福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

【写真】リベルテの拠点の一つ「roji」の前に立つ、むしゃさん、つくださん、ひょうさん【写真】リベルテの拠点の一つ「roji」の前に立つ、むしゃさん、つくださん、ひょうさん

「何気ない自由」が尊重し合える社会をつくるには? 長野県上田市にある「リベルテ」をたずねて アトリエにおじゃまします vol.09

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「自由」という言葉にどんなイメージを持っているだろう。「誰の指図も受けずに好きなことをできること」または「人のことを気にかけずに思いのままに振る舞えること」だろうか。「自分の行動に自分自身で責任を持つこと」と考える人もいるかもしれない。

伸びやかなイメージを持つ一方で、SNSでは「表現の自由」や「言論の自由」を盾に、誰かを傷つけるような投稿を正当化している場面を目にすることもある。

「自由」は、私たちを受け入れてくれる大きな器であるはずが、ときに異なる立場の誰かを窮屈にさせてしまっているようにも感じる。ひとりひとりの「自由」を尊重しながら、共にある場や社会をつくることはできないのだろうか。

長野県上田市にあるNPO法人リベルテ。「自由」という名前を法人名に冠したこの福祉施設の設立趣旨には、「何気ない自由」という言葉がある。

街を歩くその先々で眺める風景や、ふと手にとったペンで描く線や形、または自分の何気なく選んだ今日の服装も、大切な個性や自己決定であり自由です。私たちリベルテは障害のある方たちと、そんな「何気ない自由」や「権利」を尊重していける社会や人、関係づくりを行っていきます。

ここで言う自由とは、「好き勝手に思いのままに振る舞う」という「自由」とは少し異なっているような印象を受ける。リベルテが大切にする「何気ない自由」とはどういうことだろう。そして、「何気ない自由や権利」が尊重し合える場をつくるために、どんなことを実践しているのだろう。

そこにはもしかしたら私たちが「自由」でありながら共にいる社会をつくるためのヒントがあるかもしれない。問いを携えて、リベルテをたずねた。

リベルテと共に上田をたずねる街歩き

まだ少し肌寒さを感じる春の始まりの朝。JR上田駅で集合した取材チームが向かったのは、リベルテが運営する施設のひとつ「tonー屯ー」。

古くからある喫茶店やカメラ屋さんなどが残る、どこか懐かしい上田の街並みを眺めながら歩く。10分ちょっと歩くと現れたのは、エメラルドグリーンの壁がかわいらしい建物だった。

【写真】tonの外観。壁がエメラルドグリーンの色に塗られている

「こんにちは」中に入り、出迎えてくれたリベルテ代表の武捨(むしゃ)さんにご挨拶をする。室内には、続々と人が集まってきた。ガラス窓の向こうから長い棒状のオブジェを持ってきてこちらに歩いてくる人の姿も見える。「向こうのアトリエから“まとい”を持ってきてくれてますね」。

【写真】窓ガラス越しに、まといを持って歩いてくる人がいる

みんなでひとつの円を作り、自己紹介をした。一通り名前を伺ったが、それぞれの立場や役割は曖昧なまま、一緒に街へと歩き出した。

リベルテは、2013年4月に設立したNPO法人だ。障害のある人がアート活動を行うアトリエ「スタジオライト」を市内4箇所で展開し、メンバー(リベルテでは利用者をこう呼ぶ)がつくったアート作品やグッズ、クッキーなどの販売を通して、福祉を地域へ開いていく試みを行ってきた。

また2021年から「路地の開き」という文化と交流の事業も行っている。初年度はアトリエのひとつ「roji(路地)」の庭を、メンバーと地域住民が一緒に公園として再生する取り組みを行った。続く2022年度は、「roji」からシアター&ゲストハウス〈犀の角〉までの1キロ強の道のりをパレードするイベントを開催。通りすがりの人にドライフラワーの花束を手渡し、地域の人との偶然の出会いや交流を試みた。

