

港町・鞆の浦にある「誰でも泊まれるお宿」に滞在して見つけた町の風景たち アトリエにおじゃまします vol.13
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障子を開けると、目の前には瀬戸内の穏やかな海が広がっていた。
階段を降りてリビングへ向かう。すでに起きていた取材チームの人たちと「おはようございます」と挨拶を交わす。奥の台所でコーヒーを淹れたら、窓際の椅子に座って庭を眺める。いい朝だ。


その日、私たちは高齢者介護事業や放課後等デイサービス、就労継続支援B型事業所などを展開する「鞆の浦・さくらホーム」を取材するため、広島県と岡山県の境目にある港町・鞆の浦を訪れていた。
「年齢を重ねても 障がいがあっても 居場所となるまちづくり」をミッションとして掲げるさくらホームは現在、鞆の浦で5つの福祉拠点を構えながら地域密着型のケアを行っている。ケアの現場だけを駆け足で取材する案もあったが、鞆のまちで広く展開している事業の全体像を把握するため、取材の窓口を担当している高本友子さんが2泊3日の取材スケジュールを提案してくださったのだ。
鞆の浦はかつて「潮待ちの港」として栄えた歴史ある港町。まちのいたるところに古くから続く文化や建造物が息づいている。ここで暮らす人たちは、「家族」ではなくても挨拶を交わし、時に道端でおしゃべりに花を咲かせたり、海を眺めながらお酒を飲んだりするそうだ。燧冶は、そうした「まちの日常」をじっくり味わうための拠点として最適な場所に建てられている。
まちにゆっくり滞在し、まちの日常にふれることではじめて見えてくるものがきっとあるにちがいない。そんな期待を抱きながら、鞆の一日が始まった。
「誰でも泊まれるお宿」とは?
私たちが宿泊したのは、「お宿と集いの場 燧冶(ひうちや)」。
「誰でも泊まれるお宿」を目指して、築90年の古民家を改修し、2019年11月にオープンした。

中庭には鞆の気候のもとで育った草木が茂り、ウッドデッキが備えつけられている。庭に敷かれた飛び石は、もともとこの場所にあったものをそのまま使用しているそうだ。車いすユーザーが利用する時は、ウッドデッキと飛び石の上にスロープを取り付けて玄関まで移動することができる。

一階の中庭に面した部屋はユニバーサルルーム。この部屋は介護が必要な方でも使用しやすい電動ベッドが置かれているほか、部屋に広いトイレとシャワールームも用意されている。


二階にはツインルームと和室があり、どの部屋からも海が望めるようになっている。私が滞在したのはこの部屋だ。さりげなく置かれた調度の一つひとつが可愛らしい。


もともとこの家には、90歳を超えるおばあさんが住んでいたんです。
そう話すのは、燧冶の管理人を務める羽田知世(はだ・ともよ)さんだ。
おばあさんと知り合ったのは、鞆のまちで開かれている住民どうしの小さなサロン。そこで「ひとり暮らしが不安」という話を耳にした。ちょうどさくらホームが運営する看護小規模多機能型居宅介護「原の家」の駐車場が近くだったこともあり、毎朝おばあさんの家のポストから新聞が回収されているか確認する関係が始まった。
さくらホームの利用者ではなかったが次第に関係が深まり、親戚の方も了承の上で万が一の場合に備えてさくらホームが家の鍵を預かるまでの関係になったという。

その後、この建物が空き家になり、さくらホームが引き継ぐことになった。
鞆の暮らしが紡がれてきたこの建物をどう生かしていこう——。そこでまちの人たちを呼んで、建物を実際に見てもらいながらアイデアを出しあうワークショップを開いた。すると「家族が帰って来た時に泊まれるお宿」と「まちの人たちが集まれる場所」があったらいいという意見が多く集まり、「お宿と集いの場」という形が決まったそうだ。
羽田知世さん(以下、知世さん):これまでまちの人にたくさんお世話になって、介護も行ってきたので、さくらホームが携わるならみなさんに関わってもらえる機会や場所をつくらないと意味がないんじゃないかという思いがありました。

