福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】からだの前で両手を合わせ、インタビューにこたえるはぎわらさん【写真】からだの前で両手を合わせ、インタビューにこたえるはぎわらさん

「働かざる者食うべからず」なんてことは決してない。社会福祉法人開く会 萩原達也さんと「働く」を考える 福祉のしごとにん ― 働く人のまなざし・創造性をたずねて vol.11

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先日、久しぶりにジブリアニメ『千と千尋の神隠し』を見た。不思議な町に迷い込み、両親は豚に変えられてしまった主人公・千尋。何度断られても「ここで働かせてください!」と湯屋の経営者である湯婆婆(ゆばーば)に申し出て、目の前にある仕事に向き合い、やがて周囲からも存在を認められていく。

千尋の「働かせてください!」を、私が以前よりとても切実に感じたのは、「働く」とはなんだろう、ということを考えていたからだ。「働きたい」「働かなきゃ」そんな言葉を誰かから聞くとき、「金銭を得る」ことを意味する場面が多い気がする。もちろん金銭を得ることは大事なことだ、しかしもしかしたらそれは狭い意味の「働く」なのではないだろうか。

千尋はあの場所で生き残る術として、働くしかなかった。とはいえ、働くことを通して、居場所を得て、関係性をつくり、自身を変化させ、ついにそこから脱却していくことができた。どうやら「働く」とはただ労働や時間の対価に金銭を得ることを意味するわけではなさそうだ。

「働くことは、働きかけること、そして働きかけられることではないか」と話すのは、社会福祉法人開く会の萩原達也さん。

開く会が運営する、神奈川県横浜市にある就労継続支援B型事業所であり、地元で人気の石窯ベーカリー&食堂「ファールニエンテ」では、パン、食堂、そして農業、それぞれの持ち場でプロとして誇りを持って生き生きと働く人たちがいた。

・「安心して働ける場所ってどうすればつくれる? 石窯ベーカリー&食堂『ファールニエンテ』をたずねて」記事はこちら

「ファールニエンテ」をはじめ、「共働舎」「はたらき本舗」「ベーカリー&カフェ はなむら」など、複数の働く場を運営する社会福祉法人開く会。その事業所の名前には「働く」という言葉が入っているものも多い。萩原さん自身は働くことをどのように捉えているのだろう。萩原さんにとっての「働く」とはなにか。その話は、やがて私たち一人ひとりの幸せを支え合うことへとつながっていった。

んとすの家、鈴木理事長との出会い

神奈川県横浜市で生まれ育った萩原さん。お兄さんが福祉関係の仕事をしていたことや、小学生の頃に障害のあるクラスメイトと隣の席になったことから福祉を身近に感じ、明治学院大学の社会福祉学科に進学した。

現在の開く会の理事長である鈴木正明さんと出会ったのは、大学時代のアルバイト先である居酒屋だった。漏れ聞こえる話から、鈴木さんが福祉関係の仕事をしていると知っていた萩原さんは、鈴木さんに話しかけたのだという。

「お客さんは福祉のお仕事をされているんですよね。僕は明学の社会福祉学科に通っているんです」と私が話していたら、ちょうどお客さんとして遊びにきていた同級生が「おじさん、僕たちも明学なんですよ。お金がないんです」なんて言って。

そしたら鈴木さんがお釣りから5千円渡してくれて、「じゃあこれで飲めよ」って。「その代わり、よかったら遊びに来い」って連絡先を渡してくれたんです。鈴木さんは本当に来るなんて少しも思ってなかったみたいなんですけど。

それから1週間後、友人と萩原さんは二人で鈴木さんのもとを訪ねる。当時鈴木さんは民間の任意団体「んとすの家」として、知的障害のある小中学生の支援や、養護児童の養育などを行っていた。想像していた福祉の現場と全然違った、と萩原さんは当時を振り返る。

訪れたとき、鈴木さんは上半身ほとんど裸で、子どもたちと夕暮れにサッカーをしていました。「よく来たな」と言って、とりあえず飯でも食おうと一緒にごはんを食べ、いろんな話を聞きました。その日はもうそのまま、子ども部屋の隣に泊まらせてもらったんです。

【写真】インタビューにこたえるはぎわらさん

そう笑いながら話す。それから何度か遊びに行くうちに、手伝ってほしいと言われるようになり、居酒屋を辞めて、んとすの家でアルバイトをするようになった。

「ありとあらゆることを経験させてもらいました」と萩原さんは遠くを見つめる。就学前の子どもたちとの散歩、絵本の読み聞かせ、鈴木さんが家族と外泊している間の留守番、飼育するヤギや馬などの動物の世話。さらに子どもたちが彫った版画を刷って、カレンダーをつくることも。

