福祉をたずねるクリエイティブマガジン〈こここ〉

同じ場所に立とうとすることで見えてくるもの ―妄想恋愛詩人・ムラキングと詩を書こう ポロリとひとこと|妄想恋愛詩人 ムラキング vol.05

  1. トップ
  2. ポロリとひとこと|妄想恋愛詩人 ムラキング
  3. 同じ場所に立とうとすることで見えてくるもの ―妄想恋愛詩人・ムラキングと詩を書こう

今回のテーマとあらすじ 〜“立場”を裏返してみる〜

妄想恋愛詩人・ムラキングの「ポロリとひとこと」。連載5回目のテーマは「みんなで詩を書いてみる」、裏テーマは「“立場”を裏返す」です。

この連載でこれまで考えてきたのは、生きていく上で重要な「表現」のこと。そして表現しながら生きる切実さと大変さです。書くことを続けてきたムラキングさんにとって、詩が残ったり、誤解されたり、自分と離れていく不安はいつもセットだといいます。今までの記事でも「表現」というポジティブな言葉の裏に潜む、後ろ向きな気持ちを正直に話していただきました。

が、しかし、本当にそれでいいんでしょうか? 言葉にする不安をさらに言葉にしてもらって、ムラキングさんにばかり私的な出来事や感情を差し出してもらって……。ずっとモヤモヤしてきました。

そんな気持ちから、今回は取材メンバーが詩作に挑戦してみることに。ムラキングさんには、書く人の横で見守る“先生”の役をお願いしました。自分の考えや感情を言葉で表すってどういうことなんでしょう。それが「怖い」ってどんな感覚なんでしょう。 わからないから、まずは自分たちもやってみよう。そんな企画です。

この企画に取り掛かるにあたり、ムラキングさんが過去の詩を見せてくれることになりました。「過去のものは見せたくない」と言っていたのに、大量のファイルを持って、地元・静岡県浜松市で待っていてくれたムラキングさん。「ああ、またまた差し出してもらってしまったかも」と思いつつ、いちムラキングファンとして作品を味わうところから取材がはじまります。(こここ編集部・中田)

【写真】浜松のまちを歩く編集部メンバー
季節はまだ冬でした。浜松を訪れ、会場に向かう取材メンバー。今回はちょっといつもと違う取材なのでそわそわしています。
【写真】角地に立つぐ2階建ての建物
たどりついた先は「ちまた公民館」。NPO法人クリエイティブサポートレッツが期間限定で開設した新しい拠点です。
【写真】ちまた公民館の窓から手をふるムラキングさん
窓越しにムラキングさんが出迎えてくれました。
【写真】建物の奥で座っているムラキングさん。手前には取材チームが座っている
と、いうことで、今回はムラキングさんに先生役を務めていただきます。はじまり、はじまり。

登場人物紹介

ムラキング: 1981年生まれ。高校生ぐらいから詩を書く。即興で詩を書くのが得意。認定NPO法人クリエイティブサポートレッツの就労継続支援B型を利用している。統合失調症。自信がなく、ときどき不安でいっぱいになることもあるが、興味のあることに対しては分野関係なくまずは手をつけてみたいタイプ。最近衝撃を受けたのは、YOSHIKI · HYDE · SUGIZO · MIYAVIによるロックバンド「THE LAST ROCKSTARS」の動画。

水越雅人:認定NPO法人クリエイティブサポートレッツのスタッフ。障害のある人の活動・居場所・仕事づくりをサポートする就労継続支援B型事業担当。同い年のムラキングと出会って10年。ムラキングにツッコミを入れる担当でもある。ジャンプ漫画の話をしたり、喧嘩したりしながらも一緒に活動している。最近ムラキングと意気投合した話題は、血糖値の話。シリーズもののDVDを観始めると止められないのが悩み。仮面ライダーをめちゃくちゃ観ている。

中田一会:こここ編集長。住まいは千葉、楽しみはお酒。最近の悩みは、飼い猫の粗相がひどいこと。あらゆる思わぬ場所でおしっこをされては慄き、怒るわけにもいかないので呆然としている。