燧冶は「やさしいお宿」をコンセプトに掲げている。このコンセプトが形になるまでには、「やさしさ」をめぐって何度も話し合いが行われた。その結果、改修にあたってもともとあった庭や建物をできるかぎり生かす方針が決まったのだという。
全面的に改修し、あらかじめ昇降機を備えつけたり、すべての段差をなくすという選択肢もあった。けれども、完全にバリアフリー化した建物では、むしろ人が「やさしさ」を発揮する機会が減ってしまうかもしれない。
知世さん:屋内には段差があり、車いすでは入りにくいお部屋もあります。でもそれは、まちに出ても同じこと。とくに鞆のまちは石畳の道が多かったり、坂道が多かったり、狭い道を車が行き来したりします。それぞれが“やさしさ”を持ちよれば、車いすを使う人もそうでない人も心地の良い時間を過ごせると思います。
とはいえ、それが「やさしさ」の正解ということではない。状況に合わせて、また宿泊者の声を聞きながら改修をかさね、少しずつより良い形を目指していきたいと知世さんは話す。庭の植物が成長し続けることと同様に、燧冶もまた変化の途上にあるのだ。

オープンから数年が経った現在。燧冶には全国から車イスユーザーが宿泊に訪れる。高齢の方が「最後の親戚との旅行に」と選んでくれることもある。まちの人が句会やサロンを開いたり、地域福祉を学ぶ県内外の人たちがワークショップをしたり、「集いの場」としての広がりも見せてきた。
「燧冶」という名前は、宿の目の前に広がる瀬戸内の海・燧灘(ひうちなだ)の「燧」と、「素材に手を加えて美しく仕上げる、よりよくする」という鍛冶の「冶」の文字を組み合わせたものだそうだ。
さくらホームが独断で方針を決定すればスピードは早い。けれども、もともとあった形を生かし、プロセスを開きながらまちの人とともにこの場所をつくったからこそ、この建物は役割が変わってもまちに馴染むことができているのではないか。そこにはさくらホームが大切にする、その土地で紡がれてきた暮らしや文化との関係のあり方が表れているように思えた。
スープとおにぎりをたのしめるカフェへ
燧冶を出て、次の取材場所まで歩いて向かうことにした。鞆のまちにはそこかしこにかつての面影が残されていて、歩いているだけで発見がたくさんある。


しばらく歩くと、直角に曲がった道がつながっている場所に出た。ここはまちの人たちから「クランク」と呼ばれてきた場所で、その道の脇に「スープとおにぎり クランク」という名前のお店が建っている。ここが今日の待ち合わせ場所だ。


取材まで少し時間があるためご飯を食べることにした。ドアを開けると、店員さんが「いらっしゃいませ!」とにこやかに出迎えてくれた。インテリアは木が基調となっていて、公園に面した窓からは陽の光がたっぷり差し込んでいる。居心地の良いおしゃれなカフェだ。

おにぎりとスープのセットを注文する。やさしくて美味しい味だ。はじめて来た場所なのに、気持ちがほっと落ち着いた。

自分のまちにこんな場所があったらいいなと思う。コーヒーを飲みながら本を読んだり、友人を誘っておしゃべりするにもピッタリだ。
しばらくすると、クランクの管理者を務める羽田和剛(はだ・かずよし)さんがいらっしゃった。

クランクで目指したことの一つは、まちで暮らす子育て世代が集まれる場所を作ることだった。そこには、このまちで生まれ育ち、子育てをしてきた和剛さんの「鞆を100年後も暮らせるまちとして残したい」という思いがある。
羽田和剛さん(以下、和剛さん):鞆は子育てをしやすいまちだと思うんです。だから子育てをしようと移住してきた方々が集まって話したり、ほっとできる場所があったらいいなと思ったことがカフェにした理由です。



クランクは、障害のある人たちの就労支援の場でもある。参考にしたのは、東京・神保町にあるカフェ「ソーシャルグッドロースターズ」。本格的なコーヒーの専門店でありつつ、障害のある方の就労の場でもあるこのお店を訪れた時、和剛さんは衝撃を受けたと当時を振り返る。
和剛さん:もし僕が一般就労が難しい状態だったら、こういうところで働きたい。かっこいいって思ったんです。
おそらく利用者の方が自信を持ってコーヒーのことを伝えてくれて、就労継続支援施設のイメージがガラッと変わったんです。考え方しだいでどんなこともできるんだと学びました。


