
助けてと言える環境をつくることが、安心して働ける場につながる。社会福祉法人ゆうゆう 池田圭吾さんをたずねて 福祉のしごとにん vol.13
フリーランスとして働きはじめてから10年が経つ。手探りで進んできたものだから、10年経っても、自分のやり方があっているのかはわからないし、たまに進む方向を見失うときもある。場所や時間を選ばずに自由に働くことができることは、私に合っていると感じる一方で、相談相手がいないことを、ふと心もとなく感じることもある。
会社員をしていたときは、入社してすぐに新入社員が集められた研修があり、その後はOJTとして、先輩が一対一で仕事を教えてくれた。学校の時間割のようにみっちりとカリキュラムが組まれた研修に辟易することもあったが、今となっては研修という場を通して少しずつ仕事に慣れることができるように配慮してもらえたこと、困ったときすぐに相談できる先輩が近くにいたことを、とてもありがたく感じる。また、チームとして課題を解決できること、悩みを共有できる同期がいること。そんなことも、私の働くうえでの安心を支えてくれたようだ。
こうして振り返ってみると、安心して働くためには、環境的な要因もあれば、働く体制、そばにいる人のあり方も関係している。さまざまな人が働く場で、みんなが安心していられるためには、どんなことを考えたらいいのだろう。
北海道苫小牧市にある「東開文化交流サロン」は、図書機能と福祉拠点機能を併せ持つ施設だ。図書スペース、ギャラリー、カフェ、多目的ホールなどを備え、図書室とカフェは就労継続支援A型事業、サロン内の清掃業務は就労支援B型事業として運営されている。
1日をサロンで過ごし、天井が高く、見通しが良い空間の設計、自分に合った過ごし方や関わり方を選ぶことができること、コミュニケーションできる余白があることなどを通して、安心して過ごせる場所だと感じた。
・【東開文化交流サロンの訪問記】はこちら
この居心地の良いサロンは、働く人たちにとってはどんな場所なのだろう。そして、私たちはどのように安心して働く場を育むことができるのだろう。サロンを運営する社会福祉法人ゆうゆうに所属する、東開文化交流サロンの館長・池田圭吾さんにお話を伺った。
「働く」に出会うまで
池田さん自身はどのように「働く」と出会ったのかというと、話は高校時代へと遡る。将来の進路を考えるとき、「何かしら人に関わる仕事が向いているだろう」と先生と話していたという池田さん。当時憧れていた仕事は、看護師だった。
池田:部活でバスケットをしていて、怪我をして病院にかかったことがあったんです。その時に出会った看護師の人が、治療をするだけではなく話を聞いて寄り添ってくれるような人で。誰かと関わることでその人が元気になるような仕事っていいなと思って、看護学部を目指しました。
しかし、合格したのは、併願していた福祉学部だった。その頃「福祉」に対する具体的なイメージはほとんどなかったというが、それでも「何かしら人と関わることが学べるだろう」と池田さんは進学を決意する。
大学に入学した池田さんは当時、学生の任意団体の代表をしていた、現・社会福祉法人ゆうゆう理事長の大原裕介さんと出会い、障害のある人に関わるボランティアを始める。
ボランティアの内容は、介護や育児をしている家族が休息を取るために、一時的に預かりを行う、レスパイトサービス。池田さんが通っていた場では、主に障害のある子どもを預かり、一緒に散歩をしたり、買い物をしたりしていた。
当時は、学んだ福祉の知識を持って支援者として関わるというよりも、子どもたちとただ一緒に過ごしているという感覚のほうが強かったと話す。
池田:「とにかくこの子を楽しませる、そのことだけ考えて一日関わってくれ」ということをよく言われていました。のちのち自分が働き初めてからその時出会った子どもを担当するようになってからは、その子の背景もわかってくるんですけど、そのときはただ一緒に楽しむということだけでしたね。
ただ楽しませる、と言われても、最初は知らない相手だし、人と人との相性もあるだろう。単純に「楽しむ」ことも難しいのではないだろうか。
池田:それが、意外と楽しめてしまった自分がいて。向いているのかも、というのがあったと思います。
そうして福祉に関わりながらも、当時は「仕事というのは、どこか大きな企業に属してパソコンの前でするものだというイメージがあった」と話す池田さん。ボランティアとして関わっていた学生団体が、のちにゆうゆうという法人として立ち上がるのを目撃して、子どもと一緒に過ごしたり、誰かの課題を解決したりということが仕事になるなんて新鮮だった、と振り返る。