岩中可南子:こここ編集部メンバー。東京の東のはじっこ在住。現場の後のお酒がなによりの楽しみ。今年の目標は、きちんと休む、あそぶ。

鈴木竜一朗:写真家。富士山のふもとに住んでいる。日本酒が大好き。数年前から味噌づくりにハマっており、今年は自分で育てた大豆で仕込んでみた。つぎは米麹づくりからやろうかなと思っている。

遠藤ジョバンニ:ライター。埼玉に住んでいる。酒に弱い。最近は飼い犬のおかげで街に知り合いができはじめた。育てる多肉植物が片っ端から巨大化してしまう。

こここ編集部の岩中(左)と中田(右)。用意いただいたムラキングさんの過去作ファイルを眺めています。

まずはムラキングの過去作をみんなで読んでみます

こここ・中田

「日付が2006年ってことは……17年前の詩?」

ムラキング

「僕が20代、レッツに来る前ですね」

レッツ・水越

「だいぶ前ですね」

こここ・中田

「意外と残ってる!」

【写真】年季の入ったファイルのなかに詩の書かれた紙が入っている
歴代の詩をかき集めて綴じられたファイルやノートのなかには、妄想恋愛詩や小説の設定、物語や曲からインスピレーションを得て書かれたものなど、さまざまな言葉があふれていました。
こここ・中田

「おお、展開がすごい!」

こここ・岩中

「これすごくドキッとするかも」

こここ・中田

「枯れることがないですね、言葉が。これだけ書いても書いても」

紙の切れ端に手書きした詩もあれば、ワープロソフトで打ち直した原稿もあります。読む人によって気になる詩が違うのも面白い。
紙のコンディションや一緒に綴じられているものも含めて気になる一同。一つひとつを読み上げたり、話し合ったり。
ムラキングさんから詩の解説や当時の裏話を聞いたり「今ならこう書く」とさらに膨らむ妄想を味わったり。ムラキングさんにとっての詩は、日々の暮らしと密接なものだということが伝わってきます。

ムラキングが過去作を見せてくれた理由

(詩を眺めるのに夢中になり、2時間近く経過)

こここ・中田

「気づけばもうこんな時間! 時間配分間違えましたね、すみません。でも、 面白かったなぁ。本当にありがとうございました」

ムラキング

「本当に僕は過去に書いた詩を人に見せないんです。見せないわりに詩集とか作りたいと思ってるから」

こここ・中田

「そう、『過去作を掘り返すのがそんなに好きじゃない』ってずっと言ってましたよね。だからこうしてようやく見せてもらえたことがうれしい。とりあえずこの人たちは一緒に眺めてみてもいいかなって思ってくれたんでしょうか」

ムラキング

「過去に詩を見せて、嫌な思いをしたこともありました。だけどいまは、中田さんや岩中さんが、なんというか、こうして見ながら一緒に過ごしてくれるから。その心境の変化は、この連載が始まらなかったら起きなかったことだと思います」

レッツ・水越

「ムラキングの詩の味わい方として、今日はどんな感じ?」

ムラキング

「一番いいやつ」

中田・岩中

「一番いいやつ!」

レッツ・水越

「今日はムラキングの書いた1編の詩をみんなでじっくり分析するわけでもなく、メンバーそれぞれでトークしながらうろうろする感じが、僕が見ていても楽しいですね。前回みんなで浜松の街を散歩したときみたいで、部屋にいるのに散歩してるような感じだ」

こここ・中田

「……今何してるんだろうね、私たちは? って感じの時間ですね」

こここ・岩中

「うん、確かに。味わうと言いつつもいわゆる“詩の朗読会”でもないし」

レッツ・水越

「同じ詩を囲む時間でも、詩集は“詩”単体で、いまは“詩とムラキングがセット”だから、また違うんですかね」

レッツのスタッフ・水越さん。10年間ムラキングさんの活動に伴走し、ミニ詩集づくりや詩のワークショップなど、どうしたらいいのかを一緒に考えてきました

作品と作者の微妙な関係。「詩集」以外の詩の味わい方を考える

レッツ・水越

「僕が思っているのは、詩だけを見ると、個人と内容が結びつきすぎてしまう場合がありますよね。たとえば、すごく辛いとか苦しいという感じが出ている言葉があって、その詩を目にした人が『作者は辛い状況にある大変な人なのでは』と心配しても、ムラキング本人はけろっとしていることもある。本として綴じると、言葉が固定されて閉鎖的になることもあるから、ムラキングの詩集づくりをずっと躊躇しているんです。詩集を出すことで本人にとって意図しないことが起こってしまうのは避けたい。だから普通の詩集ではないまとめ方・伝え方をずっと考えていて」