和剛さんはクランクを立ち上げる前、さくらホームが運営する子どもたちの放課後の居場所「さくらんぼ」で管理者を10年間務めてきた。放課後等デイサービスを利用できるのは基本的には18歳まで。その人たちが卒業した後に働ける場所をつくることも、さくらホームが就労支援を展開する目的のひとつだ。
この取り組みが目指すのは、「未来を選択する力をつける」ことだと和剛さんは話す。
和剛さん:そのためにはいろんなことに挑戦できたり、仕事をするのが楽しいとか、あるいは「大したことないな」と思える経験が必要だと思います。働くことが楽しければ、ポジティブな話をすることができる。それが未来を見据えることにつながると思うんです。


高齢者や子どもだけでなく、働く世代や子育てをする人たちが「自分らしく」生きられる場所がまちにあること。そうした、一人ひとりのライフステージに寄り添うことで、このまちで100年暮らすことを具体的に想像できるようになる。
「鞆を100年後も暮らせるまちとして残したい」という和剛さんの言葉がすとんと腹に落ちた気がした。
放課後の子どもの居場所へ
クランクを後にした私たちは、海岸沿いの道を通って放課後の子どもの居場所「さくらんぼ」へ向かった。
建物のすぐ裏手は砂浜。最高のロケーションだ。


「集まってくださーい!」と職員が子どもたちに声をかける。
さくらんぼでは、「はじめの会」で一人ひとりが今日何をして遊ぶか自分で決めて発表する。この日は、卓球をする子もいれば、宿題をする子も、海へ釣りに行きたいという子もいた。



「今日はこれをやります」と職員側が決めて準備した途端、子どもたちは飽きてしまうということがある。用意された遊びよりも、自分で自由に遊ぶ方が楽しいのは当然だ。そしてそれは子どもたちのためだけでなく、職員にとっても意味がある。
子どもたちのために何かを用意しようとか、何かをやらせないといけないという考えに囚われないことは、職員のアイデアが生まれることにもつながるんです。
そう話すのは、さくらんぼで管理者を務める鷲野太平(わしの・たいへい)さんだ。

せっかくなら一緒に遊ぼうということで、取材チームのメンバーもそれぞれに遊びはじめた。私は遊戯室でドッヂボール。さすがにやわらかいボールだが、子どもたちは全力で投げてくる。こっちも全力で遊び、汗が吹き出す。
なまった身体が悲鳴を上げたのでひとやすみしていると、「海へ一緒に来ませんか?」と鷲野さんが誘ってくださった。海岸沿いの道を一列になって砂浜まで歩く。浜辺でも、釣りをしたり、ただ海を眺めてたり、みな思い思いに過ごしている。



さくらんぼの門はいつでも開いている。子どもたちは園の中で遊ぶこともできるし、職員や友だちと一緒に外で遊ぶこともできる。
鷲野太平さん(以下、鷲野さん):“危ないから”とか“難しいから”と決めてしまうと、できることがどんどん減ってしまいます。せっかくすぐそばに海があるんだから、海で遊べばいい。危ないことがあるなら、危なくならないように私たちがサポートすればいいんです。

印象的だったのは、海岸沿いですれ違ったまちの人たちが、子どもたちにしきりに声をかけていたことだ。まちの人はさくらんぼの子どもたちのことを認識しているから、さりげなく見守りの役割も果たしてくれるのだという。

さくらんぼが子どもとの関係を築く上で大事にしているのは、職員が子どもを教育するのではなく、一緒になって遊ぶことだ。さくらんぼの管理者を務めていた羽田和剛さんは、子どもの感性が育まれるのは、学校よりも放課後に友だちと遊んでいる時だと話す。
和剛さん:どうしても大人は子どもを教育したがりますが、それは学校でやればいいと思うんです。放課後には大人も子どもも対等に遊ぶ方がいい。さくらんぼは子どもが“また行きたい”と思える場所にしたいんです。