2023年度の取り組みは「リベルテと世界を結ぶ街歩き」。これから私たちが体験する街歩きは、このイベントから生まれた上田の街をめぐるルートのひとつだ。イベント当日は、4つのルートに分かれて参加者が街歩きをし、ゴールすると、リベルテの田んぼで育った米で作られたおむすびをみんなで一緒に食べた。「結ぶ」のは街とリベルテでもあるし、人と人でもあるし、おにぎりを握ることも指している。

これまで、メンバーと地域の方が交流する場面を様々な場所で生み出し、福祉施設と地域の境界線を曖昧にしていくということに取り組んできたリベルテ。

「メンバーとスタッフと街歩きをしながら地域との関係性なども見てもらえると、リベルテの取り組みの全体がわかりやすいかもしれません」と武捨さんにお声がけをいただき、私たちも街歩きに参加させてもらうことになったのだ。

「トイレ」を探しながら見えてきた、街と人との関係性

今日歩くコースは、今回案内をしてくれた、最越あるとさんが個人的にマッピングしていた、上田駅からリベルテにくるまでにトイレを借りられる場所を元に作られた。名付けて「下的(しもてき)セーフティネットルート」。

出発するときに、「好きなものを持って歩いてください」と声を掛けてもらう。棒状のオブジェ「まとい」は、街歩きイベントで各コースのシンボルとして制作したものだ。私は大きな花の形のオブジェに水色のすずらんテープの飾りがフサフサとついたものを選んだ。持って歩いているだけで、お祭りの行列にいるような気分になる。

最越あるとさんの案内で、リベルテのスタッフ、メンバー、取材チームが一緒になって歩き始める。と書いたけれど誰がメンバーで誰がスタッフなのか、よくわからない。

「この薬局でトイレを借りて、お礼に歯ブラシを買いました」ツアーコンダクターの最越あるとさんは、具体的なエピソードを交えながら、スポットを案内してくれる。

途中にあるコンビニの横で止まると、「ここは一番よく利用する場所です。駅とリベルテのちょうど途中にあって助かってます」と教えてくれた。トラックの運転手などが休憩している姿も見かけるそう。なるほど、コンビニは街のセーフティーネットとしての役割もあるのかもしれない。

歩きながらおしゃべりをする。「この喫茶店はミルクセーキがおいしい」「この近くには自分の家がある」「ここではあの人に会ったなあ」そんな話を聞いていると、上田の街がどんどん色付いていくように感じるとともに、街で暮らすその人の姿が立ち上がって来るように感じた。

途中であんかけ焼きそばのお店の前に立ち止まる。上田名物・あんかけ焼きそばのお店は街のいろんなところに点在していて、どのお店が好きかは好みがあるらしい。そんな話をしていると、ガラガラっとドアが開き、お店の方が出てきた。「何やってるの?今日はお祭り?」「福祉施設なんです。今日は町歩きをしていて」「いいね!僕も今度混ぜてよ」お店の方はそう言うと、笑顔で見送ってくれた。

商店街を歩くと、「市民トイレ」の看板を見つけた。まだ最越あるとさんも訪れたことがないトイレだそう。ここならトイレを堂々と借りられますね、と盛り上がる。

「授乳・おむつ替え 赤ちゃんステーション」の看板を出しているお店も発見した。「もっとこういう看板が広がったらいいですね」。自身がトイレを借りられる場所をマッピングしていたことを起点に、様々な人が用を足したり、休憩したりできる場所へと視野を広げる最越あるとさん。共に歩くことで、私も新しい虫眼鏡を手に入れたように、街の見え方が変わってきた。

街中に点在する、3つのアトリエを訪ねて

「屯」へ戻り、歩いた感想などを伝え合う。ちょうどお腹が空く時間になった。間もなく地域に開かれた4つ目の拠点としてオープンする、食堂「屯」のメンバーさんが作ったランチをいただく。この日のメニューは厚揚げときのこのあんかけ。できたての温かいご飯が嬉しい。

