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【イラスト】14体の生き物が雲のような土台の上にいる。それぞれ違う色や形、過ごし方をしている。【イラスト】14体の生き物が雲のような土台の上にいる。それぞれ違う色や形、過ごし方をしている。

権利を主張することは「わがまま」ではない。国際人権法の専門家・藤田早苗さんに聞く「人権」について 健康で文化的な最低限度の生活ってなんだろう? vol.03

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人権という言葉は、私たちにとってとても身近なものだ。この頃では、良くも悪くも「人権」がある種のミームとしてインターネット上や日常会話の中で使われることが増えてきたこともあり、言葉自体に耳なじみがない人はほとんどいないのではないかと思う。

けれど「人権ってなに?」と聞かれると、どう説明してよいものか悩んでしまう。生きるために必要な権利ということは知っている。でもそれが具体的にどのようなものなのか、その権利があることで自分たちの暮らしがどのように守られているのか、本来守られるべきなのに、そうなっていないものはなんなのかは、知らない人がまだまだ多いのではないだろうか。

人権とはどのようなものなのか。そして、人権が法的に定められていることが私たちにどのような影響をもたらしているのか。そんなストレートな疑問を、国際人権法の専門家であり、武器としての国際人権ー日本の貧困、報道、差別』(集英社新書2022年)などの著作がある藤田早苗さんに、あらためてお聞きしてみる。

私たちは毎日、人権を行使している

──藤田さんは著書の中で、国連の人権高等弁務官事務所による説明を引用しつつ、「生まれてきた人間すべてに対して、その人が可能性を発揮できるように、政府はそれを助ける義務がある。その助けを要求する権利が人権」と記されていました。個人が可能性を発揮するための助けを要求する権利というのが具体的にイメージできない方もいると思うのですが、この権利、つまり人権とはどのようなものと考えればいいのでしょうか。

藤田早苗さん(以下、藤田):すべての権利の中でも、人間らしく生きるために必要かつ、人間として奪えない部分が人権です。広い意味の「権利」と混同されることもあるのですが、すべての権利の中で特にコアになる部分と捉えてもらえればいいと思います。人権はすべての人が持っているものです。

人権というものをわかりやすくイメージしてもらうために、学生向けの授業などでは「みなさんにとって人間らしく生きるために必要なものってなんですか?」といつも問いかけています。そう尋ねると「衣食住が揃っていること」「差別や虐待をされないこと」といった答えが返ってきます。これももちろん人権です。

それから、日本で生活しているとなかなか意識しないかもしれないけれど、自由に意見を発信したり、教育を受けたりできることも大切な人権です。それらが制限されている国もありますが、国際人権条約にはどれも誰しもがもつ権利だと規定されているわけです。

そうやってこまかく分析していくと、ふだんは空気のように当たり前だと思っていても、もしもなかったら人間らしい生活ができないものがいろいろあることがわかってくると思うんです。それらはすべて人権に直結していて、じつは私たちは毎日、人権を行使しているんですね。けれどそれを知らないと、仮に人権が侵害されていても気づくことができない。だからこそ本来の人権教育がなくてはならないんです。

──人権について知らないと、人権が侵害されているときに気づくことができない。

藤田:最近のできごとでいえば、ジャニーズ事務所の前社長をめぐる性加害問題もまさにそうだと思います。BBCなど海外の報道を見ていると、あれはPedophile(小児愛者)による性的犯罪で、被害者の子どもの人権が守られていない、ということが批判されていますが、日本ではこれは子どもの権利の問題であり、かつ性加害が重大な人権侵害であるという認識がまだまだ浸透していない。