そして和剛さんはこう続ける。
和剛さん:たとえ障害があってもなくても、子どもの頃から一緒に遊んだり、同じ空間にあたりまえにいることで、差別や偏見を乗り越えられるかもしれません。偏見を抱いてしまうひとつの要因は、一緒にいる経験が少ないからだと思うんです。


さくらんぼの「おわりの会」では、一人ひとりが今日楽しかったことを発表する。何人かの子が「外から来たお兄さんとドッチボールをしたのが楽しかったです」と言っていた。
まさか取材で全力でドッヂボールをすることになるとは思わなかったが、久しぶりに全力で遊んだからか気持ちが清々しい。その子の言葉を聞きながら、心の中でこうつぶやいた。
私も楽しかったよ!
もともとあるものをできるかぎり生かして
取材を終え、夕暮れの港を燧冶まで歩く。海から吹いてくる風が心地いい。
今回、鞆のまちを歩く中で、さくらホームのスタッフが住民と道ですれ違うたびに親しげに挨拶を交わし、時に立ち話をしている光景に何度も出くわした。さくらホームと鞆のまちの住民との間には、「福祉施設職員と住民」という立場をこえた関係が築かれているように感じられたのだ。


さくらホームが展開する事業は、地域の歴史や文化、まちの人たちの思いを決して置いていかない。
同時に、さくらホームは自分たちの気持ちや思いも置き去りにはしない。どちらかがどちらかを支配したりおもねったりするのではなく、自然な関係を保ちながら事業を進めてきた。
自分たちがやりたいことをやっているという側面もありますから。やっぱり“自分が楽しい”という感覚も大事にしたいと思うんです。
これはクランクで聞いた和剛さんの言葉だ。
さくらホームが鞆で暮らす人たちとこうした双方向の関係を築けたのは、福祉施設としてというよりも、まず鞆で暮らす一住民として地域と関わってきたからだと思う。だからこそ、まちの人もさくらホームを受け入れ、同じまちの一員として接するのだろう。

今朝、燧冶で知世さんから聞いた「もともとあったものをできるかぎり生かした」という話が思い起こされる。
どんな地域にも、そこで培われてきた固有の文化や風土がある。そうした土地の文化を風土を大切にすることは、同時にその土地で営まれる人の暮らしを大切にすることでもある。なぜなら、暮らしはその土地の文化や風土に支えられ、また影響を受けながら成り立っているものだからだ。
もともとあったものを生かしながら、よりよい未来を目指してゆく。その先にこそ、100年先も続く「年齢を重ねても 障がいがあっても 居場所となるまち」はあるのではないか。
鞆のまちに滞在し、鞆の日常を垣間見る中で、そんなことを思った。

鞆の浦・さくらホームの高齢者介護事業に焦点をあてた記事はこちら
Profile
- ライター:椋本湧也
-
1994年、東京生まれ、京都在住。都内の出版社と家具メーカーでの仕事を経て、現在京都で出版社の立ち上げ準備中。書籍の編集や執筆、個人出版なども行う。著作に『26歳計画』『それでも変わらないもの』『日常をうたう〈8月15日の日記集〉』。
この記事の連載Series
連載:アトリエにおじゃまします
vol. 122024.10.10それぞれの心地よさを大切にするには? 「空と海」をたずねて
vol. 112024.09.03「何気ない自由」が尊重し合える社会をつくるには? 長野県上田市にある映画館「上田映劇」をたずねて
vol. 102024.07.10「何気ない自由」が尊重し合える社会をつくるには? 長野県上田市にある文化施設「犀の角」をたずねて
vol. 092024.06.26「何気ない自由」が尊重し合える社会をつくるには? 長野県上田市にある「リベルテ」をたずねて
vol. 082024.06.06ブドウ畑と醸造場があるところ「ココ・ファーム・ワイナリー」をたずねて
vol. 072024.04.25“失敗”を許せる社会になったらいい。自炊料理家・山口祐加さんとたずねる、手仕事とケアの福祉施設「ムジナの庭」
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