【写真】テーブルに置かれたランチ。厚揚げときのこあんかけ

食後は、マッサージを得意とする最越あるとさんのお誘いに甘えて、取材チームは順番に肩をもんでもらった。「だいぶ固いですね」そう言いながらもみ方を調整してくれる。ゴリゴリに固まった肩がほぐれ、スッキリした。最越あるとさんにお礼を告げて、上田の町中に点在するアトリエを訪ねた。

アトリエのひとつ「丸堀」では、先程街歩きを共にしたおしゃれなマサシさんが、ミシンを使って一面に刺繍をほどこしたジャケットを制作していた。好きな俳優に着てほしいと思って作っている、と少し照れながら教えてくれる。

ミシンで刺繍をほどこしているマサシさん

イラストが得意なナナミさんは、ファイルに保存されたたくさんのオリジナルキャラクターたちを見せてくれた。病気を患っているという設定で、病気について調べたことなどもノートにまとめている。

【写真】テーブルの前に座りイラストを描くナナミさん

「柳町」(通称:新棟)には、壁に貼られた模造紙の一面にダジャレが書かれている。「やくみつるが薬味釣る」「プリウスの中で食べるプリン薄っ!」などのダジャレに思わずぷぷっと吹き出してしまう。

階段を登って2階に行くと、宮本夏輝さんに名字を聞かれる。答えるとすぐに、「たしかあの県にあったはず」と私の名字と同じ信号機がある都道府県を教えてくれた。信号機の看板が好きで、頭の中にデータベースがあるのだそう。

それぞれの表現に驚いたり、心動かされたりしながら楽しんでいるうちに、あっという間に最後のアトリエ「roji」に到着した。

「コーヒー淹れるけど、飲みますか?」と声を掛けてくれたのはジョニーさん。ありがたくお願いする。

「roji」の畳の上に腰掛けながら、一日を振り返る。なぜだか、福祉施設を訪ねた、という印象よりも、最越あるとさん、マサシさん、ナナミさんなど、ひとりひとりの人に出会った、ということをより強く感じた。一緒に町歩きをした、ご飯を食べた、マッサージをしてもらった、作品を見せてもらった。上田の街を歩き、街中に点々と開いているアトリエを覗き、ひとりひとりに出会った。

私自身が一日の中で受け取ったものを味わいながら、リベルテ代表の武捨和貴さん、スタッフの佃梓さん、馮馳さんにお話を伺った。

その人が選んだことを大事にする。リベルテが掲げる「何気ない自由」とは

リベルテ代表の武捨さんは上田出身。大学卒業後に長野県上田市にある社会福祉法人かりがね福祉会「風の工房」で障害者のアート活動のサポートに8年間携わった後、上田に戻り、リベルテを立ち上げた。現在は地域に様々な居場所や新しいお店が立ち上がっている上田だが、当時は商店街がどんどん寂しくなっていくような状況で、何か街中で面白いことをしたいという思いがあったと話す。

武捨和貴さん(以下、武捨):町の中で、民家を開けたらたくさんの人が絵を描いているアトリエがある。それって面白いしワクワクするなって。福祉施設に通うんだ、というより、絵を描くんだとか、友達に会いに行くんだ、というような感覚で来られる場所があったらいいなと思ってスタートしました。

リベルテ代表 武捨和貴さん

法人名の「リベルテ」はフランス語で「自由」を意味する。由来となっているのは、フランスの詩人ポール・エリュアールの詩「Liberté 自由」、またそれを元に描かれた一冊の絵本『自由 Liberté 愛と平和を謳う』(詩:ポール・エリュアール 訳:こやま峰子、2001年)だ。

ぼくの 大切な ノートに
机に 木々に 砂に
そして雪のうえにも
ぼくは きみの名を書く

そう始まるこの詩は、日常のもの、風景、目に見えるもの、見えないもの、あらゆるものの上に「きみの名を書く」と繰り返す。そして最後のページで何度も現れる「きみ」とは“誰”なのかが明かされる。