「あなたにはこのような人権がある」ということを教える本来の人権教育がされていないと、人権侵害が起きても認識できません。

人権というものが万人にあり、誰にとっても絶対に侵害されてはならない権利なんだということをまず学ぶ必要があると思うんです。

──おっしゃる通りだと思います。先住民族の文化や伝統を守ることも、芸術を鑑賞したりして文化を享受することも人権なんですよね。

藤田:はい。先住民族の固有の文化や伝統、歴史などを保護し、侵害されないようにすることも人権のひとつだとされています。

個人による思いやりだけでは人権は実現しない

──人権教育がなぜ大切かをいまお聞きしましたが、日本の学校教育では人権についてあまり教えられず、代わりに道徳の授業などで「誰に対しても思いやりを持とう」といったアプローチがとられることが多いように思います。藤田さんは、人権が「思いやり」の範疇で語られてしまうことの危うさについても著書で述べていましたね。

藤田:本の中でも書いたように、思いやりや親切だけでは人権の実現には不十分です。日本の道徳の授業では、「もし視覚障害者が道路を渡れず立ち往生していたら、手を引いて渡らせてあげましょう」といった思いやりの側面ばかりが強調されているように思います。もちろんそれも大切なことだけれど、視覚に障害のある方と一緒に道路を渡るというのはあくまで個人によるアプローチですよね。個人のアプローチだけに頼り、構造的な問題に目を向けることがなければ、仮に周囲に親切な人がいなかったり障害者を差別するような悪法ができたりした場合、その人の移動の自由という権利は侵害されてしまいます。

これはあくまで極端な例ですが、個人による思いやりだけでは人権が尊重される社会は実現しない、という理由はそこにあります。だからこそ、人権を守るために法律や制度を整えることは政府の義務でもあるんです。

──とてもわかりやすいです。個人による配慮だけに頼っていると、「思いやり」の対象にならない相手の問題は解決されないままになってしまう可能性がある、とも藤田さんは指摘されていました。

藤田:そうですね。思いやりや親切は基本的に、自分が仲間だと感じている人、助けたいと思える人にしか向きづらいという点も重要だと思います。本来、自分の仲間であってもたとえそうでなくても、人権を持っているという点ではみんな同じなわけです。

誰にでも普遍的な人権があって、あらゆる人間の尊厳が重視されるべきだという意識が希薄だからこそ、入管施設の職員による暴行のような差別的な事件も起きてしまうのではないでしょうか。1960年代には、当時の入管当局法務官僚だった人物が「(外国人は)煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」と自身の著書に記して大きな問題になったのですが、現在の入管問題を見ていると、いまだにそういった意識は変わっていないのではないかとすら思えてきます。

──欧州などでは、学校教育の段階で人権について詳しく教えるそうですね。

藤田:イギリスで小学校教師をしている方たちからはそう聞いています。いかに欧州が他の国々に対して特権を行使し、過ちを犯してきたかという歴史も教えた上で、すべての人間が人権を持っているという点では同じだと教えると。その結果は、各国の難民の受け入れ姿勢にも表れているのではないかと思います。

日本の道徳の授業では、世界人権宣言を取り上げることさえ珍しいんじゃないでしょうか。生徒たちが権利の主体だなんて思ってもいない先生もいるんじゃないかと思います。まずは人権について、学校の先生たちもきちんと勉強してほしいですね。

権利を主張することは「わがまま」ではない

──日本では権利のために活動する人や声をあげる人に対し、否定的なイメージを持つ人が多いですよね。たとえば車椅子ユーザーが乗車拒否にあったときなど、差別的な環境を改善してほしいと訴える人に「それはわがままだ」「要求しすぎだ」といった声がかけられることもあります。

藤田:それは決してわがままではないと思うんですよね。たとえばふたりで分けるお菓子をひとり占めしようとするとか、自己中心的な行為をわがままと呼ぶのはわかる。けれど、人権を侵害されている人が状況を改善してくれと訴えるのは、その人たちをそういった状況に追いやっている環境や構造に問題があるからですよね。それを「そのくらい我慢しろ」と言うことのほうがよっぽどわがままでは? と思いますけどね。

それに、不均衡を是正してほしいと訴える人は、自分の権利を侵害しないでほしいというだけでなく、あとに続く人たちが同じような理不尽に悩まないように声をあげている側面もあるわけです。その勇気によって社会がようやく問題点を認識し、実際に法や制度が改善されてきたケースもたくさんあります。人権の活動の歴史ってその繰り返しなんですよ。だから権利を主張するというのは、わがままとはまったく違うことであると私は思っています。

