
文化的な生活って贅沢なの? 発酵と表現が交わる福祉事業所「ぬか つくるとこ」をたずねて 健康で文化的な最低限度の生活ってなんだろう? vol.04
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本を読むこと、アートを鑑賞すること、映画やテレビ番組を楽しむこと、音楽を聴くこと、ダンスや文章を通して自己表現をすること。こうしたことは私の生活にとって欠かせないことだ。だけど、衣食住を満たすことに比べると、こうした活動はどうしても優先順位が低くなるようにも感じる。
日本国憲法第25条第1項には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。
健康が大切なことはすぐにピンとくるけれど、最初にあげたような、私たちの文化的な活動が大切にされているかと問われると、首をかしげたくなるときがある。
何か私たちの健康や命が危険にさらされるかもしれないとき、または国や政治など大きな力に巻き込まれたとき、個人が文化的なものを享受することは贅沢なものとみなされ、私たちの思想や表現の自由は、簡単に奪われてしまうのではないだろうか。そんな怖さも感じている。
本当は誰しもがもつ権利である「文化的な生活」を送るために、私たちは何を大切にしたらいいのだろう。
そんな問いをめぐって逡巡しているときに出会ったのが、岡山県早島町にある、生活介護事業所「ぬか つくるとこ」。生活のケアを柱として、アートを活用した自分らしい生活を送ることのできる福祉事業所だ。生活の場でありながら、アートや自分らしさに着目している「ぬか つくるとこ」には、文化的な生活を考えるヒントがあるのではないか。そんな思いで岡山を訪ねた。
アートディレクターがいる福祉事業所「ぬか つくるとこ」
JR早島駅から徒歩で10分超、車で3分ほど。築100年以上の立派な蔵にあるのが、「ぬか つくるとこ」だ。利用者やスタッフ、それぞれの魅力が「ぬか漬け」のようにゆっくりと発酵し、社会へと広がっていく。そんな願いが「ぬか」という名には込められている。株式会社ぬかが運営しており、2013年12月に生活介護事業所として開所した。現在では、放課後等デイサービス、相談支援事業、就労支援B型事業などを行うぬかが最初に立ち上げた施設でもある。
午前10時過ぎ、続々とぬかびとさん(「ぬか」では利用者をこう呼ぶ)が集まってきたところで、私たち取材チームもぬかのアートディレクター・丹正和臣さんの案内で施設をたずねる。
靴を脱いで室内へあがると、ぬかびとさんのひとりがスリッパを並べて待っていてくれた。「飲み物は何にしますか?」と聞いてもらい、コーヒーをお願いする。
室内は、座敷、大きなテーブル席、個別で作業できるスペースなどいくつかの空間に分かれている。大きなテーブルの一角で何かを描いている人、隣と仕切られたスペースで壁に向かって作業している人、座敷に座ってお茶を飲んでいる人、横たわっている人など、思い思いに過ごしている様子だ。
色鉛筆を手にしていたぬかびとさんは、私たちのことをみつけると顔をあげ、一人ひとりの顔を見ながら、「コブクロ」「坂田おさむお兄さん」「後藤真希ちゃん」「KARA」と畳み掛けるように名前を口にした。
丹正:彼女は名前をつけるのが得意なんです。いろんな人に直感的に名前をつけていく「命名まきちゃん」という企画もあります。
そういえば、ぬかのスタッフはみんなニックネームで呼び合っている。丹正さんは「ジョーさん」、ぬかの代表・中野さんは「クロンさん」など。働き始めると、その人のニックネームを考える会議も開かれるとか。私たちも「命名まきちゃん」によって、その日ぬかで過ごすための名前をもらったように感じられた。
「わぁーちょっとこれはすごい!」。そんな声が聞こえて、左手の奥の扉のある部屋に入ると、扉と同じサイズの中空ポリカに貼られた、テープと紙の積層がごっそりと剥がされているところだった。