そして ひとつひとつの言葉の力で
ぼくは もう一度 人生に立ち向かう
ぼくは きみに出会うため うまれてきた
ぼくは きみの名を書き記すために

自由という名を

実はこの詩は、第二次世界大戦中、フランスがナチス・ドイツに占領される中で発表されたものだ。レジスタンス運動に参加していた作者・エリュアールのこの詩は、空軍の飛行機からフランス全土に撒かれた。

柔らかな手触りのある詩でありながら、反骨精神もある。そんな「自由」という詩の背景も踏まえながら、武捨さんは設立趣旨の中で、「『何気ない自由』や『権利』を尊重していける社会や人、関係づくりを行っていきます」と語る。自由の前に「何気ない」と付いているのはなぜだろう。

武捨:自由を大事にしたいと思う一方で、自由って対立にもなりやすくなるんだろうなと思っているんです。自分にとっての自由が、相手からすると制約だったりすることもありますよね。それは正義対悪のような、二項対立を生みやすい。だから、大きな自由を掲げる前に、もっと手前の、自分のこととして何が大切かを感じることが、自由や正義というものへのアンサーになるのかなと思っています。

特に障害のある人たちは選択肢がないとか、社会で置かれている状況によって立場が弱いということが起こりがちだと思うんです。でも、その人が選んだことを大事にしていけるといいなという思いで「何気ない自由」について書きました。

すべてを説明してしまわずに、読む人にある程度委ねることができるーーそうした散文詩のあり方を、「支援する側/される側」に留まらない、リベルテが目指すケアのあり方とも重ね合わせている。

武捨:メンバーが考えていることや言ったこと、福祉では「自己決定」や「意思決定」と言われるようなことですが、もう少し肌感覚で、例えばこういうのを着たら気持ちいいなとか、こういうのを食べたら美味しいなとか、何気ないことを大切にすることで、スタッフとメンバー、お互いの余白も出てくるように感じています。

悲しい気持ちや落ち込んでいることを、支援者がなかったことにしない

「何気ない自由を大切にする」と言葉にするのは簡単だが、たくさんの人が集う場所で、ひとりひとりの自由を尊重するには、地道な実践の積み重ねがあるのではないだろうか。スタッフは何を感じ、日々どのようなことを心がけているのだろう。

リベルテのサービス管理者として働く佃梓さんには、街歩きからランチ、そしてアトリエの案内まで一日を共にしていただいた。街歩きでは「ここはどうやって見つけたの?」「このトイレは使ったことある?」などと最越あるとさんへ声を掛け、佃さん自身が面白がってお話を聴く様子が印象的だった。

佃梓さん(以下、佃):「ここにトイレが見つかって」とか「あそこの人とこうやって挨拶する」など、その人が町でどう暮らしているかということや、町で起きていることの中にいろんなヒントがあるし、その人らしさもありますよね。

【写真】インタビューに答えるつくださん
佃梓さん

そう語る佃さんは、神奈川県出身。ご両親の仕事の関係で、幼少期より障害のある方たちに囲まれながら過ごしてきた。地域医療に興味があり、通所や訪問などを行う規模の大きな病院で精神科の作業療法士として勤務。しかし、「地域医療」を謳いながらも、個人の症状が住んでいる環境や社会から切り離されてしまう状況に違和感を感じ、病院を退職した。

その後様々な場や実践を見て歩き、たまたまたどり着いた上田で、たまたまリベルテの求人を目にし、働くことになる。そこでは「自分自身が当たり前と感じていたことが大事にされていた」と佃さんは言う。

佃:お互いが「スタッフだから」「メンバーだから」という枠にとらわれない、一方通行ではない関係性があり、それがさらに町に対して開かれている。そこには私の求めていた「当たり前」があったんです。探しても探してもないと思っていたものが、探すのを諦めたらちょうどここにありました。

入職して7年目。アトリエで絵を描いたり、グッズを作ったりと、カラフルでポップな表現をしているリベルテだが、さまざまな事情を抱えているメンバーも多くいるという。その中で、佃さんは何を大事にしているのだろうか。