養護学校を出た後の子どもたちが働く場所をつくる手段として、実験的に小さな洋食屋をオープンし、コックとしてフライパンを振っていたこともあったらしい。大学時代は学校よりも、んとすの家で過ごした時間の方が長かったかもしれない、と語る。

大学の授業で系統立てて説明される世界が、んとすの家へ行くと断片的ではあるけれど、垣間見えてくる。それが面白かったですよね。

一人ひとり違う鍵穴をみつける

んとすの家に集う人たち、そしてそれを支援する鈴木さんとともに過ごす。その中で、支援者として教えてもらったことはなんなのだろうか。そう問いかけると「具体的な何かを教えられたことはほぼないです」と萩原さんは答えた。

ただ、日常的に養護児童と呼ばれる子どもたちや障害のある人と鈴木さんのやり取りを間近で見ていると、その時になんでだろうと思うことが起きるんです。

例えば、私が声を掛けても反応がないけれど、鈴木さんがくると、両手を挙げて近づいていって「くすぐってくれ」というようなアピールをする人がいる。鈴木さんが触ろうと手を出したり、引っ込めたりして、二人できゃっきゃと笑うというようなことが起きるわけです。

どうしてこんな関係性が築けているのだろう、そう疑問に思っていると、鈴木さんが飲みながらさまざまな話をしている最中に、ふとその秘密を解き明かすヒントを手渡してくれることがあったそうだ。

「一人ひとり違う鍵穴があって、鍵穴にフィットする鍵を見つけて、かちゃっと開いて違う世界が開ける。その時、彼らの中でも違う彼らが登場して、いろいろと起こるんだ」というんです。その鍵穴を見つけるにはどうしたらいいかというと、「そばにいて、その人をよく見続けて、今はこうなんじゃないか、ああなんじゃないかと考える。その繰り返しのプロセスの中で、関係がつくられていくんだと思うんだけどね」と。

そうした鈴木さんの言葉を受けて、萩原さん自身もそのプロセスを体験してみる。やがて、関わる人が自分を認めてくれるような接点が少しずつ増えていったそう。

一緒に畑を耕すなど活動するなかで、泣き笑いすることがあって、相手がこちらをわかってくれて、こちらも相手をわかっていく。関係というのは同時に立ち上がってくるということを、とにかくいろんなところで教えてもらったというか、見せてもらってきました。

こうした肌で感じる経験とともに、鈴木さんのパートナーからは、物事の背景にある事象や歴史についてなどを解説してもらっていた。

鈴木さんの奥さんは、日雇い労働者のまちとして知られる、横浜の寿町でケースワーカーをしていた人なんです。目の前に今いる人には、子どもでも誰でも、後ろ側に歴史があって、その歴史を踏まえた上でその人をどうみるかということが福祉にとっては大事なことだということを教えてもらったように感じています。

目の前の子どもたちや障害のある人たちとの関わる現場と、鈴木夫妻の話から得たヒントを往復する中で、相手の世界やその背景にあるものを尊重する萩原さんの福祉観は育まれてきた。

暮らしと仕事が重なるところで

大学1年の頃から「んとすの家」に関わり続け、信頼関係を築いてきた萩原さんは、大学3年のときに、社会福祉法人の立ち上げを鈴木さんに相談される。当時同じように手伝いに来ていた学生たちとともに、「お前たちがやるんだったらやろうと思うけど、どうか?」と投げかけられ、「わかりました」と二つ返事で引き受けた。

大学4年とその次の1年間は、現場で働きながら法人設立の準備に携わっていた。いわゆる就職活動というものはしていないし、他の仕事をという選択肢も自身の中に湧いてこなかったそう。

大学生から卒業したての頃は、陶芸や料理、農作業などいろんな体験をしていて、それがベースになって共働舎という働く施設が始まりました。法人ができてから入職してきた人たちは、就職してから苦労して技術を手にしなければいけませんでしたが、私はもう少し余白があるような時間の流れの中で好きにやらせてもらえたので恵まれていたのかなとあとになって感じましたね。

【写真】お皿には牛のイラストが描かれている
共働舎でつくられたピザ用の皿

遊びに行く、アルバイトになる、法人設立に関わる、という順に歩んできた萩原さん。ときには宿泊も伴うような働き方の中で、その仕事はほとんど暮らしと重なるものだった。

良い悪いではなく、暮らしと仕事が隣接しているというか、重なっているというか、そういうところに4年ぐらい身をおいてきました。なので、自分の中にできあがってきた考えや捉え方はいわゆる給料をもらうために働く、というのとはどうしてもちょっと違うところがあると思うことはあります。

「働く」は「働きかける/働きかけられる」こと

こうした関わり方の中で形作られていった仕事観を、萩原さんは「ブリコラージュの考え方が染み込んでいる」と語る。ブリコラージュとは、身の回りにあるものを使って、工夫して成り立たせていくこと。萩原さんにとって働くことは、お金を稼ぐこと、というより、自身の身体やできること/できないことを使って場を成り立たせていくことだったのかもしれない。