この部屋で過ごしているぬかびとさんの一人が、貼り付けるのが好きで、どんどん分厚くなったものらしい。重さに耐えかねて倒れそうになったタイミングで数ヶ月に1度剥がしていて、今日がたまたまそのタイミングだったようだ。
「どうぞ」という声とともに、先ほど玄関で出迎えてくれたぬかびとさんがキッチンスペースから、温かいコーヒーとお菓子を持ってきてくれた。飲みながらぬかびとさんとおしゃべりをする。すると今度は、「大原さんがお話したいと呼んでいます」とスタッフの方に声を掛けられる。
車椅子に座っている大原さんの隣の席に腰掛け、「こんにちは。よろしくお願いします」と挨拶をする。「かわいいね」の文字が、大原さんの目の前にあるモニターに打ち出された。ぬかがマルシェに出店したときに、企画でホストクラブもしたことがあるという大原さん。ホストも顔負けのリップサービスの数々に、取材チームもなんだか愉快になり、笑みがこぼれる。
背中の方からギターの音がして、にぎやかになってきたなと思っていると「ライブが始まります!」とアナウンスが聞こえてきた。先ほどコーヒーを飲んでいたスペースには、マイクとアンプが出され、ライブ会場となっていた。ピアノ、ギター、ダンスなども加わり、演奏が始まる。部屋の前にセットされたイスに座り、私たちもタンバリンやマラカスを手に盛り上がった。
畳に座っていたぬかびとさんに呼ばれて行くと、プラバンでつくった手作りの指輪をプレゼントしてくれた。取材チーム一人ひとりにプレゼントしてくれるようで、その手は休みなくプラ板をオーブントースターに入れては丸め、シールで飾り付けている。
その鮮やかな手つきに見とれていると、お盆に乗ったごはんが運ばれてきた。イタリアンのシェフが監修しているというランチの良い匂いが鼻をくすぐり、気がつけばお昼になっていた。
一人ひとりの中に文化がある
午前中の2時間足らず。短い滞在だったが、決まったプログラムがない「ぬか つくるとこ」では、次から次へとなにかが起こっていた。絵を描きたい人は絵を描き、歌いたい人、楽器を演奏したい人はライブをする。やりたい人は参加できるし、やりたくない人はしなくてもいい。そんな在り方を良しとしているように感じられて、ぬかでは自分らしくいる、ということが叶えられているように感じられた。
自分らしくいることを受け止める、その在り方こそが「文化的な生活」につながるようにも感じられるが、ぬかのアートディレクター、丹正さんは、「文化的な生活」について、どのように考えているのだろう。そう問いかけると、「文化という言葉は大きいですよね」と話してくれた。
丹正:文化や芸術、アール・ブリュット。そういう文脈の中で使われる言葉を僕たちも使ってはいるのですが、なるべく距離を取りながら、造語をつくって、自分たちの肌感覚にぐっと寄せるような感覚で、言葉を作ってきたような感じがするんです。
例えば、ぬかが行っている「なんでそんなん」もまさにその一例だろう。毎日出会う「よくわからないこと」。自分の語彙では捉えることができない未分類のできごとを面白く捉え直すプロジェクトとして、ぬかは「なんでそんなんプロジェクト」を行っている。「なんでそんなん」と「アンデパンダン※」が似てるという言葉遊びから生まれたというプロジェクトだ。
※フランス語で「独立派」の意。パリでアカデミーに対抗して、19世紀末にパリで始まった無審査・無賞の展覧会「アンデパンダン展」のこと
その行為は例えば、「アート」や「アール・ブリュット」などの言葉を使って表現することもできるのかもしれない。しかし、そうした既存の言葉を使わず、自分たちの肌感覚に近い言葉を使うことで、ぬかは独自の文化をつくっているようにも感じる。
丹正:文化にふれることの自由も保障されていたいし、一方で私が思う文化はこうだと発言する自由もあってほしいとも思います。