佃:すごく大事にしたいなと思っているのは、メンバーが悲しい気持ちになったとか、誰かと摩擦が起きたとか、失敗して落ち込んでいるってことを、無理にないことにしない、ということです。

そういう場面に立ち会っていると、相手が悲しまないようにとか、怒らないようにと表面を撫でつけておさめたくなってしまうことがある。でも、人が集まる福祉施設という場だからこそ経験できることがあるんですよね。これまで何十年も家族としか関係がなかったというメンバーもいる中で、ヒリヒリしながら挑戦するとか、「それは嫌だ」って言うとか、その人にとってすごく豊かな経験なんです。

落ち込んでいる人を見て共感したり、励ましたりすることはあれど、なかったことにしたり、良かれと思って道に転がる石ころをどけるようなことはしたくないと言う。その人の体験を奪わないこと、それも「何気ない自由」を尊重することにつながるのかもしれない。

様々な人がいる中で、ときには誰かと誰かが喧嘩した、怒ってなにかを壊した、など、問題が起こることもある。そのときに、リベルテでは、個人の「何気ない自由」を尊重しながら、どのように問題を解決するのだろう。

佃:問題が起きたときに、どこに落としどころを見つけるかは、正解がないんです。その時に立ち会った人たちの中で、あの状況だったらこうかなみたいに、一旦答えをどこかに置いてみるっていうことしかできなくて。もう一回眺めてみて、それだと心地が悪い人がいるよねってなったときに、じゃあ次はここかな、と置き直してみる。その積み重ねでしかないですね。

リベルテではこれまで福祉の仕事をしてこなかったスタッフも多く、自分が知らないだけでどこかに「正しい支援の方法」があるのではないかと答えを求められることも多いという。

佃:でも、やっぱり答えは、メンバーさんと関係性を作っているその人との間でしか見つからないんです。横にいる私が何かアドバイスしても、ちょっとずれていってしまうんですよね。私とあなたの関係だからここだよね、というところに置いてみるしかない。そのモヤモヤするプロセスも一緒に体験するということが大事なんだろうなと感じています。

リベルテで生まれるたくさんの「宇宙」

リベルテのクリエイティブに携わっているスタッフは、馮馳(ひょうち)さんだ。リベルテに来る前は、美術系大学の助手を務め、障害のある人と身体パフォーマンスをするプロジェクトに参加していた。現在はリベルテでアーカイブ写真、映像などを担当しながら、メンバーの表現のサポートをするなど、現場でも働いている。

馮さんは、アーティストとして、自分と他者の関係性に興味を持ちながら作品制作をしてきた。日本列島を海岸線沿いに一周し、旅先で出会った人と互いに写真を撮影し合うことを通して、作品づくりを行ったこともある。自分と他者、内側と外側、その間を行き来するようなことをテーマにしているからこそ、内側の取り組みを外に開いてきたリベルテには、自分自身の探究心も重ねながらいる。

馮馳さん(以下、馮):大学で助手をしていた頃に、「日本の若者、特に美大の学生は自分らしさを求めている人がすごく多い」という話になったんです。でも、自分自身の身体や、話している言語、日本語や私の母国である中国の言葉であっても、歴史や記憶がたくさんあるから、自分自身では解釈できないところがある。私はそういう意味で自分だと思っているものは全部他者だし、自分らしさというものはひょっとしたらゼロまたはマイナスぐらいかもしれないと思っているんです。

【写真】インタビューに答えるひょうさん

自分自身という存在でさえ、わかりきらないもの、曖昧なもの、と捉えている馮さんの目には、リベルテはどのように映っているのだろうか。

馮:リベルテにはいくつもの宇宙があるんです。「原因があって結果がある」というようなことではなく、もっとぐちゃぐちゃしたカオスなもののイメージですね。

そもそもアトリエが棟に分かれていますよね。それがもうリベルテという次元から分かれた宇宙のような感じがあります。それぞれの宇宙が日々爆発して、また何か小さな宇宙が生まれたりしている。メンバーやスタッフのちょっとした動きで宇宙が爆発して、また異なる方向に動いていく。僕はスタッフというよりも、そこに身を置いて爆発を花火のように楽しんで見ている人でもあるし、たまに火の粉がこちらに飛んでくる人でもある。そしてたまには火を付ける人でもありますね。