池田さん自身は、大学を卒業後、しばらくどこにも所属しない時間を過ごした。そろそろ今の状態を脱したい、と感じていた卒業した年の8月に、学生時代に関わっていたゆうゆうと出会い直す。
池田:ゼミでお世話になった先生も来るから来いよと、食事会に呼ばれて行ったんです。ゆうゆうの活動や今後の展開について話すのを聞きました。
そのときに、夕張市が財政破綻をして、ゆうゆうとして支援したいと思うという話があったんです。誰が行くんだろうと思っていたら「やってみないか?」と言われて。2、3秒考えて「いいですよ」と返事をしたことで、就職が決まりました。
それからは週に3日ほどは夕張市で地域の会館の指定管理者として運営を行いながら、その他にも兼務として、放課後等デイサービスの支援員や、移動支援の仕事も行う。とにかくフル稼働で「働く」をスタートさせた。
「福祉はクリエイティブであるべきだ」
当別町、江別町、そして夕張市。法人が運営する北海道内のさまざまな施設で働いてきた池田さん。一番長く務めていたのは、2014年から8年間働いた、当別町障がい総合相談支援センターnanakamadoの相談員の仕事だった。
池田:福祉はクリエイティブであるべきで、福祉職はディレクターなんだ、ということは常に言われていました。単にサービスとサービスをつなげたり、相手から出てきた言葉をそのまま受け取って何かをするというのは、何のクリエイティビティもない、と。その背景にあるものを考えて、社会資源をつくるんだということを言うんです。
言われたことをただ受け取るのではなく、自らの発想で新しいものを生み出していく。「クリエイティブ」のイメージをなんとなく捉えることはできるが、それを仕事の振る舞いとして落とし込むのは、一筋縄ではいかなそうだ。
当時その意味を受け取り、納得して働くことができていたのだろうか。そう問いかけると、池田さんは「なんとなくですね」と笑いながら、遠くを見つめた。
池田:社会資源をつくると言ってもその前にいくつもフェーズがあるじゃないですか。何が足りていて何が足りていないのか。どんな場所なのか。何を求められているのか。とにかく動いてみたり、対象者の人とよくよく付き合ったりして、じゃあこれをやろう、と自分の中で目標設定したものを法人に示して、ずれていない、ということを確認していった感じです。
知識やセオリーから入るのではなく、自分で動いてみて、考えてみて、差し出す。そうした池田さんのあり方は、「とにかく子どもを楽しませる」という、レスパイトサービスのボランティア時代からずっと続いているように感じる。
それからさらに時間と経験を重ね、「福祉はクリエイティブ、福祉職はディレクター」という言葉は、池田さんの中でより明確になっているのだろうか。
池田:本人がやりたいことや目指しているところに、必ずしもサービスや制度だけでたどり着くわけがないということは感じています。
例えば、以前肢体が不自由な方で、身体が大きくなったために家のお風呂に入ることができない方がいました。訪問入浴のサービスもあるんだけど、それもあまり好きではない。どうしようとなったときに、町の担当者と話していたら、高齢者福祉施設の特殊機械のお風呂を貸してもらえることになったんです。他にも希望する人がいれば利用していいと言ってくれました。
これは本人のニーズを起点にしたサービスを創出するプロセスだったなと思います。支援者が一方的にサービスを提供するのではなく、その人が望む生活を一緒につくる。そのために状況をよくみて、調整・編集していくのが大事なのかなと。
制度上の枠組みの中で解決が難しいことは、視野を広げ、関係先をみつけ、新しいサポートの仕方をつくり出す池田さんの姿がそこにある。「無理と判断せずに、ないものをつくる」、これはゆうゆうという法人のスピリットでもあるそうだ。
こうしたサポートをするためには、本人の希望ややりたいことを聞く必要がある。しかしこのとき、「相手の言葉を表面的に受け取るだけではいけない」と池田さんは話す。
池田:十分な社会経験を積んで、自分の選択に自信を持って自己決定していく人もいれば、経験がないために本当にこれでいいのだろうかと思いながら、言葉上は「これでやりたいです」と言う人もいる。言葉で出てる表面的な意思表示だけで物事を決めていくのは危険だなというのは強く感じています。