──権利を主張する人に対して否定的なイメージを持つ人が少なくない理由のひとつに、「他人に迷惑や負荷をかけてはいけない」という社会通念が広く浸透していることもあるのではないかと感じます。

藤田:そうですね。日本の道徳教育では思いやりや親切に力点が置かれやすいという話をしましたが、実際には他者に対してどのように思いやりを発揮するかというよりも、集団の中でいかに振る舞うかを強調しているに過ぎないのではないかと思うことがあります。迷惑をかけちゃいけない、ということをすごく強要する社会ですよね。

けれど実際には、他人に迷惑をかけずに生きている人なんてひとりもいないわけです。突然なんらかの被害に遭ったり、働けなくなったりする可能性だって誰にでもある。いつ難病にかかるかもわからないし、いつ生活保護を受ける立場になるかもわからないですよね。もちろん、「あなたもそうなるかもしれないから」という点だけを強調したいわけではありません。ただ他者が置かれている状況を自分ごととして考える想像力が社会の中にあまりにも足りていないように思うので、そうやって具体的にイメージしてみてほしいと思っているんです。

──あくまで自分には関係のない人たちの問題だと思っているから、権利を求めることを「迷惑」と捉えてしまうということですよね。

藤田:そう思いますね。みなさんに考えてほしいのは、これから私たちがどんな社会を形成していきたいかということです。自分が直接的に困ったり被害に遭ったりしていなかったとしても、誰しもがポテンシャルを発揮できる社会を目指せたほうがいいと思いませんか?

まずはいちど、世界人権宣言の中身をきちんと読んでみてほしいです。人権というものが自分にもあり、周りのみんなにも等しくあるんだと実感することがスタート地点だと思います。

1.すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。 2.さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

国際連合広報センター「世界人権宣言テキスト第二条」より引用

──近年では、人権という言葉がある種ネットミームのように広まってしまっている問題もあります。「〇〇な人には人権がない」「自分はきょう〇〇な状態だから人権がない」というような表現を耳にすることも増えましたが、多くの人が人権という言葉の本来的な意味を知らないからこそなのかもしれないと思います。

藤田:「人権」という言葉にしろ「難民」にしろ、よく中身がわからずに雰囲気だけで使ってしまう人が多いのかもしれないですね。私たちは、そういった表現を耳にしたら、「じゃあ本当の人権ってなにか考えてみようよ」と知ってもらうためのきっかけにするくらいの気持ちでいたいですね。

日本は「クリティカル・フレンド」による勧告を真摯に受け止めるべきだ

──国際人権条約の法律的な立ち位置や意義についてもあらためてお聞きしたいです。「日本国憲法の第九八条二項で、日本が締結した条約について、国には誠実に遵守する義務があると規定している」と藤田さんの著書には記されています。国際人権条約と国内法とは、どのような相関関係にあるのでしょうか。

藤田:前提として、国際人権条約にはコアとなるものが9つあるのですが、日本はそのうちの8つ(社会権規約、自由権規約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、拷問等禁止条約、子どもの権利条約、強制失踪条約、障害者権利条約)を批准しているんですね。

日本においてはまず、国の最高法規である日本国憲法がすべての国内法に優先されます。そして憲法の下に国際条約があり、さらにその下に憲法以外の国内法があると解釈されることが一般的です。いま言われたとおり、憲法は条約を誠実に遵守することを定めていますし、条約に触れる法制度は改正されなければならない。条約を守らないことは憲法の定める「条約遵守義務」に抵触すると思います。

〔憲法の最高性と条約及び国際法規の遵守〕 第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

衆議院 国際関係法規 「日本国憲法 第十章 最高法規」より引用

藤田:国際人権条約にはそれぞれ、個人資格の専門家からなる委員会(条約機関)があって、締約国の実施状況を監視し、定期的に審査しています。政府や市民団体からの報告書、政府と委員たちとの建設的対話などをもとに審査がおこなわれ、委員会からは政府に対する勧告が送付されます。勧告を受けたら、次の審査までに改善することが求められるわけです。

──国際人権条約が法律より優位にあることは、人権を守る上でどのような作用をもたらしているのでしょうか?

