴィン校長自身の感情コントロールの実践を見ることができます。

子どもたちとの「哲学教室」を入り口にしながらも、このような多様な気づきや対話が触発されるきっかけが豊富にあるのが本作の魅力です。あなたが今、話をしてみたいと思う相手と一緒に観に行き、対話するためのきっかけとしてみるのも良いかもしれません。