福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】机の前に座って、数人が縫い物をしているシーン。黄色の柱や梁が鮮やかな部屋は、左も奥も一面ガラスで暖かい光が差し込む【写真】机の前に座って、数人が縫い物をしているシーン。黄色の柱や梁が鮮やかな部屋は、左も奥も一面ガラスで暖かい光が差し込む

“失敗”を許せる社会になったらいい。自炊料理家・山口祐加さんとたずねる、手仕事とケアの福祉施設「ムジナの庭」 アトリエにおじゃまします vol.07

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まだひんやりと冷たい冬の空気に、春の陽射しが入り混じる2月半ば。私たちは、新宿駅から30分ほどのところにある武蔵小金井駅に降り立った。駅前のカフェやバスのロータリーには、平日にもかかわらず人がたくさんいて、「人々が日常を暮らす街」というのが第一印象だ。

今回、私たちがたずねたのは、駅から徒歩10分ほどの福祉施設「ムジナの庭」。日々通ってくる精神疾患や知的障害のある人々の、ケアと就労のサポートをしている施設だ。手仕事で作った商品の販売などをしながら、その後の就労に向けて、心と身体を整える場所。

少し歩いたところで大通りから小道に入ると、一気に静かになった。少し坂を下った先にある大きなお寺の、すぐ脇にある建物がムジナの庭だ。元は、建築家の伊東豊雄さんが40年以上も前に設計した住宅でもある。近隣のイチョウと柑橘の黄色からとったという明るい檸檬色の柱や看板が、細い小道のなかでふわっと明るい印象を与えていた。

【写真】住宅の並ぶ路地の途中に、黄色の看板が1つ置かれている

小道の向こう側から、ひとりの女性が歩いてくるのが見える。今回、一緒にムジナの庭を訪問しませんか、と声をかけた「自炊料理家」の山口祐加さんだった。昨年、精神科医の星野概念さんと『自分のために料理を作る――自炊からはじまる「ケア」の話』を出版した彼女が、同じく「ケア」の場であるムジナの庭をたずねて感じることを、聞いてみたかった。

「ケア」と「はたらく」、その両輪を模索しながら進んできたムジナの庭は、どんな場所なのか。「こういう就労支援施設には初めて来た」と話す山口さんと共に、少し緊張しながら敷地に足を踏み入れた。

【写真】建物の横の、緑が生い茂るスペースに2人の女性が立って向かい合っている
自炊料理家の山口祐加さん(左)と、ムジナの庭を運営する一般社団法人 Atelier Michaux(アトリエミショー)代表の鞍田愛希子さん(右)

就労への道のりに「ケア」がある場所

建物の中に入ってみると、その一軒家は想像していたよりも小ぶりで、ぎゅっと詰まった印象を受けた。おのずと物や人との距離が近くなる。それでも、嫌な緊張感はなかった。まず通されたのは入口近くの小さな部屋で、“メンバー”と呼ばれている利用者の方々が作った商品が並ぶ。みんなで木々を蒸留したミストや、イラストをベースにしたレジンアクセサリー、こぎん刺しや刺繍などの手仕事品がメインだ。

【写真】カラフルなイヤリングがペアで木の上に並ぶ
【写真】三角形の縫い物が入った透明な小箱がいくつも並ぶ。ヒノキ香るサシェ、の文字

「モノと向き合っていく『手仕事』という行為そのものに、心や身体を変えていく作用があるんじゃないかと考えています。例えば、木のブローチを作るときは、彫刻刀を触ること自体、久しぶりの人が多い。何十年ぶりに木をガリッと彫ってみる体験をすると、精神症状にコントロールを奪われてずっと閉じていた感覚にも、なにか開かれ直すものがあるみたいなんです」(鞍田さん)

さっそく施設長の鞍田愛希子さんにお話を聞く。植木屋やフリースクールの寮母などの経歴を経て、3年前に「ムジナの庭」をひらいた。彼女がおこなってきた植物とのふれあいやアロマカウンセリング、障害福祉分野の視点が複合的に混ざり合い、この場所は生まれている。