ぬかの中で文化は、人それぞれの中にあるのかなと思っています。ぬかびとさんが1日ずっと何かを積み上げたいとか、新聞をちぎっていたいとか、寝てたいとか。そうした行動には、その人の生活背景がもちろんつながっている。個人個人の中にある内面化された文化を大切にしてね、と言えるようでありたいんですよね。
文化は享受するもの、または人と人との間にあるものだと思っていた私は、「文化は人それぞれの中にある」という言葉にハッとした。文化的なものにアクセスすることもそうだけれど、本来私たち一人ひとりが、個人の生活に紐づいた行動や表現を自然にしているはずなのだ。
例えば、ぬかにおける「なんでそんなんプロジェクト」の事例のひとつに、「市田文化人類学」がある。ぬかびとの市田さんが描いた絵やオブジェを箱にしまってガムテープをして封印してしまう。この行為の理由について、スタッフが仮説を立てながら、市田さんの行為を観察し、考察を重ねる事例だ。こうした誰かの行為に「文化」と名付けて可視化することに、一人ひとりの固有の文化があることを認める、ぬかの在り方が現れているように感じる。
ツッコミという受ける力
「一人ひとりの中に文化がある」ということを、丹正さん自身は自然に思うようになっていったのだろうか。そう問いかけると、「ぬかで過ごす中で、ぬかびとさんもスタッフも同じ空間にいながら全然違うものを見ている、違うけれど一緒にいられる、ということを感じるようになったのだ」と話してくれた。
相手の権利や振る舞い、つまり文化を侵害しないで共にいること。こうしたことは当たり前のように行われている現場もあるが、社会全体を見渡すと、そうではないと感じられる場面も多くある。
丹正:福祉の仕事は何かトラブルが起きることは日常茶飯事で、アクシデントに対応する能力が必要。そういう肌感覚の中で、受ける力を身につけているのかなと思うことがあります。
個人的には、ぬかにいると自分は空っぽでもいいなと思います。自分という個性はなくてもいい。自分という価値観を持っているより、空っぽのほうが対応しやすいです。
そうした姿勢は、発酵することや待つことをコンセプトにしている「ぬか」という組織の在り方も体現しているような気がする。
丹正:この前、他の福祉施設で働いてからぬかに入った新人スタッフが「他の福祉施設ではスタッフ側が時間や場所を切り替えるスイッチを持っているけれど、ぬかはスイッチをぬかびとさんが持っている」と話していました。
今日みたいに「これから出し物やるよ」とスタッフが仕掛けることもあるけれど、そこに反応するかどうかは個人の自由。大切なのは、ぬかびとさんの誰かが反応したときにこの人反応したな、と気づくかどうかだから、そういう意味でスタッフの受けのセンスが必要だという話をしていて、そうだなと思ったんですよね。
「なんでそんなん」の説明には「私たちが提唱する『なんでそんなん?』は、お笑いでいうところの『ツッコミ』の言葉です」とある。他者の突飛とも思える行動を、ポジティブに受け入れ、「ツッコミ」を入れる。ツッコミとは、まさに受ける側のセンスであることに気付かされる。
何か新しく生み出すことを目指すのではなく、今目の前にあるものから始める、という受け身の態度。ぬかでは実際、スタッフのパートナーが昭和歌謡好きだからと昭和歌謡のイベントをしたり、長渕剛を歌いたいという支援学校の先生がいるからコンサートを開いたりと、目の前にいる人のできること、やりたいことに端を発してイベントが企画されることも多い。
丹正:目の前にもう要素がたくさんあるから、それを組み合わせるだけで楽しいんですよね。そのときに、僕は、無意味や無駄なものが要素に入っているとワクワクするんです。合理的に何か成果にならないとか、短期的に形にならない、理解しづらいことに面白さを感じているのかもしれません。