こここ・岩中

「たしかに、工夫が必要ですね」

レッツ・水越

「そう。ムラキングの場合は、詩集をつくることで、本人と詩のあいだに生まれる”距離”が少し気になるというか。そこは良し悪しがありますよね」

こここ・中田

「それに、ムラキングさんはいろんな作品や音楽から影響を受けて詩を書くときがあるし、詩の内容全てが個人に深く根付いたもの、という前提になってしまうのも、違いますよね。それはどんな表現だって作者だってそうなんですが。特にムラキングさんの詩は言葉だけ切り離してしまうのは難しいかも」

こここ・岩中

「さっき水越さんが言ってた『部屋にいるのに散歩』みたいな感じ、楽しいですね。詩はそこを通じてムラキングさんと出会えるコミュニケーションのツールなのかなって。そのやり方を、水越さんと一緒にいろいろと試してますよね」

作者と一緒にわいわいと詩を眺めるのは、まるで「散歩」のような時間でした
レッツ・水越

「僕は作品集であるよりもコミュニケーションツールであるほうがムラキングも楽しいと思う」

ムラキング

「楽しいです。レッツで詩を書いているときにもリアルに『散歩に行くけどどう?』って誘われるんですけど、その分僕は詩を書いていたかったりして。でも実は『詩を書いていることが大切か?』って言われたら、ただ自分の気持ちをほぼ垂れ流しで書いているので、逆を言えばいつでも書けるんですよ。最近ちょっとずつそういう誘いがあったら、一回躊躇しますけど『これだけがやってることじゃないしな』って、散歩についていって、歩きながら話を膨らませて帰ってきて書くみたいなことも増えました」

レッツ・水越

「詩の良し悪しだけで全てが決まってしまうのはあまりにもしんどいし、彼は詩人っていう肩書だけじゃないから」

ムラキング

「でも『体調がすごく悪いときに書いたときの詩はなんか面白いよね』っていう話題もあって。体調がいいって、どっちのことを言ったらいいのかなって水越さんと話しますよね」

こここ・中田

「その視点、面白い! 体調の良し悪しの物差しが詩を基準にすると変わるんだ。笑顔のときなのか、ユニークな言葉が出てくるときなのか、本質的にどっちが調子がいいんだろう……。ともかく、ムラキングさんにとって詩は、生きる手立てなんですね。悲喜こもごもありながら、書いていくことが」

(話しながら、一編の詩を見つけて手がとまる)

こここ・中田

「あ。これ、すごくいいなあ」

【写真】「氷山の一角」というタイトルの詩
こここ・岩中

「おもしろい、心は氷山なんですね」

レッツ・水越

「うん、おもしろい!」

こここ・中田

「付箋を貼っておきましょう」

ムラキング

「……この取材って、こうやって沢山の詩をみんなで読んでいる様子が記事になるんですか? 詩そのものではなくて? そうしたらみんな『そのムラキングの詩ってどんなだろう』って会いに来るのかな」

こここ・岩中

「“ムラキングに会わないと読めない詩集”、いいですね」

こここ・中田

「うん、いい! そんなに簡単に、人の内面を表現して見せてもらえるだなんて思っちゃいけないのかも。SNSでさまざまな創作物に触れられる今日このごろですが、なんでもすぐに消費できると思うのって、実はすごく不遜な態度かもしれませんね」

後半はワークショップ。「切実なこと」を「冷蔵庫の中の素材」を使って書いてみましょう

【写真】蛍光灯が室内を照らす夜の一室で、ペンを持って紙に向き合う取材チーム
取材も後半、すっかり日が暮れてしまいました。いよいよムラキングさんを講師に、詩作ワークショップがはじまります。ワークショップには、普段ムラキングの詩作を見守る水越さんや、フォトグラファーの鈴木竜一朗、ライターの遠藤ジョバンニも参加しました
こここ・中田

「さて、たくさん詩を見せてもらったので、今度は私達が自分のことを詩にしてみるワークショップの時間に移りたいと思います。ではムラキング先生にお題を発表してもらいましょう!」