現在は40人ほどのメンバーが登録し、1日あたり15人前後が通う。精神疾患や知的障害がある人たちがメインだが、聴覚障害などを含む複数の障害が重なる人もいる。また発達障害に伴い、さまざまな困難を抱えてうつ病などの二次障害が出てしまった人もおり、心にも身体にもケアが必要な人が多いのが特徴だ。

居住範囲は幅広く、遠い人は神奈川県からも通っていたという。ムジナの庭に通うために、遠方から引っ越しを考えているご家族もいるそうだ。

【写真】動物の形をしたブローチを手でひっくり返している様子。よく見ると一つひとつ形が異なる
窓際に並ぶ、メンバーさんたちが木を彫って作った「ムジナのブローチ」

さまざまな背景を抱える人を迎え入れるムジナの庭。人々に「通いたい」と思わせるのには、鞍田さんたちが目指す「就労とケアの両立」が関係している。就労支援施設の多くは、もともと障害のある人の“居場所”としての機能を持ち合わせていた。しかし現在は、国の方針などから傾向が変わりつつあると鞍田さんは話す。

「施設運営の給付金も、以前は事業所ごとの利用定員数のみによって段階が決められていました。でも今、国は納税者を増やしたいので、より多く就職に結び付けたり、高い工賃を出せたりすることを重視するようになり、就労支援施設では支援力以上に企業経営力が求められてきています。もちろん、すぐに働きたい方たちの強力なバックアップになっているので良いことでもありますが、各事業所が平均工賃を上げるために、毎日通える人やより就職に近い人を選ぶようにもなっていました。ただ、就労スキルや職務経歴がすでにあっても、過去のつらい体験や心の引っかかりで、人のなかに入っていくのが怖くなっている方や、体調の波が安定しない方も少なくありません。そういう方々にとっても、自分でお金を得ることは何よりの回復や自信につながるので、働く練習と一緒にケアもできる場所を作りたかったんです」(鞍田さん)

実際にムジナの庭では、就労支援と同時にケアのプログラムも充実させている。「こころプログラム」としては、写真や音楽を通したアート制作などの活動や、「当事者研究」を通して自己理解を深める話し合いの場を開催。その一方で、ヨガやお灸、料理など実際に体を動かす「からだプログラム」も定期的に開かれる。

就労としての手仕事も、アロマ製品づくりやお菓子製造、庭の手入れなど幅広く、メンバーはその中で日々、自身の好き嫌いや得手不得手を発見していくという。

【写真】2月のカレンダー。2日に1回程度、何かしらのプログラムが入っている

「ここでは、“当たり前の生活を繰り返す”ことを大事にしています。ごはんを食べておいしいと感じるとか、昼間にしっかり活動して夜にちゃんと眠れるとか。その当たり前を長期間失っているメンバーさんも多くて、どうやってその習慣を回復させていくのか。どうすれば彼らは日常を維持していけるんだろう、とずっと考えています」(鞍田さん)

何度失敗しても帰ってこられるように

「ムジナの庭」が掲げるスローガンに、「何歳からでも、リスタートできる社会へ」というものがある。ここに集まる、障害によって就労も含めたありたい暮らしそのものを、手放さざるを得なかった人たち。彼らも必要なケアとサポートがあれば、何度でも起き上がりリスタートできるのだ、というメッセージが込められている。

もちろん、その回復に要する期間は人それぞれだ。障害や病気などで一般就労が難しい人たちをサポートする就労継続支援は2種類。A型は雇用契約を結ぶが、ムジナの庭のようなB型は契約を結ばないため、より柔軟な働き方ができる。また、就労継続支援施設は利用期限がないことが、鞍田さんにとっては大切だったという。