つくることのアナキズム
丹正さん自身はアートディレクターを担い、ぬかのデザインやディレクション面を担うことも多い。最近はデザインを学んだスタッフも増えてきて、丹正さんはじめ、社内でイラストレーターを使えるスタッフは、「イラレンジャー」と呼ばれているらしい。
丹正:何かを形にして外に出そうとするときに、その中身を言語化するなど、プロセスを考える。そのプロセスを考える役目を持つ人が、社内にいっぱいいるといいなと思っています。
事業所の名前には、「ぬか」とともに「つくるとこ」という言葉が含まれている。アートディレクターである丹正さんはまさに「つくる」を仕事にしている一人でもあるが、「ぬか」という発酵や待つ態度と並ぶ「つくるとこ」には、どのような意味を込めているのだろう。
丹正:つくる状態であるときに、「疑って捉え直すこと」「部分的に自己解釈をすること」「境界を越境して自分のものにしていくこと」といった、アナキズムの態度を取ることができるように感じるんです。だからつくることは、受け取り方を変えるためのパワーにもなるし、あるいは誰かに変えられないための抵抗する力やきっかけになると思っていますね。
何かをつくることは、大きな力から抑圧されることから、自ら境界線をひくことにつながるのかもしれない。既存の言葉にとらわれず、肌感覚に合う名前をつけ直すことも、こうしたぬかの名前やコンセプトとつながっているように感じた。
楽しいかどうかを基準にする
「文化という言葉は定義が広すぎて、自分にはピンとこない部分があるんですよね」。丹正さんと呼応するように、ぬかの代表・中野さんもそう話す。
中野:それよりも単純に、楽しかったらいいんじゃないかと思っています。ぬかびとさんやスタッフがここに来たら楽しいなと感じたり、面白そうだなって来てくれる人がいたり。とりあえず楽しさがあれば、成り立つんじゃないですかね。
「文化」という大きくて、多様な意味が含まれている言葉を、中野さんは「楽しいかどうか」という表現で、ぐっと私たちが実感できる言葉へと解きほぐしてくれたように感じた。
「楽しい」ということを基準にしたとき、中野さんは、ぬかびとさんはもちろん、スタッフが楽しめるような場所でありたいと話す。
中野:ぬかを始めたきっかけも、スタッフが楽しめる環境を大事にしたいというのがあったんです。ぬかびとさんが真ん中にいるのは絶対なのですが、ぬかびとさんが心地よく過ごすためには、やっぱりスタッフが笑ってないとね。
遊ぶことを推進する場づくり
「楽しめるスタッフが自然と集まってきてくれてる」。そう話す中野さんだが、どのように関わる人が楽しめる環境づくりを行っているのだろう。その一つとして、ぬかではスタッフ向けの研修プログラム「ヌカレッジ」を実施。外部からさまざまな講師を招き、スタッフも自分をみつめ考える時間としている。
中野:去年ヌカレッジをしたときは、ドレスコードを「学生らしい格好」にしたんですよね。そしたら「友達の子どもに借りた」とセーラー服にルーズソックス履いてきたスタッフさんがいました。夫婦で働いてくれているスタッフは遅れてきたのですが、学ランと保護者を思わせるスーツ姿で来て、「もうごめんなさい、この子が遅れて」と言いながら入ってきて(笑)。ある人はガムテープでつくってきたお弁当を早弁したり、別の人はドラゴンボールの漫画を持ってきて回し読みしていたり。
そのときに「先生に気合いが足りてない」とスタッフに物申されて、僕もそれからはヤンクミやGTO、金八になっています。
「それができるのはうちの強みかな」と中野さんは嬉しそうに笑う。ロールプレイをすることに慣れているスタッフさんの対応力にも驚くが、スタッフがこれだけ思い切りできるのも「遊べば遊ぶほど良い」ということが、きっと中野さんの振る舞いなどを通して浸透しているからだろう。