ムラキング

「では発表します。『冷蔵庫の中の素材を使って、他人事ではない自分にとって切実な詩を書いてください』です」

こここ・岩中

「冷蔵庫の中身。切実なことかあ」

こここ・中田

「食べてない塩辛のことばっかり考えちゃうなあ。本当にあんまり思いつかない、なんだろうなあ」

ジョバンニ

「なんだか緊張しますね」

こここ・岩中

「この急に関係性が逆転していく感じがね」

こここ・中田

「ムラキングさん、こんなプレッシャーの中で書いてたんですね」

鈴木

「うーん」

こここ・中田

「むずいな……」

【写真】編集長の中田がテーブルに突っ伏している
「詩とは何か?」の壁にぶつかる中田。
こここ・中田

「凝りたいという気持ちもあるし……ペンかえようかな」

ムラキング

「僕の場合はずっと同じペンで書きますよ。毎日同じペンのほうが淡々と書けると思うので。こういうことは詩の先生は言わないでしょうけど、僕なりの日々の詩作ではそんなことを考えています」

黙々と詩を書くフォトグラファーの鈴木。意外にも一番筆が乗っている様子。
こここ・中田

「フォトグラファーがカメラではなくペンを握っている……すごい現場だ……!」

鈴木

「僕は詩をね、いつか書きたいと昔から思っていて。創作のメモも実はつけていて」

ムラキング

「(鈴木)竜さんは写真があるじゃないですか。そこにそのときの気持ちや感情とかを添えてもいいなと思います」

鈴木

「確かに、写真があればね。うちの冷蔵庫、写真に撮って来ればよかった」

こここ・岩中

「水越さんも筆が止まんないですね」

レッツ・水越

「いや、あの、うーん……なんでもない」

ムラキング

「ははは、なんでもないって言いだしちゃった」

詩作に悩む面々(鈴木以外)
ジョバンニ

「難しいですね。なんだか冷蔵庫の貼り紙みたいなものになっちゃうなあ」

ムラキング

「それ、妄想が膨らみますね。アレが冷蔵庫に余っているから食べなくちゃいけない。とりあえず私は無視してでもあなたが食べてください、みたいな。共同生活のなかでも男女間の距離が冷えていく感じが若干するっていう」

こここ・岩中

「そっか、そういうふうに膨らませていけばいいんだ」

こここ・中田

「いいですね、楽しいですね」

ムラキング先生に詩を選んでもらいましょう

(全員、なんとか書き終えた様子)

こここ・中田

「さてさて、出揃ったところで、順番に一編ずつ発表してムラキング先生に講評をいただきましょうか」

ムラキング

「あ。僕に直接見せてもらうことはできますか?」

こここ・中田

「そうか、選んでもらえばいいんだもんね。ムラキング先生、お願いします……緊張するなあ」

こここ・岩中

「ほんと、ドキドキする」

ジョバンニ

「緊張しますね、こわい」

にこにこしながら詩をながめるムラキングさん
ムラキング

「おお、みんなすごいな。みんなすごい」

ジョバンニ

「えええ〜。緊張する……」

こここ・岩中

「いやあ、やっぱり見てもらうって大変なことだな」

こここ・中田

「ムラキングさん、面白いですか?」

ムラキング

「こうして人が書く詩を見てから、あらためて対面で座ってる皆さんの姿を見ると『本当にこの人たち、ちゃんと真剣に書いてくれてるな』って」

鈴木

「内側見られている感じがして恥ずかしいですね」

ニヤニヤしながら詩を選んだムラキングさん
ムラキング

「水越さんのも面白い。逆に面白いんですよ」

レッツ・水越

「逆って! いますごい油断してた。なんだハードル上げるじゃない。どっちももがいて書いたやつ」

ムラキング

「ふふ。ああ、僕もこういう書き方したことあります……決まりました」

発表の順番をかけ、真剣にジャンケンする大人たち

取材チームの詩を“散歩”してみる

こここ・中田

「それでは先生、選んだ詩の読み上げをお願いします」

ムラキング

「はい。最初は中田さんからですね」

作:中田一会(こここ編集長)