経験が足りないと予測される人には、例えばこんなプランもあるよと提案して、一緒に探っていくこともしました。体験したいけれど、知っている範囲の中で選ぶほうが安心と感じる人には、一緒にやってみないかと持ちかけることで後押ししたり、本人の選択肢を広げられるように活動したり。
いろんな人と出会って、勉強させてもらって、人と関わることや支援をするうえで、大事にしようと思える経験がたくさんあったと思います。
子どもの頃から、人を観察して、その人の背景にあるものを想像していたという池田さん。「言葉に出ていることがすべてではない」というのを聞いて、そうした池田さんの資質や経験が、今に生きているように感じられた。それも誰かから強いられたのではなく、もともと人に思いを寄せるアンテナを持っていたことに、池田さんと福祉の仕事との相性の良さがあったのかもしれない。
池田:なにか高尚な志があって福祉の道に進んだわけではなかったけれど、経験や出会いが連続して今に至っているのかもしれません。
「これまでで一番長く働けている」理由
2022年7月、東開文化交流サロン準備室が立ち上がり、12月に池田さんは館長に就任した。就労支援事業所で働くことは初めてで、今もここでの仕事のあり方は模索中だと話す。
サロンを訪れ、利用者の目線で一日を過ごして、とても安心して過ごせる場所だと感じたが、働く人はどのように感じているのだろう。
お話を伺ったのは、カフェで働く工藤さん。サロンがオープンする少し前の2022年11月から働き始め、ちょうど3年が経ったところだ。いわゆるオープニングスタッフとしてカフェの立ち上げから関わり、現在は料理の仕込み、接客、皿洗いなど、カフェで発生する一通りの業務を任されている。工藤さんにとって東開文化交流サロンは、どんな場所なのだろう。
工藤:いろいろな仕事を経験してきましたが、今までで一番長く働けています。それだけ長く働けているのは、教えてくれる人たちがいい人たちだから。間違っても優しく教えてくれますし、うまくいったときは褒めてくれます。最初はパフェのソフトクリームを巻くのが難しかったんですよ。斜めになってしまって。でも最近は割とうまくいくことが多くて、きれいに巻けるという自信もついてきたら、周りの人たちが褒めてくれて嬉しかったですね。
カフェの多岐にわたる作業の中で、仕込みをしていると、あっという間に時間が過ぎる感覚で、好きだと感じるそう。仕事をきっかけに、私生活で自炊をすることも増えたと話す。
次のステップとして一般企業での就労も見据えている工藤さん。さまざまな時間帯に働いてみたり、困ったときに助けを呼ぶことを体験してみたりと、先を見据えた挑戦をしている。挑戦をするなかで困難な場面に出会い、混乱してしまうこともあるというが、そんなときはどうしているのだろう。
工藤:感情が溢れて誰かにぶつかってしまうようなことがあったときは、そのことを反省しつつ、今後どうやっていくかということをスタッフの人たちと相談しています。
過去のさまざまな経験から他人を信用しきれないと思うことが僕はあるのですが、それでもここで一緒に働く人たちはずっと寄り添ってくれていることを感じています。だから例えば今日の出来事でなにか相手を疑ってしまうようなことがあったとしても、次の日になったらまた元のように関わることができているのかなと思いますね。
相談できる関係性があるということ、どんな状態になっても受け止めてくれる人がいること。そのことが工藤さんの安心を支え、長く仕事を続けることを助けてきたのかもしれない。
安心して働ける場を育むために
現在、東開文化交流サロンでは、就労継続支援A型(※注1)としてカフェで4人、図書で3人が働き、就労継続支援B型(※注2)として清掃業務を4人の方が担っている。工藤さんは一緒に働く人たちの人柄の良さが安心につながっていると話してくれたが、館長の池田さんは、安心して働ける環境をどのようにつくっているのだろう。
※注1:事業所と雇用契約を結んで、支援を受けながら働く障害福祉サービス。事業所は、利用者に法律で決められた給料を支払う
※注2:雇用契約を結ばず働く障害福祉サービス。事業所は、作業内容やその売り上げに応じて工賃を支払う