藤田:条約機関による勧告をもとに、差別的だと批判されていた法律が実際に改正された例もあるんです。たとえば、日本にはこれまで非嫡出子(婚外子)の遺産相続分は嫡出子の半分と定めた民法の規定があったのですが、これは差別だと人権条約委員会から勧告を受け続けていました。婚外子相続差別をめぐる裁判があった際、裁判所が実際に勧告などを引用したことによってこれは違憲であると判断され、結果的に民法が改正されたんです。こういったケースもありますから、裁判で人権条約を活用することを、多くの弁護士の方に前向きに考えてほしいと思っています。

──国際人権条約にはそれだけの法的拘束力がある、ということですね。

藤田:そうです。ところが日本では2013年、当時の安倍政権が「条約機関の勧告には法的拘束力がないので従う義務がない」などと言い出し、あろうことか閣議決定までしてしまった。日本のメディアでは政府による反論の言葉が批判もなしに引用されたりしていますが、人権条約を批准した以上、条約は遵守する必要がある。けれど政府は人権条約に基づいて出された「勧告」のほうに、焦点を当てて「勧告」自体には法的拘束力がないから守らなくてもいいと言っているんです。でも勧告は法的拘束力のある条約に基づいて出されており、その中身は拘束力があるのです。

わかりやすい例でいうなら、万引きをした人に対して、私が「万引きは犯罪だからしちゃいけませんよ」って内容の手紙を書いたとしますよね。当然、手紙そのものはただの紙切れですから、なんの拘束力も持っていないわけです。けれどその中に書かれていることは日本の刑法に基づいて書かれているのだから、守るべき内容です。日本政府がやっているのは、「藤田さんの手紙にはなんの権威もないから守らなくていい」と言い張って万引きをし続けるようなことではないでしょうか。それはおかしいよねという認識を、もっと多くの方に持っていただきたいと思っています。

【イラスト】中央に石の形をした生き物が顔を覆っている。その石のまわりをさまざまな生き物が見守っている。

──日本は条約機関などによる勧告を無視し続けているということですが、世界の多くの政府はその勧告に真摯に対応しようとしているんですよね。それなのに、日本は勧告を受け入れる姿勢を持つことができていないと。

藤田:建設的な批判を受け、それをもとに改善していこうとすることが日本はとても苦手だと感じています。批判というものをネガティブに捉えすぎている。けれど私は、建設的な批判は「クリティカル・フレンド(批判もする友達)」による忠告だと受け止めてほしいと思っているんです。これは、人権侵害を調査・報告する独立専門家である、国連の特別報告者という立場の方にかつて教えてもらった言葉です。

日本は条約機関による勧告には法的拘束力がないと言い張り、特別報告者による勧告にも耳を傾けない姿勢を貫いています。けれど実際にそういった勧告を出している側は、日本でよりよい環境や法律が整えられるよう、耳が痛くなるようなことをあえて言ってくれているんですよね。個人的な感情ではなく、国際人権条約という客観的な基準にもとづいて忠告しているわけです。そういった言葉に対し反射的に逆上せず、忠告に真摯に耳を傾ける姿勢をとることができれば、もうすこし成熟した建設的な対話ができるようになるのではないかと思います。

人権条約というのは環境や法律を整えるための大切な道具でもあります。日本で暮らす多くの人たちは人権についてまだまだ知らないからこそ、伸びしろだらけなんですよ。これからぜひ、もっと多くの人に勉強してほしいと思っています。

下に引用されている世界人権宣言は、国際人権条約の土台になったものです。まずこの宣言から目を通してもらえたら、と思います。

世界人権宣言テキスト(国際連合広報センターより引用)