「B型の前段階として生活のサポートに特化した『生活訓練』や、逆により具体的な就職活動サポートをおこなう『就労移行』は、原則2年しか利用できません。私も以前、就労移行支援の現場にいたのですが、急いで障害者雇用に送り出した方々の症状が再発したり、トラブルになったりするケースも少なくありませんでした。だから、自分としてはまず最初にどうしても、その人に合ったペースを自由に選択できるB型事業所から始めたかったんです」(鞍田さん)

【写真】部屋の中で座って話す鞍田さん

リスタートできることを重視する背景には、今の「失敗」が許されない社会への危惧がある。それは、この日共に訪れた自炊料理家、山口さんも主張していることだ。料理を学びたい人に並走する「自炊レッスン」を行う山口さんもまた、家庭料理についてさまざまな相談を受けるなかで、人々が失敗を過度に避けようとするのを感じてきた。

料理の経験値が少ないうちはうまく自分の好きな味が作れず、買ってきたものの方がおいしく感じられることもあると思います。しかし、自炊の良さは味の善し悪しのことだけではありません。自分が手を動かして作ったことで得られるささやかな達成感、どうやったらおいしくなるかと考え工夫してみる楽しさ、手をかけたことがすぐに結果として表れ、食べてみて自分の好みかどうかを感じ、また次の機会に活かせること。これらの体験は自分で作ったときにしか得られないことです。

(『自分のために料理を作る』p.23より引用)

料理をしていれば焦げてしまったり、味付けがしょっぱくなりすぎたりすることもあります。そうしたら焦げた部分だけ外して食べる、水を足すかご飯と一緒に食べて調整するなどの工夫ができます。残念ではありますが、どうしようもないくらい食べられないものは思い切って捨てましょう。失敗を失敗として終わらせるのではなく、学びの機会だったと捉えて、どうすれば次上手にできるのかを考えてみると失敗にも意味があります。

(『自分のために料理を作る』p.334より引用)
【写真】鞍田さん、山口さんと思われる手の間に一冊の本。自分のために料理を作る、山口ゆか、星野がいねん

著書で山口さんは、料理のことを「良くも悪くも消えちゃうもの」だと言っている。たとえ失敗したとしても食べてしまえばなくなる。何度でも作り直せる。だから、失敗しても大丈夫。その考え方も、鞍田さんが持つ「リスタート」とリンクする。

「自治体によっては就労移行支援を何度も使えない場合があり、無理に就職した人がまた働けなくなったとき、まさに『リスタートの方法がない』という状況が起きてしまいます。職を失い、心が疲れた人たちにとっては、1回のチャレンジの重みが大きすぎると思って。山口さんも書かれてたみたいに、みんなにどんどん失敗してほしいから、何回でも入ったり出たりできる、いつでも帰れる場所としてこの事業所を始めました」(鞍田さん)

鞍田さんの説明を聞いていた山口さんも口を開く。

「私は、こういう場所があることを全く知らずに生きてきました。高校や大学を卒業したら就職して、不調になったら休んで、治ったら復帰する……みたいな道しか想像したことがなかったな、とお話を聞きながら考えていました。でも、なかなか復帰できなかったら? みんながみんな、仕事を辞めたり実家に帰ったりできるわけじゃない。そうすると、どうしても無理してしまうんじゃないかなって。ムジナの庭のような場所があること、もっと義務教育とかで教えてほしいと思いますね」(山口さん)

【写真】上着を着たまま、座って話す山口さん

「いつでも帰れる場所」としての事業所のあり方は、どんなふうに作られているんだろう。話し込んでいるうちにお昼の時間になり、まずはメンバーのみなさんの昼食に混ぜてもらった。鞍田さんの後について、いい匂いのする2階にあがると、大きな窓からたっぷりの光が入るキッチン&ダイニングが現れる。

「キッチンに大きな窓がある家ってあんまりないんですよね。いいなあ。ここに住みたい」(山口さん)