開け閉めするたびに
ガタついて
捨てなきゃと思っては
見ななかったことにして
また閉じる
正直なところ 分からない
何が必要で 何がそうじゃ
ないのか 考えるのが面倒で
今日もまた閉じてしまう

ムラキング

「……けっこうヤバい」

こここ・中田

「ヤバい!?」

レッツ・水越

「どっちのヤバいなのそれは」

ムラキング

「本当に切実な生活感で占められている」

こここ・中田

「だって切実なことっていうから!」

ムラキング

「次は竜さんですね」

作:鈴木竜一朗(フォトグラファー)

あのこの部屋の
冷ゾウ庫に、のこしてきた
クリスマスケーキ。
わりと のこっていたけど
一人で全て
たべれたのかな。

ムラキング

「情景が浮かんでくる。質問したいんですけど、泣いているのは男の人ですか、女の人ですか?」

こここ・中田

「『あのこ』が悲しい気持ちになっているかもしれないってこと?」

鈴木

「うーん。そこはあんまり考えてない」

レッツ・水越

「ムラキング、ちゃんと妄想してんなあ」

ムラキング

「色々な解釈ができますよね。次は水越さんです」

作:水越雅人(認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ)

「君に会いたい」

「わたしなんていなくてもいいのよ」
「そんなこというなよ。いなくてもいいことなんてないでしょ。」
「じゃあ、わたしがいたか
どうか はっきりおぼえてるの?」
「いても、いなくても、今、
ぼくの前にならんでいるのは
事実なんだから、問題じゃーない」
「じゃあ、いなかったらどーするの?」
「ぼくは今、きみが必要なんだ。
すぐに会いたい。すぐに食べたい。
だから、今、きみを手に入れる」
帰宅して、すぐに開けた冷蔵庫に
8パックつまれた納豆たち。

ムラキング

「これは妄想?」

レッツ・水越

「絶対に我が家の冷蔵庫には納豆がすごい常備されてるんですよ。妻とそれぞれがあるかどうかも確認せずに、買い足していっちゃうもんだから」

ムラキング

「それで納豆だけが溜まっていくんですね」

レッツ・水越

「そこに対して『なんでそんなに溜まっていくのかな?』って考えながら書いた」

ムラキング

「わかる。この喧嘩口調は?」

レッツ・水越

「家族との会話ではなくて、自問自答しながら考えていること」

ムラキング

「納豆と水越さんの心のなかの会話なんですね」

こここ・岩中

「誰かと思いきや」

こここ・中田

「納豆だったのかあ」

ムラキング

「ふふ。次は岩中さんです」

作:岩中可南子(こここ編集部)

つかれたときに
ラップにくるんだ
炊きたてのごはんを
両目の上にのせる

ムラキング

「つかれてる」

こここ・中田

「……終わり?」

ムラキング

「終わり。これ本当にやってるんですか?」

こここ・岩中

「本当にやってますよ。ラップでくるんで、冷凍する前に粗熱をとっておくそのときに」

レッツ・水越

「炊きたてごはんという優しいイメージなのに、熱いものを『うりゃ』って目の上に乗せる感じがダイナミックでいいですね」

こここ・中田

「詩っていうか……知恵袋?」

ムラキング

「最後にジョバンニさんですね」

作:遠藤ジョバンニ(ライター)

知ってるんです
わかってはいるんです
ごめん
おばあちゃん
ゆでてくれた菊の花
たぶん
だめになってる
そっととじる
においでわかる

ムラキング

「確かにね、菊の花はね、腐りますからね。茹でてあるっていうのもポイントですね」

ジョバンニ

「私がやらないだろうって踏んで、わざわざ茹でて送ってくれたんです」

こここ・中田

「『においでわかる』がいいですね」

最後にムラキング先生の詩も一編発表してもらいました
作:ムラキング(妄想恋愛詩人)

今日は昨日
買いものをしてこなくて
薬をのまなきゃなのに
水道がとまってるから
いつも飲んでる
楽しくなるための
ビールしかない
……お金もないから
とりあえず

レッツ・水越

「ほほお。ちゃんとこう、詩としてのリズムがある」

ジョバンニ

「詩を書く側に回ったあとだと、これまでと見方が変わりますね」

こここ・中田

「やはり先生の詩ですね、ありがとうございます!」

達成感とともに記念撮影(撮影:岩中)

最後に振り返り。詩を書いてみてどうでした?

