福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】大きな布作品に囲まれた空間で、こちらを眺めるおくのさん【写真】大きな布作品に囲まれた空間で、こちらを眺めるおくのさん

生産者の顔が思い浮かぶようなモノや環境を。「空と海」奥野瑠一さんのまなざし 福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて vol.09

  1. トップ
  2. 福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて
  3. 生産者の顔が思い浮かぶようなモノや環境を。「空と海」奥野瑠一さんのまなざし

心地よい場所と言われたら、どんなところが思い浮かぶだろう。親しい友達がいる場所だろうか。または安心してひとりで居られる場所?あるいは自然の中が落ち着くときもあるかもしれない。こうやって思いを馳せてみると、「心地よい場所」はひとりひとりの性質によっても、またはその人の状態によっても異なるようだ。

それでも、千葉県船橋市にある福祉施設「空と海」を訪問したとき、ここは誰にとっても心地よい場所だと感じた。

天井が高く、窓が広く、快適な温度と明るさに設計された建築空間。そこにある材料や素材を活かすという視点。プライベートな空間が守られながら、ソーシャルな場へとつながるアプローチ。様々な観点から、自然も人も蔑ろにしない「空と海」のあり方を感じることができた。

・訪問記「それぞれの心地よさを大切にするには?『空と海』をたずねて」はこちら

この心地よい場所をつくるために、施設長を務める奥野瑠一さんはどのようなまなざしで福祉と向き合っているのだろう。実は、奥野さん、学生時代に服飾を学んでいたらしい。幼少期からこれまでのこと、どう歩み、何を大切にしてきたのかお話を伺った。

人の手とそこにある素材でつくられたものに惹かれて

「空と海」は、社会福祉法人地蔵会が運営する障害福祉サービス事業所。1994年に、船橋市内のアパートの一室で、奥野さんのお父様である奥野満さんと大野待子さんが立ち上げた。

当時、満さんと大野さんは障害者水泳の普及に努めていた。「支援学校を卒業した後に働き先がない」という親たちの悩みを耳にしたのがきっかけで、卒業後の居場所を作ろうと、紙漉きの作品づくりから始まったそう。現在では、紙漉きのほかに、木工、染め、織り、刺繍、陶芸、絵画、料理など、様々な創作活動を行っている。

もともと障害者水泳の普及に努めていたという経緯から、「空と海」ではからだつくりにも力を入れている。毎朝一時間の体操のほかに、マラソンやカヌーを行うこともある。「空と海」に子どもの頃から親しんでいた奥野さんも、一緒に出かけることがあった。

「空と海」には、小学生の頃から遊びに来ていて、一緒にキャンプに行ったり、カヌーをしたりしていました。当時空と海を利用している方が、うちに泊まりに来たり、一緒に遊んでくれたこともたくさんあります。

そんな奥野さんが、中学生頃から関心を寄せていたのが服飾。インターネットが普及し始めた当時、ノートパソコンを親に買ってもらって、服や靴などの輸入販売を始めた。これには、お母様が海外で染色や機織りなどのテキスタイル関連の仕事をしていて、家に世界中のテキスタイルがある環境だったことが影響しているかもしれない、と振り返る。

服のどこに魅力を感じるかというと、布の質感なんです。今でも世界の布を集めたり、日本の布を海外に輸出する会社も経営しているのですが、その地域にある素材と人の手を使ってちゃんと作られている、クラフトを感じるものが好きです。

【写真】布作品を触る手、作品の表面には玉留めされた糸が
空と海に展示されていた布作品

高校卒業後は家を出て東京へ。文化服装学院のファッションビジネス科へ進学し、洋服の買付や流通、ファッションのトレンド、マーケティングなどについて学んだ。とはいえ、自分が作り手ではなく、流通の側にいることには、後ろめたさのようなものも感じていたそう。

父は書家で、親戚も陶芸や彫金などものづくりを生業にしている人が多い家系で、「ものづくりをしている人が世の中で一番大切だ」と言われて育ってきました。僕も何もやらないわけではなくて、絵画や工作などもやってみると得意ではあったのですが、打ち込めるものを見つけられず「自分の能力を試す場所がない」と感じていました。