山口さんがそう言うのを聞いて、たしかにここまで陽を浴びながら料理をしたことがないと気がつく。すでにごはんを並べ始めていたメンバーさんたちに挨拶をして、空いた席に座っていく私たち。まもなく、山口さんが「フライにタルタルソースいる人〜? かけちゃうよ〜」と各テーブルを周り始める。

その光景はまるで大きな家族のようで、“帰ってくる場所”の安心感があった。

【写真】1人分の昼食。赤飯、魚のフライ、漬物、千切りキャベツが乗ったプレートと、具だくさんの汁椀
【写真】メンバーさんたちに混じって昼食をいただく山口さん
【写真】明るい窓際、時計のそばに蒸留装置が置かれている

隣同士で手を動かす、だから自分がわかる

昼食のあと、山口さんと一緒に手仕事の体験をさせてもらった。作るのは「へそピロー」と呼ばれるもので、へその周りを温める養生方法「へそ灸」のアイディアをもとに、鍼灸師のスタッフを中心に考案したものだそう。今ムジナの庭には10名のスタッフがおり、福祉の経験の有無もそれぞれ。カフェ勤務やイラストレーターとの兼業の人もいて、ものづくりの経験や興味のあるスタッフも多いという。

【写真】毛糸の球がついたお手玉のようなものが、透明ケースに入って机の上に置かれている

最初に、雑貨担当のスタッフさんに手順を説明してもらう。藍染の布を袋状に縫い、中にお米と塩とヨモギを入れて閉じていくらしい。お手玉と同じ要領だ。

みんなで同じテーブルに座り、それぞれ作業を進めていく。筆者(ウィルソン)はある程度慣れた手つきでざくざくと。隣に座った編集者の佐々木さんは久々に持つ針や糸と格闘しながら。そして向かい側に座っている山口さんは、ものすごい集中力で黙々と細かく針を進めていた。

ただの布が、糸を通すことによって袋になる。そこにヨモギを注ぎ込むとき、無意識のうちにすうっと深呼吸をしていることに気がついた。手を動かして何かを生み出す、そういう時間は日常の中で思ったよりも大きな価値があるのかもしれない。

調理工程で感じられる五感からの刺激や、変化していく鍋の様子にこそ料理の面白さがあります。食材を触った指先の感覚、吸い込みたくなるような香り、ジュージューと焼ける音。こういった料理をしている間に起こる変化は、料理している人だけが感じられる体験です。(中略)野生動物にでもなった気分で、五感を研ぎ澄まして料理すると「生きている実感」がじわじわと感じられる気がするのです。食材と触れ合っているだけで、なんだか一人じゃないような感じがします。

(『自分のために料理を作る』p.332より)
【写真】机の前に座って、数人が縫い物をしているシーン。黄色の柱や梁が鮮やかな部屋は、左も奥も一面ガラスで暖かい光が差し込む
【写真】縫い物をしている山口さんの手
【写真】縫い終わって、こちらに笑顔を向ける山口さん。向こう側に別の作業をしているメンバーさんの姿も見える

へそピローが完成したあと、それぞれの感想を共有した。

モノを作る楽しさを言葉にしながらも、一番時間がかかっていた佐々木さんは「思ったよりも横にいる人が気になるんですよね」と振り返った。その「横にいる人」とは筆者のことで、私自身は「自分の進みの速さが周りにプレッシャーを与えていないだろうか、歩みを揃えるべきだろうか」と少し不安だった。やりとりを受けて、鞍田さんが頷く。

「同じ作業を『いっせーの』で一緒にやってみると、他の人のスピードや針の刺し方、仕上がりの形なども気になりますよね。それはメンバーさん同士でも日々起こっています。急に自分の中で、『これぐらいはできなくちゃ』とルールが勝手にでき始める。でも、それって実際働いていくときも含め、日常のさまざまな場面で起きていることだと思うんです。こういうちょっとした作業でそこに気づくことが、自分が何に引っかかって、何を大切にしたいか考える機会になればと捉えています」(鞍田さん)