振り返ってみれば、「ぬか」を見学したり、お話を聞いたりするなかで、「クロンさん(中野さん)に聞いたら『いいよ』と言われたから、やることにした」という言葉を何度か聞いた。
中野:その代わり「ちゃんと事前に言ってね」とは伝えてるんです。言ってくれたら責任持てるけど、言ってくれなかったら責任持てないよって。言ってくれて、やりたかったらやればいいし、別に失敗してもいい。むしろ失敗した方がいいから、やればいい。
きっと経営的な視点としては、金銭的に厳しいなと感じる場面もあるだろう。経営者として感じることがありながらも、「失敗したほうがいい」と言ってくれることが、スタッフがやってみたいことをできる環境につながっているように感じる。
中野:失敗って何が失敗かわからないですよね。何にいつ変換するかわからない。長い目でみたら変わるかもしれないですからね。「発酵」の考え方ですよね。
味噌づくりをしたときのことを思い出す。大豆を茹でるときに焦がしてしまって失敗したかもしれないと思ったときも、麹や塩と混ぜてしばらくほうっておいたら、「発酵」の力で、しっかりおいしい味噌になっていた。何が失敗だったかは時間が経たないとわからない。けれど、私たちはこれまで性急に目の前の結果ばかりを求められ過ぎていたのかもしれない。
なにもしないでいるという究極の支援
生活介護という障害福祉サービスの枠組みは、法律的に何かをしなければいけないという縛りがないために自由度が高いのだそう。ぬかは委託作業などを受けずに、「やりたいことをやる」と最初に活動指針として決めた。ただその「自由」という言葉は、あまりにも広くて曖昧だ。
中野:介護や支援の側面も保ちながら、自由を求めるって難しいんです。ぬかびとさんを大きな集団にしてまとめて活動を行ったほうが、支援の効率はいいかもしれない。でもそれをやめて、ぬかびとさんがやりたいことをやればいいし、やりたくないことはやらなくていい、としているので、現場のスタッフたちは本当に高度なことをしていると思います。
「やりたいことをやっていい」「何もしなくていい」と言われても、「何かやらなければ」あるいは「何かをさせなければ」というジレンマを感じる。福祉の支援職という立場であれば、より強く感じるのではないだろうか。そう投げかけると中野さんに「ニケンジル会いました?」と問いかけられた。
「ニケンジル」とは、「ぬか つくるとこ」にいる、人形だ。実際の人と同じ大きさで、「ケンジルさん」というスタッフに似ているために「ニケンジル」と呼ばれているらしい。私たちがぬかびとさんと話しているとき、ぬかびとさんが食事をしているとき、ニケンジルはそばにいて、存在感を放っていた。
中野:あの人、すごい支援してるんですよ。何をしているわけでもないし、動いているわけでもないのに、ちょっとそばにいるだけで安心を感じる。もちろん、本当に何もしないということがそのぬかびとさんに必要だという見立てはいると思うんです。でもそのぬかびとさんにとって、何もしないことが必要なときに、ニケンジルの在り方は究極の支援なんです。
名付けることで文化になっていく
何もしないということを大切にするぬかでは、放課後等デイサービスの「ぬかごっこ」でもただただ休む企画「ぬかぼらけ」を実施したことがある。
中野:運動会時期は学校で疲れ切っているから、お茶を飲みながら、ゆっくり話をしようよ、と企画したら子どもたちもすごく気に入りました。「ぬかぼらけ」と名前をつけて、ぬかの文化にしたんです。
ただ行うだけではなく、名付けることで、行為や企画は文化になっていくのかもしれない。
ぬかには、言葉遊びからつけられたたくさんの造語がある。子どもたちの作品は「ぬけい文化財」、ぬかのオリジナル競技を行うスポーツ大会「ヌカリンピック」、学びの場「ぬか田大学」、話し合いの場「ぬかるみ討論会」、周年イベント「ぬか喜び」、ぬかびとさんの家族への報告会「ヌカサミット」、「ひょん」の話し合いの場「ひょん議会」、などなど。