前文

人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要であるので、諸国間の友好関係の発展を促進することが、肝要であるので、国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意したので、加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、これらの権利及び自由に対する共通の理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要であるので、よって、ここに、国際連合総会は、社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的かつ効果的な承認と遵守とを国内的及び国際的な漸進的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この世界人権宣言を公布する。

第一条

すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。

第二条

すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。

第三条

すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。

第四条

何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。

第五条

何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。

第六条

すべて人は、いかなる場所においても、法の下において、人として認められる権利を有する。

第七条

すべての人は、法の下において平等であり、また、いかなる差別もなしに法の平等な保護を受ける権利を有する。すべての人は、この宣言に違反するいかなる差別に対しても、また、そのような差別をそそのかすいかなる行為に対しても、平等な保護を受ける権利を有する。

第八条

すべて人は、憲法又は法律によって与えられた基本的権利を侵害する行為に対し、権限を有する国内裁判所による効果的な救済を受ける権利を有する。

第九条

何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。

第十条

すべて人は、自己の権利及び義務並びに自己に対する刑事責任が決定されるに当っては、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を受けることについて完全に平等の権利を有する。

第十一条

犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。何人も、実行の時に国内法又は国際法により犯罪を構成しなかった作為又は不作為のために有罪とされることはない。また、犯罪が行われた時に適用される刑罰より重い刑罰を課せられない。

第十二条

何人も、自己の私事、家族、家庭若しくは通信に対して、ほしいままに干渉され、又は名誉及び信用に対して攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉又は攻撃に対して法の保護を受ける権利を有する。

第十三条

すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する。すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する。

第十四条

すべて人は、迫害を免れるため、他国に避難することを求め、かつ、避難する権利を有する。この権利は、もっぱら非政治犯罪又は国際連合の目的及び原則に反する行為を原因とする訴追の場合には、援用することはできない。

第十五条

すべて人は、国籍をもつ権利を有する。何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない。

第十六条

成年の男女は、人権、国籍又は宗教によるいかなる制限をも受けることなく、婚姻し、かつ家庭をつくる権利を有する。成年の男女は、婚姻中及びその解消に際し、婚姻に関し平等の権利を有する。婚姻は、両当事者の自由かつ完全な合意によってのみ成立する。家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。

第十七条

すべて人は、単独で又は他の者と共同して財産を所有する権利を有する。何人も、ほしいままに自己の財産を奪われることはない。

第十八条

すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。

第十九条

すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。

第二十条

すべての人は、平和的集会及び結社の自由に対する権利を有する。何人も、結社に属することを強制されない。

第二十一条

すべて人は、直接に又は自由に選出された代表者を通じて、自国の政治に参与する権利を有する。すべて人は、自国においてひとしく公務につく権利を有する。人民の意思は、統治の権力を基礎とならなければならない。この意思は、定期のかつ真正な選挙によって表明されなければならない。この選挙は、平等の普通選挙によるものでなければならず、また、秘密投票又はこれと同等の自由が保障される投票手続によって行われなければならない。

第二十二条

すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。

第二十三条

すべて人は、勤労し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な勤労条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける権利を有する。すべて人は、いかなる差別をも受けることなく、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有する。勤労する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公正かつ有利な報酬を受け、かつ、必要な場合には、他の社会的保護手段によって補充を受けることができる。すべて人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及びこれに参加する権利を有する。

第二十四条

すべて人は、労働時間の合理的な制限及び定期的な有給休暇を含む休息及び余暇をもつ権利を有する。

第二十五条

すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する。母と子とは、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を受ける。

第二十六条

すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない。技術教育及び職業教育は、一般に利用できるものでなければならず、また、高等教育は、能力に応じ、すべての者にひとしく開放されていなければならない。教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的若しくは宗教的集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない。親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する。

第二十七条

すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。すべて人は、その創作した科学的、文学的又は美術的作品から生ずる精神的及び物質的利益を保護される権利を有する。

第二十八条

すべて人は、この宣言に掲げる権利及び自由が完全に実現される社会的及び国際的秩序に対する権利を有する。

第二十九条

すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。

第三十条

この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。


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