その意味で、何を大切に作るかが明確だったのが山口さんかもしれない。ほとんど誰とも話さず、集中して作り上げたへそピローを触りながら「きれいにできた」と嬉しそうだった。

「料理だと、野菜の千切りも結構好きなんです。きれいにできたときに自分の中で達成感がある。鞍田さんの言うルールの話、わかります。料理教室でも『どうやったら速くきれいに切れるようになりますか』とよく聞かれるんですけど、私は『ゆっくり切ってください』と伝えるんですね。SNSなどで他人と比べて、あのくらい速く切らなきゃ、と勝手に決めている人が多い気がします。『ゆっくりでいいよ』って、誰も言ってくれないんですよね、たぶん」(山口さん)

比べそうになってしまったら「比べなくても大丈夫。いい感じで作れていたらそれで全然オッケー」と言い聞かせてみましょう。自戒を込めて書いておきますが、人と比べて自分を否定してもいいことなどないと思います。自分は自分、他人は他人。人はさほど自分のことを気にしていません。

(『自分のために料理を作る』p.338より)

他人は他人。山口さんの言うとおりだと思っていても、やはり横並びでの作業は比較につながりやすい気がする。人が集う就労の場では、どういう心持ちでいることが大事なのだろう。

「どうしても気になる場合は場所を変えて、他の人が視界に入らないようにするのも手です。不快な場面から逃げるのも重要な手段。ただ、少しだけガマンしてその場に留まってみると、人によって求めるものが全然違うことを知る段階が訪れる。その瞬間をそれぞれが体感できることも大切だと思うんです。綺麗にしたい山口さんがいたり、スピードを上げたい佐々木さんがいたり、輪を乱したくないウィルソンさんがいる。そういったそれぞれの生き方って、普段だったら見逃してしまうものかもしれないけれど、ここではそれを捕まえてほしい。それだけで生きやすくなるし、働き続けるためのヒントにもつながるんじゃないかと思うんです」(鞍田さん)

ネガティブな感情が出てきてしまうことも承知の上で、鞍田さんはあえて一緒に作業する環境を作っていると話す。彼女の心の内にあるのは、メンバーさんたちに「変化を生むこと」なのだ。

【写真】緑の植物に黄色い実がついている
「ムジナの庭」の裏手にある小さな庭には、もともと植えてあった果樹、鞍田さんたちが持ち込んだハーブなど、たくさんの植物がある。四季折々で異なる姿を見せる庭の手入れをし、そこから毎年新しい商品を生み出していくことも、施設の大事な活動になっている

補助輪が外れて走り出せるように、人の可能性を信じて

「個別ブースをたくさん作って、最初からそれぞれ1人で作業してもらったほうが集中しやすいかもしれない。でも横に誰かがいるからこそ起こりうる劇的な変化がなくなっちゃうのは、すごくもったいないことだと思います。一緒にいるから生まれる、争いや擦れみたいなものも大事にしたい。人って、どこかでそれを期待して生きているところもあるような気がするんです」(鞍田さん)

だから「ムジナの庭では、何事も決めつけないようにしている」と、鞍田さんは真っ直ぐに続けた。例えば、縫い物がうまくできずにしんどくなった人が、キッチンの作業では得意を見つけて輝き始めたり。苦手な作業を丁寧に隣の人が教えてくれて、怖いと思っていた人の優しさに触れることができたり。

そういった中から、人は自らの新しい側面を見つけたり、他人との距離感を変えたりする。得意不得意や価値観の違う人たちが同じ場で出会うことで、互いを補い、成長しあえるという考え方は、植物を育てる際の「コンパニオンプランツ」(別種を近くに植えることで助け合う役割を持つこと)に近いと鞍田さんは捉える。