ときには、語感からタイトルを先に決めて、後から内容を考えることもあるのだとか。ごっこ遊びやロールプレイを、ぬか全体で本気でやっている。ニックネームで呼び合うことも、まるでロールプレイングゲームのプレイヤーに名前をつけるように、役割として本来の自分と距離を置くことで、ぬかにおいて本気で遊ぶことを可能にしてくれているのかもしれない。
中野:福祉の現場はやることが増えていて、疲弊していると思うんです。だから無駄や面白さを求めすぎると、バランスが取れなくなるところもあります。だからこそ、「なんでそんなん」のような、くすっと笑えるような、発見する視点が現場では大事だと思うんです。結局のところ、面白いことはぬかだけで起こっているわけではないんですよ。他の現場にもたくさん面白いことはあるんです。そこに気づける余裕があるかどうか、というだけで。
福祉の現場に限らず、私たちの生活の中にも「面白いこと」はもちろんある。例えば家族に対して許せないと感じることでも、その行為を取り出して、視点を変え、タイトルをつけてみることで、他人事にすることができる、と中野さんは話す。
中野:国語、算数、理科、なんでそんなん。この視点は全世界に必要だと思っています。いつか、なんでそんなん検定ができて、福祉の現場に履歴書持って行ったときに「君、なんでそんなん検定3級持ってるんだ、採用!」ってなったら面白いなって。そんな妄想をしています。
文化的な生活ってなんだろう
アートディレクターがいる生活介護事業所「ぬか つくるとこ」では、一人ひとりがその人らしくあることが大切にされていた。「文化という言葉は大きくてとらえどころがない」丹正さんも中野さんもそう話していたが、目の前にあるものを新しい視点で捉え直し、名付けて旗を立てていくぬかの活動こそが、文化をつむいでいるように感じられた。
長い時間を持って見ること、肌感覚に近い言葉へと名付け直していくこと、目の前にある要素を活かして捉え直すこと。お二人の話やぬかの在り方は、私たちが、一人ひとりの中にある文化を大切にし、大きな力へ抵抗する方法も教えてくれているようだ。
目の前の、一人ひとりの中に文化はある。「文化」と呼ばれる何かを享受しなくても、私たちがものを別の視点から捉え直す力さえ失わなければ、目の前にある要素からいくらでも「楽しさ」や「面白さ」を生み出していける。私たちの文化は誰かに奪われるものではないのだと、エールをもらったように感じた。
ぬかが運営するセレクトショップ&カフェ「ひょん」訪問記
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ぬか つくるとこ
生活介護事業所
「ぬか つくるとこ」は、岡山県早島町にある生活介護事業所。
「ぬか つくるとこ」の特徴を一言でいうと、「やりたいことを無理せずできる場所」ということ。または「そんな雰囲気があるところ」。「ぬか つくるとこ」に通う人達は年齢も特徴もさまざま。現在は18歳〜65歳までの人が1日約20名ほど来てくれている。その中には自閉症と呼ばれる人がいたり、統合失調症といわれる人がいたり。ダウン症の人がいたりして、しかも週に1日来る人もいれば、毎日来る人もいる。陽気な人もいれば、元気のない人もいる。当たり前だが、「ぬか つくるとこ」にいる人達それぞれの「やりたいこと/やりたくないこと」はそれぞれみんな違う。そのさまざまな「違い」が築100年以上の比較的大きくない蔵のなかでひしめきあい発酵しています。
- ライター:福井尚子
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アート、表現、書籍、暮らし、食、教育などに興味関心を広げながら、執筆や編集をしています。神奈川県二宮町を拠点に、本を紹介する活動や絵本を用いた語り劇がライフワークです。