こここ・中田

「あらためて、詩を書いてみてどうでしたか?」

鈴木

「ムラキングさんが僕の書いた詩に、自分なりの妄想をぶつけてくれたのが面白くて。自分のなかの『切実なもの』を表すために書いた言葉を、解釈しなおせたことが新鮮でした。なんだかもっと詩を書きたくなった」

こここ・岩中

「自分の気持ちをうまく表現しきれなかったときに、書いた詩だけを読んで『そうなんだ』って受け止められちゃうことに怖さがあるなって思いました。出したいところもあるけど、それが思っていること全てだと思われてしまうのでは、と外に出すのを躊躇う自分もいます」

ジョバンニ

「さっきまで取材する側だったのに、ペンを渡されて持つ側に立ってすごく緊張しました。ムラキングさんはいつもこういう場にさらされながら、ここに立って詩を書いてくれていたんだなと」

レッツ・水越

「自分の真ん中にある言葉を差し出す人もいれば、あえてずらして真ん中に見せたり、たくさん言葉を並べて真ん中をつくる人もいて、面白いなと思いました。詩を通して皆さんの生き方が、そこに滲んでいるのを感じましたね」

こここ・中田

「2時間ムラキングさんの詩に触れてからみんなで書いてみた体験も面白かったですよね。教科書的な『詩』ではなくて、『ムラキングの詩』をそれぞれが参照しているというスタート地点が柔らかくて。悩んだけど、リラックスして書けたのはそこかも。みなさん、今回は無茶振りへのお付き合い、ありがとうございました!」

[編集後記] 「わたし」であって「わたし」でないもの

私は5年前から公開日記を書いていて、定期的に書籍にまとめては発行・販売するという個人活動を続けています。最初に発行した日記本では、都会での暮らしを手放し、祖母の遺した一軒家で生活を立て直す過程を刻々と綴りました。その本を読んだ認定NPO法人クリエイティブサポートレッツの職員さんが研究会のトークイベントにゲストとして招待してくださった……というのが、レッツとのご縁のはじまりです。

詩と日記。ジャンルは違いますが、ムラキングさんの妄想恋愛詩も、わたしの日記本も、自分を出発点にして言葉という表現形態をとっているところは共通しています。だからムラキングさんがたびたび口にする「過去に書いたものとの距離」や「自分のことを全部書いていると誤解される違和感」についても「そうだよなぁ」と勝手に共感してきました。

「わたし」から生まれたことは間違いないが、「わたし」であって「わたし」でないもの。そういうものはすべて(作者の知名度や出来不出来に関係なく)「表現」とか「創作物」と呼べるものです。

今回の取材が終わった後、取材メンバーそれぞれから「自分自身の表現」について聞く機会がありました。(実際には水越さんが「あなたはなぜ詩を書かないのか。書かないとしたら詩に代わるものはなにか」という“詩的”な問いかけで聞いてくれました。おもしろい!)音楽だったり踊りだったり、犬との過ごし方だったり、不思議な観察行為だったり、それぞれの「出す(表現する・創作する)」があり、とても興味深かったです。

同時に「あなたにとって“表現”とは?」と問いかけたとき、現在だとSNSでの発信を想定しがちということにも気づきました。ムラキングさんの過去詩の束が、会うまで読めないのと同じく、そして会って読んだところでムラキングさんの「本当の姿」や「本当の気持ち」とズレているのと同じく、この世界に生きる人の「表現」が顕れる場所は多様で、出会えたとしてもその人そのものとは限らない。かといって、作者と表現が完全に切り離せるわけでもない。つまり「表現」ってなんだ? ……ん? あれあれ、問いがループしてますね……。

何が言いたいかよくわからなくなってきましたが(すみません)、ともかく、この表現をめぐる煩悶は〈こここ〉でたびたび登場するテーマにも関わりますし、ムラキングさんとそれを取材する私達の付き合い方にも関わります。引き続き、考えていけたらいいなと思いました。(こここ編集部・中田一会)

ちまた公民館でつくられていた小さなビーズのツリー。ささやかなつくりものもまた、誰かにとっての表現かもしれませんね。

Series

連載:ポロリとひとこと|妄想恋愛詩人 ムラキング