「庭の手入れとも共通していますが、手をかけすぎず、場の力に委ねるんですよね。そうすると、あちこちでいつの間にか助け合いやトラブルが起き、それぞれが抱えている根っこの深いストレスが見えてくることもある。さらに、そのストレスに対処できるぐらいに自然と変化していくことすらあって、私たちは、場そのものが持つ可能性を信じている。ピンチにはもちろん駆けつけますが、その人自身の気づきや変化を妨げないような距離を保ちながら関わるようにしています。人とのつながり方も大切ですが、物や場とつながる力も持てれば、その人の可能性はさらに広がると考えているんです」(鞍田さん)

【写真】秤でヨモギの葉の量を測っているメンバーさん

「ケア」と聞くと、何か柔らかいもので包み込むような優しい印象がある。この日、鞍田さんの話を聞くまでは、ネガティブな感情が生まれてこないよう衝突や葛藤を避けることなのかと思っていたが、どうやら違う。むしろ大切にしているのは、何かを抑えたり避けたりするのではなく“しっかりと見る”ことだった。

例えば、人と一緒にいると、ついつい自分と他者を比べて劣等感や疎外感、妬みなどが生まれてくる。そういった感情を、世間では「怒るなんてダメ」「アンガーマネジメントしなければ」と言われることも多いが、ムジナの庭では「私の怒りはどこから来るんだろう」と丁寧に振り返る。ネガティブな感情に向き合い、うまく昇華できるよう鞍田さんたちが手助けしているのだ。

「通常、就労を目指していく場合は『怒りをコントロールしないと就職できません』と抑える方向に向かうことが多いと思います。私たちは、誰かが怒り始めたら『何を怒ってるの?』と、興味を持ってどんどん深めていく。同じ場面でいつも怒りが出てくるのか、相手が違えばどうなのか、など質問しながら、感情の精度を高めて見ていくんです」(鞍田さん)

じっくりと観察するのは、心と身体の両方だ。ムジナの庭では毎日、メンバーに「心と体のメーター日記」というものを記入してもらう。今、疲れているのは体なのか、心なのか。そこを切り分けて観察することで、「自分の状態」をさらに俯瞰して見られるようになるのだという。

【写真】心と体のメーター日記、と書かれた紙。毎日の調子や気持ちを書けるようになっている

鞍田さんの話を聞き、山口さんが何度も頷く。自身の経験と重ねながら「人からは大したことないとされることでも、自分がムカつくことは『ムカつく』って言ったほうが本当はいいと、私も思ってるんです」と話した。もちろん、それが難しい人が多いことを山口さんも鞍田さんもよく知っている。少しでも吐き出しやすくするには、即効性も大事だと鞍田さんが続けた。

「本当に重大なことですら『大したことない』『受け流せばいいのに』って言われて傷ついてきた人たちがいっぱいいるんですよね。ムジナの庭では、毎日全員がその日の振り返りをして、その日に感じたネガティブな感情はすぐに出す、というのを大切にしています。『その日の疲れをその日のうちに』って入浴剤のCMみたいですけど(笑)」(鞍田さん)

「めちゃくちゃ大事だと思います。あと私は、『人に迷惑かけて生きればいい』とも思うようにしているんですね。やっぱり『性格がいいと思われなきゃ』というプレッシャーはすごくあって、黒いドロドロした感情を抱えそうになっても、そういう自分でいちゃいけないんだと思っちゃうから。私はムカつくことがあったとき、すぐに夫に電話して聞いてもらっていますよ」(山口さん)

ネガティブな感情も、信頼できる誰かにはすぐ吐き出せるようにしておく。そうやって昇華していくと、人はどんなふうに変わっていくのだろうか。

「まず、傍から見ていてもわかるほど、表情や身体のこわばりが取れていきますね。他にも、朝起きられるようになったり、『働けるかも』と前向きな感情に移行したり。ムジナの庭へ来てくれる方は、もともと働ける方が多いんですよね。本来、スキルも職場で経験しながら身につけていけるはず。けれど、失敗への怖さや新しい環境への不安、過去のネガティブな記憶が足枷になって、身動きが取れなくなっている。それらを一緒に見つけて取り除くだけで、『やれるかも』ってリスタートへの気持ちが自然と湧き起こってくるんだと思います」(鞍田さん)