基本は後手で、それに対して先手を打つ

プロセスを共に体験する大切さを感じる佃さん、自分と他者との関係性というテーマを持って関わる馮さん。それぞれのあり方から、わからないものをわからないままにしながら眺め、そこに身を置き、面白がる姿勢を感じた。

「ケアする/ケアされる」にとどまらない、何気ない自由や権利を尊重し合える環境を、スタッフとメンバーと一緒になってつくっていくために、武捨さんはどのようなことを意識して環境作りを行っているのだろうか。

武捨:僕個人の役割としては、「後手先手」ということを意識しています。代表という立場だから発信が多かったり、先に何か提示しているように見えることもあると思うのですが、感覚的には基本的には後手で、それに対して相手の視点を取り入れようという意味で先手を打つということが大事だなと思っています。

例えばまずは聞くことを大切に、会議の場でも自分から話し出さないようにしているそう。先日も新年度の挨拶がある場面で、言葉を発しない武捨さんに代わり、入職2,3年目の若手スタッフが「新年度よろしくお願いします」と仕切ってくれた、と笑います。

武捨:「ちくわがうらがえる」(2020〜2021年に開催した展覧会のコンセプトでありタイトル)とか「未知との遭遇」(2024年度の「路地の開き」のテーマ)などというキーワードを発信すると、びっくりするスタッフも多いのですが、その表現で遊んでいくというか、今僕にはこういう景色が見えていて、ここから何ができるのかということを一緒に考えることができたらと思っています。

「路地の開き」でも、スタッフが自分で考えたことを話したり、やってみたことが形になったりすると面白くて。僕はなんでこうなっていくんだろうというのをずっと眺めちゃいますね。そこでこうした方がいいかな、と思うこともあるのですが、そのちょっと向こう側まで待ってみたいという気持ちがあります。

そんな武捨さんの「後手先手」のあり方に、佃さんも最初は戸惑ったと話す。

佃:見通しを持ちづらかったり、武捨さんが物事をズバリと言い当ててくれるのかと思いきや、発した言葉によって、それはつまり?みたいになっていく。最初は戸惑っていたけれど、どんな間合いでリベルテがあるかというのがわかってくると、「ああ武捨さん、また場に言葉を投げたな」ということを感じるようになってきました。

武捨さんが投げた言葉を眺めながら、例えば街歩きイベントをして、メンバーやスタッフと見つけたものを拾っていくと、言葉の真意を理解できることがあったりして。今ではその繰り返しを楽しんでいます。

ともすれば、団体の代表の言葉となると、それが絶対的な「正解」だと捉えられてもおかしくない。即席に理解しようとしたり、わかりやすい何かに当てはめてみたりしようとせずに、言葉を「眺める」ということができる佃さんのあり方や、それを許容する武捨さんや組織のありようも、独特なように感じる。

佃:それはあまりにも突拍子がないこともあって。「リベルテははんぺんじゃなくてちくわだったんだ」と言われても、そうですよね!となりきれないというか(笑)。

最初は武捨さんの言葉はポエムだ、と思って自分を納得させていたんです。でも武捨さんにとってはその時必然的な言葉なんだというのがわかってくると、ちょっと待てるようになってきましたね。

馮:きっとこれまでの活動からキャッチしたいろんな情報を消化して分解してきた武捨さんだからこそ見えてきているものがあるんですよね。だけど、その矢の方向性を現場にはっきりと説明するのではなく、「ちくわがうらがえる」や「未知との遭遇」という言葉にしているのかなと思います。

それは武捨さん個人の表現でもあると思うのですが、表現には暴力性がありますよね。表現は力を加えて何かを改造したり、踏み出すことをしたり、同じ空間にいる人を圧迫することがある。また個人的なものでもあるから、スタッフやメンバーに浸透しづらい。そこで武捨さんは、自分自身の表現でありながら、表現を手渡すということをしているのではないかなと思っています。