文化服装学院を卒業後は、古本屋で働く傍ら、自らオンライン上で本や洋服、雑貨など輸出入を行っていた。自営業の人が多い家系で育ち、また自らも中学生の頃からビジネスをしていたため、どこかの組織に所属するために就職活動をしようとは思わなかったそう。

好きな仕事をして生活費を稼ぎ、友人と飲みに出かける。自由な生活を楽しんでいたものの、一方で東京の排他的な空気に違和感を持ち、この先どうしようという思いもあった。

東京で目にした障害を持つ人の働く姿

様々な仕事に関わるなかで、転機となるできごとはアパレル業界で働いていたときに起こった。

ストックルームのような場所で、障害のある方が、ゴム手袋をつけて、在庫整理しているのを見かけたんです。3人の方が必死に1日立ちっぱなしで作業をしていて、1人ずつアドバイザーみたいな人が付いていて「次はこうしましょう」と指示している。当時の上司に「あの方たちはどういう方たちなんですか」と聞いたら、今研修中で、3人のうち1人しか採用しないから、残りの2人はこの後いなくなる、と言うんです。

【写真】インタビューにこたえる奥野さん
奥野瑠一さん

その景色は、記憶の中にある「空と海」で働く利用者やスタッフたちの姿とは異なるものだった。「そういえば父はどうしているのだろう」そう思った奥野さんは、久しぶりに連絡を取って、会うことに。最初は、自身の仕事に関わる相談などをしていたそう。

僕が当時やっていたECサイトなどを見せているうちに、父が唐突に「『空と海』で働きながら、自分のやりたいこともやったらいいんじゃないか」と言ったんです。そんなつもりで父に会っていたわけではなかったのですが、たしかにそれもいいかもしれないと思って、入社することにしました。

奥野さんを後押しした背景には、東京という街で暮らす未来への心もとなさや、アパレル業界で働いていたときに出会った障害のある人の姿もあったのかもしれない。2012年の入社当時、奥野さんは23歳。福祉施設で過ごした経験はあったが、福祉に対する知識は何もなかった。

福祉の学びから見えてきた「空と海」らしさ

「空と海」への入社と同時に、奥野さんは日本福祉大学に入学する。社会福祉士の資格を目指して2年間の通信教育での学びが始まった。東京での生活とつながるような思いがけない学びもあったそう。

社会保険や社会保障、税金のことなど、お金がどう社会に還元されてるかということについても学ぶんですよね。東京で自営業をしていたときは、そのあたりのことがわからなくて本当に困ったから、これ義務教育でやってくれたらいいのにって。

まるで福祉と関係ないことをしていたと思っていた東京の生活の中にも、福祉のニュアンスは存在していて、全然別の世界のことではないんだなと感じましたね。

一方、学びを進めるなかで、「空と海」での当たり前と、実習先や同級生から聞く職場の話など他の場所で行われていることの間にギャップを感じることもあった。

管理のしやすさが優先されて、障害のある方がその人らしく過ごせていないことや、「障害のある人は何をしてもいい」「あの人たちは天使だから」と神格化や特別視されてしまうような状況には、ずっと違和感がありました。

子どもの頃から「空と海」で過ごしてきた奥野さんにとって、「障害のある人」はとても身近な存在だった。当たり前に一緒に過ごし、キャンプやカヌーなどの体験も共にしてきた。そもそも「障害のある人」という大きな括りではなく「一緒にキャンプに行った〇〇さんやカヌーをした〇〇さん」という存在だったと言えるのかもしれない。

【写真】そらとうみの敷地にある林で、のびのびと過ごすメンバーさんたち

だけど、実際の学びの中では、「障害のある人」が安心安全に過ごせるようにはするけれど、それ以上のリスクは取ろうとしないと感じる場面も多かった。その人がなにか体験したり文化的な生活を享受する権利よりも、リスクを取らないようにすることのほうが優先順位が上回ってしまうように感じたという。