【写真】ムジナの庭の2階から1階を階段越しに見下ろす。白基調だが、柱や手すりは黄色

まるで自転車の補助輪が外れるみたいに、と鞍田さんは言った。無理矢理に押したり、坂道を走らせたりしなくていい。もしもの時は誰かが後ろから支えててくれると感じられれば、安心して自分でこぎ出せるようになる。鞍田さんは「ムジナの庭」で、そういう人たちを見てきたのだ。

“当たり前の日常”から人は回復していく

取材中、隣の部屋で作業をしているメンバーさんたちのおしゃべりは尽きない。ときどき、ドッと笑い声が響くこともある。作業中に話すことについて「止めないし、むしろ推奨している」と鞍田さんは言う。

「お互いに気を遣いあう表面的な会話も多いですが、その中で『本当の言葉』が出てくる瞬間もあると思うんです。ふとした瞬間に、本人すらも自分を発見することになるので、言葉を止めないっていうのはすごく大事だと考えています」(鞍田さん)

料理することが当たり前になると少々つらくても、面白くなくても、何となくやり過ごせてしまいます。だからこそ、自分が今料理について何を感じているのかを言語化し、誰かに話す機会は人を変えるのだと感じています。何でもない日の、誰かに喋ったこともない普通のご飯の話はもっと話題にされてもいいはずです。

(『自分のために料理を作る』p.327より)

「本当の言葉」を促す環境が、ムジナの庭にはたくさんある。作業中の何気ない雑談だけでなく、スタッフとお散歩しながらの面談だったり、毎日の振り返りの時間だったり。この日長時間滞在していても誰がスタッフで誰がメンバーなのか結局よくわからなかったけれど、そんなフラットな関係性も一つだろう。みんなで話すときには、できるだけ“とんち”を効かせたり、気持ちが軽くなるような方向性も意識しているという。

「例えば、過去に人から八つ当たりのように言われた『君』という言葉がいつも頭の中で聞こえてくる、と訴えていたメンバーさんがいました。今度また『君』と聞こえてきたらどうするか、を当事者研究でみんなで考えているうちに、映画の『君の名は』の話になって。頭の中で『君』って聞こえたら、『の名は』って呟き返して、主題歌の『前前前世』(RADWIMPS)を脳内で流そう!とみんなからアイデアが出たんです。そうしたら、その子からの相談が急激に減りました。怖いという感情をなくすことはできないから、どう転換させていくか。面白く笑えれば、気持ちも軽くなって消化されていくと思うので」(鞍田さん)

ムジナの庭にいると、「誰かと一緒にいること」そのものが人に与える影響を考えずにはいられない。私たちは苛立ったり傷ついたりしながらも、回復すら人との関係性の中でおこなっていくのかもしれない。その日々の中に、誰かと働くことも、誰かと並んで作る料理や向き合って食べる食事もある。

【写真】ムジナの庭、と手書きで書かれたロゴプレート

「ムジナ」とは、動物のアナグマの別名なんだそうだ。彼らは名前の通り、穴を掘って暮らすのだが、面白いのはその穴にキツネやタヌキなどの他の動物が住んでも追い出さないこと。自分たちが掘った巣穴に、分け隔てなく他を受け入れる。その寛容さがムジナの庭や鞍田さんにぴったりの名前だと思った。外の嵐から避難させてくれるような安心感に、人々はまた野に出ていく力をもらえるのではないだろうか。

巣穴の中で、みんなで一緒にごはんを食べる。嫌なことがあったら吐き出して、楽しいことで笑う。そういう“当たり前の日常”を繰り返しながら、少しずつ前を向く場所として「ムジナの庭」は存在している。

【写真】庭に立ち、こちらを向く山口さんと鞍田さん

(アトリエ訪問を経て、山口祐加さんと鞍田愛希子さんには、「本当の自分の心の声を聞く」をテーマに対談もしていただきました)


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