解釈して説明しすぎることは、たしかに方向性を定めて受け取る相手を窮屈にさせてしまうかもしれない。武捨さんは、自身の立場の優位性や、言葉が持つ権力性を意識しながら、発信をコントロールしているのだろうか。

武捨:代表という立場だと、どうしてもパワーというのは持っていて、そこは自覚せざるを得ないですよね。そこをどう扱うかというのはやっぱり悩ましいなと思います。

リベルテを組織と捉えると、スタッフの配置を考える必要もあるし、いろんな人が働いていける環境づくりをしたいとも思う。そのときに自分の方針は大事になってくるから、考え方を具体的に言おうと思うと「路地の開き」や「未知との遭遇」になってしまうんですよね。

とはいえ、それを例えば「インクルーシブな場にしたいんです」と言うと、全く違う圧力がかかってくるんです。「インクルーシブ」と言っても教科書通りに捉える人もいれば、体感的に違う人もいるだろうし、世の中で「インクルーシブ」と言われているものが本当に正しいのかどうかもわからない。だから自分の表現として具体的に出しながら、それがみんなにとってどういうものになるかとか、どう思ったんだろうとか、過程の中で枝葉が分かれていくことが面白いなと思っています。

世の中に流通している言葉やなんとなくまかり通っているイメージとしての言葉を使わずに、ひとつひとつ身体から生まれてきた言葉を具体的なイメージとして伝えながら武捨さんはいる。

ひとつの言葉や事象を「眺める」ことができるリベルテのあり方。その一つの要因には、外の視点で関わってくれている人がいることもあるかもしれない。

佃:できるだけフラットに、と思っていても、スタッフとメンバーだけでは、いつの間にか視点が偏ったり、関係が固定化されやすい。それが町に開かれて、例えば犀の角のスタッフや町の本屋さんが送迎スタッフとして入ってくれる。私たちスタッフのまなざしとまたちょっと違った視点で、中にいるメンバーとしゃべってくれるので、それはすごくありがたいですね。

外部の人が関わることは、メンバーが社会と出会う機会になることや、スタッフがいつ誰がやめても困らない状況を作ることができることも良い効用としてある。武捨さんは、スタッフとメンバーが支援者と支援される人にならないような工夫として行っていると続ける。

武捨:現場で密に関わっていると、固定化した関係がしんどくなることもあります。馮さんもアーティストだけれど現場に関わっていて、という立場でいてくれていますが、ちょっと役割をずらしていくということが、現場の風通しをよくしていくときに、すごく大事じゃないかなと思っているんです。

だからちょっと関係性をずらす人がたくさん入れるといいなと思っていて。ボランティアや子どもが来てくれたりとか。これからもそういうちょっと不思議な関係性の人が関わってくれたらいいなと思っていますね。

3人のお話を聞いていて印象的だったのは、「眺めている」「待ってみる」「一旦置いてみる」こうした言葉が出てくることだった。それぞれが、わからないものをわからないままにしたまま、答えを出すことを急がずに、いやむしろ答えを手放し、プロセスを体験しながら、身体感覚として理解していくことを味わっているように感じた。

「何気ない」自由とは、何気ないがゆえに、意識していないときっと見失ってしまうものだ。佃さんは「落ち込んでいる人がいたからと言って、表面をなでつけてなかったことにしたくない」と言っていた。きっと私たちは目の前のことだけで物事を判断したり、自分にとっての心地よさを優先するあまりに、誰かの感じる自由や体験する自由を奪ってしまうことがあるのではないかとハッとした。

リベルテの「眺める」「待つ」「一旦置く」そうした間合いこそが、私と誰かお互いの「何気ない自由」を大切にするヒントなのかもしれない。

(取材チームは翌日、リベルテと共に上田の街で劇場兼ゲストハウス「犀の角」や映画館兼居場所事業を行う「上田映劇」を訪れた。次回は、リベルテと深い関わりのある「犀の角」のインタビューをお届けする。)


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