「空と海」が全部正しいとはもちろん思っていないのですが、「普通の社会」に近い感覚でいろんなことをやっています。見学に来た人に「利用者さんにハサミ持たせてるんですか?」とか「ノコギリ危なくないですか?」などと言われることもあります。必要以上にリスクを避けようとする方の感覚とは違うと気づきました。

奥野さんが言う「普通の社会」。それは、人それぞれが持っている当たり前の暮らしや権利が守られる社会のことを指しているのだろう。リスクを優先するあり方に違和感を感じるほどに、「空と海」ではその人がその人らしく過ごせるということを大切にしている。

【写真】電動ノコギリを活用し、木材を切っているメンバー

有機的なプロセスから生まれたデンマークとのつながり

2年の大学の過程を経て社会福祉士の資格を取得する頃、「空と海」ではちょうど新しい建物を建設する話が持ち上がった。どのような建物にしたら過ごしやすいか、などを考える過程で、奥野さんが施設の運営に携わることも増えていった。

現在の「空と海」の建物といえば、天井が高く窓が大きいデンマーク式の工法を取り入れたつくりが特徴的だが、これは最初から求めていたわけではなく、偶然の出会いがきっかけだったのだという。

依頼した設計会社の担当設計士が、デンマークの教育機関「エグモントホイスコーレ」で学んだ方だったんです。エグモントホイスコーレでは障害のある人とない人が共同生活をしながら勉強するのですが、設計士さんが初めて「空と海」に来たとき、デンマークに近いものを感じると言ってくれました。みんながものづくりをするし、自由な環境だし、自然の中で活動しているという風景が似ていると。

設計士は、デンマークの雰囲気を感じる「空と海」にぴったりな建物を設計した。それが現在の、工房、ギャラリー、レストラン、グループホームだ。

【写真】天井が高いスペースに布作品が複数展示されている
工房「ヒュッゲ」
【写真】テーブルに並ぶ、メンバーさんたちの昼食
レストラン「らんどね」
【写真】窓が大きいグループホームのリビング。窓からは緑が見えている
グループホーム

そののち奥野さんは、その設計士の勧めでデンマークへ視察に行き、エグモントホイスコーレに2週間ほど滞在する。

デンマークを訪れてみて、たしかに「空と海」っぽいなと感じました。僕が「普通」だと思っている世界にすごく近かったんです。例えば誰もが幼稚園から火の起こし方を教わったり、木工をしたり、雨の中でもドロドロになって遊んでいたり。

自然体験活動を中心にした保育の場である「森の幼稚園」の発祥の地でもあるデンマーク。奥野さん自身も幼少期に森の幼稚園に通っていたため、育てられ方に近いものがあり、親和性を感じたそう。また、訪問した現地の福祉施設にも、制度にとらわれず、人間が心地よく過ごせる環境をつくっているという、奥野さんにとって「普通」と感じる姿があった。

人間が心地よく、過ごしやすい場をデンマークでは国をあげて作っていました。「空と海」はすごく小規模だけれど、デンマークと同じような考え方で、自分たちが心地よいと思える場を作ってきたのかもしれないと感じました。

「空と海」では2024年に新しいグループホームを建築した。温度や湿度を快適に保ち、明るさを一定にする、環境設計による工夫がほどこされた心地よい新グループホームを設計したのは、デンマークの設計会社「ニョードルム・ケア」。このニョードルム・ケアの日本窓口を務める、風と地と木合同会社代表の宮田尚幸さんを紹介してもらったのも、エグモントホイスコーレだった。

デンマークに行き着いたのも、宮田さんに新しいグループホーム建設窓口をお願いすることになったのも、有機的なつながりからでした。デンマークが福祉の先進国だから見習おうみたいな感じではなくて、いろんな流れの中で、デンマークが大切にしてきたものと「空と海」で大切にしてきたものとが近かったために、こうなっています。このプロセスがあることが、僕にとってはとても大切なんです。