池田:さまざまな働き方に柔軟に対応しているところは、もしかしたら利用者の方が安心して関わることにつながっているかなと思いますね。就労Bは基本的には9時から15時の時間帯をベースにしているのですが、2時間からでもスタートしたいとか、毎日は無理だという声もいただきました。ニーズに寄り添いたいという思いから、今は9時から15時の人もいれば、9時から12時の人もいる。またフレックスタイム制のような形で来る人も受け入れています。
一方で就労Aでは、一般企業への就労も見据えた人も多く来ているため、一人ひとりのニーズや、経験したい働き方に合わせて、希望や目標を叶えられるような課題設定をしながら働く場を運営している。
それぞれにどんな仕事を割り振るかは、これまでやってきたことや、できることを鑑みて作業を割り振り、実際にやってみてマッチしないものがあれば、その人に合う仕事を組み立て直しているそうだ。
また、この施設だからこそ、多様な人が関わるということも安心して働ける場につながっているかもしれない、と話す。
池田:例えば就労Aで働く人に対して、対応するスタッフは決まっているのですが、就労Bのスタッフや指定管理者としてここにいる人も関わる場面があります。多機能なので、全体を一体的に見ているんです。だから直属の関係者ではない人が話を聞いたり、どういう状況なのかを把握していたりする。誰か一人に相談が偏ったりしないという意味では、互いに相談し合うことができ、困ったことを表出しやすい状況がつくれているのかもしれません。
一人に対して一人の責任者がつくことは、がっちりとした信頼できる関係性がつくれることもあるだろう。しかし、対話が一対一で閉じてしまうことで、互いの気持ちの行き場がなくなってしまうこともある。たくさんの視点があり、相談できる人が複数いることは、そうした危険性を回避することも可能にしている。
池田:仕事とは関係がない生活上の困りごとを相談して、じゃあ見に行ってあげるよって、本当に家まで行ったりね。そういう意味では、働きやすいというか、安心できるような状況になっているんじゃないかと思います。
そうしてサロンの内側で複数の視点から支えるだけでなく、他の機関と連携していることも、利用者やその家族の安心につながっているかもしれない。
池田:サロンで働いている方とそのご家族がグループホームへの入居を検討していて。「どうしたらいいのだろう……」と話を聞いたときに窓口となって問い合わせしたり、一緒に見学しにいったことがあります。就労の事業所だけど、本人やご家族からさまざまなことを聞き取りしているし、他の機関と連携もしている。余白を含めた部分を支えるみたいなことは、安心ということに入るのかなと思いました。
こうした他機関との連携は、現在の池田さんの礎となっている、相談員として働いてきた経験が生きているのだろう。
「安心して働ける環境」という問いを前に、池田さんは慎重に言葉を選んでいるように見えた。それは「働く人に安心かどうかを聞いたことがないから」だと話す。安心ということが自身では判断できないと考えている。その姿をとても誠実に感じた。
助けてと言える状況をつくる
取材の後日、池田さんから安心できる職場のあり方として「単にトラブルがない職場ではなくて、自分らしく存在しながら社会に関わり続けられる場、ミスを責められずに段階的に挑戦できる環境」を思い描いているというメッセージが届いた。
トラブルを隠したり、ミスを責めてしまうような状況にならないために、どのようなことを大切にしているのか、改めて伺った。
池田:利用者も支援者も、作業も人との関わり方も秀でていなければならない、というような思い込みがあるような気がするんです。少なくともここではそういった空気感を感じました。でもそうじゃなくてもいいんだということを、伝えるようにしています。
自分たちは100%完璧じゃないから、わからないことがあっても調べていいということを態度で示したり、わからないときにどう振る舞うかというのを見てもらったり。寛容な状態をつくることを大事にしていきたいよね、ということは常に発信しているつもりです。
池田さん自身もミスをすることはあるという。例えば先日はカフェの食材として使用するキャベツを蒸すときに、4分の1に切らなければならないところを、1玉まるごと蒸してしまったそう。
池田:「キャベツのストックがありすぎるけど、誰だ?」と聞かれて「僕なんです!」と名乗り出て。余った分は利用者の練習用にしようとか、作った後食べてもいいものにしようとか、リカバリーをどうするか話し合いました。
取り返しのつかないミスってそう多くないと思っているので、「誰かを後ろ指さすより、改善に向けて考えよう」というスタンスをオープンにしています。
ミスをしたときの冷や汗をかく感覚や、怒られたらどうしようと胃がきゅっと縮む感覚。黙っていることで、どんどん胸の中に積もっていく苦さ。そんなことを思い出す。
自分より立場が上の人も間違えることがあるということ、そして間違えたことをオープンにしてくれること。さらに間違いはリカバリーできると示してくれること。そうしてもらえたら、もし自分が間違うことがあっても大丈夫なんだと、どんなに安心していられるだろう。
池田:何かの講演会に行ったときに、人が働く理由って、お金を稼ぐため、誰かの役に立つためなど、一人ひとり違うけれど、福祉は全部叶えることができる、と言っている人がいて、なるほどと思いました。
そして、働く目的が違うから、安心して働ける環境って一人ずつ違うだろうなと思うんですけど、共通しているのは、失敗したことを公にできたり、助けてと言える状況なんじゃないかと思っています。
そう聞いてハッとした。一人ひとりが安心して働ける環境に求めるものは違う。だけれど、失敗を隠さなくていいこと、助けてと言えること、それは誰にとっても「安心」につながるはずだ。
「みんなが失敗をオープンにできるように、僕が失敗したら率先して表に出しているんです。だけど、最近出しすぎてるみたいで、少し凹んでます」。池田さんは最後にそう笑いながら付け加えた。
同じ職場にいても、同じ仕事をしていても、一人ひとりが働くことに求めるものは異なっている。しかし求めていることが異なっていても、誰もが安心して働くことにつながる要素は共通しているのかもしれないと、池田さんの話を聞いて感じた。
失敗をしたこと、困っていること、そうしたネガティブな気持ちになる場面も、受け止めてもらえること、一緒に解決してもらえることが前提としてわかっていたら、「働く」に対する不安の大部分は、解消できるのではないだろうか。
思い出すのは池田さんと、カフェで働く工藤さんのやり取り。「ソフトクリームを巻くのがうまくいかず、どうしても太くなってしまう」と池田さんが笑いながら工藤さんと談笑していたこと。そんな池田さんに対して、工藤さんの方が「うまくなってますよ」とフォローするように声を掛ける場面があったこと。工藤さんが「この職場では以前の職場より自分を出せる」と話していたこと。池田さんの言葉だけではなく、その振る舞い、そして一緒に働く人とのやり取りから、「安心して働ける場所」の育み方を受け取ることができたように感じた。
訪問記:安心して過ごせる場所とは? 約3万冊を扱う図書室&カフェがある「東開文化交流サロン」をたずねて
Information
東開文化交流サロン
開館時間:
全体
9:00~21:00
図書室・絵本ホール
9:00~17:00
カフェ
9:00~17:00
(16:30ラストオーダー)
休館日
12月29日~1月3日
※その他、サロンの設備点検等により臨時休館の場合あり。
アクセス:
〒059-1301 苫小牧市東開町2丁目12-22
屋外駐車場 あり(39台)
公共交通機関:
JR沼ノ端駅から
南へ徒歩12分
車でのアクセス:
新千歳空港から約25分
Profile
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苫小牧市東開文化交流サロン
図書機能と福祉拠点機能を兼ね備える、苫小牧市の公共施設では初となる共生型地域福祉拠点です。図書の専門企業との共同事業体「Social Library Platform 東開町」を結成し指定管理業者として選定を受け、ゆうゆうはここで共生型福祉の実践知を生かした地域づくりと文化との出会いづくりを行っています。 図書館・ギャラリーやカフェ、多世代の「学び」の機会など、サロンの有する魅力的な機能を活かしながら、地域住民の方との連携、協働を進め、多様な方の活躍の場を創り出し、サロンに来る人同士の「交流」をデザインしていきます。「多様性」の中に身を置くことが当たり前になる中で、他者に寛容になれる人とまちづくりを推進します。
Profile
- ライター:福井尚子
-
アート、表現、書籍、暮らし、食、教育などに興味関心を広げながら、執筆や編集をしています。神奈川県二宮町を拠点に、本を紹介する活動や絵本を用いた語り劇がライフワークです。
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