現在、萩原さんが福祉の道へ進んでから40年経つ。近年では、長年付き合いのある人たちが年齢とともに「働けなくなる」場面に出会う機会も増えてきた。そうした中で萩原さんは「働く」をどのように捉えているのだろう。

シンプルに、「働きかけること」が働くことじゃないかなと思っています。「働かないものは食べちゃいけない」なんて言われることがあるけど、いやいやいや。人ってやっぱり誰かや何かに働きかけて生きているわけじゃないですか。生きること自体がそもそも働きかけることだと思うんですよね。そういうベースをおさえておいたほうが、いろんな人の居場所や存在を認め合えるんじゃないかと感じています。

開く会が運営するベーカリー&食堂として取材させてもらった「ファールニエンテ」の名前の由来は、「ただいることで満ち足りる、優雅な時間を過ごすこと」を意味するイタリアの慣用句を元にしている。「ただそこにいる」が、働く場に名付けられているのを不思議に感じていた。しかし、人はただそこにいるだけで何がしかの「働きかけ」をしているという萩原さんの思いを聞いて、「ファールニエンテ」という言葉がこの場に授けられた意味がふわっと紐解かれたような気がした。

どうしたら一緒に生きていけるかを考える

ただそこにいるだけで人は働きかけている、そんな思いがある中で、自身が運営する場が「就労支援」と呼ばれることにも、実は違和感を感じていると萩原さんは続ける。

就労支援という言葉には、訓練をして、今の自分じゃない自分にならないといけないというようなニュアンスが込められているような気がしてしまいます。だけどそれよりも、そのままで、どうしたら一緒に生きていけるかということを考える必要があると思っているんです。

この人はもうちょっとこうした方がいいよね、苦手なことができるようになったほうがいいよね、みたいなことを言われてしまうと、それは一方的な見方ではないかと違和感があるんです。支援の対象となる人がトレーニングが必要な人のように言われてしまうけれど、環境が変わればもしかしたらその人はうまくいくかもしれないですよね。

萩原さんの話は、障害を個人の特性ではなく、社会の構造や環境によって生み出されるものだと捉える「障害の社会モデル」の考え方に通じる。「働く」が狭義に捉えられ、働く人、個人の能力によって対価が決まってしまう現実に問いを投げかけているのだ。

一方で、開く会では、働きたい人が思い切り働ける「ファールニエンテ」をはじめ、さまざまな働く場の選択肢を用意し、「働く」ことを肯定している。それは萩原さん自身が働くことの楽しさをよく理解しているからだ。

働くことの楽しさってもう本当に感覚的なものもありますよね。僕もファールニエンテができる以前からイベントなどを含めて15年ぐらいピザをつくってきましたが、ピザの生地が手に触れて、それを伸ばすときの、手に染み込んでくるなんともいえない心地よさみたいなものがあるんです。生地が自分の思う通りに広がって、焼けて出てくる。ただそれだけなんですけど、楽しいですよね。その楽しさを障害のある人たちの中で味わいたいなと思う人には、いろんなかたちで味わってもらいたいなと思っています。

萩原さんの言葉を聞いて、ファールニエンテで職人として誇りを持って働いている人たちの姿を思い出した。働くことの楽しさを味わう、その意味で開く会では、農業や園芸、陶芸、パンや焼き菓子の製造など、さまざまな技術を身につけることを仕事として行っているのだろう。

【写真】パン生地を伸ばしている様子

働くことには、自分がやれることを精一杯やるというスタンスもあっていいと思います。だからといって、何か具体的な技術がないと働けない、価値がない、なんてことはない。その思いも、きちんと持っていたいなと思っています。

人と人とが響き合う関係

開く会で働く人には、さまざまな特性の人がいて、「働く」に求めるものも異なる。個人の特性ではなく、環境によって働く人がうまくいく場をつくることができると考えている萩原さんは、どのようにそれぞれが安心して働ける場を育んでいるのだろうか。

環境的になにか工夫をしているかというと、最初から構えて「こういうことはしない」などのルールを決めていないんです。ルールがある世界はもちろんあって、ときには必要ですが、一方で社会というのは、人と人とが響き合う関係をつくっていくためにあると思うんです。これは社会学者の見田宗介さんが『社会学入門』で綴られていた「交響圏とルール圏」という考え方を参照しています。

管理をするという目線でルールを決め、困ったことが起きないようにする、という考え方ももちろんできるが、萩原さんはなるべく制限をしないでいたいと考えている。

人と人とがさまざまな形で接点を持って、どうやったらお互いに良い響き合いができるか。その可能性を大事にしたいという考え方でやっています。ベースはそうで、うまくいっていればそれでよし、うまくいかなかったときはそれについて考えていこうというスタンスです。

うまくいかないときには、ときには組織として介入することもあるが、すぐに解決に向けて処理をしようとはしない。すぐに答えを出してしまうことは、ときに誰かが傷を負うことにもなるからだ。

一緒に働く職員にも、「ルールの世界と響き合いの世界を両方きちんと押さえておきたい」という説明を、ことあるごとにしているそう。ルールを決めてしまって、考える余地がない方が、楽になることもある。しかし社会に対しても他者に対しても、自分で折り合いをつけていくことが大事なのではないかと萩原さんは話す。

みなさん大体50:50(フィフティ・フィフティ)でやりたいというんですよ。49:51で、自分が1でも差し出していたら、損しているから嫌だと思っちゃったりするんですよね。だけど、人間関係や社会に対して、自分が少し持ち出しが多いぐらいのほうが、本当は気持ちがいいんじゃないかと僕は思うんです。それぐらいの感覚でいたい。職員たちにもそういう感覚を少し持ってほしいな、持ってくれると嬉しいなという風には思いますけれど。

「そうだったら嬉しいな」という萩原さんの言葉から、自身の考えやスタンスを差し出しながらも、決して強制はしない、慎重さと相手を尊重するあり方を感じる。

理事長の鈴木さんが「福祉の支援っていうのは、無力はだめだけど、強力はもっとだめ、微力を継続するぐらいの感覚を持ってることは大事だよね」と言っていたんです。強く関わりを持つことは、そうやって引っ張ってもらわないと切り開いていけないというメッセージを相手に送っていることになるんですよね。支援されているかされていないか、相手にとってはわからないぐらいのほうが良いということです。

幸せの源泉は、関係性があるということ

手に職が持てる働き方を提案しながらそれだけが「働く」のすべてではないという。自身のスタンスを差し出しながらも強制はしない。こうした開く会や萩原さんのあり方には、絶妙なバランス感覚と、しなやかさがある。

開く会のウェブサイトには「私たちは、『福祉』とは一人ひとりの『今の暮らし』に関わり、連なっていきながら、一人ひとりの『幸せ』を実現しようとする活動と考えています」とある。これまでたくさんのことを萩原さんの話から受け取ってきたが、「一人ひとりの幸せ」を支え合うために、どんなことが必要だと思っているのか聞いてみたくて、最後に問いかけた。

以前、ある利用者さんが両親を立て続けに亡くされてものすごく大きな穴がぽっかりと空いたような状態になったことがあったんです。彼にとっては両親の存在が、自分の名前を読んでくれる存在として大きな範囲を占めていたんです。

その場面に立ち会ったときに、人は関係によって生きているんだと感じました。それが幸せの源泉であり、幸せの要件としてすごく大きいのだなと。だから幸せをつくる大事な要素は、関係を持つことなんだろうなと思ったんです。

その関係というのは、明確な「この人と」という関係ももちろん大事ですが、「社会が見てくれているよね」と感じられることも、「関係」なんじゃないかなと思っています。

「私が他人を認識した瞬間と、私が自分を認識した瞬間は、同時に立ち上がってくる感じがしている」と話す萩原さんにとって、「社会に見られている」ということは、同時に、自分も社会をまなざしているということだ。

そして社会からまなざされる存在になること、社会と私の間に関係性をつくる手段として「働く」ということがあるのかもしれない。ここへ来て、働きかけること、関係性を持つこと、一人ひとりの幸せ。はじめから伺ってきたお話が、一つの輪のようにつながるのを感じた。

運転手が誰かなんて知らなくても、わたしたちは電車やバスに乗っている。それって運転する方たちを信用しているからじゃないですか。電車に乗るという行為ひとつとっても、それは社会と関係している。そういう目線でみると、社会の中で生きる一人としての自分が、たしかにそこに存在しているとも言えると思うんですよね。そんなの当たり前じゃんと思うかもしれないけど、それが幸せをともに支え合うということの、大事な要件なのかなと思っています。

「働く」と聞くと、動き回ることや、何か生産的な活動をするイメージを持ちやすい。しかし、本当はその人がただそこにいるだけで、働きかけること/働きかけられることは起こっている。私が誰かをまなざすこと、そしてそれは誰かにまなざされることだ。逆に、もしまなざされたいと感じているときに、まなざされることがなかったら、私は「働く」ことができずにすり減ってしまうのかもしれない。

『千と千尋の神隠し』の千尋は「働かせてください!」ということで、自身を隠す存在からまなざされる存在へと変化させ、現実を変えた。私たちの誰かをまなざすこと、「働きかける」こと、あるいは「働きかけられること」、そのことにも、きっと同じぐらい目の前の現実を変えることができる。私たち一人ひとりの「働き」にはパワーがあるということを、萩原さんの話は教えてくれるような気がした。


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