【写真】あたらしいグループホームの外観
新グループホーム

生活から生まれたものが世の中へ受け入れられていくように

現在奥野さんは、築180年ほどの古民家で、家や茅葺き屋根を自分で直しながら暮らしている。家や暮らしは、「ものづくりは一通りできるけれど力を試す場所がない」と少年の頃に感じていた奥野さんの、力を発揮するフィールドになっているようだ。「昔の人はすべて職人さん頼みではなく、家族や近所の人が集まって家を手入れしたり、畑や田んぼをしたり、何かしら生産する暮らしをしていたのだと改めて感じます」と奥野さんは話す。

「空と海」では施設内で飼育している鶏の卵がレストランで使われ、さらにレストランの残飯が鶏のエサになっていた。近所からもらってきた梨の木の薪を使ってピザを焼き、もらってきたものを素材として生かして作品づくりを行う。

施設の中や周辺の環境との間に循環が生まれていることが印象的だったが、奥野さんの暮らしぶりを伺っていると、特別に環境に配慮して、だとか、社会のために、などという気負いがないことが感じられる。

エコだから、SDGsだからとか言うことではなくて、それが効率がいいということもあります。それこそ例えば江戸時代では、誰しもが無理なく循環させていたんですよね。やってみると、ガスを引くより、卵を毎日買いに行くより、そちらのほうが楽だったりするんです。

【写真】飼育しているにわとりたち

「それが近くにあるからやっているだけ、普通のこと」と奥野さんは口にする。しかし、そこにあるものを大切にする、そのものらしさを尊重する、そういう「空と海」の自然やものへの向き合い方が、人に対しても共通していて、それが心地よさへとつながっているように感じた。

このような「空と海」の価値観を、「普通」と捉えている人はまだ限られているのかもしれない。最近奥野さんもそのことに気づき、スタッフにも言葉にして伝えるようにしていると話す。

(工房で使う)材料に関しては、取ってつけたようなものは買ってこないでくれとスタッフに言っています。できるだけ、地域や生活の中で生まれたものや不要とされたものを使って作ることを大切にしたいです。

プロダクトを知ってから「空と海」に来てくれる人が多いのですが、こういうところでできていたんだと納得してくれるとき、僕は嬉しいですね。そうありたいと思っているので。

最近は障害のある人のものづくりにも光が当たりやすくなり、世の中に福祉関連のプロダクトも増えてきたと思います。素晴らしいことだと思うのですが、作られたものの雰囲気と作った人たちが生活している場所のあり方が全く結びつかないと、どうなんだろうと思ってしまうんです。それってきっと福祉の世界だけではなく、世の中のもの全般に言えると思うのですが。僕は、生産者たちが思い浮かぶようなものが好きだし、生産者たちを見てできあがるものが思い浮かぶような環境が好きです。

【写真】壁に展示されている布作品たち

一方で、ものづくりを活動の中心に据え、利用者の中には個展を開催している人もいる「空と海」だが、「みんながアーティストにならなくてもいい」と奥野さんは言う。

独創的な作品を一人で作り出すことができなくても、ヤスリならかけられるとか、オイルなら塗れるという人もいます。コツコツと毎日同じことをやるというのでも、力を合わせれば社会には入っていける。本当に人間らしい生活を送れていることが一番だから、マイペースな生活の中からできていくものが、世の中に受け入れられて、広がっていけばいいなと思っています。

【写真】インタビューにこたえる奥野さん

服飾を学んだ奥野さんが福祉業界へというのは、大きな方向転換のように見えるかもしれない。しかし服飾の好きなところから「空と海」のあり方まで、ものの背景や有機的なつながりを大切にする奥野さんの姿勢は一貫していた。

奥野さんはインタビューの間に何度も「普通」という言葉を使っていた。「自然と調和して暮らすこと」「ものを作ること」「誰もが人間らしく暮らすこと」。私たちが便利さを求めた現代的な生活の中でうっかり手放してしまいそうになる3つのことを、奥野さんは「普通」、つまり暮らしの大前提として大事にしているように感じた。それこそが「空と海」の心地よさの秘密なのかもしれない。


Series

連載:福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて